第59話 弟子と忍者


 状況を見れば、マルモ一家の雑兵に火をつけた時の手口で、彼女が火遁の術を使ってクラークを燃やしたのは明白である。

 クラークもまた、理屈は分かっていないが、カレンが攻撃したのだとは理解していた。


「こ、このクソアマァ! よくも勇者に手出ししやがったなァ!」


 勇者であるクラークの実力を鑑みれば、普通は自分から手出しをする冒険者などいない。だが、忍者を志すカレンにとって、そんな職業は些末な差に過ぎない。


「関係ないでござる。師匠に仇なすなら誰であろうと敵でござる」


「クソが、よりによってフォンの味方になりやがって! 何の為に噂で騙したと――」


 そんなカレンの態度に苛立った勇者は、乱暴に立ち上がると、思わず叫び散らした。

 ただ罵倒するだけならまだましだっただろうが、すっかり怒りで頭を支配されたクラークは、完全に失念していた。自分の発言の中に、とんでもない事実が紛れ込んでいるのに。


「クラーク!」


「あぁ!? 何だよマリィ、でけえ声出して……あっ」


 マリィに指摘され、ようやくクラークは我に返った。そして、周囲の視線が集中した理由が、言い放った言葉であるとも察し、瞬時に顔が青ざめていった。マリィも同様の顔色だったが、二人は取り繕うように笑顔を浮かべ、はぐらかすように言った。


「…………利用されてた、みたいだな。はは、俺はさっぱり知らないけどな」


「何を言っているのでござるか、この男は」


 殆どの衆人のリアクションが、カレンと同じようなものだったのが幸いだった。フォンやクロエ達は真相を悟ったのか、二人を見つめていたが。


「とにかく、まだやるつもりなら拙者は容赦しないでござる! さあ、如何いたすか!」


 カレンからすれば、フォンに敵意を向ける二人をどうするかの方が問題だった。

 クラークのようにプライドが高く、勇者としての実力を自覚している者からすれば、こんな子供に背を向けるなど有り得ない。喧嘩を売られたのだし、買って当然だ。


「ぐ、この……!」


「……退きましょ、クラーク。まだ機会はあるわ」


「ちぃ……」


 しかし、後ろにいるマリィは、クラークより幾分冷静だった。ここで暴れれば案内所でも評価が落ちると、敵のスペックが未知数であると悟っていた。

 だからこそ、クラークを宥めるように肩に優しく手を置いた。彼は醜く歪んだ顔を、次第に世間に見せられる程度に戻すと、焼けた背中を擦りながらどかどかと歩き出した。マリィもまた、彼の後ろに付いて出口に向かってゆく。

 そうして外に出る間際、クラークは大袈裟に振り返って怒鳴った。


「てめぇらこそ、ギルディアででかいツラできると思うなよ! 俺達の邪魔をするってんなら、勇者としてただじゃおかないからな!」


 捨て台詞を残したクラークは、扉をひびが入るほどの勢いで閉め、外に出て行ってしまった。マリィはというと、フォンを名残惜しそうに一瞥し、彼を追った。

 少しだけざわつきが残っていたが、喧嘩はしょっちゅう起きる案内所だ。次第に冒険者達の関心は失せ、いつも通り騒がしい依頼と受注者達の集う場所に戻った。

 カレンはというと、敵が完全に視界からいなくなるまで、扉をずっと睨みつけていた。そしてクラーク達が外に出て行き、辺りが落ち着きを取り戻していくとようやく髪の逆立ちを落ち着かせ、三人に向き直った。


「やるじゃん、カレン。炎を操る忍術なんてね」


「サーシャ、火、苦手」


 忍術を褒められたカレンは嬉しそうに頬を掻きながら、フォンに言った。


「師匠、どうでござるか? 拙者の火遁の術で、無事お守りできて何よりでござる!」


 彼女としては、フォンの危険を退けたのだから、感謝されるのは予想の範囲内だった。だとしても嬉しいのだが、彼の口調は静かで、喜んではいないようでもあった。


「……確かに助かったよ、危険な事態は避けられた」


 人が最初に物事を褒める時は、大抵その後に説教が待っているのだ。

 カレンも分かっていたので、少しだけ面持ちを真面目にして、彼の話を聞いた。


「けど、忍術を派手に使う態度は今後改めないといけないね。忍びの力は濫用するものじゃない。師匠として今後しっかり教えていくから、忘れないように」


「そ、それは申し訳ないでござ……え?」


 前半は、予想していた。後半は、凡そ予想していなかった。

 カレンは師事すると言い続けていたが、フォンはあまり乗り気ではないようだった。カレンもそんな態度は察していたし、どうすれば認めてくれるだろうかと内心考えてもいた。だからこそ、クラークを退けて実力を知ってもらおうとも思った。

 しかし、フォンは静かに言った。師匠として、教えていくと。


「い、今、師匠と? 拙者の師匠になると言ってくれたのでござるか? ござるな?」


 猫の髭が出てきてしまいそうなほど驚くカレンが、クロエ達に確認してみると、二人とも自分のことのように笑っていた。


「フォン、言った」「フォンも、心を決めたみたいだね」


 これは夢ではない。紛れもない現実。


「……僕にできる範囲で君を導いていく。これからよろしくね、カレン」


 その証拠に、フォンはカレンに、今までで一番の笑顔を向けた。

 手を突き出し、握手を求めるフォン。

 彼に対して、カレンはこみ上げた喜びの涙を抑えきれず、己の中で思いつく限り最高の愛情表現でフォンに応えた。


「――ししょーっ! 拙者、一生、一生尽くす所存でござるぅーっ!」


 つまり、思い切り跳び上がってからの、抱き着きである。

 握手で応じてくれると思っていたフォンは面食らった。そして同時に、彼女ととてつもなく密着しているのも感じ取ってしまった。今までどうにか距離を保ってきた柔らかさの暴力が、フォンに襲いかかってきているのだ。


「わぶ、ちょ、急に抱き着かないでよ、カレン……当たってる、当たってるから!」


「む? 当たっているとは、何がでござるか?」


 色仕掛けへの免疫がさほど強くない未熟者にとって、カレンの胸の温かさと大きさは凶器そのものなのに、彼女は無自覚に頬を摺り寄せてくる。フォンはクロエ達に助けを求めようとしたが、その前に彼女達の顔を見てしまった。


「……随分嬉しそうだね、フォン。やわらかーいのが好きなんだね、へぇー」


 二人がいちゃつく様を見せつけられるクロエとサーシャの表情は、今朝以上に冷め切っていた。まるで、嫉妬しているような、自分にない物を羨んでいるような。


「どこも嬉しそうじゃないよ、二人とも助けてほしいんだけど!?」


 フォンの必死な助けなど、ちっとも聞いていない。自分達の胸元を軽く触りながら互いに顔を見合わせて、悔しさと呆れを滲ませながら、踵を返した。


「二人の邪魔しちゃ悪いし、他の酒場にでも行こっか、サーシャ」


「サーシャ、同意。フォン、助平、放っていく」


 クロエもサーシャも、すたすたと案内所の外へと歩く。

 置いていかれてなるものかと、フォンはどうにかしてカレンを説得しようとするが、どこからこんな力が湧いてくるのかと思うほどに彼女は引っ付いて離れない。


「スケベって、そんなんじゃないってば! カレンもほら、離れて、師匠命令だよ!」


「嫌でござる! 今この嬉しさだけは、師匠と分かち合いたいでござるーっ!」


 たっぷりの愛情表現で、カレンの体が温かい。周囲の目も、何だか生温かい。

 誰よりも目立つことを嫌うフォンの結論は、ただ一つ。


「――過度な接触は、今後一切禁止だぁーっ!」


 師匠になって最初の命令は、何とも格好の付かないものだった。

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