第42話 魔物と忍者


 びりびりと体の痺れを残したカレンは、自分について話し始めた。


「拙者、元は海猫という種族の魔物だったでござる。あ、海といっても水の中に住んでいたのではなくて、あくまで毛の色が海色なのに由来した名前でござるよ」


「いや、海猫でも何でもいいの。聞きたいのは、どうして変身能力もない魔物が、人間に化ける力を持ってるのか、ってこと」


 見当違いな自分語りをクロエが修正し、ようやくカレンは己のいきさつを話し始めた。


「……事の始まりは、拙者の棲み処に、盗賊に襲われた忍者が転がり込んできた時でござる……といっても、その忍者は既にほぼ死に体であったでござる」


 目を閉じれば、カレンの瞼の裏に、今でもあの夜の光景が思い浮かぶ。

 ごく普通の魔物として森の奥で生きてきた海猫。まだカレンという名すら持たない彼女が、茂みの中で眠りにつこうとしていた時、棲み処の外がやけに騒がしくなった。

 何事か、もしや餌でも転がり込んできたのかと思い、草むらの中から出て行こうとすると、逆に騒動の種の方から転がり込んできたのだ。必死に声を押し殺し、息も絶え絶えな、全身を赤い血で濡らした人間の女性が。


「忍者? 盗賊に襲われたと、どうして分かったんだい?」


「彼女が拙者に、そう言ったからでござる」


 彼女は遠ざかる声が聞こえなくなるまで黙っていたが、辺りが静かになると、魔物であるカレンに声をかけてきた。盗賊に襲われ、自分は瀕死の状態であると。人語を解するかも怪しいのに、彼女は続けざまに、遺言の如く言葉を吐き出していった。


「彼女は拙者を魔物と知っておきながら、自分が十一代目カレンであると、盗賊に襲われたと……抱えている鞄の中に巻物があって、それを開くと人間になれると言ったでござる。獣から人へ、人から獣へ変化できる理由は、今でもさっぱりではあるが……」


「巻物、巻子本か」


「巻物を知ってるなんて意外だね、サーシャ」


 トレイル一族を除き、この辺りの地域に住む人間にとっては、巻物こと巻子本は縁遠い書物だ。一枚の紙を巻いて、紐で縛った形式の書物は、忍者の秘密の多くを記している。

 フォンがずっと話していた禁術は、そんな巻物の中に封印されていたわけだ。

 クロエ達は奇天烈な術があるのかと驚いたようだが、茶色い髪を軽く掻くフォンは、別の事柄が気になって仕方がなかった。


「だけど、確かに妙な話だ。大前提として、盗賊に忍者が後れを取っているのがおかしいね。忍者なら、盗賊くらい、両手足を縛られて目隠しをされても簡単に倒せるのに」


「それって、フォンくらいなんじゃないの?」


「修行の一環でさせられるから、誰でもできるよ。あと、忍者がよりによって持っている巻物や荷物の詳細を、相手が魔物であっても教えるなんてのもおかしい」


 フォンが気になった点は二つ。一つは、忍者が盗賊に後れを取った点。どれだけ忍者が手傷を負っていたとしても、盗賊に血塗れになるほど襲われるとは考えにくい。巨大な象が子猫に囲まれたようなもので、普通なら一蹴して終わりであるはずだ。

 もう一つは、巻物の中身をあまりにも簡単に漏洩した点である。


「僕ら忍者は、どんな巻物でも中身を見せてはならない、命より優先しろって教えられるんだ。ましてや禁術の記されたものなんて、本来なら門外不出なのに、どうして……」


 彼が同じ事態に直面したなら、まず巻物を燃やす。または埋めるか、修復不可能な状態になるまで切るか破るか、噛み砕く。そのどちらでもなく、中身を教えるとは。

 里に戻れば即刻処刑レベルの愚行の理由を考えるフォンに、クロエが言った。


「フォン、今は考えても仕方ないんじゃないかな。当人は死んじゃったんだし、今はカレンの話を聞いた方が良いかもよ」


「……そうだね。それで、巻物を開いて、カレンは人間になったわけだ」


 話の路線を戻したフォンの問いに、カレンは辛うじて首を強く動かし、頷いた。


「正しくその通りでござる。彼女の背負った麻袋の中から赤い巻物を取り出し、紐を千切って開いてみると摩訶不思議、光に包まれた拙者は、人間になっていたでござる!」


 赤い背表紙の、開かれた長い一枚の紙。刻まれた文字がカレンの瞳の中に飛び込んでくると、文字が光り輝き、凄まじく眩いフラッシュが身を包んだ。

 手足をばたつかせているうち、毛がつるつるの肌に変わり、二足歩行となり、牙が小さくなって、気付けば斃れた者と同じ人間の姿になっていた。どうしたのだと慌てていると、カレンとやらが、掠れた息と共に、最期の台詞を垂れ流した。


「人の姿を得た拙者を見た先代は、自身の名を世に広めてほしいと言って、息を引き取ったでござる。鞄の中に、忍者の格闘術と忍術について記した書物を遺して……」


「で、先代が遺した資料を読んで、実践した結果、忍者になったのね」


 自由の利かない体のまま、カレンはにっこりと笑った。


「うむ! 長い修行の末、拙者はとうとう、忍者になったのでござるよ!」


 どれだけの年月を経たのかはともかく、独学の末に、彼女は忍者としての技術を獲得したのだ。獣の身体能力が残っていたのも、忍者になれた要因の一つだろう。

 ただ、忍者にとって大事な項目の修行が、彼女からはすっぽり抜け落ちている。


(成程、戦闘の技術しか培えなかったのか。道理で、掟や心得を知らないわけだ)


 フォンが最も気にかけていた、精神面、道徳面の修行が。


(心得の抜けた忍者は、心得に殺される。掟を忘れた忍者は、義賊を経て山賊となる。彼女の場合は、どちらも当てはまるから……早死にするだろうな)


 彼はどうにも、カレンをこのまま放っておく気にはなれなかった。

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