第三章 お勧めのCDを貸してくるような後輩 6

 そのときだった。寝室とリビングを仕切る引き戸が開き、寝室側に立っていた部屋の主と視線が交錯する。

 なんというぎようこう。俺にとっては新鮮な立ち姿にれてしまう。

 なぜかというと……水玉のパジャマを着た就寝スタイルの渡良瀬佳乃だったから。

「……目が覚めたらやけにうるさくて、しかもセンパイの声がしたから何事かと思いましたが」

 じっとりとくすぶる瞳で凝視してくる渡良瀬は、不機嫌を隠そうともしない。

「……どうして、わたしの写真を広げながら勝手に盛り上がってるんですか。恥ずかしいので即刻片付けてください」

 はしゃいでいた男二人は静かなる渡良瀬にねちねちと叱られ、「すみませんでした……」と潔く謝りながら泣く泣くテーブルの上を更地に戻したのだった。

 その後は家のあるじと化した渡良瀬がソファに座り、男どもはフローリングに正座でお叱りを受ける状態が数分間は続いたのだが、ふいに渡良瀬の勢いが止まる。

「……すみませんでした。今日は待ち合わせ場所に行けなくて」

 かしこまった謝罪をもらうも、見るからに本調子ではない。

 渡良瀬のほおはまだ紅潮しており、額にはうつすらと汗の粒も浮き出ていた。

「まだ熱があるんじゃないのか? 星空は今度でいいから、今日はゆっくり休もう」

「……まだ少し、ふらふらするので今日は安静にします」

 渡良瀬はソファから腰を上げようとしたが、すぐに座り直す。

「……おなか、へりました」

 気難しい顔での子供っぽい台詞せりふを不意打ちされ、思わず笑ってしまう。

「……笑いどころじゃないですけど」

「ごめんごめん」

「……風邪薬を飲むために食べないといけません。食いしん坊というわけではないですよ」

「はいはい、分かった分かった」

 へらへらとちやすように応対すれば、遺憾の意を込めた指先で軽く肩をたたかれる。

 ムッとしたわたの不機嫌面や仕草も愛らしくて、俺は好きなんだよ。

「……ベタチョコ」

「女王様、申し訳ありません。ただいま在庫を切らしており、取り寄せ中であります」

「……この発熱はベタチョコ切れの禁断症状なのかも」

 さかと渡良瀬の仲良し親子コントかな?

「写真と絵を見ちゃったおびに、すぐ食べられそうな軽食を用意するよ」

 正座でしびれた足をどうにか伸ばした俺は、徒歩三秒のカウンターキッチンへ移動した。

 渡良瀬の大好物であるベタチョコのストックも切らしているらしいが、俺にとっては好都合。アパートへ着く前に登坂と立ち寄ったヨークタウンで購入した見舞いのフルーツもあるし、すみさんに夜食を用意してもらったことも思い出す。

「……センパイ、料理できるんですか?」

「実家の喫茶店をたまに手伝うから、簡単な料理の補助くらいならできるかな」

 俺は口を動かすのと同時に、ナイフの刃を添えたリンゴを回しながら、深紅の皮を器用にいていく。なぜか知らないけど、登坂と渡良瀬が尊敬のまなしを照射してきた。

よし、あいつすごくね? ただのアホじゃなかったんだな」

「……認めたくないですが、凄いと思う。叔父さんよりも凄い」

「てめぇはなびし! 佳乃に褒められたからって調子こくなよ! 留年させっぞ!」

 ただフルーツを切ってるだけなんだけども。

 いつも何を食って生きているんだ、この二人は。お節介ながら心配になってしまう。

 おおかた市販の総菜や冷凍食品、カット野菜みたいな献立が大半なのかな。

 それはともかく、美麗に切ったリンゴと洋梨を大皿へ盛り付け、中心にサンドイッチを飾ればサンドイッチとフルーツの盛り合わせ、のがり。

 尊敬の眼差しをやめない二人が待つリビングへ運び、大皿をテーブルへと置いた。

「……このサンドイッチ」

 渡良瀬は勘付いたのか、即座に反応を示す。

「そう、昨日の昼に食べたサンドイッチ。渡良瀬が気に入ってくれたから、その人にまた作ってもらったんだ」

 サンドイッチを見詰めた渡良瀬は両手を合わせ、サンドイッチをまむ。三角形の角をえぐるようにみつき、ゆっくりとしやくした。

 昨日と同様、舌の味覚を研ぎ澄ましながら味わい、つつましやかに飲み込む。

「……やっぱり、好きだった味ですね」

 そして、わたは同じ感想を細々とつぶやくのだ。

 渡良瀬の様子をうかがいながら、サンドイッチに口を付けたさかも無言でしやく。心行くまで風味や味を確かめ、小さな三角のパンをぺろりと平らげた。

 二個目も、三個目も、登坂の口内に消えていく。

 本来ならば「病人以上に張り切って食うなよ」とか、くだらない茶々を入れるところだが……登坂の潤みきって揺れる瞳の奥が、俺の生意気な口をつぐませた。

「めちゃくちゃかったって……これを作った人に伝えといてくれ」

 戸惑う俺に対し素直な感謝の伝達を求め、外の空気を吸いにベランダへ行ってしまう。

「……ひゃまにはふるーまにはフルーてゅもおいひいれすれも美味しいですね

「よくんで飲み込んでからしやべりなさい。行儀悪いでしょ」

 オカンか、俺は。よほど空腹だったのか、リンゴと洋梨をほおいっぱいに詰め込んだ渡良瀬のハムスター顔が、ひんやりとなった雰囲気をちょっとだけいやしてくれた。

「眠くなってきた?」

「……まだ、眠くならないです」

 熱っぽい渡良瀬の額に冷却シートを貼ってやり、二人でテレビを見たりゲームをしながら過ごした。渡良瀬のテンションが最高潮になったのは、お勧めされたバンドの公式MVを動画サイトで見ているとき。肩を並べながら座り、ノートパソコンの画面を注視した渡良瀬が好きな曲を解説してくれる……微熱により頬が赤らむ横顔にかれた俺はパソコンがある正面と渡良瀬がいる右隣のどっちに見入るかで迷い、目線がぶれてしまう。

 チラ見に気付かれ「よそ見しないでください」と怒られたけど、お前の横顔を見ていたんだよなんてキザったらしい台詞せりふとつに言えないから、皿の上に一切れだけ残っていたリンゴをしゃくりとかじり、うやむやにした。

 渡良瀬が眠くなるまでのお部屋デートに身も心も委ねる甘ったるい充実感は、じわりと蜜が染みたリンゴの味と似ている気がした。


 夜十時を回り、帰り支度を整える。

 目がとろんととろけてきた渡良瀬を寝かせるため、名残惜しいけど今日はこのへんで帰宅しよう。週が明ければすぐに会えるから。

 玄関に移動した俺が靴を履いていると、足取りが重そうな渡良瀬もこちらへやってくる。

 どうやら玄関まで見送ってくれるらしく、さりげない気遣いが無性にうれしかった。

「風邪薬は飲んだ?」

「……はい。飲みました」

「水分は小まめに補給して、部屋も暖かくして寝てくれよ」

「……心配性ですね。センパイというより、お兄ちゃんみたいです」

 わたのお兄ちゃん……悪くないのでは?

 いや、その間柄だと恋愛に支障をきたすから無理だな~。俺はセンパイでいたいな~。

「……変なことを考えてないで、ちゃんと安全運転で帰ってくださいね」

「はいはーい」

 相変わらず俺の感情は顔面に筒抜けらしい。

 綿あめよりも軽い返事をしながら、玄関のドアノブに手をかける。

「……あっ、ちょっと待ってください。渡したいものがあります」

 帰ろうとした俺を引き止めた渡良瀬はいったんリビングへ引き返し、再び玄関へ戻ってきた彼女の手にはケース入りのCDが数枚握られていた。

「……昨日、お勧めのCDを貸すと言ったので……よければ聴いてみてください」

「わざわざCDを貸し借りしなくても、曲名さえ教えてくれたらサブスクで聴いたのに」

「……一度、やってみたかったんです。その……親しくなった人に好きなものを貸したり、貸してもらったりするのを……。センパイがご迷惑でなければ、ですけど……」

 普段から漫画やゲームを貸し借りする俺にとっては気軽な行為でも、渡良瀬にとっては憧れの交流だったのかもしれない。そんな意図をり、ありがたく借り受けたCDケースには【ちゃんと返してくださいね、センパイ】と書かれた付箋が貼ってあった。

 付箋を見れば返し忘れに気付く配慮なんだろうけど、借りパク常習犯みたいな顔をしているのかね、俺は。友人に返し忘れた漫画やゲームは家に山ほどあるけどさ。

「……聴き終わったら感想を聞かせてください。センパイの好みに合いますように」

 期待が半分、不安が半分といった表情の渡良瀬。好きなものを誰かに薦めるとき、もし相手の趣向に合わなかったらと思う複雑な気持ちは分からないでもない。

 こういう人間臭い顔もできる。渡良瀬が持つ様々な表情を……

「それじゃあ、体調が回復するまでは早く寝てくれよ」

「……リトルトゥースなので、今日は夜中の三時までは寝られません」

「深夜ラジオも我慢しなさい。心配性なお兄ちゃんからのお願いです」

 ちろりと舌を出すパジャマ姿の渡良瀬……めちゃくちゃ可愛かわいいじゃん。

「また、俺たちの部室で会おうな。おやすみ」

「……はい。おやすみなさい」

 もう正式な部員だから、俺たちの部室。渡良瀬も否定しないのが、こっそりうれしい。

 遠慮がちではあるけれど、お互いに小さく手を振り合い、通り抜けたドアが完全に閉まるまで……交わった視線を切らすことはなかった。

 最寄りの駐車場から見上げる二月の寒空は、分厚い雲に覆われて星空の欠片かけらもない。


 楽しんだ余韻に浸りたい俺をあざわらうかのように、冬色の凍えた雨が──ほおに触れた。

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