第十二話 ガストン

 運命とは時に偶然性を装って、必然性を忍ばせて来るものである。

 ……それが自分にとって思った通りの必然性とは限らず、他の誰かの必然性である事もまた必然性。


 悲劇でも喜劇でもなく、それが運命だと知るのは、全てが通り過ぎた後なのだ ───




 ※ 




「 ─── オイッ‼︎ 止めろッ‼︎

クソが、殺るなら俺を殺れ! そいつは関係がな……ぐっあああ、チクショウ!

何で脚が付かねえんだ!」


「…………い、いや……いやぁ……」


 左腕は肩近くから失われて、左脚は太腿の付け根から失われ。

 ガストンは己の血に滑りながら、残された右手の指で魔術印を描き続けた。

 その度に勇者に突かれた、魔力の経路の傷口から、薄緑色の淡い光が漏れている……。


 立ち尽くし、硬直するアネッサに、勇者は曲刀の先を垂れ下げゆらゆらさせながら、ゆっくりと近づいた ─── 。


「何やってんだ、逃げろッ! 逃げろアネッサァッ‼︎」


「 ─── くっ、ひ……っ、い、イヤです!

私だって回復魔術くらいは使えます!

ガストンさんを放って行けるわけナイじゃないですかッ‼︎」


─── 何だってこんな時に限って慕いやがんだよ……


 ガストンはいら立ちながらも、心の奥底に仄かに湧いた喜びを、頭から振り払うように叫ぶ。


「おい勇者ァッ! そいつは非戦闘員だ!

武器も持たねえ女子供に何をする気だッ⁉︎

…………テメエそれでも勇者かよッ‼︎」


「…………ククククッ、本当に大事な人なんだねぇ、君達はお互いに。

僕にとってカルラはね、君達のその想いなんかより遥かに大事な存在だったんだよ。

─── どうせ遅かれ早かれ皆んな死ぬんだ、ガストン君、君がどうこの辛さを乗り越えるのか楽しみだよ……」


「「 ─── ッ⁉︎」」


 アネッサとの距離が、勇者の間合いに入った。

 大きく上段に構えられた漆黒の曲刀は、狂ったようにチラつく魔石灯の光すら吸い込んで、不自然に背景から浮いている。


「 ─── くっ!」


 ガストンはベルトから抜いたナイフを、勇者に向かって投げるも、目前で光に弾かれた。


「フフフ……無駄だよ。君にはもう、手は無い。

そこでしっかりと見ておきなよ、愛する人の最期をさ ─── 」


 わざとゆっくり、弾みをつけるように曲刀を揺らして、腰に溜めを作る。

 何がどのように作用して、大切な者が壊されるのかを見せつけんばかりに……。


─── シュ……ッ! ガッ!


 その時、ガストンは再び何かを投げた。

 それは勇者の加護に阻まれる事なく、狙った場所へと直撃した。


「……い、痛ッ! ちょ、なにするんですかガストンさん! 私に当たってるじゃ無いですか‼︎」


 肩口に直撃し、驚いたアネッサがよろめく。

 反射的に彼女が怒鳴った時、彼女の足下で何かが割れる音がした。


「はっはっはっ、悪ィ悪ィ、つい手がすべっちまった」


「 ─── え、こ、この黄色いガラスみたいな石……!」


 彼女がそれに気がつき、言葉にしかけた瞬間、彼女の体が白い光に包まれた。

 それに気がついた勇者は、慌ててアネッサの首に曲刀を振り抜いたが、刃は風を切ってすり抜ける ─── 。


「て、転位石⁉︎ ガストンさんも速く!」


「ハハハ! ……それが最後なんだ。悪ィな、見通しが甘いのは


 アネッサの体を転位の術式が完全に覆い、シルエットを白く塗り潰す。


「ッ!? じゃ、じゃあこっちに! 速く!」


「それがよ、そっちに行く足がねんだわ。

……アネッサ、あんまし冒険者達に無理させんじゃねーぞ。人材は人財ってな」


「なんで……なんで私なんか助けたのよッ!

あなたの方が必要じゃないッ! あなたが居ないギルドなん……て!」


「 ─── アネッサよう、受付嬢は笑顔だろ?

しっかり頼むぜ」


「いや……いやあああッ!

私はあなたが ─── 」


 アネッサが何事かを言いかけた時、術は完了して、彼女の姿は消え去った。


「いやあ、やってくれたね。確かにあの石なら、敵意はないから僕の加護には阻まれずに通るよね。

最初に投げたナイフは、僕が叩き落したりしないかを探ったんだね?」


「へ……へへ、ザマァみろ。そうそう思い通りに世の中動かねえっての……くっ!」


「うん、まあその通りだね……。流石にちょっと殺したくなったけど。

……良かったね、両思いだったみたいじゃない。精々介護してもらうといいよ。

僕から生き残れたプレゼントさ」


 勇者の言葉の途中、ガストンは眉間にシワを寄せ、苦し気に深く息を吐くと、ごろりと仰向けに横たわった。


「だいぶ出血が過ぎたみたいだね。

僕を楽しませてくれたお礼に、傷口くらい治してあげようか?」


「……ゼェ……ゼェ……。いらねえよ、んなもん」


「しかし、君は『自分より強い者を呼ぶ』って言ってたけど。もしかして適合者を待つつもりだったのかい?

─── それなら、何もしなければ放っておいたのに」


「……俺の後ろに居た……奴らは別だろ……ぅが。……ゼェ……ゼヒュ……」


「ああ、なるほど。本当にいい人なんだね君は。守るためだったか。

……うん、目撃者はあんまり作りたくないからね、動きにくくなるし」


 ガストンは息が浅くなる胸に、残された方の掌を乗せ、薄っすらと目を開けたまま微笑んだ。


「……いいや、良い人……なんか……じゃあねえ……よ。

ちょっと前に……な、部下から教わった……歌……にな……。

なぞらえた……だけさ」


「歌? どんな歌なんだい?」


 ガストンは薄く笑い、乾いた唇を震わせながら詩を唱え始めた。



「…………叩け、叩け、異界の門……

……我、オルドヴァの盟約を求めん……


……深淵の神……アスタラ……よ

…………ラロスの……天秤に、我が魂を……乗せよ……


我が魂の……目方だ……け……

……その大いなる、力を……我が身……を糧……に、

……………ラ……オロギアに……光を……」



「……終わりかい? なんだか変な詩だね。ちょっと意味が分からないや。それがどうして、君が頑張る事に繋がったのかな?

─── まあ、いいや。じゃあね、楽しかったよ」


 勇者は寂し気に目を細めて立ち上がると、ガストンに背を向けて歩き始めた。

 その背中に、笑いを含んだような声を掛けた。


「…………へへ、あんたの……剣は……魔剣だ。

どうせ、助かっても……二度と……まともに……歩ける……ようにゃあ……なら……ねえ。

なら……よ、最後ぐれえ……は……役に立たねえ……とな。

─── 言ったろ? 強えヤツを……呼ぶんだって……な」


「……………………なに?」


 勇者が振り返った時、ガストンの体がドス黒い魔力に包まれた。

 周囲の空気が重たく、温く回り出し、漆黒の夜空が更に街を上から侵食する ───



「────── 【破壊の代償】……!」



 勇者が曲刀を抜き、上空を見上げた時、空から重苦しく邪悪な気配が押し寄せた。

 直後、セルべアードの街に強烈な光の柱が立ち上がった ─── 。




 ※ ※ ※




 ティフォの声と共に、飛翔魔術で漆黒の空を目指して飛び上がって間も無く、明らかに勇者とは別の邪悪な気配が押し寄せた。


「─── あ、アルくん! この気配は!」


 ソフィアが背後でそう叫んだのと同時に、俺は飛翔魔術に魔力を注ぎ込んで、最大速度へと一気に加速した。

 セルべアードの街の一部にのし掛かる、漆黒の空を目前にした時、異変は起きた。

 邪悪な気配が更に強まり、漆黒の空に魔力と空気のぶつかる紫色の雷光が駆け巡る……。



─── カッ‼︎



 閃光が走り、漆黒の闇の下中央辺りに光の柱が立ち上がった。


 ……その光景には見覚えがあった。

 嫌な予感に胸が締め付けられ、緊張に唇が脂っぽくなる不快感に覆われる。

 以前バグナス領の霧の谷レーシィステップで味わった、やり切れない瞬間が脳裏に蘇っていた。




 ※ 




「 ─── ! 皆んな危ないッ! 俺の背後にッ‼︎」


 アルフォンスの張り詰めた声が夜空に響いた瞬間、光の柱が立っていた辺りを中心に、複数の光と衝撃波が街に飛んで建物を吹き飛ばし、そして壮絶な斬撃が一直線に街を寸断した。

 その直後から、四方八方に斬撃が飛び交い、悪夢のような破壊を生んでゆく。


 ガンッと衝撃が走ると、アルフォンスが無意識の内に張っている結界が青白い球体の壁となって発光し、前面に大きな亀裂が走る。

 こちらにも斬撃が飛んで来たのだ。


「……物理結界が、一撃で破壊された……!」


「アル様、今のは勇者の斬撃よね……?

何と戦っているのかしら、光の爆発も人の扱うレベルの魔術じゃない……‼︎」


 上空で立ち止まり、そう話している間にも、凄まじい速度で街中に斬撃が飛び、至る所で建物の崩壊する音と埃が舞い上り、出火する様子が次々に目に飛び込んでいた。

 先程までアルフォンス達が目指していた場所、その中心地となっている場所からは、凄まじい衝撃音と光が断続的に起こっている。


─── 流れ飛んでくる斬撃は、その打ち合いの流れ弾


 ソフィアが対物理の結界を構築するも、二度三度斬撃がかすめるだけで砕け散る。

 威力で言えば、そのひとつでさえもが、超上級魔術以上の破壊力を一点に凝縮しているようなものであった。


「……街の中心地からは広範囲に、人の気配はありません。避難は完了しているのでしょう。流石はガストンが来ているだけの事はありますが……」


 だが、街の遠くからは、異変に騒いでいるのか、喧騒のようなものが薄っすらと聴こえてくる。

 大分距離はあるが、それでも安全とは言えないだろう。


「これでは街の外側に残ってる人々にも危険が及びますね……。

─── いえ、それよりも色無き者達にあたっていた人たちの命が心配です、中では何が起きているのでしょうか……?」


「ん、ガストンの匂いだけ、うっすら、する。でも……血のにおいが、すごい」


 ティフォの言葉に、全員が表情を硬ばらせる。

 その間も光の爆発と、斬撃が飛び交い、その周辺の建物は完全に崩壊していた。

 夥しい土煙りと粉塵が舞い上がり、中の様子は確認出来ないものの、何か巨大な影が蠢いている事だけは辛うじてうかがえる。


 アルフォンスはその影が何なのか心当たりがあるものの、それを口に出す事ははばかられた。

 魔力を必要とせず、あるものを代償に、強力な存在を召喚する悪夢の契約儀式……


 

─── 霧の谷レーシィステップで、迫り来る魔物の群れから街を守るために、『白頭鮫団』の団長ダイク・シュルツが使った邪法……



 ガストンはダイクの死後、その故郷に報告する為、色々と調べていたのをアルフォンスは知っていた。

 そしてあの契約儀式は、古くに禁じられ、とある地域でしかその存在を知られていない。

 辿り着いたとしても、それがどんなもので、どんな願いを込めなければならないかを、知らない者にはただの詩なのだ。


 もし、今この街でその禁断の儀式を執り行えるとすれば、その人物はひとりしか思い浮かばない……。


─── だからこそ、アルフォンスはそれを口には出来なかった


 最悪の事態を確定してしまう事になるのだから。

 彼はその不安から目をそらすように、現状を打破する策に集中している。


「…………くそっ、流石は勇者だな。多重結界程度じゃ、近づくのも危険……か。

広域殲滅魔術で奇襲もいいが、スキを作れる程度だろう。それだと街の被害が拡大するだけだしな……。

…………一か八か、押し切るしかないか」


「ハンネスには、街も人間の命も関係ない。

アル様、最悪この街の存続は考えないで、本気で闘って!

─── 街のことなんかよりも……アル様が生きることだけが、あたしにとって重要なことなのよ……」


「エリン……」


 エリンの耳と尻尾は不安そうにうなだれている。

 彼女はあえて不謹慎な言い方だと分かっていても、アルフォンスにそれを伝えなければと考えたのだろう。

 アルフォンス嫌われてでも、彼を失いたくないと、彼女はそれだけここで起きている事態を深刻にとらえているのだ。


「ありがとうエリン。肝に命じて置くよ、街はまた作り直せるからな……。

だから、エリンだって皆んなだって、自分の命を大切にしてくれ」


「「「…………」」」


 誰の胸にも、あのフィヨル港での敗北と悲劇が渦巻いている。

 一度折れ掛けた心は、それを越えるか、完全に自分の中で消化しない限りは、敗走風邪のように心のアザを残すのだから。


「しかし、これは近づきようが無いな……」


 下手に強力な結界を張れば、こちらの存在と居場所を知らせるようなもの。

 あそこで一体何が起きたのか、冒険者達や獣人達の安否も気になり、全員気持ちが焦っていた……。

 

─── そんな重苦しい雰囲気の中、ユニが手を上げていつも通りの調子で口を開いた


「ねえねえアル様! あの斬撃は闘気とか奇跡を使って、武器の性質を再現したものを飛ばしてるってことでいいの?」


「あ、ああ、そうだ。ソフィアや俺の場合、神気とか奇跡で刃物の性質を持たせてる。

勇者もおそらくそうしてるはずだ」


「 ─── ふっふ〜ん♪ じゃあ、お姉ちゃん、が使えるかも知れないの☆」


「アレってなによ…………あっ!

あんたって、本当に天才だわユニ! アル様、私たちに任せて……あそこまで行けるようにしてあげる」


 そう言って赤豹姉妹は、それぞれ両手に複数の魔術印を重ねたものを浮かべ、最前面に進み出る。

 斬撃だの光の流れ弾が、彼女らに飛んで来やしないかとハラハラするアルフォンス達を他所に、ふたりの両手の積層魔術印はクルクルと回転を始めた。

 やがて五人の前を覆うように小さく薄い微かな光が現れると、鱗状にびっしりと並んで視界を埋め尽くす。


─── ジャララララ……ッ!


 その鱗状の壁は、何層にも現れて重なると、カーテンのようにひらりとたわんで並型に連なりながら、光の鱗同士が擦れ合う硬い音を奏でていた。

 エリンとユニは、一層回転を速めた両手の積層魔術印を、向かい合って手を取り合うように重ね合わせる ─── 。



「「 ─── 【魚鱗型積層防御結界おさかなカーテン従動解放リンク・】‼︎」」



 ふたりの鍵言が宣言されると、何層にも重なった青白い鱗のカーテンが、夜空に溶け込んで見えなくなってしまった。


「……お、おさかな……カーテン?」


 思わずそう聞き返した時、思わずアルフォンスは夜切を手に喚び寄せ、赤豹姉妹の前に飛び出した。

 直後、鋭い斬撃が音を置いてけぼりにする速度で迫る ───!


─── ジャリリリリリリリリリィ……ッ!!


 それがアルフォンスの眼前に届いた瞬間、砂利をスコップで撫でるような音がして、斬撃が受け止められる。

 刃のシルエットを一瞬残し、完全に停止された斬撃は、何事も無かったように消え去った。


「「「 ─── ‼︎」」」


 思わず三人が、赤豹姉妹に振り返る。

 アルフォンスと目が合ったエリンは、小さく口をパクパクし掛けるも、口を閉じて視線をそらした。

 代わりにユニが新結界魔術印の説明を始める。


「 ─── えっとね、前に襲われた殺し屋さんたちのマントからヒントを得たの」


「殺し屋って……シャリアーンの事か?

あっ、確かにあいつらのマントの中には、びっしり鱗みたいな金属板が貼られてたな……

……夜切の刃が滑って、なかなか両断出来なかった!」


「勇者の斬撃は、アル様なら何とか出来るかも知れないけど、私たちじゃキビシイの。

ローデルハットにいた時、ローゼンに相談して使えそうなアイデアを術式にしてもらってたけど……私たちは魔術が苦手だから」


「 ─── あ、それを魔術印の組み合わせで再現出来るようにしたって事ですね⁉︎」


「うん♪ 鋭い刃物でも、斜めに受け流されると歯が立たないの。だから、魔力で小さな結界を作って、お魚さんの鱗みたいにして、真っすぐ受け止めないようにしたらどーかなって」


 アルフォンスはただただ感心していた。

 従動解放に辿り着いただけでも革命的だと言うのに、今度は対物理防御結界にも革命を起こそうとしている。


 対防御結界の場合、対象となる攻撃魔術の属性弱点を突いたり、解呪したりと扱える手段が多く魔術に対しては強固だ。


 だが、対物理となると話は違う。

 物理的な衝撃を与えてくる物質そのものに、その性質の変化を働き掛けるのは難しく、術が反応する速度を上回る攻撃には追い付けない。


 受けた衝撃のベクトルを操作して、相手にそのまま跳ね返す結界もあるにはあるが、闘気を込められたり、奇跡によって生み出された斬撃には通用しない。

 フィヨル港での敗因は、勇者による奇跡の斬撃を防ぐ手立てを持たなかった事が大きい。


「それを、カーテンみたいに緩やかな波状にすれば、真っ直ぐ受ける面が少なくなるって事か……!」


「そうなのニャ! 柔らかいカーテンの層と、硬いカーテンの層を重ねて、もっと確実にガード出来るよーにしたのニャッ!」


 流石のユニも興奮気味だ。

 アルフォンスは感心を遥かに超えて、声が出なかった。

 そんな彼の方を、エリンは目を泳がせながらチラリと見て、たどたどしく口を開く。


「……そ、そういうことにゃ。今、説明しようと、お、思ってた……にゃ。

鱗が……カーテンで……ジャリジャリするのにゃ」


「ん、エリン。だまっときゃよかった」


 そんな会話をしている間も不可視のカーテンは、勇者の奇跡の斬撃を確実に受け止めて、無力化する事に成功し続けている。

 鱗の一枚一枚の魔力出力は低く、察知される危険性は低い。

 そして、耐久性も申し分が無いとこれで証明された。


「問題点は、ふたりじゃないと複雑すぎて制御できないのと、その間は他の魔術印がおろそかになっちゃうことなの……」


「あたしは攻撃とカバーしか出来ないけど、ユニの補助が見込めなくなるわ。

もし、今補助系の魔術が必要になったら、ソフィかティフォ、お願い」


 ふたりの女神は『もちろん』といった表情でうなずく(ティフォはジト目のままだが)。


「いや……これは、言葉にならないよ!

凄い! 本当に凄いなふたりとも‼︎」


「「〜〜〜っ♡」」


 ローゼンの知識はアルフォンスやふたりの女神さえ舌を巻くものがある。

 だが、いかんせんそのレベルが違い過ぎて、理解するのが難しい。

 基礎的に積み上げられた法則や基礎知識が、現在存在しているものと大きく隔たりがあり、聞いただけでは所々理解出来ないからである。


 エリンとユニは、魔界に到着する辺りからソフィアやティフォの術式講座を受けていた。

 ローゼンの知識を魔術印に置き換えるには、その不足している基礎的な知識をも埋める必要があるはずであった。

 それでこの短期間の内に、ここまでモノにするとは……いや、発想の組込み方からして、最早大魔導師といっても過言ではない。


 最初は唖然とした『おさかなカーテン』というネーミングも、ネコ科獣人のアイデンティティを表するものではないかと、アルフォンスは感じ入っていた。


─── さっきまでの焦りや不安は、すっかり和らいでいた


 ふたりの新魔術に守られ、彼らははいよいよ、勇者ハンネスの気配と邪悪な気配とがぶつかり合う地点へと飛び出す ─── 。




 ※ ※ ※




 もうもうと土埃と熱気が吹き荒れる中心部。

 そこには見る者の心を掻き乱す、姿があった。


 毒蛇の王冠を被る三つの顔、その目が左右別々に動いて、動くものを忙しなく探している。

 その三つの頭自体も、時折グルグルと回転して、男、女、そして鬼の顔を交互に入れ替えた。


 七本の腕を別々の生き物の如く、光弾を放ち、叩き潰し、光の網で捕え、槍で突き刺し、拳で叩き潰す……。

 悪夢のような衝撃波と音は、光の爆発となって、更なる破壊を生み出している。


 古代の神々への信仰、その寓話のイメージや彫像を具現化したかのような、無機質で不条理な姿の巨人。

 果たして『深淵の神アスタラ』は、その破壊の限りをこの世に顕現けんげんさせていた ─── 。


「…………君、実態じゃないどころか、ほとんどの力さえでしょ?」


 アスタラから発せられる破壊を、曲刀一本で受け流し、斬撃で相殺しながら勇者はポツリと言う。

 その言葉にアスタラは、二度三度顔を激しく入れ替え、口をパカンと開けて小刻みに顔を揺らす。

 感情も声も伴わずに、わらっているようだ。


「しかし、ガストン君には驚きだったね。まさかこんな所で君に会えるとは思わなかったよ。

─── でも、これじゃあ意味が無いなぁ……」


 勇者は苦笑して、アスタラから向けられる六つの視線を見つめ返す。


「三百年、クヌルギアの深淵で君に会おうと頑張ったんだよ?

……ふふふ、まあ、もう真の魔王の力も必要ない。今更会えるとか、求めてる時は会えなくて、必要なくなると転がり出てくる。

正に天界の敷いたクソみたいな運命そのものって感じだね……

─── 実に不愉快だよ、終わりにしよう」


 勇者は曲刀を鞘に納めて目を閉じ、大きく足を前後に開いて重心を落とすと、初めて構えらしい構えを取った。


 アスタラは更に口を大きく開け、頰の肉を持ち上げると、一本の腕だけを前に突き出す。

 そして、弓を引くように残り六本の腕を曲げ、後ろに引き絞って拳を固めると、異様な角度まで体を捻って溜めに入った。


─── 勇者ハンネスと『深淵の神』アスタラがこの闘いに終止符を打つ構えを見せる


 勇者から立ち昇る闘気と神気、アスタラを中心に吹き荒れる邪悪な神気が、最高潮に達しようとした時。

 上空から五つの影が降り立った ─── 。


「「「 ─── ッ⁉︎」」」


 五人の観衆の出現に刺激されたのか、膨れ上がったふたつの力は、突如として傾きを生じた。

 勇者とアスタラの壮絶な神気が、せきを切ったように互いへと押し寄せ、両雄はその持てる力の全てでもって激突を仕掛ける ─── !


「不味いッ、勇者の後方から離れろッ‼︎」


 アルフォンスが叫んだ瞬間、アスタラの溜めに溜めていた六本の腕が、剛弓の矢の如く勇者に向けて解き放たれた。

 その拳から閃光が発せられ、強烈な衝撃波と共に、破壊の光が巨大な光線となって収束し、一直線に突き抜ける!


─── その凄絶な光の奔流ほんりゅうの中で、勇者は閉じていた目を開く


 漆黒の刃が、その鞘からわずかに覗いた直後。

 鍔鳴つばなりの音すらもないがしろにする神速で、居合の一閃。

 その結果を一瞥いちべつする事すらせず、地を蹴って脇へと飛び退けた。


 その刹那、破壊の光が上下真っ二つに別れ、ひとつは雲を搔き消しながら夜空を突き抜け、もうひとつはセルべアードの街へと一直線に突き進んだ ─── !



「 ─── 【召喚:ラピリスの白壁(サモン:ラピリス・マクギオン)】ッ‼︎」



 アルフォンスの声と共に、破壊の光の前に白い騎士団が現れ、その大楯を構え街を守る。

 ……しかし、騎士達はその最前面から一体、また一体と掻き消され、やがてその全てを吹き飛ばして破壊の光は再び街へと迫った。


 それをソフィアの構築した奇跡の結界が阻むも、大地を揺るがす衝撃を引き起こし、数秒後には砕け散ってしまった。

 更にその後方で、今度はティフォの結界が受け止めんとカバーに入るも、結果は同じであった……。


 破壊の光のエネルギーは、三人の結界によって大きく削られたものの、止める事叶わず。

 直線上にあった街の三分の一程を消滅させて、ようやくその悪夢は停止した ─── 。


─── ズズ……ズ…… ズズウ……ンッ!


 呆然としかけていた五人は、その大きな衝撃に振り返る。

 そこには、腹部の少し上辺りから切断されたアスタラの上半身が地に落ち、残された三本の腕で体を起こそうとしている姿があった。


 そして、アスタラの視線は、己を斬り落とした勇者にではなく、何故かアルフォンスへと向けられている。

─── 慈母のような微笑みを浮かべて


 そうされる意味が分からず、アルフォンスは背筋に薄ら寒いものを感じつつも、体の奥底から湧き出す激情に突き動かされていた。


「アスタラァ ─── ッ‼︎」


 怒り、憎しみ、破壊衝動 ─── 。

 アルフォンスから噴き上げる禍々しい魔力と、負の感情に染め上げられた神気が、殺意を孕んで辺りを席巻していた。


 かってのダイク・シュルツの悲劇、この街に生み出した無慈悲な破壊、アスタラに対して悪感情の湧く理由は確かにあった。

 しかし、それを含めても、今アルフォンスを突き上げている激情は、説明がつかぬ程に騒然と彼を波立たせている。


─── まるでそうなる事が、本能に刻まれているかのように


 勇者は少し驚いたような表情を見せたものの、その視線はアルフォンスから少し離れた位置に立つソフィアに向けられた。

 しかし、ソフィアは勇者の視線にも目をくれず、足元で拾い上げた何かをアルフォンスへと見せ、それを手渡した。


「 ─── これは……?」


 感情に呑まれかけていたアルフォンスは、ピクリと反応して、それを見つめる。

 根元から折れ、その役目を果たした、美しい剣の柄であった。


「……数十年前に滅びた、故国ヴィルレ王国騎士団。その近衛騎士だけが持つ事を許される、祝福と忠誠の証……

─── 紛れもなく……ガストンの剣です」


「………………ッッ⁉︎」


 打ち震え、その柄を握り締めるアルフォンスに、アスタラはニコニコと微笑みかけたまま、フッと消え去ってしまった。

 嫌な予感は今、アルフォンスの中で確信へと変化する……。


─── ガストンは命を捧げ、魂の永遠の放棄と引き換えにアスタラを喚び出したのだと


 ガストンの魂を奪い去ったのはアスタラ。

 しかし、その禁断の契約に手を出さねばならぬ程、ガストンが打倒を願った……。


「勇者ああああァ……ッ‼︎」


 既に消えていたはずの街路灯が再び点灯し、狂ったように閃光を発し、アルフォンスの影を四方に伸ばしてのたうち回らせる。

 勇者はアルフォンスの声にピクリと眉を動かし、冷め切った目でにらみ返した。



「 ─── その呼び名で、僕を呼ぶな」



 セルべアードの空に浮かぶ、漆黒の闇が一層膨張し、辺りは空からじわじわと侵食されていた ───

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