第三章 お勧めのCDを貸してくるような後輩 6
そのときだった。寝室とリビングを仕切る引き戸が開き、寝室側に立っていた部屋の主と視線が交錯する。
なんという
なぜかというと……水玉のパジャマを着た就寝スタイルの渡良瀬佳乃だったから。
「……目が覚めたらやけに
じっとりと
「……どうして、わたしの写真を広げながら勝手に盛り上がってるんですか。恥ずかしいので即刻片付けてください」
はしゃいでいた男二人は静かなる渡良瀬にねちねちと叱られ、「すみませんでした……」と潔く謝りながら泣く泣くテーブルの上を更地に戻したのだった。
その後は家の
「……すみませんでした。今日は待ち合わせ場所に行けなくて」
渡良瀬の
「まだ熱があるんじゃないのか? 星空は今度でいいから、今日はゆっくり休もう」
「……まだ少し、ふらふらするので今日は安静にします」
渡良瀬はソファから腰を上げようとしたが、すぐに座り直す。
「……お
気難しい顔での子供っぽい
「……笑いどころじゃないですけど」
「ごめんごめん」
「……風邪薬を飲むために食べないといけません。食いしん坊というわけではないですよ」
「はいはい、分かった分かった」
へらへらと
ムッとした
「……ベタチョコ」
「女王様、申し訳ありません。ただいま在庫を切らしており、取り寄せ中であります」
「……この発熱はベタチョコ切れの禁断症状なのかも」
「写真と絵を見ちゃったお
正座で
渡良瀬の大好物であるベタチョコのストックも切らしているらしいが、俺にとっては好都合。アパートへ着く前に登坂と立ち寄ったヨークタウンで購入した見舞いのフルーツもあるし、
「……センパイ、料理できるんですか?」
「実家の喫茶店をたまに手伝うから、簡単な料理の補助くらいならできるかな」
俺は口を動かすのと同時に、ナイフの刃を添えたリンゴを回しながら、深紅の皮を器用に
「
「……認めたくないですが、凄いと思う。叔父さんよりも凄い」
「てめぇ
ただフルーツを切ってるだけなんだけども。
いつも何を食って生きているんだ、この二人は。お節介ながら心配になってしまう。
おおかた市販の総菜や冷凍食品、カット野菜みたいな献立が大半なのかな。
それはともかく、美麗に切ったリンゴと洋梨を大皿へ盛り付け、中心にサンドイッチを飾ればサンドイッチとフルーツの盛り合わせ、の
尊敬の眼差しをやめない二人が待つリビングへ運び、大皿をテーブルへと置いた。
「……このサンドイッチ」
渡良瀬は勘付いたのか、即座に反応を示す。
「そう、昨日の昼に食べたサンドイッチ。渡良瀬が気に入ってくれたから、その人にまた作ってもらったんだ」
サンドイッチを見詰めた渡良瀬は両手を合わせ、サンドイッチを
昨日と同様、舌の味覚を研ぎ澄ましながら味わい、
「……やっぱり、好きだった味ですね」
そして、
渡良瀬の様子を
二個目も、三個目も、登坂の口内に消えていく。
本来ならば「病人以上に張り切って食うなよ」とか、くだらない茶々を入れるところだが……登坂の潤みきって揺れる瞳の奥が、俺の生意気な口を
「めちゃくちゃ
戸惑う俺に対し素直な感謝の伝達を求め、外の空気を吸いにベランダへ行ってしまう。
「……
「よく
オカンか、俺は。よほど空腹だったのか、リンゴと洋梨を
「眠くなってきた?」
「……まだ、眠くならないです」
熱っぽい渡良瀬の額に冷却シートを貼ってやり、二人でテレビを見たりゲームをしながら過ごした。渡良瀬のテンションが最高潮になったのは、お勧めされたバンドの公式MVを動画サイトで見ているとき。肩を並べながら座り、ノートパソコンの画面を注視した渡良瀬が好きな曲を解説してくれる……微熱により頬が赤らむ横顔に
チラ見に気付かれ「よそ見しないでください」と怒られたけど、お前の横顔を見ていたんだよなんてキザったらしい
渡良瀬が眠くなるまでのお部屋デートに身も心も委ねる甘ったるい充実感は、じわりと蜜が染みたリンゴの味と似ている気がした。
夜十時を回り、帰り支度を整える。
目がとろんと
玄関に移動した俺が靴を履いていると、足取りが重そうな渡良瀬もこちらへやってくる。
どうやら玄関まで見送ってくれるらしく、さりげない気遣いが無性に
「風邪薬は飲んだ?」
「……はい。飲みました」
「水分は小まめに補給して、部屋も暖かくして寝てくれよ」
「……心配性ですね。センパイというより、お兄ちゃんみたいです」
いや、その間柄だと恋愛に支障をきたすから無理だな~。俺はセンパイでいたいな~。
「……変なことを考えてないで、ちゃんと安全運転で帰ってくださいね」
「はいはーい」
相変わらず俺の感情は顔面に筒抜けらしい。
綿あめよりも軽い返事をしながら、玄関のドアノブに手をかける。
「……あっ、ちょっと待ってください。渡したいものがあります」
帰ろうとした俺を引き止めた渡良瀬はいったんリビングへ引き返し、再び玄関へ戻ってきた彼女の手にはケース入りのCDが数枚握られていた。
「……昨日、お勧めのCDを貸すと言ったので……よければ聴いてみてください」
「わざわざCDを貸し借りしなくても、曲名さえ教えてくれたらサブスクで聴いたのに」
「……一度、やってみたかったんです。その……親しくなった人に好きなものを貸したり、貸してもらったりするのを……。センパイがご迷惑でなければ、ですけど……」
普段から漫画やゲームを貸し借りする俺にとっては気軽な行為でも、渡良瀬にとっては憧れの交流だったのかもしれない。そんな意図を
付箋を見れば返し忘れに気付く配慮なんだろうけど、借りパク常習犯みたいな顔をしているのかね、俺は。友人に返し忘れた漫画やゲームは家に山ほどあるけどさ。
「……聴き終わったら感想を聞かせてください。センパイの好みに合いますように」
期待が半分、不安が半分といった表情の渡良瀬。好きなものを誰かに薦めるとき、もし相手の趣向に合わなかったらと思う複雑な気持ちは分からないでもない。
こういう人間臭い顔もできる。渡良瀬が持つ様々な表情を……ようやく思い出せた。
「それじゃあ、体調が回復するまでは早く寝てくれよ」
「……リトルトゥースなので、今日は夜中の三時までは寝られません」
「深夜ラジオも我慢しなさい。心配性なお兄ちゃんからのお願いです」
ちろりと舌を出すパジャマ姿の渡良瀬……めちゃくちゃ
「また、俺たちの部室で会おうな。おやすみ」
「……はい。おやすみなさい」
もう正式な部員だから、俺たちの部室。渡良瀬も否定しないのが、こっそり
遠慮がちではあるけれど、お互いに小さく手を振り合い、通り抜けたドアが完全に閉まるまで……交わった視線を切らすことはなかった。
最寄りの駐車場から見上げる二月の寒空は、分厚い雲に覆われて星空の
楽しんだ余韻に浸りたい俺を
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