第115話 新魔王城 四階 その八

 新魔王城の四階で戦いは続く。

 ネクロウスの支配から鬼王バオウを解放することには遂に成功した魔王ヴァールだが、数十人もの鬼たちは支配されたまま。

 龍姫ジュラもまたネクロウスの命令を受けて、龍体のズメイに攻撃をかける。ジュラが召喚した十数体の海龍もズメイへと衝撃波を放つ。


 ズメイは数十メルもの巨体を持つうえに九つの首を伸ばしている。攻めは強いが守りに弱い。

 細長い海龍たちが宙を泳いでズメイに迫り、首筋に噛みつこうとしてくる。

 ズメイは自分の属性を酸から氷に切り替える。体表面は透き通るような水色に変わり、九つの顎からは凍気を放射する。海龍は体を凍らされて動きが鈍る。


 ひと際美しい海龍の姿をとっている龍姫ジュラが、紅の龍体をうねらせてズメイに体当たりを仕掛けてきた。


「ちいっ!」

 ズメイはジュラに巻き付かれ、締めあげられる。骨がきしみ、ここまでの戦いで受けた傷口が裂ける。


「ズメイ、ジュラから離れるのじゃ!」

 叫んだのは、鬼王バオウの頭に乗った極小サイズのヴァール。だがズメイは身動きが取れない。バオウは二人の戦いを止めに行こうとするも、鬼の群れに囲まれている。ヴァールが遠隔魔法でどうにかしようにもズメイとジュラは組み合ってしまっている。手づまりな状況だ。


「その龍は邪魔です。絞め殺しなさい!」

 銀血として散在するネクロウスがジュラに指示を飛ばす。

 ネクロウスはジュラや鬼たちにまとわりつき、体内にも潜んでいる。


 ジュラは締め上げる力を増す。ズメイの身体から血が噴き出る。

「お姫様、あまりくっつくなよ。照れるじゃねえか」

 ズメイの脳裏にかつての記憶がよぎる。勇猛にして仁義に厚い龍王アウラン、彼女が連れた愛娘のジュラ。


 三百年前、アウランがヴァール魔王国で亡くなった後、遺言に従ってジュラはズメイに託された。

 好き放題に暴れまわって悪龍と呼ばれていたズメイはアウランとの喧嘩勝負で懲らしめられて以来、彼女を敬愛するようになっていた。そのアウランの遺言だ。己を戒めるために老人の姿をとったズメイは幼いジュラの面倒を全力で見始めた。


 だが上手くいかなかった。

 目前で母アウランが散っていったショックはジュラの心に深い傷を残していた。ジュラは何年たっても成長しようとしなくなった。ジュラはアウランの幼い頃に瓜二つ、いずれ育てばアウランと見分けがつかなくなる。そうすればアウランのことを皆は忘れてしまうとジュラは泣きわめいた。

 実際、腫れ物に触るような対応の側近たちはアウランについて忘れたかのように話をしなくなっていた。ズメイもまた同様。


 アウランとよく行動を共にしていたズメイは、ジュラにアウランのことを思い出させる。それもあってズメイは老人の姿に変じたが、仲が良かった若きズメイから捨てられたようにジュラは感じたようだった。


 百年経っても二百年経っても状況が変わらない。

 アウランの夫が後を継いで龍王となり、ジュラにはその次の王になることが期待されている。なのにジュラは身も心も少女のままだ。

 アウランのことを思い出させる自分が存在してはならないのではとズメイは考え、とうとう龍王国を離れたのだった。そして今は魔王ヴァールに仕えて新四天王の座にある。


 新四天王になったのが間違いとは思っていないズメイだが、ジュラの扱いには後悔しかない。

 未だ育っていないうえにネクロウスから支配されてしまっている。


 ジュラの顎がズメイの首に食らいつき、深々と牙が刺さる。ズメイは間近にジュラの目を見つめる。意志のない目だ。

「姫を育てられず、守れず…… すまねえアウラン」


「腑抜けるなや、ズメイ!」

 ヴァールの怒声。


「汝はしくじったかもしれん。じゃが失ってはおらぬ! 取り戻せるのじゃ! 頭を使え、ズメイ!」

 ヴァールの叫びは己自身に向けたかのようでもあった。


 鬼たちに囲まれたバオウは攻撃をブロックしているがダメージは増していく。

「ヴァールちゃん、みんなの胸の内側にネクロウスはとりついてるんだよね」

「そうじゃ。銀血が心臓を取り巻いておる」

「やっても大丈夫だよね」

「信じよ」

「うん、ヴァールちゃん! やる!」


 バオウは拳を構え、咆哮した。

 殺到する拳をフットワークでかいくぐって、右ストレートを鬼の胸に叩き込む。

 落雷したかのような音と振動が舞踏の間を震わせる。

 

 拳は鬼の胸を貫き、銀血に塗れた心臓を一撃で叩き出す。

 鬼はゆっくりと倒れ、床を揺らした。


「なんですと! 仲間殺しとは愚かの極みです!」

 ネクロウスが呆れて叫ぶ。


 バオウはフットワークを効かせて次々に鬼の胸を強打。

 ネクロウスが銀血を心臓から退避させる隙を与えることなく、全ての鬼から銀血と心臓を叩き出した。

 舞踏の間は死屍累々となる。

 だが、バオウの目に苦悩はない。輝いている。


 舞踏の間の扉が開いた。三階からの入口だ。

 先ほどまでは鬼の一人に封鎖されていたが、今はもう解放されている。

 扉からは紅白装束の巫女たちがなだれ込んできた。先頭をきっているのは巫女イスカだ。


「皆さん、やりますわよ!」

 イスカは魔道具の幣を振り上げる。

全体蘇生フォールリストレーション

 巫女たち全員の幣から蘇生魔法が発動し、舞踏の間を魔力の暖かい光が満たす。

 倒れている鬼の胸に開いた大穴が急速に修復され、心臓も再生を開始する。

 

「私にも見せ場が欲しいかしら!」

 女神官アンジェラとその仲間の神官たちも扉から現れた。階段がきつかったのか、老神官ルーデンスは肩で息をしている。

 彼女たちも一斉に杖から蘇生魔法を発動した。

 数十人の鬼たちが息を吹き返していく。


 蘇生魔法にはネクロウスの操術を阻害する効果もある。

 ズメイに食らいついていたジュラの目に意志の光が灯る。

「あれ……?」

 自分が何をしているのかに気付いたジュラは慌てて顎を開き、ズメイの首筋に食い込んだ牙を外す。首筋の穴から赤い血があふれてくる。


「え? ズメイを怪我させてる? ズメイと抱き合ってる? あわわわわ! ズメイ、離れろってば! あ、あたいが抱きついてる!? ちょっと、ねえ、血が出てるってば! 早く治さないと!」

 意識を突然取り戻したジュラは混乱して支離滅裂である。


 床にこぼれている銀血のネクロウスたちはまた一つ所に集まってナメクジのような姿をとる。

「蘇生魔法、なるほど考えたものです。しかし私に手がないとお思いですか」


 舞踏の間の天井からぽたりと銀血が滴り落ちた。

 そのペースはみるみる速まり、そして天井全体から落ち始める。

 舞踏の間の床を銀血が満たし始める。


 ヴァールが歯噛みする。

「やりおる。どれだけ蘇生魔法をかけても、新しい銀血が降ってくるのではきりがないのじゃ……!」


 ジュラの目から再び意志の光が消えてしまう。

「おい、ジュラ、しっかりしやがれ!」

 ズメイが叫ぶもジュラは戻ってこない。


 ネクロウスが命じる。

「ジュラ、人間態になりなさい。そして自分自身を攻撃するのです!」


 ジュラの長大な龍体はみるみる小さくなり、女性の姿になる。小さな少女ではなく、豊かな体を持つ美しい女性だ。ジュラ本来の姿だった。


「アウラン……!」

 ズメイは息を呑む。ジュラの姿はあまりにもアウランとそっくりだった。


 ジュラの召喚龍たちが衝撃波をジュラ自身に向けて放つ。

 ズメイはジュラに覆いかぶさり、衝撃波を代わりに受ける。

 次々に放たれる衝撃波を受けてズメイの龍体はずたずたになっていく。


「ふふふふふ! ジュラの命が惜しければ降伏するのです、愛しき君よ!」

 舞踏の間にあふれていく銀血のネクロウスは勝ち誇って叫んだ。

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