第78話 発熱

◆男爵城近くの路地


 家の陰に隠れて男爵城を見張っていたヴァールとサース五世の元へ、虎猫のキトが戻ってきた。

 男爵城の偵察に送りだされた時とはキトの様子が違う。首筋に紙が巻かれている。


「もしかして!」

 ヴァールは目を輝かせ、紙を外して広げる。


「やっぱりエイダの手紙なのじゃ!」

 喜び勇んで読み始めたヴァールが途方に暮れていく。


「用事があるから待ってじゃと……? ここは計画に利用できる……? エイダはさらわれたのじゃぞ! あんな場所におってはいつ支配されるかもしれぬのに」

 ヴァールが首を傾げる。


 サース五世は苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。

「やはり邪魔な存在だな」


 ヴァールはローブで包んでいた荷物を広げ始める。

「エイダは最初に会ったときから無理をして死にかけておったり、もっと無理をして死んでしまったりばっかりなのじゃ。また死んでしまうのはもう勘弁なのじゃ。迎えに行くのじゃ!」


 ヴァールは杖をつかんで立ち上がった。


「おい、今出ていってはだめだと言ったろう! 王軍だらけなんだぞ!」

 止めようとしたサース五世の前で、ヴァールがぺたりと道にへたり込む。


「ぬ? おかしい、世界が回るのじゃ?」

 ヴァールはまた立ち上がろうとするが、ふらついて倒れそうになる。


 慌ててサース五世がヴァールを支えた。

「熱い!? 熱を出してるじゃないか! ちっ! この俺が気が付かないなんて」


 サース五世はヴァールの熱さに驚いて、彼女の額に手を当てる。

「くそ、高熱だ、魔力切れなのに動き回るからだ」


 サース五世は小さな少年の身体で軽々とヴァールを担ぎ上げ、走り出す。

 荷物をくわえたキトもトコトコと続く。


「そっちは逆じゃぞ」

 ヴァールは担がれながら文句を言う。


「病人は黙ってろ!」

 ヴァールから伝わってくる熱に、サース五世の顔は赤くなったり青くなったり内心の動揺も露わだ。


「早く助けに行くのじゃ」

 ヴァールは身をよじって降りようとする。


「ええい、そんな体では助けに行っても迷惑をかけるだけだと分からないのか!」

「迷惑、かや?」

 ヴァールの目が潤む。

「余は…… 力になれないのかや……?」

 サース五世の動悸が激しくなる。


「ええい! 俺が代わりに行ってきてやる! だからお前は寝てろ!」

「でも…… 余の責任なのじゃ……」


「たまにはわしを頼ってくだされ!」

 サース五世は動揺のあまりに他の人格を抑えきれなくなる。


「……すまぬ……」

 ヴァールは熱でもうろうとし始めている。


 寺院に近づくと、ジリオラが出てきたところだった。

「リヴィちゃん! どうしたの!? 遅いから迎えに行こうと思ったんだけど」

「熱を出した。看病してやってくれ」


 サース五世はヴァールの身体をジリオラに渡す。

「頼む」

「任せて!」


 ヴァールはジリオラに担がれて寺院に運び込まれ、その後をキトがついていく。


 サース五世はため息をつき、各人格の自問自答をし始める。

「何をしているのだ、サース五世。わしらの計画はエイダを排除してレイライン王と同盟を結ばせ、魔王国を復興することだぞ」

「……分かっているとも。だがネクロウスは復興の障害、エイダを渡しておくのは危険だ」

「ネクロウスめ、陛下から四天王に選んでいただいた御恩も忘れてなんたる無礼」


「だがーー 利用できる」 

 サース五世はつぶやき、男爵城へと引き返していった。



◆男爵城


 ゴッドワルド男爵と自称将軍のボーボーノは、どうすればいいのか分からなくなっていた。

 部下のはずだったネクロウスが王軍と宰相を銀血の力で支配すると言い出し、邪魔するなら男爵とボーボーノも支配すると脅してきた。

 

 男爵がこれまで支配の魔力を行使してきた相手は、男爵領の兵士たちと、ネクロウスが北辺の森で発掘してきた鬼。

 鬼は裏稼業に役立ち、貴族や金持ちから引き受けた汚れ仕事で金を稼いでくれた。

 兵士たちは逆らう心配なくこき使える便利な奴隷だった。

 いずれも使い潰して困らない程度の後腐れのない相手だ。


 だが王軍相手となってはまるで訳が違う。

 男爵が手を出したと知れば、王軍全体が敵に回るだろう。

 ましてや宰相を支配するだなんて、失敗すれば惨たらしい拷問と死が待つのみ。

 成功してもネクロウスが牛耳るだけ。


 もともと領地無しの没落貴族だったゴッドワルド男爵は、ノルトンの前領主が宰相の怒りを買って失脚したのをこれ幸い、誰も欲しがらない貧乏領の領主に立候補してなんとか選ばれることに成功した。


 このノルトンは領地経営しても赤字にしかならないと知られている不人気な辺境領だ。

 だがそこに男爵は目を付けていた。


 怪しい店で違法の魔道具を漁っていた男爵は、支配の魔道具が使えるという胡散臭い魔導師ネクロウスを拾った。

 驚いたことにネクロウスが使う支配の力は本物だった。

 この力を活用して金を稼ぐには、誰にも注目されないノルトンのような田舎領地が便利だったのだ。


 ノルトンに赴任した男爵は腹心のボーボーノと共に支配を進め、城を改築して銀血の魔道具を量産したり、鬼を各地に派遣して血なまぐさい仕事を行わせてきた。

 支配の魔道具は、短時間しか持たない低位の指輪であっても犯罪者に高く売れた。上位支配の仮面は男爵専用だ。


 増えていく金に鼻を高くしていた男爵だが、北辺の森にいつの間にやら大きな迷宮街ができたことを知って嫉妬と支配欲にかられた。

 ネクロウスが迷宮街乗っ取りの様々な計画を立て、男爵は順番に着手していった。

 宰相に大金を献上して北辺の森を支配するお墨付きをもらったり、鬼を送り込んで騒乱を起こさせ、そこを兵士に鎮圧させて一気に街を支配する作戦を進めたり。これはちんちくりん勇者に邪魔されてしまったが。


 次の計画はノルトンから迷宮街まで続く地下トンネルを掘って、水攻めで邪魔な冒険者どもを殲滅、さらに支配の銀血を流し込んで街全体を支配するというものだった。

 これも勇者に邪魔されたが、強大な龍を支配することはできた。


 しかし男爵が今振り返ってみれば、どれもこれもただネクロウスから言われるがままにことを進めてきたように思われる。


「ボーボーノよ、ここはまるで迷宮ではないか」

「あの小娘、やってくれましたでげすな……」


 男爵とボーボーノは複雑に改築された城内の一階を歩き回っていた。どうにも二階に上がる方法が分からない。エイダが好き放題に改築した成果だ。


「あ、あれは出口ではないか!?」

「やりましたでげす!」

 二人はなんとか戻ってきた一階の門から外に出てくる。


「ボーボーノよ…… もしかして俺様はネクロウスに支配されておるのか」

「銀血が使われていないのは間違いないでげす。使われていたら、そんなことを考えることもできなくなるでげすから」


「そうだよな、がははは!」

「銀血を使うまでもなく支配されているでげす」

「がは……!」


 外に出ると、城の周囲に建物が立ち並んでいた。鬼が建設をし終えたのだ。

 エイダが勝手に仕切ったのだろう、いずれも男爵の想定とはまるで異なる造りだった。


「あの小娘には城を支配されているでげすな……」

「どちらが上かを思い知らせてやるのだ! もういい、銀血の力を使ってやるぞ!」


「次はこの人を載せてください」

 工場らしき建物からエイダの声が響いてくる。

 何やら作業を進めているようだ。

 建物に入ってみた男爵とボーボーノはぎょっとした。


 大きな台に鬼や兵士たちが横たわり、その周囲を様々な魔道具が取り囲んでいる。測定器類のようだ。エイダがあれこれと調べている。


「小娘、何をしておるのだ」

 男爵が詰問する。


「支配の仕組みを調べてるんです」

 エイダは顔も上げずに答える。


「勝手なことをするな! 支配の力を思い知らせてやるぞ!」

「支配の力を持ってるのはあなた達ではなくてあの魔導師ではないですか。あなた達はもう用済みって言われていたでしょう」


「なんだと!」

 男爵は懐から銀の仮面を取り出して自分の顔にかざそうとする。

 だが仮面はどろりと溶けた。

 溶けた銀血は男爵の首に巻き付こうとする。


「ひいっ!」

 男爵は必死に銀血をはたき落とし、振りほどく。

 地面に落ちた銀血は生き物のように床を這って建物の外へと動いていく。


「ほらね、もう命令権は奪われてしまったんですよ。ここの鬼たちはまだ前の命令が残っていて私に従ってますけど時間の問題です。急がないと」


 エイダの指先に魔法陣が浮かび上がった。

 魔法陣から鬼の腹に光が投射されて、体内の血流を浮かび上がらせる。

「やっぱり銀血が全身を循環している。問題はこれがどう働いているかよ」


 男爵は驚きに目を見開く。

「き、貴様、今使ったのはまさか古代魔法なのか!?」


「そんなものを使える人間がいるのでげすか!」

 ボーボーノは口をあんぐり開けている。


「そんなこと言ってる場合じゃないです。手伝ってください。あなた達も支配されて木偶の坊にはなりたくないでしょう」


「しかし……」

「返事は!」

「「は、はい!」」

 エイダの眼光に射すくめられて、男爵とボーボーノは思わず返事をしてしまう。


「あなた達は銀血の仕組みを知ってるんですか」

「い、いいや、飲ませた相手を仮面や指輪で支配できること以外は知らん」

「……ったく、使っている力を知ろうともしないなんてよく大魔道男爵とか名乗れましたね。ほら、ゴッドワルドさんはそこの人から採血して分析器にかけてください。ボーボーノさんは手伝う」


 訳が分からなくなった顔で、男爵とボーボーノは言われるがままに作業を始めた。

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