第七話 生存と闘いと

 ソフィアが仕込み杖を抜いた刹那せつな、部屋の温度が急激に下がった気がした。


 ……いや、気のせいじゃない。

 ソフィア達の呼吸が、白い蒸気となって、天井へと散って行くのが見える。


「あらあら。不躾ぶしつけな子達なのですよ全く。そう言う野蛮な物は、私の前に持ち出さないで欲しいのですね」


─── パァンッ!


 部屋に赤紫の閃光が走る。

 程なくしてソフィアの手から仕込み杖が落ち、床を滑る乾いた金属音が響いた。


 魔術? いや、魔力は一切動く様子が無かった。

 闘気でも無ければ、神気でも無い。

 何の予備動作も無く、あのソフィアの腕から刃を落とさせるとは、一体何の冗談なのか皆目見当もつかない。


「─── 奇跡

貴女は今、奇跡を使いましたね……⁉︎」


「……驚いた。今日は何て素晴らしい夜なのですかねぇ♪

革新的な医学の知識に出会えたと思えば、今度は奇跡を感じ取れる者が現れるとは、こんなに興味が惹かれるのは数百年ぶりなのですよ」


 言い終わる瞬間、再び赤紫の閃光が走ると、ティフォの体が吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。


「手癖の悪い……いいえ、触手ですねコレは。そーいう子にはお仕置きなのですよ。

……て、あらあら〜? この赤髪のお嬢さんは、人間じゃないんですね。

これは……異界の神ですか、珍しい事もあるもんです。そこのエルフさんは、体にとびきり上位の妖精を住まわせてるみたいですし。

─── たのしい事、この上無いのです♪」


 ゆっくりと見回しながら、ローゼンは次々と三人娘達の正体を見破って行く。

 そんな最中、俺は頰に当てられた彼女の掌から、凍えるような何かが流れ込んで、身動き一つ取れなかった。


 ローゼンの顔がソフィアの方を向いた瞬間、頰を持ち上げるようにして、妖しくわらった。


「僧服のお姉さんは……ふふふ。これは驚きました。貴女は……いいえ、貴女様がこんな所におられるとは驚きなのです。

……と、言う事は、この殿方は多分〜。

─── 『』と言う事になるですね」


 その言葉を受けて、ソフィアが動いた。

 鋭い刃物を突きつけたような、冷めざめとした殺意を孕んだ神気がほとばしり、ローゼンを細切れにせんとソフィアの奇跡が襲い掛かる。


─── パッシイィィ……ン!


 空気の破裂するような音がして、ソフィアの奇跡が打ち消された。

 その直後、ソフィアが床に膝をつく。


「ソフィ! くっ、お前、一体何をッ⁉︎」


「さっき言ったはずなのですよ。野蛮な物は向けないで欲しいと」


「─── くっ、う……かはっ!」


 ローゼンの抑揚のない声が響くと、ソフィアは胸を押さえて床に崩れた。


「殺しはしませんですよ。流石にそんなことはしたくは無いのです。

それに彼女なら人間程、もろくはないはずなのです。

─── しかし、困ったですねぇ、が世界の均衡を保つ、適合者だったとは」


「「「未来の夫⁉︎」」」


 思わず全員でハモってしまった。


「あらら? 私、何かおかしいことを言っちゃったです?

当然なのですよ、これだけの知識と才があって、この若さで武も魔術も納めている。

私との契りを受けて、真祖のヴァンパイアになれば、永遠の成長が手に入るのです」


「─── それと結婚は関係なくないか?」


「何をいうですか。私は人をヴァンパイア化して、はい後はガンバ〜なぁんて薄情なことは出来ねぇのですよ。

ならば手取り足取り、んずほぐれつ、不老不死の渡世と言うものをお教えするのです」


 話が通じないなこいつは。

 力尽くで体を動かそうとすると、ローゼンはフススと笑った。


「無駄な足掻きは、しないに限るですよ、アナタ♡

すぐに永遠の命が、お気に召すはずなのです。

……なんたって、私が認めた初めての殿方。数万年分練り込んだ、私の愛情でたっぷりと愛されるのです」


「それは愛情じゃなくて、妄想だろ─── 」


 そう言いかけた時、妖精女王ティータニアからお礼にともらった指輪が、ドクンと大きく脈打った。

 それに呼応するように、首回りの紋様が熱を発し、膨大な魔力が湧き上がる。


「─── な……! これは流石に驚きです!

アナタはただの適合者なんかじゃ……⁉︎」


 見えない拘束を解いて、強引に動き出した俺に、ローゼンは初めて身構えた。

 スッと右手を差し向けられた瞬間、ただそれだけで、自分が死ぬいくつものビジョンが頭をよぎる。

 その死の気配に、思わず胃酸が込み上げた。


「うぐっ、これは……『香』か! 体から発する香りに、殺意と神気を乗せて、事象に働き掛けてるのか⁉︎」


「おお〜! ぱちぱちご名答なのです。これを見破ったのも、アナタが初めてなのです。

これは誇っていいことですよ♪

─── まあ、見破った所でアナタには、どうにも出来るとも、思わないのですが」


 参った、図星過ぎて胸が痛むぜ全く!

 このバケモノを何とか出来る気が、これっぽっちもしやしねぇ……。


「─── 吸い付くせ【ギガントウォーム】!」


 突如、スタルジャの声と共に、暴風が吹き荒れた。

 振り返ってみれば、スタルジャは土の精霊を呼び出して、猛烈な勢いで空気を吸い込ませている。


 『香』に凶悪な力がこもるなら、立ち込める先から吸い付くせば良いのか!


 スタルジャの機転に、ローゼンは感心したように口を開けて『ほぉ』と呟いていた。

 スタルジャの作ってくれた勝機を逃す手はない、ティフォとソフィアと三人で一気に斬り込みを掛けた─── 。




 ※ 




 気がつけば、視線の先に板材を重ね合わせた壁が見える。

 それからすぐに後頭部に鈍痛を感じて、それが壁なんかじゃなく、仰向けに倒れて見上げている天井なのだと気がついた。


 跳ね起きると、部屋には俺と同じく、三人娘が倒れている。

 慌てて確かめるが、三人とも意識を失っているだけで、命に別状はないようだ。


「─── もう動けるですか、タフなのです♪」


 すぐ背後で響く抑揚の無い声に、心臓に冷水が流れ込んだような怖気が走る。

 即座に振り返り、夜切を喚び出そうと構えたが、その腕を見えない何かに押さえられてしまった。


「まさか『香』を吸い付くす手段に出るとは、全く想定していなかったのです。これは勉強になりましたのですよ。

─── ただ、こちらの持つ制圧の手段が、ひとつだけだと勘違いしたのは、アナタ方の敗因なのです」


「─── 降参だ。俺はどうなってもいい、この三人の命は、奪わないでくれないか?」


 ゆっくり両手を上げようとすると、拘束はされてはいなかった。

 見ればローゼンは眼鏡を外して、吸い込まれそうな程に深く青い眼で、ジッと俺を見つめている。


「クフフ。降参もなにも、私はアナタ方と闘うつもりは、最初からなかったのです。

いたいけな研究者に襲い掛かるとは、何とも血の気の荒い人たちなのですよ」


「あ─── !

そう言えばいきなり攻撃を仕掛けたのは、確かにこっちだったな……。

すまない! この通り俺にも闘う意思はない」


 そう言うと、ローゼンは目を細めて微笑み、ゆっくりと深く瞼を閉じると、眼鏡をかけ直した。


「この私に眼鏡を外させて、目を開かせたのも、人類ではアナタ方が初めてなのです。

ちゃんと力を使ったのは、一体全体、何千年ぶりでしょうかね。

これも誇って良いことだと思いますですよ♪」


「いいや、ここまでコテンパンにやられて、誇りもクソもねぇよ……」


「ふふふ、ご謙遜を。アナタが立ち向かったのは『プロトタイプ』なのです、英雄として語られても良い快進撃なのです」


 そう言ってクスクスと笑っている。


「そのプロトタイプってのはなんなんだ?

さっきも『ブラド神族のプロトタイプ』とか言ってたが」


「あらら、プロトタイプは流石にご存知ありませんでしたか。

お話しして差し上げてもよいのですけど、長い話なので今度にしておくのです。

─── それより今は、アナタとの婚姻についてが急務なのです」


「いや、その結婚についてなんだが、俺の永遠の命どうこうじゃなくて、医術について興味あるんじゃないのか?」


 そう言うと、ローゼンはお下げ髪を逆立たせて驚いていた。


「そう言えばそうなのです。……いつの間にか、アナタを手に入れる算段に、考えが行っちまってたのですよ。

やっぱり私は、研究に関わることとなると、その他がてんでポンコツになっちまうです」


「ま、まあ、それだけ熱心なんだって事でいいじゃないか。

俺の持ってる知識なら、いくらでも教えるからさ、結婚だけは勘弁してくれないか?」


「ふぬぅ、初めてプロポーズした日が、初めての失恋の日になるとは、何とも贅沢なのです。

……でも、それで十分なのです。教えてくれますか?」


 良かった、危うくヴァンパイアにさせられる所だったぜ。


「丁度、明後日には、白面咳の患者の治療をする予定だ。その時にでも、説明しながらってのはどうだ?」


「白面咳ですか! あれが治せる技術が学べるのは、ものすごく魅力的なのです」


「じゃあ、そうするって方向で。その他にも知りたい事があるだろうから、そっちは後日ゆっくり時間を取ろう」


 ローゼンはパァっと顔を明るくして、喜びを全身で表しているようだ。


 その後も二〜三の会話を交わしたが、ソフィア達が意識を取り戻し掛けると、ローゼンは音もなく姿を消して去って行った。




 ※ ※ ※




 治療の準備も整い、後は望むのみとなり、ニギラの部屋へと人が集まっていた。

 ドウギ、オズノ、ソフィア、スタルジャ。


 そして─── ローゼン。


 滞りなく施術スタートと言いたい所だが、難点がいくつかあった。

 まず、俺達と一緒にローゼンが現れた事で、ドウギ達が失神し掛ける程にビビってしまった。

 ローゼンと彼らに何があったのかは知らないが、先日のローゼンの強さを思い出すに、ビビるのも仕方がないかと気にしない事にする。


 そして、三人娘から漂う殺気だ。

 あの日、ローゼンが去った後、三人から質問責めにあったが、実の所ローゼンの事は知らないに等しいのでロクな説明が出来なかった。

 当のローゼン本人は、彼女達には目もくれず、今か今かと落ち着きがない。


 そこに三人娘の殺気が漂っているもんだから、やり辛いったらありゃしない。


「ではそろそろ始めるが、簡単に説明をしておく」


 そう言うと、殺気や怯えが部屋から消え、静寂が訪れた。

 皆んな真剣に臨んでくれて助かる。


「まず、魔術でケガは治せても、ほとんどの病気は治す事が出来ないってのは常識だ。

それは回復魔術では、肉体を活性化させて修復を早めるか、本来あるべき形へと整い治すしか出来ないからだ」


 俺の場合は主に後者の回復魔術がメインだが、どちらの場合もやはり病気を消す事は出来ない。

 精々、病気で落ちた体力を回復させられる程度にしかならない。


「何故それではダメなのかと言えば、病気の大元は、目に見えない程小さな『悪精』と言う微細な生物が関与している。

病気にはそれぞれの悪精があるわけだが、これが体の中で悪さしている所に、回復魔術を掛けても肉体が活性化もしくは回復するだけであまり意味がない。

─── 悪精そのものに、魔術を掛けている事にはならないんだ」


「先生〜、じゃあ直接その悪精に攻撃魔術を掛ければ良いってことですか?」


 すぐにローゼンが食いついて来たが、やはりドウギ達はビクっと縮み上がっていた。


「それは非常に難しい。魔術を掛けるにあたって、悪精を目視出来ないからには、魔術の働きかける対象をイメージング出来ない。

それに悪精は細胞の中に入り込む事が多いから、攻撃魔術を掛けた場合、細胞ごと破壊してしまう恐れがある。

それに魔力自体、細胞にとっては大きな負担となるから、重要な器官が侵されてる場合は使えない」


 魔術は魔力の調整はもちろんの事、何を何処へどう働きかけるか、明確なビジョンが求められる。

 だから今まで人類は、病気の場合は薬に頼り、有効な薬が無ければ諦めるしか無かった。


「そこで考え出されたのが『媒体呪術式治療法』だ」


 呪術は魔術に比べ、使用される魔力は少ない。

 それはソフィア達神々の使う奇跡に似ていて、呪術の原動力は術者の思い描くイメージや念の強さにある。


「呪術なら細胞への魔力による負担を最小限に抑え、尚且つ、ピンポイントで悪精に働き掛けられる」


 感心の声が上がるのが、何ともくすぐったい。

 オズノだけが黒目だけ真上に上げて、ブツブツと何かをつぶやいているが、まるで分かっていないのだろう。

 彼は置いていく事にする。


「ただ単に呪術を施そうとするには、悪精の正確な数も位置も分からない。そこで呪術の依代にするのが、この魔石の残骸の粉末だ。

これなら呪術を乗せる事は容易だし、術が完了した後、消滅するからな。

にもかくにも、まずはニギラの体を蝕む、白面咳の悪精を確かめる事からだ」


 光の精霊に働き掛け、ニギラの体内へと視点を合わせ、拡大透視して行く。

 ソフィアが気を利かせて、俺の視点を壁に鮮明に映し出すと、その場の誰もが驚嘆していた。


「─── こ、これが……私の体の中のなのですか⁉︎」


「そうだ。今は最も悪精が集まってるであろう肺を見てる。

白面咳の悪精は、この肺のを形作ってるこの小さな粒々、細胞の中に入り込んで乗っ取る」


「それは一体どういった悪さを……息子は血混じりの痰を吐いたりしておるのですが」


 ドウギに目配せをして、更に拡大して細胞の中へと焦点を当てる。

 そこには澄んだ色の細胞と、くすんで膨張した細胞とが混じり合う部分があった。


 そのくすんだ部分の細胞に、小さく白い塊が攻撃を仕掛けている様子が、ハッキリと見受けられた。


「この小さな白いのが白面咳の悪精なのです?」


「いや、これは悪精を倒す味方だ」


「味方? でも細胞に攻撃を仕掛けてるように見えるです」


「攻撃を仕掛けられているのは、すでに悪精に乗っ取られた細胞だ。

体からすれば、昨日までは自分の一部だった物が、今は体に入り込んだ外敵と同じなんだよ」


「では息子の具合が悪いのは、自分の体そのものに傷つけられているから……だと?」


「そう言う事だ。だからといって、この味方の動きを止めれば、一気に悪精に侵食される。

こういった闘いは大小あれど、日々体の中の至る所で起きてるもんだ。

─── つまり生きてるだけでも、俺達は闘い続けてるって事だな」


 そして視界は侵食された細胞内に、焦点を合わせて拡大される。

 そこには大きな塊にすがりつく、細い螺旋状の溝の入った、頭の無い芋虫のような姿が映し出されていた。


「この細長いワームみたいな奴こそが、白面咳の悪精だ」


 鬼族親子の眼が変わった。

 流石は戦闘種族、目に見えない敵には怯えがあっても、闘う相手が明確になれば自ずと闘志が湧いてくるらしい。


 俺は油紙に乗せた魔石の粉末に、白面咳の悪精へのイメージを込めて呪術を掛けて、ニギラに差し出した。


「この魔石粉末には、悪精を倒す為の呪術が施された。体内に入ると、悪精に向かって一気に突き進む。これを飲み干すんだ、この闘いに終止符を打とう」


「─── はいッ‼︎」


 口から飲み込みはするが、薬と違って吸収されるまで待つ必要はない。

 ある種の式神か使い魔のように、粉末を依代に呪術は意思を持って体内を移動する。

 いわば極小のゴーレムみたいなもんだな。


 壁に映し出された悪精に、どんな変化が起こるのかと、一同揃って張り付くように見入っている。


 俺自身、この術を使うのは修行の時以来で、正直な所、かなり緊張もしていた。

 そう言うわけで、俺も含めて術の成功を固唾を飲んで見守っている。


「な、なぁ……会長さんよ、なぁんも起きねえじゃ」


「─── 来た! なんか端っこから来たよ!」


 スタルジャの声に皆が振り返ると、壁に映し出された像の端に、何か黒い影がぴこぴこ姿をチラつかせている。

 良かった! 術は成功し───


「「「……う、うわぁ」」」


 そこに現れたのは、異様に小さな手足が無数に生えた、ガマガエルのような黒い生き物の姿だった。

 背中には所狭しと眼が開いていて、全ての眼球が別々にキョロキョロと辺りを見回している。


「か、会長殿ッ! 会長殿ぉーッ! これは本当に成功なのか⁉︎ うわッ、何か口から何か紫色のを出した⁉︎

……アッ! 馬鹿者、ニギラ! 気絶する奴があるか! 目を覚ませ、覚まさんかッ‼︎」


「ヒィッ、手足が伸びて、悪精に向かって一斉に……ああ、手足が増えてるぅッ⁉︎」


「も、もう一匹来ましたよ! ち、違う⁉︎

あんなに沢山の群れで……あわわわ」


「ああ……悪精さんが抵抗も虚しく、あんなに必死に……逃げて、悪精さん逃げてぇ‼︎」


 壁に繰り広げられる異形の殺戮は、術者の俺の思惑を超えて、徐々にエスカレートして行った。

 群がった怪物の眼から伸びた、無数の触手に蜂の巣にされた悪精が、生贄いけにえのように天に掲げられた辺りからモザイクだらけで判別がつかなくなってしまった。


 最後の最後、綺麗さっぱりと掃除を済ませた一匹が、こちらに背中の瞳全てを向けてウネウネしていた。

 『こっち見んな』が喉元まで出かかった頃、体の端から溶けるようにして消え去った。


「なぁ……こりゃぁ、どっちが悪者か分っかんねぇですぜ会長さんよぉ……」


「しまった……今の俺、何やっても禍々しくなっちまうの、また忘れてたよ……」


 阿鼻叫喚のニギラ体内ライブは、悪精が食い散らかされて、跡形もなく消えるまで続いた。

 途中から目的を忘れたソフィアとスタルジャが『悪精がんばれ』みたいなコールをしていたのは閉口だったが、気持ちは分からなくもない。

 その一方で、ローゼンだけは違う興奮の仕方をしていたのが、何とも印象的だった。


「─── ごほん

さて、クリーチャー……いや、呪術の粒も消え去ったし、悪精退治は完了したようだ。

後は普通の回復魔術で、解放された細胞を元に戻せば『媒体呪術式治療法』は終了だ。

何か質問がある者は?」


「悪精が……可哀そうです」


「ソフィ、場に流されやすいのは悪い癖だぞ。はい、次」


「こ、ここ、この術は他にも応用が⁉︎ たたた、例えばえっと、あれ、あれ、あばばば」


「ローゼン君、落ち着きなさい。はい深呼吸。

今みたいに悪精が確認出来る病であれば、大抵は適用するよ。ただし、先天的な臓器での病気には、このままでは適用しないだろう。

─── 各臓器や器官がどんな仕組みなのか、現代の技術では全くと言って良い程、解明出来ていないからな」


 これは回復魔術の存在の弊害だろう、魔術の仕組みを研究はしていても、適用外の病気や人体の研究はそれ程進められていない。


「─── ハァ〜、長生きはするものなのです

研究とは、ひとつの疑問が終わると、すぐに次の疑問が生まれて来て、時に永遠の暗礁あんしょうに乗り上げたような孤独感があるですよ。

今日の体験は、今後手掛けるべき多くの分野を、明確に照らし出すものでした」


 ローゼンは呆然とした顔でそう呟いた。


「─── ‼︎ ニギラ、目覚めたか!

体調は、体は大丈夫なのか!」


「父……上? ああ、私は気絶してしまっていたのですね……って、あれ?」


 ニギラは眼を瞬かせて、辺りをキョロキョロ見回している。


「ど、どうしたニギラ? 何か悪い所でも……」


「部屋が、世界が明るい! か、体が軽い……手足がポカポカと……!」


「肺が正常化して、巡る血の質が良くなったんだろう。今まで喀血かっけつしたり、負担を掛けた分、完全に整うまでは時間が掛かる。

しばらくは良く寝て、栄養のある食事を心掛ければ、もっと良くなるさ」


 ドウギとニギラは、腕を掴み合うようにがっしりと組んで泣き崩れた。

 オズノは男泣きに泣いた後、部屋に酒を持ち込もうとして怒られていた。


 正直、酒で乾杯したい気持ちも山々だったが、ニギラの手前、スタルジャの入れてくれたハーブティで乾杯する。

 若いのもあるが流石は鬼族と言った所だろうか、ニギラはその間にもグングンと血色が良くなり、目に覇気が戻って来ていた。




 ※ 




「会長殿……そして、ローゼン様。我々鬼族は、闘いがなんであるか、視野が狭かったと認めざるを得ませぬ。

『命を粗末にするな』とのお二人の言は、まことに正しきものであったと、このドウギ目が覚めた思いです」


 数日後に経過を見る事を告げ、ニギラの部屋を出ると、ドウギが追いかけて来て頭を深々と下げた。


「ふふ〜♪ 私だって気を新たにした思いなのですよ。今日は部外者の私の立ち会いを受け入れていただいて、感謝なのです。

ご子息、良かったですね〜」


「そう言えば鬼族は、みんなローゼンに怯え……いや、畏まってるみたいだけど、なんかあったのか?」


 なんとはなしに疑問をぶつけてみると、ドウギの顔が凍りついてしまった。


「ん〜、以前、この集落とは別の鬼族と、薬の有用性について口論になったですよ」


 どうやら数十年前、この平原に辿り着いたローゼンに、難病に罹っていた鬼族の妊婦がすがりついたらしい。

 ローゼンはその女性に治療を施し、有用な薬を渡したのだが、それを知った有力者達は怒りに震えた。


 女性とその夫は懲罰を受け、ローゼンの元には鬼族の老人達が『余所者が余計な事をするな』と怒鳴り込んだと言う。

 ローゼンは軽くあしらっていたのだが、ある日、薬を破棄された女性は容態が悪化、還らぬ人となってしまった。


 哀しみに暮れた夫が抗議した所、私刑が行われたのだが、そこにローゼンがたまたま出くわして経緯を耳にした─── 。


西谷にしのたにの鬼族は、ローゼン様の怒りに触れ、逆らう者は皆殺し、生き残った者達は何処かへと散り散りに……。

それ以来、失礼ながら我々鬼族の中では『命を粗末にする者は、平原の魔女に殺される』と」


「あはは♪ それヒドイですね〜☆」


 うーん、逆らう者は皆殺しってのはやり過ぎだと思うが……いや、うーん。


「命を粗末にする事には、別に何とも思わないのですよ。だって、人類は放っておいたって殺し合うものなのですから。

神から与えられた不自由で短い時間を、わざわざ隣人とき消し合うのは、溜息すらわずらわわしい程に愚かなのです」


 俺とドウギは言葉を失った。

 人間族はもちろん、その他の種族も、いさかいは絶えない。

 目立った大戦こそ最近は起きていないが、地方の物騒な話はちょくちょく耳にする。


「私が愚かな鬼族を根絶やしにしたのは、単純な事です。

─── 薬学、いえ、彼らは万物の真理に近づこうとする学問そのものを汚した

それは永きに渡る先人達の積み重ねの侮辱、万死に値する……ゴミです」


 一瞬、辺りの大気がグッと冷え込んだ。

 分厚い眼鏡の奥の眼はうかがい知れないが、それに救われたのかも知れない。


 不老不死の渡世とは、俺達とは何かが根本的に違うのかも知れないなと、俺はどこか薄ら寒くなるのを感じられてならなかった。

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