第95話 新魔王城 一階

 北ウルスラ国王レイラインがノルトンを出発するよりも前まで、時をさかのぼる。


◆ノルトン 新魔王城 地下一階


 戦闘後の混乱を収めるべく、魔王は四天王一行を連れて視察や指示に勤しんでいる。


 ノルトンに築かれた新魔王城の地下一階に、魔王一行とレイライン王はやってきたところだ。

 そこには地下通路があってヴァリアまで通じている。

 ノルトン川流域の町であるノルトン男爵領と、北辺の森奥地に位置するとヴァリアは馬で数日の距離だ。しかしこの地下通路には空間圧縮の魔法がかけられており、わずか数分で行き来できる。


 魔王ヴァール一行の前で、大勢が往来している。

 ノルトンの火災で住居を失った町民たちがヴァリアへと向かい、また冒険者たちがヴァリアから新魔王城を攻略しに向かってきている。

 魔王に気付いた者は歓声を上げて集まろうとする。しかし四天王たちに阻まれ、代わりに撮像具を取り出しては魔王を撮像していく。


 女神官アンジェラが地下通路の速い流れを見て、深くため息をつく。

「わたくしが使った時には走って数時間もかかったのに」


「先の戦いで冒険者を連れてくる際に、途中の結界を全て解除しましたからな。空間圧縮率が上がっております」

 龍人ズメイが説明する。

 彼はネクロウスとの戦闘で負った傷が癒えておらず、まだ杖を突いている。


 地下通路の出口には改札が設けられていた。

「通行料の半分はノルトンの収入にするのじゃぞ」

 小さな魔王、ヴァールが宣う。


 ヴァールは板を抱えており、その板には書類が載せられている。

 筆をとってヴァールが書類への署名を済ませると、次の書類を忍者クスミが載せる。

 クスミは分厚い書類が入ったカバンを運んでいる。


「ノルトンはもらうだけですのに、半分は上げすぎではないでしょうか」

 ヴァリアの銀行ギルドを管理している巫女イスカが疑問を呈する。


「差別は積もり積もって魔族と人間を分かつ憎しみとなるのじゃ。それにノルトンにはこれから金がかかる」

「おっしゃるとおりでした。区画整理計画を立てていますが、焼けていない住居もひどいですし、道の作りも雑で、大規模な立て直しになりそうです」

「ここは本来、北の産物を輸出するための貿易港なのじゃ。商社会館に倉庫に工場、やることは山積みじゃぞ」

「はい!」

 イスカは顔を引き締める。


 魔王一行についてきていたレイラインは愉快そうだ。

「さすがは魔族の王。我が伴侶にふさわしい王だ」

「伴侶ではないぞよ」


「ふふふ、法的に言えばここの領主はまだゴッドワルド男爵。今のままではヴァールは不法占拠の反乱者、俺が認めても他の連合王国には付け込まれる。伴侶になれば法的な立場を確立、ヴァールの国は正式に王を擁立」

「それはウルスラの属国になれということかや」


 レイラインは大仰に腕を広げてみせる。

「ああ、ヴァール。伴侶とは対等な立場、連合王国に並び加わるのだよ。国力で劣るのが嫌ならば国を育てたまえ」


「うぬ……」

 ヴァールは書類への署名を進めながら考え込む。

 三百年前に望んで得られなかった魔族と人間の和平が今こそ手元に飛び込んでこようとしているのだ。

 レイラインとの絆を深めることが新たな国にとって重要なのは間違いない。


「間違いないのじゃが……」

 ヴァールは自分の左手薬指に目を落とす。

 そこにはエイダとおそろいの指輪がはまっている。

 エイダが大魔王エリカとして宣言を行ったあの時、遠目にはエイダが指輪をはめていなかったように見えた。そのことがヴァールの頭から離れない。

 エイダはすぐ無理をして死んでしまう。エリカもあっさり死んでしまった。

 ヴァールはまたエイダがひどい目に会うのではないかと心配でならない。


 足が止まっているヴァールに、

「次は一階をみるのダロ? 早く確認したいのダ」

 クグツのビルダが急かす。


「では」

 レイラインがひょいとヴァールを胸の前に抱えた。いわゆるお姫様抱っこだ。


「な!」

 ヴァールは抗議しようとするが、レイラインはヴァールを抱きかかえて悠々と進んでいく。ヴァールを揺さぶることなく一階への階段を軽やかに昇る。


 宰相との戦闘で激しく消耗したままのヴァールにとって助かることではある。強がって歩いていたものの、レイラインには見抜かれてしまっていたようだ。


 ヴァールは諦めてそのまま書類への署名を続ける。

 その左手をそっとレイラインの手がとって、薬指にするりと指輪をはめた。

 精緻な細工が施された指輪だ。様々な大粒の宝石が使われていて見るからに高価だが、立体的に描かれている紋様は豪華というよりも高い権威を感じさせる。


「なんのまねじゃ!」

 ヴァールが驚き抗議する。


 レイラインは真面目そうな表情で、

「それは王族が使う印璽の指輪。君のために用意した特別な指輪だ。王族の権威と意志を示すもの。署名の代わりに使いたまえ」

「ぬ……」


 ヴァールは指輪の紋様を書類の署名欄に近づけてみる。

 指輪の魔道具機能が発動し、複雑な紋様に彩られたヴァールの名前が署名欄にたちまち記載された。

「署名はずいぶんと楽になるようじゃが」

「大いに役立つ指輪だよ」

 

 レイラインが好意だけでこうした指輪を送るはずがないことはヴァールにもよく分かっている。

 北ウルスラ王国は宰相に専横されており、王は名ばかりどころか暗殺者を送られて命まで奪われるところだった。

 北ウルスラの有力貴族たちは宰相の閥に参加している。今や宰相は死んだとはいえ、貴族たちが直ちに王を本当の主君と仰ぐかといえば疑わしい。

 レイラインが王権を再確立するには同盟や支持者が必要なのだ。そのためには王権にとって邪魔だった聖教団とも手を組むし、魔族の王とも絆を結ぶ。


 ヴァールにとっても、もはや小国の規模となったヴァリアとノルトンを守っていくには周辺国との良好な関係が必要だった。三百年前は失敗した。今回は絶対に成功せねばならない。


 もともとヴァールは王であり、政治が生きる舞台だ。これまでのエイダとの楽しい生活は長い休暇のようなものだった。

 王に戻る時が来たのだ。

 それは覚悟している。でもエイダを失う覚悟はなかった。三百年前のエリカと同じく。



 一行は新魔王城の一階に上がってきた。

 小部屋に大部屋、会議や応接用の部屋が迷宮じみた複雑な配置で並んでいる。

 だがヴァールは迷うことなく指示を出して、着実に部屋を確認していく。

 以前にエイダから見せられた設計図の通りであり、そもそもかつての魔王城を再現した配置なのだ。


 一階の確認は概ね終わった。

 最後の確認として、ヴァールは奥まった位置の一見何もない壁の前に一行を連れてきた。

 ヴァールは停止を指示して、一行はぞろぞろと壁の前に並ぶ。


「ビルダ、これを」

 ヴァールはビルダに小さな魔力結晶を渡す。

 サース五世から渡された、この城の鍵となる魔力結晶だ。

 ビルダが結晶を壁にかざすと制御魔法陣が浮かび上がる。

 十本の指ですばやく細かく操作していくと壁の魔道機構が発動、壁が静かに分かたれた。

 壁の奥からは光が漏れてくる。


 ビルダが入っていくと、最奥部には球状の結晶が浮かんでゆっくりと旋回していた。

 城の各機構を動かしている統御魔力結晶だ。

 球の表面には点々と光が明滅しており、動き、連なり、連結し、流れていく。

 ビルダが鍵結晶を球にかざすと鍵結晶はビルダの手を離れ、球の周囲を回り始めた。

 それにつれて球に紋様が浮かび広がっていく。


 球から声が発される。

<新魔王城管制室、管理精霊ダーマ弐です>


 ビルダが返答する。

<魔王城ダンジョン管制室、管理精霊ダーマです。ネゴシエーションを要求します>


<第三プロトコルを確認してください>

<第三プロトコルを確認します>


<ネゴシエーションしました。認証を開始してください>

<鍵情報を送信します>


<鍵情報を認証中……>


 ビルダが着々と作業を進めていくのを一行は眺める。


 クスミが不思議そうな表情で、

「ビルダが頭を使ってて驚くです」


 イスカも同様に、

「ビルダを動かしているのがダーマだってこと、いつも忘れてしまうのですわ。戦闘バカだから」


 ビルダは作業を続けながら、不満げに眉をぴくぴくと動かす。


 ビルダはもともと魔物ドッペル攻略用にエイダが製作したクグツだ。その身体は魔王城ダンジョンの統御魔力結晶であるダーマによって動かされている。ビルダの心がダーマだと言ってもいい。

 ドッペルを欺瞞するために見た目はエイダそっくりに作られたのだが、ひたすら格闘術の学習を続ける戦闘狂に育っていた。


<ダーマがダーマ弐の統御権を確立しました。制御権限はレイヤー0およびレイヤー1です>


 作業を終えたビルダが振り返る。

「地下一階と地上一階の魔道機構を完全掌握したのダ。魔力の吸収は継続中ダ。召喚魔法陣を配置するカナ?」

「いや、他からの配置指示を遮断できれば今は十分なのじゃ」


「分かったのダ。でも、こちらも二階より上は統御できないのダ」

「統御したければ、各階の統御魔力結晶を制圧して認証すればいいのじゃな?」

「そういうことダナ」


 魔王ヴァールは皆を振り返る。

「この一階に冒険者ギルド支部を置くぞよ。二階の攻略を開始するのじゃ」

「はいナ」

「はあい」

「はい」

「はっ」


 レイラインは残念そうな顔をして、

「俺はそろそろ戻らねばならない。貴族共を掌握せねばならない」

「いろいろと助かったのじゃ。達者ですごすがよい」


「すぐ戻ってくる。待っていてくれたまえ。次に会うときは君との式」

「……人の王たる者が、婿を取らずしてよいのかや。世継ぎはどうするのじゃ」


 レイラインは白い歯を見せて笑う。

「安心だ。考えがあるのだ」


 ヴァールは不安でいっぱいな顔になった。

「ろくでもない予感がするのじゃ」

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