第二話 狸

 石造りの壁に、グラスの中で氷の溶ける音が、カランと響いた。


 領主の館の地下に位置する遊戯室は、暖炉と魔石灯の明かりで、話をするには丁度いい雰囲気に落ち着いている。

 ソフィアとの会話から、かなり踏み込んだ内容になり、クアラン子爵はここに場所を移した。


「─── すみません……。どうにも広い場所でするお話では無いように思えたもので。

遊戯室での世間話として、もう少しお話をさせていただきたく……」


 シリルは独立した国家だとは言え、過去に帝国に占領され、大きく変えられてしまった国だ。

 一度我が物とした国を、簡単に無条件で手放すはずが無いし、確実に裏はあるはず。


─── 彼が慎重になるのも当たり前か


 今だって何かしら帝国はこの国に食い込んでいるだろう。

 政治をコントロール出来るように、それこそ諜報活動をする人物くらいは仕込まれて。


「この国は元々、精霊信仰だった……いや、前ウィリンエデル王国の初代国王、ウィリーン王は妖精族と婚姻したと言います。

つまり、信仰と言うよりは、妖精や精霊と共に暮らしていたわけですが……」


 シリル人は体格が良く、金髪碧眼、彫りの深い顔が特徴とされる。

 しかし、王族だけは薄っすらと紫色がかった銀髪に、すみれ色の瞳の者が代々続いていた。

 これには異邦人説や、同族婚の遺伝変異説なんかが言われているが、数千年前に妖精族の血が入ったというのが有力な説だという。


 妖精はより明確な自我を持った精霊が、人に近い生き方をするようになった、いわば新しい精霊。

 その血が入っているのなら、精霊と密接な暮らしをしていたというのは、極自然な事だ。


「……しかし、占領中に精霊信仰が異端とされ、各地の祠や祭壇が破壊されて以降、その文化は無くなってしまいました……

─── それ以降の三百年、非常に緩やかに、真綿で首を絞められているかのように、我が国の国力は落ちていっています」


「…………その理由は?」


「精霊はその土地の活力そのもの、その精霊が力を持つ事は、自然の活力を向上させる事に他なりません。

精霊信仰は、人の想いや魔力を精霊に与え、人と自然とが共に進む思想です。

それを禁止されてしまっては、精霊の力が落ちると共に自然の力も弱まり、結果的に人までもが弱まって行く……。

─── しかし、それだけでは説明がつかない程、今この国のマナは衰えているのです」


 何かが起きて、急激に大きな変化があったなら、すぐにでも原因は分かるだろうが……。

 余りに緩やかに起きた変化ならば、人はそれに気がつく事は難しい。


 マナは単に自然の活力ではなく魔力や気運の素ともなる。

 その力はそこに住む者達にも、なにかしらの影響を与えるものだ。


「今、我がシリルには、帝国から関税の緩和などを織り込んだ、融和政策を打診されています。

この時期に狙いすましたような甘い声、もちろん国家間に情だけで動く事などあり得ない。

急遽王家は現状を調査し、それを呑まずにいられる方法は無いかと、躍起やっきになっていたのですが……」


─── この国のマナには、弱く小さな呪いが掛けられていた


 子爵を始め、国学者の見解も一致していた。

 この国のマナの発生量は、年々低下の一途を辿っていた。

 精霊信仰を捨てた人間への、自然の怒りでは無いかと噂されもしたらしい。


 ……だが、自然にはそんな人間臭い感情があるわけがない。

 マナ自体の観測を続け、ようやく今になって、弱体化に人為的な痕跡を見つけたという。


 ようやく気がついた頃に、地質学者と自然学者が調査に乗り出し、マナの発生源を調査しようとしたが……。


「─── こちらが呪術を仕込まれているであろう箇所なのですが……」


 そう言って子爵が取り出した地図には、大きな都市や主要な土地に、ほとんど全て印がつけられていた。


 マナの湧き出る場所は、自然の恵みだけではなく、あらゆる活動が活発になる。

 そこに都市が発展して行くのは、立地さえ恵まれていれば、当然と言えば当然だ。


「……これだけの数と範囲に、呪術を掛けるとは、途方も無い時間が掛かるな……」


「都市部の大きな箇所は全て、占領時代に建てられた、エル・ラト教の施設があります。

その他の地方のものは、時期がバラバラですが、現在そのほとんどが魔物の巣窟か、迷宮化していました。

教団施設を調査する訳にはいかず……。

他の地点はかなり危険な状態なので、冒険者の要請も上奏されましたが、ギルドを通した場合、帝国に気づかれない保証がありません。

呪術がどういったものなのか、実際に調査は出来ていないのが現状なのです……」


 その拠点を帝国の影とも言える教団が、全て押さえていると言うのは、余りにも上手く出来過ぎている。

 精霊信仰の禁止は、そうしたマナへの関心を失わせる為の、戦略の初手だったのだろうか。


 裏を取れれば、表立って調査にも解呪にも動き出せるが、今シリルは波風を立てたく無い。


 帝国への強硬な態度を取らせない、そのための友好関係と、宗教改革。

 友好的な国交を続けながら、じわじわと国力を落とさせ、気がつかれるタイミングで融和政策の打診。


 延々と占領するよりも、自分達の思う通りの国に発展させ、後で大きなリターンを目論んだって事か……


─── 狡猾こうかつな事だ


 タッセルやハリード自治領を始め、多くの国々が帝国派に流れているのには、こうしたやり口があったのだろう。

 ……帝国には、相当に先を見越せる人物がいたようだ。


「─── あの……この国に来た時、精霊たちが余りにも、人に関心が無いように感じたんですけど……何か関係が?」


 スタルジャがおずおずと問う。

 確かに彼女は、菩提樹ぼだいじゅの辺りでそう不審がっていた。


「……精霊が『人に無関心』ですか……? すみません、私にも妖精の血が入っているはずなのですが、精霊をこの目で見たのは、先程のソフィア様の術が初めてでして……よく分かりません」


「まず精霊術は精霊と繋がらなければ、精霊の存在を認識する事も、対話する事も出来ない。

彼女達のように、感覚的に精霊の存在を掴めるなら話は別だが……。普通は精霊のいそうな場所に魔力で問いかけ、向こうが応じた所から対話をするもんだ。

─── 精霊側が無関心なら、精霊術は成り立たない」


 この国の精霊に掛けられた呪い、その正体が何となくだが分かって来たぞ?


「呪術の線は間違いないが、マナや精霊そのものをいきなり弱らせては、すぐに影響が出て露呈する。

……多分、この国のマナの湧き出る場所、精霊の住処には、微弱なけがれれの毒と……

─── 人への関心を奪う暗示が掛けられてる」


「……ッ! そ、それならここまでの事にも説明が付きます! 我が国は妖精との盟約で生まれたはずなのに、精霊術師がいない……!」


「呪いの発覚を恐れたか。精霊術はマナの気配に敏感じゃないと使えないからな。

元々いた精霊術師達は『魔女狩り』で排除され、後から育つであろう精霊術師の誕生を防ぐために、精霊の意識から人を遠ざけた……」


─── 理由は国力の低下、シリルの隷属れいぞく


 クアラン子爵の顔が驚愕に染まる。

 グラスの火酒を煽り、震える手で顔を拭った。


「我々王室学者は、永らくこの国の衰退に頭を悩ませて来たのです。生産を考え、国内の富の流動を見直し、他国から経済を学んで……。

─── それが……こんな足枷あしかせをはめられていたとは」

 

 選択を迫られたな。

 帝国に刃向かうか、足枷を知った上で、いかに条件の良い犬小屋を得るか。


「……ああ、流石はS級冒険者。

─── ありがとうございます……!

帝国の狙いが見えて来ただけでも、我々に取っては非常に大きなご恩が出来てしまいましたね。

何かお礼がしたいのですが、まずはこの話を我が王にご報告を……」


「いや、礼はいい。遊戯室で遊びがてらの世間話なんだ。

それよりも、報告するのなら、それなりの答えも用意するべきだろう

─── 帝国に対して狼となるか、犬となるか」


 シリルの現状は知れても、国民感情なんかの実状は、部外者の俺には分からない。

 クアラン子爵も、そこを悩んでいたのだろう、深い溜息と共に再び顔を手で拭う。


「……狼となるか、犬となるか……。

今、我々が帝国に背いた所で、勝ち目は万に一つも─── 」


「ん? タヌキはないの?」


 ティフォの素っ頓狂な質問に、流石の子爵も鼻を鳴らした。


「お、おいティフォ、今は真面目な─── 」


「マナの出るとこ、呪われてるなら、ずらしちゃえばいーじゃん? あとはてーこくに、弱ってるふり、しとけばいー」


 ん? ズラす? こいつは何を言っているんだ?

 子爵は子供の妄言もうげんに付き合う、おとなーな微笑みを浮かべて、そうかそうかと流しに掛かっていた。


「ズラすって、マナの発生場所をか?」


「うん。あたし、やろーか?」


 ティフォは真顔で手を前に突き出し、くいっくいっと動かしている。


─── あー、これホントにやるわこの子




 ※ ※ ※




 シジュウカラが高く短く鳴いて、小さな羽ばたきを、葉擦れの音の中に立てた。


 広葉樹の原生林は、突如として密度を下げ、木漏れ日をシャワーのように辺りに降らせている。

 その小さく柔らかな木漏れ日と、小川の水面が反射して、巨石の肌に光の紋様を描いていた。


 見上げるような巨石が、森の中の拓けた場所に、円を描くように並んでいる。

 その奥にはシノンカで見た神殿と、よく似た造りの建造物がひっそりと佇んでいた。


─── シリル王宮、別名『妖精陵』


 宮殿と言うには、立地も造りも神殿としか見えない、神秘的な構えを見せていた。

 女性陣は三人とも、ここの空気が気に入ったのか、弾むような表情で辺りを見回している。


 クアラン子爵の住む最初の村、フォンアリアから、北西へ馬車を乗り継いで三日。

 シリル王宮を目指して取り急ぎ移動し、この王都と呼ぶには余りにも深い森林へとやって来た。


 シリルに来たら、名物と名高い腸詰の屋台を訪ねたいと思っていたのだが、そんなルートを通る事も無くぶっ飛ばして来た。


─── どうにも俺の旅には、頭を突っ込まざるを得ない事が、次から次へと起こるもんだ


 俺自身が放って置けない性格だと言う事もあるが、タイミングと言うか、狙いすましたように色々起きている気がする。

 ……ソフィア曰く、それが大きな運命を持つ者の宿だそうだ。

 世界で起こる事は、別個に存在する様々な運命が重なって、大きな運命へと流れ込んで行くものだとか。


 例えば里を降りて、最初の村ペコで起きた強盗団騒動だって、俺とティフォの到着が一日でも遅れていたら手遅れだった。

 そうなっていれば、俺はソフィアと再会は出来ず、辺境伯から紹介状を受ける事なく、ハリード自治領で魔族と戦う事も無かっただろう。


─── 不思議に思う事がある


 もし、ソフィアとの再会が無かったら、こんな自然に、人の事に首を突っ込む俺だっただろうか?

 里で暮らしていた時、あの頃の自分がどうだったのかと思い出そうとしても、ダグ爺達の免許皆伝を目指していた事しか憶えていない。


 思えば、成人の儀で不完全な契約が発生した瞬間から、物事は俺の意図を大きく外れて流れ出している。

 むしろ、里で修行を積む事も、今の旅のためにあったんじゃないかと、疑いたくなるくらい一連の流れに当てはまっていた。


「─── どうかしましたアルくん?」


「……ソフィと出逢った瞬間から、だったのかなぁ。今の俺があるのは……」


 そんな事を呟くと、何やらソフィアが頰を染めてもじもじし出した。

 ……あ、今の言い方だと『君に出逢えて俺感謝ァッ』みたいな意味に聞こえるか。


「これから先も、ずっとそう言ってもらえたらいいなぁ……ふふ」


 そう囁いて、彼女は俺の腕に、頭をそっと押し当てた。

 おれの呟きの意図とは違うんだけど、その通りだから結果は同じだな。


─── しかし、そうか……


 過去の事が今に繋がってると思っていても、それは未来の出来事の、途中経過でしかないんだよなぁ。

 目の前の史跡然とした、王宮の風情のせいだろうか、妙にしみじみと振り返ってしまった。


「申し訳ありませんが、ここからは色々と仕掛けがありますので、私の後ろについて来るようにして下さい」


 クアランは小川のほとりに立ち、掌を掲げると小さく呪文を唱えた。


 その瞬間、小川の流れが止まり、水面の様子が一変した。

 今まで普通の小川に見えていたものは、恐ろしく深い堀で、川底に見えるのは土や泥ではなく、整然と積み上げられた石のブロックだった。


「「「おお〜!」」」


「妖精族に伝わる、幻術の一種です。傍目はためには攻め易い、呑気な雰囲気ですが、いざ攻め入ると至る所に罠があります。

なるべく私の歩いた後を、踏んで進むようにして下さい」


 そう説明している間に、堀の中から石柱が伸びて、水上に一列に並んで橋を作り出した。


 初代の王は妖精と結ばれたと聞いたが、これを見たら、それを疑う気持ちはもう吹っ飛んでしまった。

 よく辺りをうかがって見れば、確かに精霊の使う言霊に似た印が、至る所に仕込まれているのが分かる。


─── 迷いの幻術


 悪戯好きの妖精が、人を森で迷わせる為の魔術だが、ここにもそれは働いているようだ。

 小川のすぐ先に見えていたはずの、巨石群は真っ直ぐ進んでいるのに、一向に近づく様子がなかった。


 膝くらいまで伸びた草むらの中を進んでいると、前方両脇に突如人影が現れた。


「お待ちしておりました。クアラン様をご案内するよう、仰せつかっております。

お連れの皆様方も、どうか私から離れませぬよう」


「ああ、ご苦労。君達が来たという事は、妖精宮に直接という事か」


 鮮やかな藍色のマントを羽織り、羽飾りのついた帽子の男二人が、恭しく頭を下げてクアランの言葉に応えた。

 何とも狐につままれたような光景に、女性陣の表情を確認すると、ワクワク感がモロに出ていて何故か俺が恥ずかしくなってしまった。


「……通常、王との接見となりますと、担当官に申し入れをしてから、検めを受け、接見の間で……となります。

ただ、今回は皆様の存在と、接見の内容からかなり丁重な対応をとられたようですね」


 何だかよく分からないが、クアランは嬉しそうに振り返り、しっかりついて来るようにと念を押した。

 途中も数々の幻術の仕掛けを通り、段々と楽しくなって来た頃、二本の細いブナの樹が目の前に現れる。

 その樹の間を通った瞬間、目の前が薄暗くなり、空気が変わった。


─── 妖精宮、そう呼ばれる場所に、唐突に着いた


 地下に掘り下げられた球状のホールには、石化した巨木の根が渦巻き、その一本一本に席が彫られている。

 その席には数十人がすでに座っていて、俺達の方をジッと見つめていた。


 その空間の中央奥に、一際大きな席があり、白に銀糸の装飾を施された衣装の人物が座していた。


─── シリル国王ゲオルグ


 シリルは立憲君主制を取るため、政治からは一線を敷かれ、王の存在は象徴として置かれている。

 しかし、こうしてその存在を一目見れば、国民ではない俺でも分かる。


 ……紛れもなく、王だ。


 王の前へと進み、俺達は横一列に並んだ。

 膝をついた方が良いのかと、隣のクアランを見るが、彼は胸に手を当てて顔を伏せているだけだった。


「よい、クアラン。ここは妖精宮、ワシもこの通り王冠も王笏おうしゃくも用いておらん。

─── そこの者達がバグナスの冒険者か」


「ハッ、ダラングスグル共和国より、世界の壁を超え、フォンアリアに直接来られたS級冒険者三名並びに、精霊術師一名に御座います」


「此度は任務の途中、このような場所に呼びつけた事、どうか赦して欲しい。

私はゲオルグ・フリード・ウィル・ウィリンエルデ。

王ではあるが、ここではその扱いはいらぬ。この国を愛する者として、この会議に参加しておるのだ。意見あらば忌憚きたん無くお聞かせ願いたい」


 その声には王としての威厳がありつつも、言葉を締めくくるまでに、その重さを失わせる何かがあった。

 妖精宮では立場の違いなく、対等に話し合うものだと、クアランから事前に聞きはした。


─── これがこの国の王の意思か


 王の衣を持たずに、この場にいるのだから、立場に関わらず意見を求めている。

 とは言え、染み付いた神々しさは、そうそう消せるもんじゃないが……。


 どうしていれば良いのか分からず、俺は中央ギルド本部監査委員マッコイにならい、視点を遠くに置いて心をボヤかす方向に出た。

 その間、クアランが俺達の見解から、この国に掛けられた呪術の予想について説明をしている。


 ……うん、マッコイ式は便利だな。


「なッ! 帝国め、そのような事を……!」


「そんなものは、条約に反する!」


「許せるものか! 今こそ我々の力を─── 」


 クアランの説明が終わると、口々に怒りの声が上がった。

 無理もない、永きに渡って帝国から妨害を受け、苦しんだ先に恭順の首輪をぶら下げられていると知ったのだ。


 それらにクアランは手を挙げて鎮め、皆に向かって問う。


「問題はこれからの我が国の、選択すべき道でしょう。我々が帝国にとって狼となるか、犬となるか……。

行く末を定めねば、マナへの呪術を如何にするかのみでも、藪蛇になり兼ねませぬ」


 殺気立っていた会議場が、クアランの言葉を受け、水を打ったように静まり返った。


 マナの呪術を解けば、帝国にそれを知られ、これまでの静かな国の営みを揺るがす危険性が高い。

 だからと言って呪術を放置すれば、国力が下がり続け、帝国の目論見通り完全な隷属関係に持ち込まれるだろう。


 中央には帝国と反目する国々も存在するが、表立って強く反発はしていない。

 周辺国と協力するにも、それに見合うだけの反帝国派は無く、シリルに隣接する国々は帝国派に傾いている。

 呪術を解くだけの事が、戦争の引き金となり兼ねない、ややこしい事態となっていた。


「……バウルよ。帝国との対立は、我が国の兵力では、どれだけのものか?」


 ゲオルグ王の質問に、武官であろうかバウルと呼ばれた、儀礼用の甲冑を着けた武骨な男が静かに答える。


「─── もって三ヶ月。北部主要都市は早期に諦め、防衛に徹して、でありましょう……」


「「「……………………」」」


「根拠は……如何なるものか」


「兵数、兵器、魔術兵の質、周辺国の帝国派体制を鑑みるに、防衛を意図していない北部主要都市では前線を保つには余りにも……。

ここ王都周辺の、前時代の地形の残る地域にて、防衛を繰り返す。戦力差と民の保護を踏まえれば、自ずと答えはそうなります」


 防衛を意図していない都市計画、これも占領下時代の置き土産か、儚くも古き時代の国造りが残る地域しか戦場に耐えないとは……。

 その遺物だって、かつて攻略されたものだ。


「─── 狼となって誇りに散るか……。誇りを捨て生きながらえる犬となるか……」


 王の暗澹あんたんとした声が、妖精宮に静かに重く響いた。

 誰もがその声に、目を深く閉じ、噛み締めるように苦い顔をする。


「民があれば、国は死なぬ。そして……最早、我が首に民を救う価値も無し。

帝国の企てを知り、恭順の意思を見せる事で、少しでもこの国を残すしか……」


 シリルの王は、王家の存続よりも、シリルの民を生かす気持ちがあるか。

 クアランを見ると、彼も何処か肩の荷が下りたような表情で俺に振り返り、静かに頷くと俺に手を示した。


 まあ、ここは第三者の立場である、冒険者の俺から提案した方がいいか。


「……同じ生き長らえる策なら、より狡猾こうかつに太く生きる方法がある。狼か、犬か。そして……

─── 狸になると言う選択だ」


 王を始め、シリルの全員がキョトンとする音までが聞こえた気がする……。

 まあ、俺もティフォから言われた時は、彼らと同じような反応をしたものだが。


「マナの発生場所に、動かせぬ帝国の足があるのなら、マナの発生場所をズラす手がある。

……ここにいる古代魔術師の少女は、その秘術を心得ている。

帝国に抗えるようになるまで弱ったフリを続け、その裏で軍備と国力を整えてはどうだ?

……それならば、恭順以外の道も考えられる」


 耳が痛む程の静寂が訪れた。

 全員が目を丸くして、俺と俺の指差したティフォとを交互に見比べている。


「─── そ、そのような……まことか……?」


「ん、マジ。おーきくズラすと、街づくりがおじゃん、になる。必要なとこに、必要なだけ動かすなら、いっしゅんだよ?」


 俺は一国の王が『え、マジで?』と聞き返すのを、生まれて初めて目撃した。

 あ、やっぱり同じ人間なんだなって、そう思った瞬間、妖精宮は男達の野太い歓声に揺れたのだった。




 ※ ※ ※




 古い石造りの砦は、時折訓練に使われる程度だとは言え、三百年以上前に造られたものとは思えない程に整備されていた。

 シリル人の勤勉さというか、質実剛健な国民性は、この武骨な砦をそのままに現している気がする。


 砦からは、草原と森林の先に、シリルの大体の地理が掴めるだけ見通す事が出来た。


「ん、マナのいどー先は、はあくした」


 国内地図に記された、マナの発生源は数百を超えるのだが、ティフォはそれと数分にらめっこしただけで憶えてしまったらしい。

 その言葉に、王をはじめお忍びで見学に来ていた、王族とその重臣の面々が、感嘆の声を漏らしている。


 教団側に悟られてはマズイからと、見学お断りをしたのだが、彼らに押し切られてしまった。

 『幻術とか使って、バレないようにするから、ね、ね、お願い!』とか、一国の王に頭を下げられたら断りようがない。


 更にクアランから、王族の寿命を聞いたために、断りにくい事ったらなかった。


─── 妖精族ハーフの彼らは、ゆうに人間の三倍の寿命を誇る


 道理で王に威厳があったわけだ、ゲオルグ王は今年でなんと三百七歳。

 まさかの聖魔大戦終結ゼロ年世代だ。


 妖精族ハーフが王族や国の重臣に選ばれたのは、国の発祥に関わったのは勿論、その長い寿命から安定した国造りが全う出来るからだそうだ。

 そんな彼らが、目をキラキラさせて見つめるティフォは、脳内の座標と目視のマナ発生ポイントとで照合作業に夢中になっている。


 どうもシリル人の気質で、新しい技術に勤勉なのか、妖精族の血で好奇心旺盛なのか判断が付きづらい。


「……ん、OK。オニイチャ、いつでもいーよ?」


「おお、そうか。……ところで、何で俺まで近くにいろって指示されたんだ?」


 今、俺とティフォの二人は、砦の中で一番高い塔の上。

 見学者達は一段下の、テラスのようにせり出した所から、俺達を見守っていた。

 ソフィアとスタルジャも、今は見学者達と同じ所で待機している。


 ティフォ曰く、マナの流れを事細かに察知する為には、近くに余り人がいない方がいいとの事だった。

 人の魔力で、マナの感知に僅かなノイズが入るのだとか。


 ……俺の禍々しい魔力なんて、以ての外だろうに、何故か隣にいるように言われていた。


「ん? だって、ぼーだいな魔力が、必要になるもん」


 そう言って、ティフォはポシェットに入っていたベヒーモスの首根っこを掴み、ぽいっと放り投げる。

 丁度寝ていたベヒーモスは、ぶにゃんと抗議の声を出したが、綺麗に着地を決めて伸びをする。


「んー、これくらいで、いーかな?」


 そう言いながら、彼女はポシェットの中から、大量の魔石をバラバラと床に捨てている。

 ぞんざいに放り捨てられた魔石が、ベヒーモスに降り注ぎ、再度抗議の声を上げる。


「─── はい、オニイチャ。これに『まとめる』って念じて?」


 そう言って、俺にポシェットの口を突き出して来た。

 ん? これってもしかして、あの迷宮から抜け出す為に、破壊のエネルギーを集めたやり方か……?

 足元に転がっている魔石は、今までの旅で増えた高品質の魔力を秘めた魔石ばかりだ。

 それでもポシェットに残る魔石の質と量は、相当な物になるだろう。


 何だか嫌な予感がしつつも、言われた通りに俺は念じながら、ポシェットに触れた。


─── バチィッ!


 あー、全く同じだ。

 ティフォはポシェットの中から、一つにまとめられた魔石の結晶を取り出して、俺に手渡した。

 小さな黒い球体が、俺の手の平にビリビリと、莫大な魔力の圧力を伝えてくる。


「んー、ティフォや。これを俺に渡すと言う事は、つまりその……」


「ん……前と、おなじ」


 こっちに向けた顔を、耳まで真っ赤に染めながら、目だけスッと横に動かして逸らす。

 ……いや、その……恥らわれると、こっちまで……ふわあぁぁッ!


─── オニイチャから……して……?


 唇に指先を添え、そう言ってチラリと見上げられた瞬間、全身にぞわっと刺激が走る。

 うん、口移しなんだよな、うん、く、口づけを……するん……だよ……な⁉︎


 皆んなが見てる前で⁉︎


 …………いや、良いんだよな。

 もうティフォは俺の婚約者だ。


─── 魔石の結晶を口に放り込み、その魔力を解放した


 俺の体が近づく度、艶のさした輝くような表情で、上気していく彼女に胸が高鳴る。

 いつものジト目は無く、潤んだ瞳を紅く揺らめく火のように輝かせ、切れ長な目を細めた。


 片膝をつき、彼女の細い背に腕を回すと、小さく白い両手が遠慮がちに、俺の服の胸元を掴む。

 刹那、俺の体に莫大な魔力が突き上げて、もうひとつの心臓が出来たかのように、力強く脈動を打つ。


─── 彼女の耳の後ろに手を添えて、桜色の艶やかな唇に、そっと……重なった


 一瞬戸惑うようにピクリと強張った後、情熱の火が燃え上がるかのように、彼女の唇が俺を求め出す。

 薔薇のような気高い香りが、彼女の首もとからふわりと立ち上り、媚香の如く俺の思考力を覆い潰していった。



─── はむ……ん、ちゅる……



 頰をくすぐる熱い吐息が、俺の体温を上げ続け、現実感が失われた掛けた頃……。

 彼女の顔の位置が高くなり、自然と俺の顔が上に向けられると、より激しく貪るように舌を求められた。


─── 魔石の魔力を根刮ねこそぎに、俺の魔力までもがごっそりと吸い上げられる


 体の力が抜け、前に倒れ込む俺から唇を離すと、彼女は俺の頭を胸に埋めるように掻き抱いた。


「フフフ……前よりも情熱的じゃったのぅ、婿殿。わらわの胸の高鳴りが、その耳にも届いておるか……?」


 神気の漂う、凛とした彼女の声が、腹の奥底から持ち上げるような熱を起こさせた。


 その言葉通り、どこまでも柔らかく、心地よくも大きな反発力の肉の海の底から、彼女の鼓動が俺の頰を打つ。

 その感覚に、ようやく我に返ると、見学者達の地鳴りのようなどよめきが耳に届いた。


 思わずティフォの胸から顔を離すと、頰を染め口元を押さえる王と、その重臣達のまごついた顔が目に飛び込んだ。

 その反応は、接吻せっぷんへの動揺なのか、急に美女に成長したティフォへの動揺なのか……。


─── ソフィアとスタルジャの視線が、ちりちり痛い……


 緩やかに波打つ真紅の髪、煌々と輝くルビーのような瞳は、星のエネルギーを見せつける溶岩の奔流を思わせる。

 久しぶりに目にした、ティフォの本当の姿は、前以上に危険な美しさだった。


「……フフフ。そんなに見惚れておったら、ソフィ達に嫉妬されてしまうであろう?」


 離れて見て、もう一度俺の胸が高鳴った。

 この美神に見惚れるなと言う方が、余りに酷な事だと思う程に、妖艶な肢体は魂を揺さぶり上げていた。


「─── ハッ‼︎ な、なんかその……迷宮の時よりも……す、凄くなってないか?」


「あれから、妾と其方そなたの契約と絆は、比べ物にならぬ程に高まっておるからの。

妾から見てもその……其方の魅力は、蠱惑こわく的なものになっておるのだ……」


 そう言って頰を上気させ、熱っぽい視線で俺の眼の奥を射抜く。

 これは……力が上がり過ぎて、ただの視線が魔術の【魅了テンダーション】を連発してるくらいの威力があるぞ⁉︎


「はぁ……のぼせていても仕方がないかの。さて、さっさと人助けといくかの♪」


 彼女は振り返って、シリルの国土を指し示すように腕を大きく振り上げると、莫大な魔力が唸りを上げて彼女を中心に渦巻いた。



─── ズォウ……ッ‼︎‼︎



 空を埋め尽くす程の数の触手が、彼女の背中から打ち上げられ、砦の周囲の大地に放物線を描いて突き立てられる。

 凝縮を続ける彼女の神気は、余りの濃さに具現化を始め、辺りに薔薇の花弁の吹雪を舞い起こす。


「─── 神の力、とくとその目に焼き付けるがよい……」



─── 【 謡 え よ 地 脈 、 我 が 旋 律 に 咲 き 誇 れ 】



 触手がドクドクと脈打ち、膨大な魔力が大地に注ぎ込まれると、大気が大きく揺らめいて荘厳な雅楽の如き音を奏でた。


 直後、シリルの大地に一陣の突風が吹き、温かなマナが通り抜けて行った。


 ティフォは振り返って微笑むが、その目はいつものジト目になっている。

 やがてシュルシュルと萎んで、いつもの少女ティフォへと戻っていく。


「うわぁ‼︎ すごいすごいーい! 本当にマナの出る位置が変わったよ⁉︎」


 スタルジャがソフィアと手を取り合って、弾みながら遠くを見回している。

 見学者達の中でも、マナを感じられる者達は、その変化を感じ取って歓声を上げていた。


「─── も、もう済んだのか……⁉︎ ワシには何が起きたのか、いまいち分からぬのじゃが……」


 時折吹く柔らかな風は、さっきまでと比べて、清涼感が増している気がする。

 解放されたマナはまだ微量な筈だが、呪いを受けたマナが止まるだけでも、この国は息を吹き返して行くだろう。


「ああ、終わった。マナに相当敏感な者じゃないと、この変化には気がつけないだろう。

……まあ、狸になるんだ、これくらい上手い事化かさないとな」


 そう言って王の方を見ると、皆が笑い声を上げた。

 シリルの静かな反撃がここから始まった───

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