地下六階

第46話 温泉

◆迷宮街あらためヴァリア市


 北辺の森深くに位置するヴァリア市。

 魔王が築いたとされるダンジョンの攻略が一大産業となっている特異な都市である。

 かつてのヴァリアでは魔王を崇める魔族と魔王を敵視する人間が対立していた。

 だが新たに出現した大魔王から種族問わずの宣戦布告を受けて以来、魔族と人間は共に手を組んでいる。

 大魔王が実際には存在せず、共通の敵とすべく魔王が生み出した幻影にすぎないことも知らずに。


 ヴァリア市は世界で二人目の勇者を抱える都市でもある。

 一人目のルンが剣の勇者であるのに対して、二人目のヴァールはきわめて高度な魔法を駆使する。

 勇者ヴァールには打倒大魔王の期待が寄せられている。

 このヴァールこそが魔王であることも知らずに。


 魔王ヴァールとその伴侶エイダによって築かれたヴァリア市は危険な秘密を抱えたまま発展している。

 ダンジョンや魔王伝説の物珍しさに観光客も増えて、もはや統治放棄された辺境どころではない。ウルスラ連合王国でも注目を集めつつある状況だ。

 

 そんなヴァリア市が今、大騒ぎだった。


◆魔王城 地下六階


 魔王城ダンジョンで新たに発見された地下六階。

 そこを勇者ヴァールやその部下である四天王イスカにクスミズメイ、優秀な参謀と名高いエイダ、それに聖騎士団の騎士たちが行く。


 小さな少女にしか見えない勇者ヴァールに恭しく報告するのは白い鎧に身を包んだ聖騎士団指揮官ハインツだ。

 

「その後、龍は一頭も目撃されておりません。しかし勇者に龍を退治してほしいとの陳情が寺院に列をなしております」


「龍が空を通り過ぎただけで大騒ぎじゃな」

 ヴァールは困り顔だ。


「初めて見たからだと思います」

 エイダは肩をすくめた。


 先日、龍が群れをなしてヴァリア市上空に飛来したのだ。

 しばらく上空を悠々と旋回してから散会した後、ふっつりと龍は姿を消した。


 龍の行方に怯える市民たちによってヴァリア市は上を下への騒動となり、勇者を襲名したばかりのヴァールは市民をなだめるのに大忙し。なんとか時間を見繕ってようやく地下六階を視察に来ることができたのだった。


「あの龍、東方系だったです」

 忍者で警ら担当のクスミが言う。


 龍にも種類があり、この北方に見られるのはずんぐりした体を持つ大陸系の地龍だ。

 しかし今回のは細長い身体を持つ東方系の海龍だった。

 東方系といえば東ウルスラを攻撃しているのが東海の龍王軍だ。


「戦いで忙しいでしょうに、どうしてわざわざ北に来たのかしら」

 神官のアンジェラがつぶやく。


 ズメイがわずかに顔をしかめた。


「心当たりでもあるのかや?」

 ヴァールの問いに、

「はあ……」

 頭脳明晰なズメイにしてははっきりしない返事をする。


 一行はダンジョンの薄暗い通路を進む。

 この階層に魔物は確認されていない。戦うことなく扉までたどりついた。

 

 扉は三つあり、右扉には古代文字で女、左扉には男、真ん中には混と刻まれている。


「ここですわ~」

 イスカが女の扉を開く。

 こもった熱気と湿気があふれてくる。


 率先して進もうとするハインツの鎧を後ろからアンジェラがひっつかむ。


「ハインツはここで待ってなさい」

「なぜだ! 先陣を切ることこそ騎士の務め」

「いいから」


 混の扉前にハインツは立たされる。

 その隣に無言でズメイも並ぶ。


 ヴァール、イスカ、クスミ、アンジェラ、それにエイダ。女の一行が先に進む。


 扉の先は部屋になっていて、いくつもの棚が並び、その中にはたくさんの籠が収められている。

 

「服を脱いでここに入れるのですわ~」

 イスカが説明する。


「でも、安全なのかしら」

「それはもう、巫女たちがしっかり調べてますのよ~」


 部屋の隅には係の巫女たちが控えている。

 籠を並べたりしたのは彼女らなのだろう。


 黒いローブ姿をしていたヴァールはぽいぽいと服を脱いで籠に放り込む。

 部屋に身長計が置いてあるのをヴァールは見つけ、喜び勇んで身長を計る。


「見よ、八ミルも伸びたのじゃ!」

「良かったですね、ヴァール様!」

 エイダも喜色満面である。


 地下五階で行ったキャンペーンはなんだかんだで魔力収支が少し黒字に終わった。

 本来は今後のために備蓄すべきそれをエイダはヴァールに回した。

 ズメイからは危険を指摘されたものの、いろいろ大変だったヴァールをエイダたちは元気づけたかったのだった。


「記念に撮らなきゃ!」

 エイダは探検服のポケットから撮像具を取り出し、全裸のヴァールに狙いを付ける。

 それをすばやくクスミが取り上げた。


「だめなのですよ、エイダ」

「ええっ! どうして? こんなに美しい姿を残さないなんて」

「ここは人目を気にせずのんびりするところなのです」


 ヴァールも苦笑いして、

「落ち着かぬから勘弁してほしいのじゃ」

「そ、そうですか……」


 エイダは心の底から残念そうな顔をしつつ、ヴァールの姿を脳裏に焼き付けようと努力し始める。


 アンジェラは皆の前で服を脱ぐのにかなり抵抗があるようだった。


「どうしても脱がなければいけないのかしら」

「アズマの流儀ですわ。温泉に来たらば温泉に従えとも言いますわ。禊と思えばよろしいのではなくて~」


「……洗礼でも全部は脱がないかしら」

 そう言いつつもアンジェラは覚悟を決めたらしく神官服を脱ぎ始めた。

 見事なスタイルの肢体が露わになるが、アンジェラはタオルを取って前を隠す。


 イスカとクスミはあっさり服を脱ぎ終わる。


 裸の一行は奥の扉を開いた。

 もうもうとした湯気が一行を出迎える。

 その先にはたっぷりと湯が張られた温泉の光景が広がっていた。


 数十人が同時に入れそうなほどの広い岩風呂がいくつも並んでいる。


 奥には岩壁があり、そのさらに先には赤い溶岩が覗いている。


「溶岩の湯ですわ~」

 エルフらしくスレンダーで背高なイスカが胸を張って言う。


 エルフにしては小柄なクスミが走って飛び込みに行こうとするのをイスカは微笑みながら怖い目で、

「走るのは禁止、飛び込むのも禁止ですわよ~」


「は、はいです」

 クスミは慌てて急ブレーキ。


 飛び込みかけていたヴァールもびくりとして止まる。

 足をゆっくり一本ずつ温泉に浸けていく。


「ちと熱いのじゃが」

「すぐに慣れますわ~」


 恐る恐る入っていったヴァールは首から下まで浸かって赤い顔になる。


 その隣に入ったエイダは心配そうにヴァールを見て、

「大丈夫ですか?」


 ヴァールは湯の中で手足を伸ばして浮かぶように浸かり、

「ーーうむ、これが温泉というものかや。良いものじゃ!」


 ヴァールはちらりとエイダの大きな胸を眺め、

「余も早くエイダぐらい育ちたいものよ」

「この調子で行けばすぐですよ!」

「そうじゃな!」

 二人は微笑み、目を合わせ、指輪のはまった手を合わせる。

 久しぶりのくつろげる時間だった。

 この安らぎが長くはもたないことを二人はまだ知らない。

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