00-2


「ここは……」


 ジョシュアに先導され着いた場所は、貴族街の中心にそびえる王宮、その周囲に広がる、広大な庭園だった。もっと言えば、広い面積と様々な花で彩られた美しい庭園の中で、もっとも殺風景な場所、と言ってもいいかもしれない。


「近衛騎士の修練場、ですよね。お兄様」


 踏みしめられたむき出しの地面、ところどころにえぐられたような跡があるのは、おそらく魔法によるものだろう。少し離れた場所には遠距離攻撃用の的が見えた。



「ジーン」



 初めて見る騎士の修練場に興奮を隠せず見回していると、急にジョシュアに名を呼ばれ、意識をそちらに向け振り返る。と、


「――ッ!」


 振り向いた瞬間、ジョシュアが何かを投げてよこす。


 反射的に受け取ったそれは、一本の剣だった。


「……ジョシュア」



「私と戦ってほしい」



 その言葉を聞いた時、俺は自分自身の中にあまり驚いていない自分を見つけた。ジョシュアならそう言うのではないかと、どこかで予想していた自分がいた。


「お兄様!? 何を……」


「わかった」


「ジーンっ」


 ジョシュアの行動の意味も、俺がそれを受けたことも、アイーダには理解できないのだろう。いや、俺だってジョシュアの考えを理解しているわけではないし、ここで勝負をする理由も明確に説明できるかと言われれば、わからない。


 ジョシュアは、戦いが得意なほうではない。それはジョシュア自身が一番よく知っているだろう。だが、それでも近衛騎士として三年間鍛錬を積んでいる。剣術ならば俺も学院でかろうじてトップの成績を修めてはいるが、所詮は学生の剣だ。現役の騎士に通用するとは思えない。


 それでも、ジョシュアは俺に「戦ってほしい」と言った・


「ジーン、お前は優秀だ。今、王宮内でお前がなんと呼ばれているか知っているか?」


 その話は父から聞いたことがあった。数年ぶりに父から褒められたことだったから、よく覚えている。


「歴代主席のジーン。だが、私は知っている。お前が才能に甘えるだけの男ではないことを知っている。本当の才能にいつ追い抜かれるともわからない恐怖を、お前は知っている」


 そこでジョシュアは、一瞬だけ視線をアイーダに向けた。


 そうだ、ジョシュアは知っている。俺がどれだけ必死にこの主席という席を守り続けてきたのか。次席から迫ってくるプレッシャーに、何度押しつぶされそうになったのかを。


 賢く、人をよく見て協調性のある秀才。けれど戦いにおける才能は決して高くない。そんなジョシュアだからこそ、きっとこの国で誰よりも、俺のことを知っている。



 俺が決して、天才ではないことを認めてくれる。



「見せてほしい。才能に勝利し続けてきた努力を。この勝負の結果をして、私からの祝福とさせてもらう」


 ジョシュアが剣を抜く。合わせて俺も。剣はよく手入れがされているのか、金属のこすれる音もしないほど「するり」と抜ける。


 始まりの合図なんてない。剣を抜いた瞬間から互いに切り込む瞬間を見極め、潰しあう。

ごくり、と意識的につばを飲み込む。瞬間、ジョシュアが距離を詰めてくる。上段から振り下ろされる刃を力で防がず、いなす。流れを止めずに今度はこちらが切り返す。つばぜり合いとなり、ジョシュアと視線が交錯した。その瞳が俺の手元に移り、とっさに力を籠め距離を取る。が、ジョシュアは追撃することなく構えを整えた。


 打ち込む、防ぐ、反撃するをただ練習しているだけの学院の剣とはわけが違う。限りなく実戦に近い、読み合いと騙し合いの混ざった、才能に打ち勝つための剣。


 才能で言えば、俺はアイーダに遠く及ばないだろう。主席を守ってこられたのは単に、「時間が限られていた」からだ。ジョシュアもそれを見抜いている。その上で、この勝負で俺に問うているのだ。


『お前に、アイーダを守れるだけの力があるのか』と。


 これはジョシュアからの挑戦であり、これ以上ないほどの祝福と激励だ。

 

 ならば、俺は……どうあっても、



 負けるわけにはいかない。





 剣を合わせたのは、きっと数えるほどだった。けれどそのたびに神経が削れ、途切れさせてはいけない集中が千切れそうになるたびに、削れた神経を無理やり奮い立たせた。


「はあっ……ッ」


 地面に剣を立て、膝をつきたい衝動を必死になって抑え込む。ここで膝をつけば、全てが台無しになってしまう気がした。だから強がる。緊張からの解放で笑いだしそうな膝と手を、見栄だけのハリボテで覆っていく。


 そうやって、地に足をつけ立っていることが、勝者の義務のような気がした。


「強い強いとは思っていたが、まさか近衛騎士の私が本当に負けるとは」


 むき出しの大地に横たわったジョシュアが、空を見上げながら言う。


「さっきはお飾りだとか言ってたくせに」


 アイーダが、今度は本当に拗ねたようにつぶやいた。まあ、完全にこの勝負の蚊帳の外に置かれてしまったのだから仕方がない。きっとこの後、俺も小言を言われるのだろう。想像すると、でも案外悪くない気がした。


「謙遜と、敗北の事実は違うさ」


 ため息交じりに聞こえたジョシュアの言葉に、ようやく勝利の実感がこみあげてくる。


「勝った、んだな。俺、ジョシュアに」


 息も絶え絶えに、みっともない声を出す。


「ああ、文句のつけようのない、まっすぐな力だった」


 ジョシュアは何事もなかったかのように立ち上がり、服についた土をほろう。その姿を見ていると、どうにも負けたような気分になるが、あくまでも勝負には俺が勝ったのだ。どれだけ今の自分が無様に見えても、それだけで自分を誇れる気がした。


「ジーン」


 すぐそばまで歩み寄ってきたジョシュアが、俺に向かって手を差し出す。俺はすぐにその手に頼りたいところをぐっとこらえ、深く息を吸った。


 どうにか息を整え、平静を取り繕い、地に突き立てていた剣を腰の鞘に収める。背筋を伸ばして前を向くと、俺の瞳をじっと見つめるジョシュアと目が合った。


「アイーダを頼む」


 その言葉に、俺はジョシュアの手を握り返し、答える。


「ああ」


 卒業を翌日に控えたこのとき。俺は何よりも得難いものを受け取ることができた。

 アイーダのほうを見る。まだむすっとした表情を残そうとしているが、あれは笑顔をこらえている顔だ。そのままじぃっと見ていると、やがて耐えられなくなったのか「ぷはぁ」と息を吐いて笑顔に戻る。


 しっかりと組まれた俺とジョシュアの手を、アイーダの両手が包み込む。



「L.claudere。私たちの、未来の扉が開かれますように」



「ら、くぁうでぃ?」


 聞きなれない言葉に、俺はアイーダに聞き返す。


「公爵家に伝わる魔法、というか、おまじない。本当は教えちゃダメなんだけど、この言葉を言えるのも、今日が最後だから」


 魔力を授かれば魔法になる。だから、おまじないとして言えるのはこれが最後だ、と。アイーダはそう言った。


「未来の扉、か」



 開く。開いてみせる。アイーダとともに。



 少なくとも、この時の俺はそれができると思っていた。





 そう、信じて疑わなかった。

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