6 彼が手にした力

 信じられない光景だった。

 その一瞬の出来事に観客席にいた二年生、雪城刀夜は目を丸くする。


(……嘘だろ?)


 雪城はこの瞬間までずっと後悔していた。


 あの赤坂という一年と中之条との決闘を止められなかった事を。

 中之条による弱者に振りかかる理不尽なリンチを止められなかった事を。


 例えばあの会議室で、もっと早い段階で仲裁に入っていれば。

 あの決闘が成立した時、無理矢理にでも有耶無耶にしていれば。

 この試合が始まる前に中之条を説得できていれば。


 そのどれか一つでもうまくやっていれば、この合法的に行われるリンチを止める事ができていたのに。

 きっとそれを止めるのが、中之条と面識のある自分のやらなければならない事だとは思っていたのに。


 そのどれもうまく行かなかった。

 決闘は止められない。


 そうなってしまえばもはや雪城にできる事は、僅かな可能性に祈る事位だ。


 それは普通科に入学した赤坂という一年生に、魔術科に負けないほどの魔術の才能があるという可能性。


 実際それありえない話ではない。

 たとえ魔術科に入学できる程に魔術に秀でていても、自らの夢や目標を考慮した結果、将来を見据えて普通科に入学する生徒もいる事にはいる。

 例えば中学時代に雪城と凌ぎを削ったライバルは、将来の夢が学校の先生であった為、ある程度魔術にカリキュラムが偏る魔術科をさけて普通科に入学している。

 魔術師家系出身の人間なら話は別だが、そうでない一般家庭ならそれは十分にありえる話なのだ。


 だから赤坂がそういう人間であるのなら、一方的なリンチにはならないだろうと。

 せめてそうであってくれと、そう願った。

 篠宮渚があの場で赤坂を止めなかったのもそういう理由だと、そう願う事にした。


 ところが赤坂はデバイスどころか強化魔術も使えなくて、そして魔術科の入試に普通に落ちている。

 その話を聞いてその可能性すらも潰えた。


 そしてこれから起きる展開に頭を抱えそうになった所で、自分の前方の席に篠宮渚と、あの時中之条に怒鳴られていた篠宮美月がいるのを見付けた。

 そして二人の元に。

 いや、渚の元に雪城は駆け寄る事にした。

 どうして止めなかったのかと、その言葉をぶつける為に。

 だけどそんな言葉をぶつける前に。彼女の隣りにまで辿りついたその瞬間に、決闘は始まった。


 普通科の一年が一秒で50メートル近い距離を詰め、中之条の顔面に拳を叩き込むという衝撃の始まりで。


「一体何が……」


 目の前で起きた一瞬の出来事は、ありえない展開だった。

 普通に考えて生身の人間がその速度の移動を実現できる訳がなく、だがしかし彼からは強化魔術の使用もデバイスの展開も確認できない。

 ……では一体、何が彼をそうさせたのだろうか。


 それはまるで分からなくて、それでも視界の先の戦場の様子は良く理解できる。


 ……流れは一気に赤坂に傾いた。


 顔面に拳を叩き込まれた中之条は、それでも転がりながら結界を展開し射出させる。

 高速で赤坂に向けて飛来するその結界は、結果的に赤坂の追撃を止める事には成功した。


 だがしかし、逆に言えば追撃を止める事しかできなかった。


 開幕の結界はおそらく脆い強度で作成されたものだと雪城は思う。

 軽いダメージを与える為にあえてぶつかれば砕ける程度の強度で作っていたのだと、目的が目的なのだからそう思う。


 だけど今の一撃は初速を見ても明らかに本気で打ち込まれた結界だった。中之条の戦闘の核となる筈の一撃だった。


 その結界を赤坂は拳で叩き壊した。

 強化魔術を使っていない筈の拳で打ち破ったのだ。


「……あの一年は一体何を――」


「不思議ですか?」


 渚が視線を雪城の方に向けてそう言って、すぐに返答できなかった雪城に対して言う。


「とりあえず座りませんか? 立ち話もなんですし」


「あ、ああ」


 促されるように篠宮渚のとなりに座る。

 渚の表情はとても落ち着いていた。


「久しぶりですね、雪城先輩」


「……俺の事覚えてたんだ」


「いやぁ、強敵でしたから」


「30秒で試合終わらせといてよく言うよ。ほんと、嫌な思い出だ」


 かつて全国大会の二回戦で何もさせてもらえずに完敗した嫌な思い出が蘇ってくるが、そんな事は今はどうだっていい。

 それは今年二年越しのリベンジをする。それでいい。

 今はあの一年と中之条の決闘の事が大事だ。


 今こうしている間にも戦況は動く。

 態勢を立て直した中之条が接近してきた赤坂を止める為にハルバードを振るうと同時に複数個の結界を展開。

 遠隔操作可能の範囲内に既に踏み込んでいる赤坂に対して鈍器として結界を振るう。

 だがその結界をギリギリで躱し、躱せないものを叩き壊し。

 そして中之条の腹部にリバーブローを叩き込む。

 中之条の肉体強化は防御寄り。

 故に踏み留まりはするし反撃も打ち込むが半ばサンドバック状態になってしまっている。


「……で、一体あの一年はなんなんだ。デバイスも強化魔術も無しに一体どうやってあんな動きを実現している」


「デバイスはともかく強化魔術は使ってますよ。ほら、ただ最初に隙を作るためにカラーコンタクト入れて誤魔化してるだけです」


 渚はあっけからんとそう言うが、それが嘘なのはわかっている。

 というよりも、嘘でなければおかしい。


「下手な嘘はつかなくていい。確かに戦闘スタイルによってはデバイスを使わない場合もあるし、隙をつくためのカラーコンタクトも全く無い話じゃない。だけど魔術科の入試に落ちた人間が半年程度であそこまで成長するか。あの一年、出力だけでいえばこの学園トップクラスだぞ」


「……」


「入試が行われたのは半年前。今やってみせた超加速と中之条をサンドバックにしている強化魔術の二つが入試当時一段階。否、二段階型落ちしていたとしてもその二点突破だけで余裕で合格できる。あれが魔術なのだとすれば受かってなければおかしいんだ」


 逆に言えば魔術でないから受からなかった。

 魔術を教える教育機関である魔術科の試験に魔術無しで挑んで好成績を残したとして、それはきっと合格基準を満たさないし、仮に満たしたところで魔術科で教えられる事がないから。


「じゃあ雪城先輩は魔術なしであの出力が出せると」


「それが分からないからキミに聞いているんだろう」


 その言葉に少し悩むように一拍明けてから渚は答える。


「……まあいいでしょう。雪城先輩はあの時率先して止めようとしてくれた恩がありますし。それにどうせカラクリがばれようとばれなかろうと、どこも対策はしてくるでしょうし」


 おそらく校内予選の為に隠そうとしていたのだろうが、どうやら折れてくれたらしい。

 篠宮渚は軽い溜息の後言う。


「……正解ですよ。アレ魔術じゃないんです」


「……ッ!?」


 その可能性は頭にあったが、それでも実際にそういわれると脳裏に電撃が走ったような感覚に陥る。

 そしてそれに追い打ちを掛けるように篠宮渚の言葉は続く。


「そもそもデバイスや強化魔術どころか赤坂さん、魔術そのものが使えないんです」


「魔術が……使えない?」


「壊れてるんですよ。術式を構築する為の術式器官が」


「術式器官が……壊れてる?」


「はい。あまりに無茶な魔術運用を続けたり、生死を彷徨うほどの大怪我を負ったり。そうした時に稀に術式機関に修復不能な傷が付く。一度そうなったらどんな優秀な魔術師も魔術の道を退かなければならなくなる……魔術師には死も同然の障害です」


「……知ってる。知ってるさ」


 ……何度もそういう話は聞いた事があったし、有名な話でいうと歴史の教科書にだって乗っている。

 かつて魔術史に革命を齎したと言われた程の魔術の天才の生涯は、自ら幕を閉じたと。

 術式器官の損傷で魔術が使えなくなったことに絶望したが故の自殺だったと。


 実際自分だって同じことがおきたらどうなるかは分からない。

 今まで必死に積み上げてきたものがすべて崩れてしまえば。

 そこから積み上げる事すらできなってしまったら。


 その時自分はどんな顔をしているのか。

 一体どんな行動を取るのか。

 そんな事は分からない。

 その想像も付かない様な状況に、赤坂隆弘という少年は立たされた。


「中三の春でしたかね。ほんと……色々ありましてね。赤坂さんは大怪我を負って術式器官に傷をつけました。回復魔術でも治らず、名医の手術でもどうにもなりませんでしたよ。だけど……普通どう考えたって心が折れる様な状況で、赤坂さんは折れなかったんです」


 懐かしいことを思い返すように、優しげな表情を浮かべて篠宮渚は言う。


「術式器官に障害を持つ人間に魔術は使えない。過去の例を見ても使えた人なんて一人もいない。そんな状況で……諦めずに魔術を使う特訓を続けました。まだ入試まで半年もあるから諦めるには早いって。諦めるのはそれからでいいって。そう言って先も見えない努力を続けました」


「……そうか」


 それは素直に尊敬に値する事だった。

 前例がない。先も見えない。

 そんな状況化でそれでも前に進もうとするのがどれだけ難しい事なのか。

 実際経験した事の無い雪城でも、それがとても難しい事なのだという事は理解できた。

 ……そして。


「……その結果があれなのか」


「ええ」


 そして篠宮渚は自分の事を自慢する様に言う。


「望んだ形にはついにならなかった。だけどそれでも無駄じゃなかった。今の赤坂さんは魔術を扱えなくてもその原動力である魔力を扱える」


「魔力を……扱う?」


 その言葉のイメージを雪城は掴めない。

 そもそも魔術を使うのに魔力を操作する工程など基本的には存在しない。

 魔術発動の際に術者が踏むべきプロセスは術式を構築する。ただそれだけ。

 その構築に弱者と強者を明確に分ける程の技術介入の余地が多数あるわけだが、術式の構築さえしてしまえば術式が魔力を必要分吸い上げ魔術を発動させる。

 つまり魔力を扱うという事自体、魔術師には縁のない事なのだ。

 ……だが。


「赤坂さんの場合、術式の構築に反応して魔力を吸い上げるような工程までは術式の構築が進むんです。ですが肝心の魔力の受け皿となるべき術式が魔力が到達する前に壊れる。つまり素通りして体内を駆け巡る。それを気の遠くなる程試行回数を重ねれば、そうした際に人体にどういう影響を与えるかを理解し、そして人為的に魔力の流れを操る術を感覚的に身に付ける事だってきっとできる」


「……魔力を扱うってのはそういう事か」


「ええ。今の赤坂さんは魔力を操って疑似的に強化魔術を発動できる。先の超加速もその応用です。だから……例え魔術が使えなくても、そう簡単に魔術師相手に遅れを取ったりしない」


 いや、と渚は言う。


「魔力を扱う術を持ってるんですから。赤坂さんも魔術師ですよ」


「なるほど。確かに魔術師だ」


 これで疑問は解けた。

 何故赤坂隆弘がこの決闘を受けたのかも。

 どうして篠宮渚がこの決闘を止めなかったのかも。

 今戦いを優位に進めている理由も。


 魔力操作の理論そのものは説明された大雑把な説明分しか理解できなかったが、それでも色々と腑に落ちた。

 ……だが。


「……だけどマズいな」


 雪城は口元に手を置き、戦況を見ながらそう呟く。

 とそこで不安そうに試合を眺めていた篠宮美月が、不穏な言葉を感じ取り雪城に問いかける。


「ま、マズいって一体何が……」


 そしてその言葉に雪城は答える。

 不安な様子で決闘を眺めている様な相手には言いたくない言葉を。


「中之条はプライドの塊だ。普通科の彼相手に全力でぶつかる様な真似は余程の事がない限りしない」


「余程の事態になったから今全力になってるんじゃないですか?」


「篠宮渚。キミにはアレが全力に見えるのか……それは違うぞ」


 そして雪城は一拍明けてから言う。


「中之条も俺もキミに負けた時からずっと強くなった。アイツにはまだ先がある。そしてそろそろアイツもプライドを捨てて本気で来るだろうさ。そしてそうなったら……今のままでは一気に巻き返されるぞ」


 雪城がそう行った次の瞬間だった。

 赤坂が中之条の攻撃を掻い潜り、顎にアッパーカットを叩き込んだ。

 だが中之条の反応が明らかに今までと違う。

 それまでは攻撃を食らいダメージを負いながらも踏みとどまっていて反撃に移っていた。そういう風に見えた。

 だが今度は殆ど効いている様子も仰け反る様子もなく……そしてよく見れば僅かに黒いオーラの様な物を身に纏っている。


「……硬化魔術」


「そう。アイツは元々の強化魔術が防御よりな上に硬化魔術も得意とする。加えて結界のバリエーションもまだ先がある。アイツは防御の名手だ」


 そこまで言った雪城は一拍明けてから言う。


「……優れた魔術師には誰が呼び始めたのか二つ名の様な物が付けられる。キミが千年に一人の天才と呼ばれていた様にね。中之条の場合は要塞……そう呼ばれるだけあって、アイツが本気を出せば生半可な攻撃じゃ傷一つ付けられないぞ」


 その言葉に篠宮美月が息を呑んだのが分かった。

 ……だけど。


「大丈夫ですよ」


 篠宮渚の方は全く不安そうな表情を浮かべず、自信満々に言う。


「なにせ赤坂さんはその千年に一人の天才の一番弟子なんですから」


 そしてこの場の多くの生徒の予想を裏切らせた普通科の少年赤坂隆弘と、本気を出した≪要塞≫中之条宗助の後半戦が始まる。

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