【幕間Ⅺ】後遺症『スタロス』と約束

 スタルジャが長い眠りから覚め、アマーリエの魂が、新たな出発を迎えてから数日。


 ロジオンの提案で、時間の進行が緩やかなこのアスタリア高原の村で、のんびりと過ごす事となった。

 そんなある日の事 ─── 。


「…………えっと、こんな感じかな?」


 スタルジャが指先を天に掲げた、ただそれだけで遥か上空から鋭い光と共に、空気中の水分が凍りつき、ダイヤモンドダストの柱がきらめく。

 空には精霊神の一柱【冬の女帝イ・シュレム】の姿が薄っすらと浮かび、我が子を見つめるような慈母の微笑みを浮かべて消えて行った。


 本気を出せば、世界の全てを凍りつかせ、永遠に過ぎぬ冬を呼ぶとされる精霊神だ。

 その桁外れな力を、ちょっとした気象現象を見せたのみで、なんの被害もなくコントロールし切ってみせるとは……。


「……す、凄いってレベルなんかじゃないぞこれ! しかもなんだ、女帝のあの嬉しそうな顔は⁉︎」


 スタルジャの精霊術の精度が、尋常じゃない所まで進化していた。

 彼女自身の精神の統合は、神の如き力を生んだだけではなくて、精神と思考から揺らぎを取り払ってしまったようだ。

 本人も驚いているようだが、そんな彼女を婚約者連合が取り囲み、ため息交じりに持てはやす。


「はうぅ、やっぱりスタちゃんは凄いです。私のスタちゃんは世界一」


「ん、精霊神のちょーあい受けたな。マジ天使、ティフォのスタは、激マブ」


「すごい、すごいのーっ! 召喚の術式が全然見えなかったの! どうやるのスタ、私におしえてほしいの〜! ねえ、今夜も一緒にねようなの♪」


 ローゼンを除いた婚約者連合が、スタルジャを囲んでくっついていて、彼女の姿がよく見えない……。

 スタルジャが帰って来て以来、どうにもみんなこんな感じで、スタルジャになかなか近づけなくて寂しい。


 エリンが隣にいたので、ボソッと泣き言を吐いてみた。


「 ─── なぁ、みんなちょっとくっ付き過ぎじゃねえかなぁ、スタルジャと話せないんだよ。

……って言うかさ、ちょっと皆んな目が怖くないか?」


「そうね、ちょっとみんなやり過ぎね」


「ああ良かった……流石、エリンは落ち着い……」


困ってる。ここで一発雷撃をかまして……隙を突いてスタを横取り……ブツブツ」


「 ─── ダ、ダメだぁこりゃあッ!」


 婚約者連合に蔓延した後遺症『スタルジャ・ロス症候群』は、スタルジャとの接触、におい嗅ぎ、褒め称え、甘やかし。

 姿が見えなくなると、激しい不安症状に陥ると言った、スタルジャ愛し過ぎの症状、通称『スタロス』が流行していた。


 ローゼンは夜しか来れないから、ここには居ないし、そんなにスタルジャと親密な感じではなかったから大丈夫かと思ったら……。

 彼女までもが、とんだ粘着オオコウモリに成り下がってしまっていた。


─── スタルジャ、どんだけ愛されてんだよみんなに……


 ローゼンに関しては、スタルジャが寝ている間に婚約者に加わった事で、当初緊張し気味だったのに……。

 スタルジャが笑顔で『一緒に幸せになろーね』と、ローゼンオオコウモリを抱き締めたのが発病のきっかけとなってしまった。


 特に酷いのはティフォだ。

 普段ジト目の彼女は、あまり感情を見せない。

 スタルジャが眠りについてから、ティフォは不安や寂しさを余り口にしないで、淡々と出来る事をこなしていた。


 で、今回の事で判明したのは、実は俺が思ってた以上に、滅ッ茶苦茶動揺してて、ものっそい心痛めてたと言う事だ。

 もしかしたら、俺達の中で屈指のスタ愛主義者だったのかも知れない。


 ……その結果。


「あ、あのねティフォ、私流石に肩凝って来ちゃった……そろそろ降りて? もうどこにも行かないから、ね?」


「ん、肩こったか、どれ、回復してやろー。

さあ、全力であたしの愛をうけるがいい」


「なんかのボスみたいなこと言わないでよ……」


 ティフォはずっとスタルジャの首に抱き着き、片時も離れようとはしない。

 重篤なスタロス患者のひとりだ……。


 そして、このスタロスのせいで、俺は最近焦りを感じ始めていた。



─── スタルジャとの約束が果たせてない



 その話は何とか昨日、彼女本人に伝える事は出来たが……。

 婚約者連合がべったりで、彼女だけを連れ出す事が出来ないでいる。


 いや、このスタロスが蔓延している中、スタルジャを連れ出すのは、なんだか恐ろしい事になりそうで怖い。


 ……と、その時、婚約者連合の隙間から視線を感じた。

 スタルジャが切なそうな顔で、こちらを見ていて、バッチリと目が合ってしまった。


 そして、その唇が動いた。



─── 『 ど う し よ っ か 』



 彼女は約束を忘れてはいないし、むしろそれを意識している ─── !

 それに気がついた瞬間、俺の胸がガッと熱くなり、気がつけば術式を展開していた。


「 ─── 【転位イスト】ッ!」


 俺とスタルジャの体が、白い光に包まれ、瞬間転位の術式が発動した ───




 ※ 




「むうッ! 謀りましたねアルくんめっ!」


「いくらアル様でも、スタを掠奪りゃくだつとはゆるさないの……!」


「アル様、スタを独り占めして、一体どこへ行ったのかしら」


「スタ香……スタちゃんの残り香から、興奮とときめきによる発汗の匂いが含まれてますよ……。

むっ? これは以前からの約束だったのでしょう、焦がれの匂いもしますね。

─── おそらく、デート」


「「「なにぃッ! 我らの宝石スタとデートだとッ⁉︎」」」


 婚約者連合がにわかに殺気立つ中、ひとりティフォは細く鋭い角を光らせ、空中に何やら指先で数値を走り書きしている。


「 ─── ん、分かった。スタ泥のゆくえ、完全にはあく。ざひょーはコレ」


「ほほう……そこですか。追いますよッ!」


 ソフィアが瞬間転位の術を発動させると、彼女達の姿は、白い光となって消えた ─── 。


「……の、残り香から、そこまでわかるの⁉︎」


「おっかねぇ……果てしなくおっかねぇぞ、婚約者連合……!」


 ソフィア達がアルフォンスの転位魔術を捕捉し、追跡を開始した直後、ふたりは近くの物陰から姿を現した。


「……と、かく! 作戦は成功だ。

さあ、気を取り直して、行こうスタルジャ!」


「うんっ☆ くすくす、アルもたいがい策士だね♪」


 アルフォンスとスタルジャは、互いに顔を合わせた途端に耳まで紅潮すると、再び転位魔術を発動させて移動を開始した。




 ※ 




「さあ! もう逃げられませんよアルくん!

ムダな抵抗はあきらめて、素直にスタちゃんを返しなさい ─── ッ!」


「「「そうだそうだッ! 我々にもスタの温もりをッ! スタの手触りをッ!」


 瞬間転位でパルモルの街の一角に辿り着いた婚約者連合、物陰から少しはみ出した黒い影を見つけ出し、すぐに詰め寄った。

 と、先頭に立っていたソフィアの目が見開かれた ─── 。


「……ち、違う⁉︎ これはアルくんなんかじゃありませんよ……⁉︎」


「丸太に……アル様のガイコツ兜が、かぶされてるだけ……なの!」


「ん、オニイチャめ。さいしょの転位は、このダミーをおわせるための……ブラフ」


 彼女達の目の前で、バランスを崩した丸太が倒れ、床に漆黒の髑髏どくろ兜が転がる。


「……まさか炎槌ガイセリック作の、特殊魔鋼製品を変り身にするとは……!

この兜だけでも、小国くらい買える価値があるんですよッ⁉︎」


「アル様も本気ね。……流石だわ、相手にとって不足なし。……いけない、スタ成分が切れて震えがきてるわ……ぶるぶる」


「ん、たぶんふたりは、転位魔術をかけ直してるハズ。今すぐナウで、さっきの場所もどる。次こそは、はずさない……ぶるぶる」


 嫉妬に目を緑色に光らせるティフォの、呪詛じゅそにも似た声が響いた時、彼女達の背後に人影が現れた。


「ウフフ。皆さまおそろいですわね」


「あなたは……。あなたがなぜここにいるのです? 

ヒルデリンガさん、もしやあなたも一枚噛んで……ぶるぶる」


 ソフィアが仕込み杖を握り、殺気を立ち上らせると、その人影は紫の光をまとい、目から桃色の光を発した。


「 ─── さあ、どうなのでしょうかね。

それよりも皆さま、わたくしの目を、よーく見つめて下さいませんこと……♡」


「「「…………ぬぅ」」」


 婚約者連合が沈黙し、呆然と立ち尽くす。


「皆さまが素直で助かりますわぁ〜♪

さて、こちらもお楽しみと行きますわよ……」


 鼻にかかった淫靡な声が、床を歩くハイヒールの音と共に、彼女達に迫った ─── 。




 ※ 




「わあ〜っ! すごいすごい、こんなに海が近いんだ〜☆

わ、見てアル、あの龍車すっごくたくさん荷物乗っけてるね! 私、龍車って初めて見た!」


「ああ。流石魔界だよなぁ、活気もあるし魔道具とか魔術が、当たり前に街の動力になってる」


 ふたりは今、フォカロムの街の一角に立っていた。

 彼らがここに来たのは他でも無い。

 ふたりで結んだ約束を履行するためである。


「えへ、嬉しいなぁ〜♪ 本当にデートできるなんて……♡」


「ああ、俺もだよ。この日をずっと願ってた」


「うん……色々心配かけてごめんね? 大変だったよね?」


「いいや。この魔界の旅で、色々と得るものがあったし、スタルジャが元気ならそれでいい」


 ふたりの約束とは、勇者ハンネス出現の直前に結ばれた、フォカロムでの逢瀬おうせである。


「よし、今日は色々遊ぼう!」


「うん! ねえ、何しようか。フォカロムってどんな所があるの?」


「お、おう。それなら、ま、任せとけ。

─── まず最初は……」


 そう言ってアルフォンスは、ポケットに忍ばせていたメモを、こっそりと確認してスタルジャの手を取った。

 そのさりげないスキンシップに『あ……』と、スタルジャが甘い声を出して恥じらうのを、アルフォンスは内心ガッツポーズを決める。


(……良かった、ヒルデリンガの協力が無ければ、カチコチに緊張してた所だったぜ……!)


 ヒルデリンガはアルフォンスとスタルジャに対し、アマーリエの魂を救った礼がしたいと申し出たのだ。


 しかし、ふたりはそれを丁重に断るも、それでは気が済まないと食い下がるヒルデリンガ。

 恋に生きる最初のサキュバス、ヒルデリンガにとって、アルフォンスとスタルジャの焦れを見抜くなど造作も無い事である。

 そんな彼女の言葉の誘導により、アルフォンスはこのデートの相談を持ちかける事となったのだ。


 秘境育ち、年頃の若者のする遊びなど知らずに育ったアルフォンスに、ヒルデリンガはメモを渡した。


─── 『絶対、イイ思い出になるドッキドキデートコース 〜フォカロムの微熱編〜』


 そう題されたメモに、アルフォンスは縋り付いたのである。

 スタルジャに内緒で授けられた、数万年の淫魔の知恵は、彼にとって未知の興奮が散りばめられた禁断の果実。

 その甘美かつ爽やかな酸味に富んだ、みずみずしい果実に、かぶりつかぬはずもない。


 ヒルデのメモのステップ1は、こう書かれていた。

 『最初の行き先を告げたら、歩き始めにメンズから手を取るべし。エスコートする意思と共に、スキンシップを求める意思を示す』


 スタルジャの頰は、紅潮してつややかである。

 その様子に確信を得たアルフォンスは、しかし、大きく胸をときめかせる。


─── 繋いだ手を、スタルジャから握り直す形で、指と指が絡められたのだ


 通称『恋人繋ぎ』 ─── 。

 より密着した指と指で、交換される互いの体温、それは降り注ぐ太陽の光度をさらに高めた気さえさせたのだった。




 ※ ※ ※




「わ、すっごく可愛いお家が並んでる!」


「ウォンバ族の集まる区画なんだってさ」


「ウォンバ族?」


「元は森に住む、小人型の種族だって。見た目は子グマで、背丈も幼児くらいのままなんだと。手先が器用でアクセサリー作りが得意らしい」


 ヒルデリンガの恋愛インテリジェンスは、最初からその鋭い牙を剥いていた。


 ウォンバ族は魔界固有の魔物である。

 彼らを一言で表すなら『可愛さしかない』という、恐ろしい魔物なのだ。


 その見た目、住まい、言葉、そして作り出すあらゆる道具や物がことごとく『可愛い』のである。

 スタルジャも世間慣れをしておらず、そして、年頃の娘と同じく、それらウォンバ族の世界に目を奪われた。


「はぁう……っ! か、可愛い……!

なにあのお家、なにあのドア……。ば、バケツまで可愛いよ? あんなの……そ、存在していいの?」


「おう……ま、マジで可愛いな……。

これは想像以上だ……っ!」


 メモを授けられたアルフォンスですら飲まれているが、ドクターヒルデにとっては計算の内である。


─── 人は想像以上に、言葉の響きが心理に影響するものだ


 こうしてお互いに『可愛い』を連呼する事で、実はより互いの好感度を上げる可能性がある。

 特に自然と表情に出される笑顔や、愛しいものを見つめる表情は、その対象だけでなく、彼らふたりがその好意を向けあっているのと同等の心理状態となるのである。


 同時にくすぐられる母性や、保護欲求は互いにも影響し、よりその存在が大切なものだと上書きされるのだ。


 自然と笑顔で向き合う時間が増え、ふたりの距離が比例して近づいて行く。

 プロフェッサーヒルデのプランは、今始まったばかりである ─── 。




 ※ 




「わぁ〜、ありがとう! こんな可愛い耳飾り初めて持つよ〜♪ ほんとにありがとうねアル!」


「ははは、なんか記念に贈りたくてさ。喜んでもらえて俺も嬉しいし」


 ウォンバ族の区画で、ふたりは一軒のアクセサリー店に入った。

 そこはウォンバ族の職人の中でも、可憐なデザインかつ、実用的なテーマを求める一流の店である。


 特に評判なのは、実用性と効果を考え抜かれた、精霊石のアクセサリーシリーズ。


 シリルのドワーフから手解きを受け、魔道具作りに関心の深いスタルジャは、その見事なウォンバ族のアクセサリーにときめいた。

 その中でも、一際彼女が目を輝かせていた商品を、アルフォンスは贈り物として選んだ。


「えへへ〜、また宝物が増えちゃった」


 彼女に贈られたのは、エメラルド色の精霊石がちりばめられた、イヤーカフス。

 アルフォンスはそれを一旦受け取り、彼女の両耳に着ける。

 と、彼女の胸元に輝く、同じく浅い緑色の石がはめ込まれた、ブローチに目が止まった。


「あれ、そのブローチ、今日着けてたっけ?」


「うん! なんかね、昨日アルが約束の話してくれたから、朝から持ってたんだ。さっきね、着けたの……えへ」


「そ、そっか!(……なんだオイ、このクソ可愛い生き物は何なんだッ⁉︎)」


 アルフォンスが、初めてスタルジャに贈った、シリルの思い出のブローチ。

 スタルジャはそれを愛おしげに指で撫で、続けて真新しいイヤーカフスの着いた耳に触れ、満面の笑みを浮かべた。


「こんなに幸せでいいのかな……じゃ、なくて。

─── すっごく幸せ、アル」


 アルフォンスの脳内に『ちゅどーん』と爆発音が聞こえた気がした。

 その音に共鳴するように、ふたりの顔から笑顔が消えて、距離が縮まる。


「このブローチね……」


「 ─── え?」


「若草輝石の石言葉って、憶えてる?」


「ああ、石言葉は『新しい幸福・芽生える運命』だったな……」


 アルフォンスが答えると、スタルジャは少し驚いた顔をして、頰を染めて微笑んだ。


「……うれしい、憶えてくれてたんだ」


「うん。君にぴったりだと思ったから……」


 スタルジャの両手がアルフォンスの腰へと、そしてアルフォンスの腕がスタルジャの肩へと伸びる。


「本当に……なっちゃった」


 彼女の目尻に浮かんだ涙を、アルフォンスは指で拭い、そのまま頰に手を添えて顔が ───


「 ─── はいちょっとごめんよ、退いた退いた〜」


「「…………⁉︎」」


 低音響く男の声にハッと離れ、ふたりが道の脇に避けると、大トカゲの牽く幌付きの荷車がゴトゴトと通り過ぎて行った。


 ウォンバ族の区画の外れ、人通りのない道とは言え、ここが往来であったと思い出したふたりはモジモジとする他ない。

 ふと、スタルジャの方を見ると、真っ赤に染まった耳をパタパタとしている。


 その高鳴った鼓動のせいか、小さく上体が揺れてさえいるように見えた。


「 ─── つ、次行こう……次。フォカロムってさ、け、けっこう広いんだよコレがさぁ!」


「う、うん! そ、そだね!」


 ふたりとも上ずった声で明るくつとめ、また歩き出す。


 それからは、明るい繁華街に出たからか、それとも少しずつ慣れて来たのか、ふたりは会話も弾むようになり、いつしか楽しむ以外の事を頭から切り離せるようになっていた。


 ドクターヒルデのプランは、調子を取り戻したふたりにとっては、これ以上無く楽しめるものとなる。


─── 猫の集まるカフェテラス、荘厳な聖霊神の神殿、海の幸が楽しめる屋台通り……


 ヒルデのプランでは、心理的にふたりの距離を近づけ、知的好奇心を刺激しながらも、更に共有する時間を印象深くする流れであった。


 元より絆で結ばれたふたりにとっては、それらの距離はすでに埋められていた。

 だが、初心なふたりの緊張を解き、楽しいひと時を過ごすのには、これ以上無いものだった。


─── そして、ヒルデのデートプランの最後がやって来た


 フォカロムの街から、海岸沿いの離れた場所にある、岸壁の下へと訪れていた。

 ただ、そこに立てられていた看板の文字を読んで、またふたりの緊張がぶり返してしまった。


「……へ、へえ。ここが、潮騒洞窟かぁ」


「き、綺麗な洞窟だねぇ! ほ、ほら、上から光が射してるよ、綺麗だなぁ!」


 立看板に書かれていたのは



『潮騒洞窟:古より、男女を結びつけ、愛を育む力のある場所だと言われている。

この洞窟の最奥地まで、繋いだ手を離さずにいた男女は、心身共に深く結ばれると言う。

縁結び、家内安全、子宝に恵まれる。

─── 特に子宝はスッゴイ、子宝のはスッゴイ』



 最後の一行だけ、わざわざ書体を変えて強調されていて、むしろ品格が貶められているのだが……。

 今のふたりには、ブッスリと突き刺さってしまったようである。


 とは言え、洞窟内に入れば、ふたりはその風景に心奪われた。


 洞窟内には海と繋がる、天然の水路が流れ、その水はブルーサファイアのように鮮やかな青色。

 風雨に削られて出来た天井の穴が、点々と光の筋を洞窟内に落とし、その乱反射のせいか、水路は水底が青く光っているように見えた。

 そして、石灰質の白い洞窟内では、それらが神々しい世界観を作り上げている。


「意外と歩ける道は狭いんだね〜」


「最奥地まで手を繋げって、そういう所から来てるのかもな。見惚れすぎて、水に落ちたりしそうだ」


 アルフォンスは、何気なく自分の台詞に、さっきの立看板の内容を思い出させる響きがあったと気不味く思った。

 だが、そんな彼の手を取り、スタルジャは自ら手を繋いだ。


「えへへ、私けっこう抜けてるから、ちゃんと捕まえててね?」


「お、おお、おうッ!」


 アルフォンスはその手をしっかりと握り、洞窟内を歩き出す。


 道は所々狭くなりながら、更に神秘的な雰囲気を醸し出して行った。


 光の乱反射で、天井に青い波模様を描く場所。

 水滴の音が反響して、小鳥のさえずりのように聞こえる場所。

 中には日陰を好むシダ類の植物が群生し、更に青い水路を神々しく見せる場所。


─── そうして、ふたりは洞窟の最奥地までたどり着いた


 最奥地はドーム状に開けていて、水路は更に壁面の向こうへと続いている。

 行き止まりかと思えば、奥の壁に大きな窪みがあり、部屋のようにその口を開けていた。


 そのそれぞれの穴に、岩壁を削って作られた、手彫りの階段が伸びている。

 ふたりは何となく気になった階段を選び、その先にあった窪みへと登って行く。


「なんか……普通に休憩所みたいになってんだな」


 辿り着いた穴の内部には、石を削って造られた腰をかける台が、丸い部屋に沿ってぐるり並んでいる。

 ただ座面は広めに取られていて、腰掛と言うには不恰好なものであった。


 それ以外には何も部屋には無い。


 観光名所とは、いざ訪れてみると、その規模に拍子抜けしてしまう事がある。

 そこに着くまでが美しく楽しい程に、ガッカリさせられてしまうアレである。


 ここもそう言うものかと、肩の力を抜いた時、スタルジャがアルフォンスの背中を軽く叩いた。


「ちょっ、アル! 上、上っ!」


「ん〜? 天井がどうしたって ─── 」


 見上げた瞬間に、彼は言葉を失った。


 外から見るよりも、天井は高い。

 そのせいか、アルフォンスは部屋の内部しか見ていなかったのだ。


─── 洞窟内の光の反射が、その天井に折り重なって映り、青白い光の絵画が生み出されていた


 ゆらゆらと揺れる光の集合は、刻々と変化を繰り返し、一度として同じ表情を見せない。

 それはあたかも、限りなく透明に近い水の底から、遥か上の水面を見上げているような光景を思わせた。


 なるほど、これを見上げるための、座面の広い腰掛なのかと、そこで初めて気が付き、ふたりは並んで座り天井を見つめる。


「なんだか……ずっと見てられそう」


「ああ。自分が深海に寝転んでるような気分になるなぁ。少し寂しい気持ちもするから不思議だ……」


 水底から、ずっと水の外を眺めて生きる。

 この世界にふたりしか存在しないかのような、美しく切ない情景に、アルフォンスの心は感動に震えながらも、センチな気分が引き出されていた。


 もしかしたら、ここに訪れた男女が結ばれるのは、この感覚が人肌恋しさを生むのかも知れないとアルフォンスは思った。


「 ─── なんか、分かるよそれ……」


 少しだけ不安そうな声で、スタルジャがそう呟く。

 アルフォンスは、思わず彼女の横顔を見て、切ない気持ちが胸に膨らんでいた。


 それは自らの精神世界に囚われ、深い所から解放されるのを願い続けた、スタルジャの心とどこか似ているのだとも思えて。


 ……もう辛い想いをさせたくは無い。


 そう思った時、アルフォンスは思わず彼女の手に手を重ね、強く握っていた。


「絶対、守るから。いつまでも守るから」


 自分がなぜそう言おうと思ったのか、ただ自然に口から出た自分の言葉に、アルフォンスは自身でもそう願っているのだと気がついた。

 その言葉にスタルジャは、ハッと彼の目を見て、弾けたように彼を抱擁した ─── 。


「うん。私だって、アルを守るから」


 その言葉が浸透し切った時、ふたりは吸い寄せられるように顔を近づけ……。



─── 唇を重ねた



 逢えなかった時間を取り戻すように、焦がれた想いを昇華させるように、ふたりは互いを求めるまま体温を混ぜ合わせる。


 それは淫靡な行為では無く、背徳に快楽を求める行為でも無く、ただ情熱的に存在を貪るように、唇を通して互いを求めていた。

 言葉では表し尽くせない想いを、追い掛けるように。


 室内に微かに木霊する水路の水音と、交接するふたりの口腔の音、ふたりの世界にはそれだけが溢れた ───


「えへ、そう言えばさ、このデートの約束も、キスの話がきっかけだったよね……」


「……あ、そう言えばそうだったな」


 フィヨル港への旅の途中、他の婚約者連合メンバーが順調にアルフォンスと親交を深め、最近接吻をしたかどうかの会話がされた時、スタルジャは焦りを覚えた。

 勇者ハンネスが現れた観測所に、彼女が一人でいたのは、デートの約束をした興奮からだった。


 しばし余韻に浸り、ふたりの情熱が穏やかな安心感へと落ち着いた頃、そろそろ帰る時間だと気がつく。


「はぁ〜、今日は楽しかったね!」


「うん。ソフィア達の事を思うと、帰るのが怖いけど、そろそろ戻らなくちゃなぁ……」


「あはっ、そーだね。アルが何されちゃうのか、ちょっと予想がつかないよね! あはは」


「笑い事じゃねぇって……さて、この後は」


 溜息混じりにそう言いながら、ヒルデリンガのメモを、ポケットから取り出してこっそりと見る。

 何かやり残した事は無いかと、そう何となく確認しただけだった。

 だが……。


「「ブフォッ⁉︎」」


 思わず吹き出したアルフォンスの隣で、同じくスタルジャが向こう側で吹き出していた。


「「な、なに⁉︎」」


 鏡芸よろしく、向き合い直したふたりの動きが、完璧にそろっている。

 そして、お互いが持っているメモの存在に気がついた。


「「え! それヒルデの⁉︎」」


「「えっ⁉︎」」


「「あ、いや! こ、これは……!」」


 ふたりの声が重なり、ぷすりと吹き出すと、笑いながらお互いのメモを交換する。


「あっ! 手を繋げって書いてある……」


「あれ? 恋人繋ぎに握り直せって……」


 その後の流れも、ふたりが持っていたメモには、それぞれわずかに内容は異なりつつ、しかし、良い反応になるように書かれていた。


「うーん、すごいねヒルデ。途中からほとんど読まなかったけど、このメモの通りにしてたら、絶対にだれとだって仲良くなれちゃうよね⁉︎」


「お互い、メモをもらってる事も知らずに、必死に隠し合いながら読んでたのか……」


 そして、吹き出す原因となったのは、メモの最後の部分である。


 そこに書かれた指示通りにメモを裏返すと、メモの裏にぼんやりと文字が浮かび上がった。

 それこそがヒルデリンガの仕掛けようとした、最後の指令。


 詳細なキスの仕方から、最中の手の置き方、更にその先の、まさにこの洞窟の立看板で強調されていた一文に繋がる行為への流れまで……。

 余りに丁寧な描写は、もはや官能小説の大御所も舌を巻く、愛の指南書となっていた。


「そ、その……あの……。こ、こーゆーのは、ま、まだちょっと早いかなぁ〜って。

─── あ、アルがどーしてもって言うなら、い、いいけど……」


「 ─── えっ⁉︎」


「や、ち、ちがっ! ちがうくはないけど、ち、ちが……!」


「 ─── うん⁉︎」


 サキュバスの置き土産に、まんまと翻弄されたふたりが、しどろもどろになっていたその時。

 洞窟内からパタパタと羽音が響いて、真っ直ぐにふたりのいる室内へと、黒い影が飛び込んで来た。


「はいはい、ごめんよ、ごめんよーですよ」


「「ローゼン⁉︎」」


 ローゼンオオコウモリは、ふたりの間に割って入るように飛び込み、アルフォンスに抱き着いた。


「ロ、ローゼン……。外はまだ明るい時間だろ⁉︎」


「洞窟と言えばコウモリ。常識的に何も問題ないのですよ。

─── それよか、スタちゃんの事で分かったことがあるですよ〜☆」


「へ? 私のこと⁉︎」


「スタちゃんのモテモテ状態のことなのです」


 ローゼン曰く、眠りから覚めたスタルジャがパワーアップしたように、アルフォンスからの守護神契約もまたパワーアップしていた。


 ほぼ女神と同等な存在となった彼女には、それこそ強い魅力を引き出す要素も備わったが、更にアルフォンスとの契約による相互的なパワーアップは、思いもよらぬ効果を生み出していたのだという。


「へ⁉︎ 私にアルの魂の波長が混じってるの?」


「そうなのですよ。私もスタちゃんに骨抜きにされ、どうしてかと調べてみたら、どーにもそういう事態になってるみたいなのです」


「そ、それはつまり……どういう事なんだ?」


「スタちゃんにダーさんの存在が被ってるです。簡単に言えば、ソフィちゃんたちにとって、今のスタちゃんは、ダーさんの魅力と運命の力が上乗せされてるです」


「だ、だからみんなあんなにベッタリに……」


「知らず知らずの内に、スタちゃんはダーさんの分だけ上乗せして愛される。

そして、ダーさんはその分、存在を煙たがられるよーになってるですね♪」


「うわっ、滅茶苦茶に思い当たるなソレ!」


 実際、スタロスに侵された婚約者連合は、アルフォンスに対して冷淡であった。


「な、なんとかできないのかなぁ……このままじゃアルがかわいそう」


「難しいのです。ダーさんとみんなの運命の繋がりは非常に強固なのです。

─── ただ、その言葉が聞きたかったのですよ。さあ、契約を微調整するです〜」


 そう言って、ローゼンは羽の先の小さなコウモリの指で、器用に術式を描き出す。

 外見に何ら変化は無いものの、ふたりは体の芯に仄かな熱を感じ、術式が何らかの効果を発揮したのだと理解した。

 ただ、余りにも呆気なく終わり、スタルジャは目をぱちくりさせている。


「じゃ、じゃあさ。それって、アルもその影響受けてたの?」


「それはないのです。自分に惚れることは、そうそうありませんから」


「 ─── そっかぁ、良かったぁ。

今日のアルの態度が、そのせいで優しかったんだってなったら、ちょっと立ち直れないもん」


「……スタちゃんは、今回の件を抜きにしても、天然のタラシだと今の発言で確定したのです」


 ローゼンの言葉の意味が分からず、どういう事なのかと視線を送った先で、アルフォンスが悶絶している。

 何はともあれ、ふたりの約束は果たされ、再びアスタリアの村へと戻る事となった。




 ※ ※ ※




「あ……あへっ♡ うひひは……」


 村に戻ってみれば、何故か草原の真ん中で、べちゃべちゃになったヒルデが、仰向けで倒れたままピクピクしている。


 てっきり、スタロスが重篤化した婚約者連合に、小指のひとつも切断されるものだと思っていたアルフォンスはしばらく立ち尽くした。

 実際は悶え続けるヒルデをよそに、皆がそれぞれ草原でゴロゴロしながら暇を持て余しているようだった。

 アルフォンスは覚悟を決め、それでも一番攻撃性の低そうなユニを選び、話しかける事にした。


「た……ただいま。何があったんだコレは……」


「ああ、アル様お帰りなの♪ スタもお帰り〜。

んっとね、アル様たちを追いかけて、パルモルに行ったんだけど ─── 」


 アルフォンスのダミーにまんまと一杯食わされた彼女達は、背後から現れたヒルデリンガによって、術にかけられてしまった。


 その術とは、彼女達に自分をスタルジャだと信じ込ませ、その注意を惹きつけるという彼女の作戦であった。

 しかし、ヒルデリンガも太古から生きる強力な存在とは言え、相手は二柱の女神と、超高度な術印に守られた強力な獣人姉妹である。


 ちゃちな幻術など、簡単に弾かれると見越したヒルデリンガは、混乱や意識低下、果ては催淫までも組み合わせて幻術の効果を高める事を試みたのだ。

 その効果たるや、どの術をひとつとっても、象はもちろん、古代龍種でもたちどころに自我を保てなくなる出力であった。

 さらには、それらの術の効果を高める魔法陣を、部屋の中に仕込んだ、完璧なる布陣である。


─── それが、アダとなった


 パワーアップしたスタルジャの魅力に、アルフォンスとの運命の繋がりを上乗せ。

 しかも、一度は逃げられ、スタ成分が切れて震えが出ていた所にソレである。


 ヒルデリンガは淫魔サキュバス。


 そのヒルデリンガにしても、想像を絶する、彼女達の超絶なる寵愛ちょうあいが、催淫のオーバードライブによって突き抜けた ─── 。


「 ─── 我に返ったのはね、みんなでヒルデをこねくり回して、あひあひ言わせてた最中だったの」


「それでヒルデが……淫魔のヒルデが……あんな顔になる程に……⁉︎」


 もう一度ヒルデリンガの顔を見ようとした時、アルフォンスの脳が危険と判断したのか、彼女の顔にモザイクが掛けられた。

 慌ててスタルジャの目を隠したが、神に等しい彼女の視界では、すでに両手でピースしているモザイクだらけのヒルデリンガの姿しか認識出来てはいなかった。


「あのままだったら私が……こんな目にあってたの……?

ローゼンに後でお菓子でも持って行ってあげなきゃ……」


「あら、アルくん、スタちゃんお帰りなさい〜♪」


「「ビク ─── ッ‼︎」」


 ソフィアの声に思わず震え上がるふたり。

 本人はニコニコとして小首を傾げた。


「はぁ〜、楽しかったみたいですね♪

アルくん、私もたまには……お願いしたいんですからね……?」


 モジモジとしたソフィアの上目遣いに、アルフォンスは思わず見惚れかけた。

 ローゼンの処置が良かったのだろう、もう彼女はスタロスから解放されているようだ。


 そこに赤豹姉妹もやって来た事で、今回の事の顛末てんまつを、アルフォンスは説明する事にした ─── 。


「はえ〜そんな事になってたの……? 実はあんまり覚えてないの」


「アル様を敵視……するとは……!

アル様、あたしにお仕置きして? こんなダメ猫なあたし、ユニの分までお仕置き受けるから……」


「お姉ちゃん、たぶんそれ、ただのごほーびだと思うの」


 ショックを受けながらも、いつも通りの姉妹の姿に、アルフォンスとスタルジャは胸をなで下ろす。

 ただ、ソフィアはケラケラと笑っていた。


「やっぱりそうだったんですか♪ 流石はローゼンちゃん、離れててもちゃんと見てくれているんですね〜☆」


「え? ソフィもしかして、分かってたの?」


「はい。スタちゃんが目覚めてすぐ、スタちゃんの中にアルくんの存在を感じて、すごい愛でたい欲求が来ましたからね♪

これでも女神ですよ? ヒルデさんの術くらい完封できますからね〜」


「ちょ、ちょっと待てソフィ、もしかして分かっててやってたのか?」


「だって楽しかったんですもの〜。スタちゃんラブなのは変わりませんし、なんかみなさんで取り合ってるみたいで♪

……それにアルくんとデートいいなぁって、ちょっとジェラシーしてましたから」


 ソフィアは気が付いていた。

 早々に何が起きているか理解していたが、スタルジャを皆で愛でる事を楽しみ、そしてアルフォンスのスタルジャに送る視線に嫉妬を覚えていたのである。


「 ─── ソフィ……後でお仕置きな?」


「あ……ごほーびですね♡ じゃなくて、謹んでお受けしますアルくん☆」


「…………(だめだこの女神)」


 頰を赤らめながら沸き立つ彼女の姿に、アルフォンスが何かを諦めた時、何かが高速でスタルジャに飛びかかった ─── 。


「わっ! なに⁉︎ へ? ティフォ⁉︎」


「ん、おかえりタージャ」


 背後からスタルジャの首に抱き着いたティフォが、後頭部に頬ずりをしている。


「あれ? ティフォはまだ……⁉︎」


「違いますよアルくん。ティフォちゃんも女神ですよ? ティフォちゃんもすぐに気が付いてました。

あれは素ですよ、ティフォちゃんの愛です♪」


「あーなるほど」


「ふわぁっ、ティフォ! 鼻息が熱いよ⁉︎」


「すんすん。すんすんすん。海の匂いがする、すんすん……」


 ティフォがスタルジャにべったりするのは、それから数日続いた。


 この騒動の立役者のひとりであるヒルデリンガは、婚約者連合に妙に懐き、煙たがられている。

 ヒルデリンガ曰く、ローゼンの処置が完了して、アルフォンスの気配がスタルジャから消えた瞬間、それまで熱烈だった寵愛が、手の平を返したように冷めたと言う。


「 ─── あの、露骨な手の平返しに、わたくしの中で何かが目覚めましたの……♡」


 淫魔の求道は、一筋縄では終わらないのだと、アルフォンスは恐怖したと言う。

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