第35話 彼は忘れた頃にやってくる


 ナナミの案内に従ってミカン畑の奥へ行くと、黒く日焼けした中年男性が待っていた。


 半そでにオーバーオール姿で、頭には麦わら帽子をかぶっているのが、印象的で、優しそうな顔をしている。


「ショウタ、こちらミカン農家のヘイジおじさんなのです」

「どうも、農林水産大臣兼環境大臣兼経済産業大臣の高橋翔太です」

「こんにちは、今日はミカンの木を分けて欲しいとのことでしたね」

「はい、もちろん、相応の謝礼をさせて頂きます。現金以外がよければ、今後、堆肥を簡単に作れる回転式コンポストと肥料を優先的に回させてもらいます」

「それは随分と良心的ですね、国王とは大違いだ。こんないい人を連れてくるなんて、ミカン泥棒のお礼かな?」

「そ、それは言わないでください」


 ナナミは顔を真っ赤にした。


 どうやら、子供の頃にミカン泥棒をしたらしい。


「ははは、仕方ないよ、本当に、みんな腹ペコだったものね。でも、ショウタさんのおかげで、今はずいぶんと生活が楽になりましたよ。井戸水と石鹸、それにゴボウなんかの新しい食材をありがとうございます」


「いえそんな、大したことじゃないですよ」

「ショウタさんは謙虚ですね。ではミカンの木ですが、私の頼みを聞いて下されば、タダでお譲りします」


「それは助かりますけど、条件とはなんですか?」

「なに、海沿いに作るミカン畑を、うちの次男と三男に任せて欲しいのです。まぁ、のれん分けですよ」


「それはますます助かりますよ。ミカン農家をやってくれる人も必要だったので。では、商談成立と言うことで」

「はい。ナナミちゃん、いいお友達を持ったね」


 ナナミはしゅんと恥ずかしそうにする。かわいい。


 ヘイジさんは、ミカンを二つもいで、俺とナナミに手渡してくれた。


 この時期に収穫できるのだから夏みかんか、それともこの国独自の品種か。どちらにせよ十分甘くておいしかった。海沿いで太陽に当てればもっと甘くなるだろう。


 その後も、俺はヘイジさんから何度も感謝されて、お礼を言われた。


 そうすると、俺の中に、今までとは違う感情が湧いてきて、少し戸惑った。




 ――俺がこの国に残れば、多くの人が助かる。幸い、政府が転覆したパシク国には、まだ政治家同士のしがらみや権力争いが無い。国民のためになる政策を、即断即決で実行に移せる。


 俺がいなくなって、各企業や政治的な勢力がオウカにすり寄れば、政治に明るくないオウカは、彼らの力を頼らざるを得ない。


 そうなれば、複雑な利権や力関係が生まれ、パシクは腐敗の道を辿るだろう。


 政治的空白地帯に俺らが据わっている、今、この瞬間が分水嶺なのだ。


 そして、あらゆる異世界転移ラノベを通して、改革の知識を持つ俺なら、それができる。


 俺はここに残るべきなのか。その考えたよぎった瞬間、ナナミが声を上げた。


「あれ? カナとミイネがいませんね」


 そこへ、ナナミの両親であるミキヒコさんが駆け込んできた。


「ショウタさん、姫さんが大変なことになってますけど、あれいいんですか?」

「「え?」」


 俺とナナミは、顔を見合わせた。


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 読者の皆様は覚えていますか?

 第1話で登場した翔太の友人でゾンビパニックオタクの鈴木鉄平を。

 ゾンビパニックを愛し、いつかゾンビパニックが起きてくれたら俺でも英雄になってワンチャンあると豪語する彼は、ナナミたちにビビっていの一番に飛行機から飛び降り、青い空と海へダイブしましたね……。

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 高橋翔太が拉致られた日の夕方。


 鈴木鉄平は、白い砂浜で目を覚ました。


「うぅ、こ、ここは?」


 立ち上がろうとして、何かに背中を引かれて転んだ。


 背中から伸び切ったパラシュートが、海に浸かっている。


 全身ずぶぬれの砂まみれでおまけに疲労困憊。


 最悪の気分だった鉄平は、力なくも、乱暴にパラシュートを脱ぎ捨てると、な陸を目指して歩いた。


 砂浜から土手を上がるコンクリート製の階段。


 どうやら、無人島に流れ着いたわけではなさそうだ。


「太平洋国家のどこかに流れ着いたか? ニュージーランドとか?」


 なら、日本大使館を探さないと。


 そう考えながら、鉄平は土手を上がり、歩道から町に入った。


 町並みを見る限り、どうやらここは、観光業が盛んな港町らしい。


 だが、なにかおかしい。


 町には人気が無く、横倒しになったベビーカーと自転車が目を引いた。


 すると、曲がり角から、一人の男性が息せき切って走ってくる。


 アジア人風ではあるが、どこか違う、異国風の面差しをした男性だ。


 男性は、鉄平を見るなり顔を強張らせて怯えた。


「あ、あんた人間か!? お前は奴らの仲間じゃないのか!?」

「え? そりゃ人間ですけど。あ、すいません。ここどこですか? 日本じゃないですよね?」

「あんた観光客か? ここは太平洋国家バジーク国だ。そんなことより早く逃げよう! でないとあいつらが来る!」

「あいつら? マフィアにでも追われているんですか?」

「マフィアのほうがまだマシだ! あいつらは言葉が通じるからな! でも、奴らは、うっ!」


 突然、男性は胸を押さえて苦しみだす。


「大丈夫ですか!?」


 鉄平は心配して声をかけるも、男性は倒れ、その顔には青い血管が浮いていく。


「くそ、さっき噛まれたせいか、いやだ、俺は、俺は……」


 男性の声が途切れる。そして、目から光が消えると、不意に立ち上がり、口からヨダレが垂れた。


「こ、これは……」


 男性が飛び出してきた通りの奥からは、幽鬼のようにふらふらと歩く集団が、こちらに向かってくる。


 その時、近くの道路に転がっていたラジオから、ノイズ混じりの声が聞こえた。


『皆さん――現在――社の作り出したバイオ兵器の影響で――ゾンビが町に――近くの建物に避難し――政府が助けにくるまで生き残ってくだ――プツ』

「まじかぁあああああああああああああああああ!?」


 ゾンビたちが、一斉に襲い掛かってくる。


「にゅああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 鉄平は、涙を飛び散らせながら、全力疾走で逃げ出した。


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