第八話 草原の白きエルフ

 シノンカ霊王朝───

 現ダルンの国土の西端に、かつて数多の神々と交信し、霊王の名を拝したと言われる王の治めた国があった。

 その国が滅びたのは、二千年以上も前だと言われているが、定かではない。


 大きな内乱から続いた幾度もの戦争、そして大規模な気候変動と天変地異に見舞われ、その文明は滅びた。

 しかし、そこに息づいていた草原のエルフと、獣人ムグラ達は未だその生命を紡いでいる。

 ムグラの民はシノンカに留まり、草原のエルフは今から五百年以上前に、東の肥沃な土地へと逃れていった。


─── その後、草原のエルフは白髪の一族と、緑髪の一族とに別れた


 現在のロゥトの西、ジグナ河を挟んで、エルフ族同士にらみ合うように住処をそれぞれ構えている。




 ※ 




 ジグナ河の西、支流と林に守られた草原に、白髪のエルフの里『ケフィオス』があった。


 魔術とまじないによって巧みに隠され、古代の秘術で守られたケフィオスは、未だ人に発見すらされていない。


─── その里が今、未曾有みぞうの混乱の最中にあった


 人にすれば、三十半ばといった容姿の族長マラルメは、水晶から壁に投影された風景を前に、頭を抱えて唸っていた。


「─── 族長! 結界の強化が完了しました。……が、民達からは不満の声が上がっています」


「……分かっている。どうせ『緑児など恐るるに足りん』とでも言っているのだろ……。

ここしばらく、やつらの領域から発せられた魔力の正体は、ここに映る二人のか、の仕業であろう。

─── くそッ! 人はおろか、悪魔の力に頼ろうとは、エルフの鼻摘まみ共の考えそうな事だ」


 マラルメは困惑していた。

 遠視魔術で見張らせていた術者が、突然恐慌状態に陥り、妙な事を口走ったのだ。


─── 今からそちらへ行く、最早『緑児みどりご』などとは呼ばせん……と


 遠視魔術は魔力で光を屈曲させて、遠隔から像を映し出す、古代エルフ族特有の魔術である。

 術式自体は複雑だが、必要とされるのは、ほんのわずかな魔力でしかない。

 使用された事に気がつくだけでも、異様に鋭い魔力感覚の持ち主だと言えよう。

 

 遠視魔術に気づく程の稀有な手練れだとしても、術者を捕捉して操り、話をさせるなど聞いた事がなかった。


「……この悪魔め……ッ! この禍々しい凶悪な力で、緑児共を手なづけたか!」


 何度見ても凶悪そのもの、遠視魔術を見破り術者を操り、流れる河を歩いて渡らせた。

 マラルメだけではない、この部屋にいた実力者達も、水晶から投影された光景に驚愕している。


「…………神聖な結界が、邪悪な者の手で暴かれるとは思えんが……備えるに越した事は無かろう」


 遠視魔術は、時折笑顔で話す緑髪のエルフ達の姿を映している。

 そこには、完全に心まで悪魔に操られている様子は感じられなかった。


「闘技場を用意しておけ、緑児を交渉の場に引きずり出した方が得策かも知れん。

……この里を悪魔のいいようにさせてなるものか!」


 古代のエルフ魔術で閉ざされて来た里は、漆黒の髑髏どくろの悪魔に備え、更なる多重結界に堅く守られた。




 ※ ※ ※




「……不可視のまじないですじゃ、内側から掛けられておるようですのう。同時に絶対防御結界が、いくつも重ねられておる。これを破るのは、流石に難儀ですわい」


 ノゥトハーク爺が、目に魔力の火を灯して、ケフィオスに掛けられた魔術を見抜いた。

 向こう側の草原の景色が、微妙に歪んで見える程、多重層の強力な結界が張られているのが分かる。

 これを破るには、それこそ神の奇跡か、極大威力の魔術が必要になる。


 こちらに女神が二人いる事を、悟らせるべきか否か……現段階では何とも言えない。

 ここは俺が結界を無力化するか、派手に吹き飛ばすか……。


「─── オニイチヤ、ちょっと退いて。あたしがやる」


 そう言って、旅の町娘の格好をしたティフォが、ジト目をさらにジト〜とさせて歩み出た。

 ソフィアの言った『クールな顔で』を守っているのだろうけど、やり過ぎて眠そうにしか見えない。


「ん? なに見てる。ちょ〜ん」


 結界の前に立った時、ティフォは突然、指をチョキにして何もない空間に突き出した。



─── ……ぎぃやあああ……



 遠くで誰かの叫びが小さく聞こえた。


「あ、ティフォちゃん。覗き魔さんにオイタしちゃいましたね? もう少し、色々見せてビビらせておこうと思ったのに……」


「ん、どうせもう目の前。もう、いーよ、さっきから、チラチラうるさかった」


 あ、今のって遠視魔術の術者に目潰しかましたのか。

 って、あれは光の反射で像を映す魔術だよな、何で目潰し出来てんだよ……その前になんでチラチラ見られてるって分かるんだ?


「あ、ちょっと待てティフォ。強力な結界は魔術で壊すと跳ね返りが来る。出来れば中和する方向で─── 」



「オッラアアアアァァァッ‼︎」



 物っ凄い前蹴りが繰り出され、衝撃波に皆んなの顔がブルブル波打ち、スクェアクが耐え切れずに尻餅をつく。

 仕立てたばかりの、ノゥトハーク爺の服だけが何故か吹き飛んだ。


─── 地面には拳ひとつ分の、結界がずれた跡が空き、土が覗いて見えていた


 これ、蹴りの衝撃で結界ごと街がズレてんじゃねーかッ⁉︎

 中の建物とかヤバいんじゃ……⁉︎


「お、おいティフォ、自重し─── 」



「オッラアアアアァァァッ‼︎」



 『何だろうこの既視感』そう思った時、硝子の割れるような音が壮大に響き渡った。

 結界の破片が崩れ落ちながら、魔力の霧となって、空中に消えて行く。


─── そうして目の前に、白い建物の並ぶ風景が姿を現した


 そこには白い髪のエルフ達が集まり、呆然とこちらを眺めている。

 と、誰かが怯えた声を上げた途端に、エルフ達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 我先にと奥に駆け出し、ある者は転び、ある者は突き飛ばし、見るに耐えぬ情け無い模様が繰り広げられている。


「……あのような幼き子供を、置き去りにしてでも逃げ出すか……。数百年も隠れて暮らすとは、これ程に肝を小さくするものか……」


 ノゥトハーク爺の、ため息混じりの声が、人の居なくなった里の入口に響いた。


「…………あ、う……ああ……」


 端の方で転んだのだろう、若いエルフの青年が腰を抜かして、這いずりながらこちらを怯えた目で見ていた。

 その青年に歩み寄り、手を差し伸べる者があった。


─── スタルジャだ


 青年は彼女を見るなり、急に侮蔑ぶべつの色を目に宿し、吐き捨てるように言った。


「─── 薄汚い緑児みどりごめ……!」


「そう言う貴方は何? 地を這いずる程に怯えて、貴方の高潔なはずの種族は、仲間も子供も見捨てて逃げたじゃない。

草原のエルフでしょ……立ち向かおうともしないで、恥ずかしくないの? 」


 差し伸べた手を戻し、スタルジャはそう吐き捨てると、こちらに戻って来た。

 怒りとも悲しみともつかない、微妙な表情が彼女の目元に影を下ろしている。


「……無理もないよスタルジャ。彼らはずっとここに隠れて生きて来たんだ。

思い込みで発する言葉なんて、君が真に受ける価値のあるもんじゃない、気にするな」


 そう言うと、彼女は目元を紅くして、弱々しいながらも微笑んで、ふわりと抱きついて来た。


「うん、ありがと。でも、大丈夫だよアル様。言葉で傷ついたんじゃないの、こんなに弱い人達に、私達がさげすまれていたんだって事が、虚しくて哀しかったの……」


「なら、なおさらだな。今日から自分を恥じる事になるんだよ、彼らは。他者を蔑むのは簡単だけど、一度自分を蔑んだ者は、重い物を背負う事になる。

それこそ、生き方が変わるくらいの、運命の転換が必要になるだろうし……

─── 彼らのこれからの方が、余計に辛いかもな」


 そう言うと、ランドエルフの三人がうなずいた。

 今まで蔑まれていた自分達が、運命に寄り添って生まれて来た新しい種族だった訳だ。

 そして、それを排斥していた白髪のエルフの方が、草原のエルフとして進んでいなかったのだから。

 その事実が、今の情け無い逃走劇ではっきりと分かってしまった。

 誰一人立ち向かおうともしない彼らには、種族を想う強さも、絆のある思い遣りも育っていないようだった。


─── な、何用か! 緑のエルフ達よ!


 奥から白いローブを着たエルフが、数人引き連れてやって来た。

 『緑のエルフ達よ』と言いながら、視線はずっと俺の方に向けられていて、明らかに怯えているようだ。


「ここは我々、草原のエルフの領域。其方そなたたちが足を踏み入れてよい場所ではないのだ!

……それもこのような、怪しげな別種族を引き連れて来るなど……曲がりなりにも孤高たるエルフの気概は─── 」


「そちらの建前の口上はいらぬ。我等はここに、草原のエルフの未来について、対話しに来たのじゃ。

……久しいのうマラルメよ。」


「─── あ、貴方は……ノゥトハーク! まだ健在で……いや、失礼。一体、なんの御用向きか」


 マラルメの威嚇の色が、やや弱まったようだ。

 ノゥトハーク爺は千五百歳を超えている。

 ランドエルフが排斥されてから、五百年程度だし、これまでも何度か二つの種族は対面して来たと言う。

 何らかの関係が、二人にあったのだろうか。


「……アフマルは、どうしておる?」


「叔父上は……草原に還られた。今は私がケフィオスの長。御用あらば私が伺おう」


 マラルメの目に虚勢が宿った。

 里の代表である威厳を、彼はどうしても示さなければならないのだろう。



「─── 私達『緑髪のエルフ』が、貴方達『白髪のエルフ』と変わらぬ、神聖に近い存在、エルフである事を証明しに来たのよ」



 スタルジャがおくする事なく前に出て、マラルメ達の前に立った。


「エルフである証明……? ふん、その貧弱な魔力で何を言うか……ッ!」


 マラルメと幹部らしき三人が、内に秘めた魔力を解放した。

 人間族とは比べ物にならない、魔力の圧力が発せられ、空間にゆらゆらと歪みが起きる。


 スタルジャの言うように、エルフとは人族の中で最も、神聖な存在。

 人目に触れる事は稀だが、冒険者にはこんな言葉がある。


─── エルフを殺るなら、魔力を解放する前に仕留めろ


 神聖に近い彼らは、無益な殺生を好まない。

 しかし、本気で戦いに追いやった場合、彼らの魔術には、人間の魔術など歯牙にも掛からないからだ。

 すでにケフィオスのエルフ達は、魔力を解放してしまった。

 その魔力量は、ランドエルフ達の持つ魔力量を遥かに凌ぐ、別次元のものだった。


 しかし、スタルジャはその圧倒的な魔力を前に、頰を上気させてニコリと微笑んだ。

 


─── ……ヒィィィ……ィィ……ン……



 彼女の体を、眩い光が包み、絶大な魔力が大地を通して突き上げた。

 甲高カンだかい音を立て、その魔力は延々と高まり続け、周囲数棟の建物の外壁に、大きなヒビを走らせる。


「……その程度、森のエルフには及ばない。自然と共に生きる、私達『緑髪のエルフ』の前にも、最早なんら脅威ではないのよ」


 彼ら白髪のエルフが居座っただけあって、この土地は自然の力が豊かなのだろう。

 彼女の周りには、この地に宿る数多の精霊達が集い、光の球となって回転を始めた。


─── 精霊との常時接続


 今、彼女は精霊そのものの力を持ち、さらにその力を練り上げて纏った、守護神ともなり得る精霊族と同等の力を得ている。


「…………な、こ、これは……ッ‼︎⁉︎」


 マラルメの顔が絶望の色に染まる。

 取り巻きの手練れ達も、魔力への集中を欠き、その緑児の娘に目を奪われていた。


「さて、挨拶はこれくらいで良いじゃろう。どうじゃ? この分じゃと、この娘だけでなく、ロゥトの者全てが、お前さん方を超えておる。

……もう間も無く、同じ緑髪のエルフの集落が、あと四つ、全てそうなる予定じゃが……?」


 ノゥトハーク爺の言葉に、マラルメ達は目を見開いて、ただ固まるだけだった。


「儂らは草原に選ばれた、次代のエルフ。お前さんらと同じ、白い髪じゃった儂が、何故あの時、突然にして緑の髪になったのか……。

あの時は分からんかったが、今なら分かる。

─── 儂らは草原に生きる、精霊の民として選ばれ、儂は彼らが育つまで見守る役目を与えられたのじゃと」


 そう言ってソフィアの方を見る、彼女はそれに微笑んで頷き、ノゥトハークを肯定した。


「ここにはのう、それを証明し、宣言をしに来たんじゃよ。我ら緑のエルフは『ランドエルフ』として、新たに自然と共に生きる種族として名乗る事をの。

─── そして、ケフィオスの白きエルフと、協定を結ぶ為にここへ来たッ!」


 ノゥトハーク爺の言霊を孕む強い言葉が、マラルメ達を正気に返した。

 ……が、永きに渡る彼らの常識は、そう易々と翻るものではないらしい。



─── 何が『ランドエルフ』かッ‼︎



 怒りに震え、マラルメはキッとノゥトハークを睨んだ。


「それに『』だとッ⁉︎ ノゥトハーク! 貴様は歳を取り過ぎたのだ!

神の御意思を語るとは、思い上がりにも程がある!」


 マラルメの怒声と共に魔力が膨れ上がり、空気までもが震え出す。



─── 神ならここにおりますよ



 ソフィアが神気を解放し、凛と透き通った声を発すると、それは強力な言霊となってその場の全員の心に刻み込まれる。



─── 私は【調律の神オルネア】ここにいるランドエルフ達を祝福し、神勅しんちょくを与えました


─── この者達は、土を愛し、雨を喜び、風の恩恵を受け、光の慈しみを持って、植物と共に生きる自然と調和せし者


─── その力は自然と精霊とに、マナの力を共有し、協力して生きる『大地のエルフ』なのだと



 神気の込められた言霊が、更に精霊達を呼び集め、ランドエルフの三人が強い光に包まれる。

 それは歓喜に満ち溢れた、大地の讃歌の如く、清浄な風を引き込んでいた。


「ふざけるなッ! 何が神かッ! そこの女、神の名をかたるとは、何と烏滸おこがましく不遜な……ッ」



─── ピシィ……ィィ……ンッ



 マラルメの言葉に、ランドエルフ三人から、刃の如き殺意の込められた、壮烈な魔力が噴き出した。


「この言霊も聞き取れないなんて、何て霊的に鈍い人達なのかしら……」


 スタルジャが憐れなものを見るように、冷ややかな口調で呟いた。

 その横には怒気の塊となった、スクェアクとノゥトハークの、全てを切り刻むような殺気が渦巻いている。


「……お前、オルネア様に何を言った……」


 スクェアクが髪を揺らして浮き上がると、精霊の球が無数に現れて、彼の周囲を高速で周り始める。

 上空には暴風が吹き荒れ、暗雲が立ち込めていた。


(……うわぁ、三人共めっちゃくちゃキレてんなぁ……天候まで同調してんじゃねぇか)


─── ねえオニイチャ、こいつら滅ぼしていーい?


─── ……俺もキレてっけど、自重しとけ! これは三人が未来を勝ち取る、外交みたいなもんだ


 すかさずティフォから不穏な念話が来て、余計に冷静になれた。

 よく見ると必死で神気こそ抑えてるけど、ティフォの触手が、膨大な数に増えて踊ってる。

 不可視だから良いけど、実体化してたら日光届かないレベルだよ……。


「……落ち着け。ここに何しに来た……?」


 俺の声に、その場にいたエルフ全員が、ビクリと体を震わせた。


 ……あれ? ソフィアを貶されて、俺も気が立ってたからなぁ……。

 鎧から、周囲全てを刺し殺しそうな程、鋭い殺気が出てていた。


「フフ……この老骨まで我を忘れておったとは、情け無い姿をお見せしてしまいましたな。

……しかし、アルフォンス様には適いませぬな、全く底が見えぬとは、肌の粟立つ思いじゃて」


 そう言ってノゥトハークが笑うと、スタルジャとスクェアクも、何とか我に返ったようだ。

 ノゥトハークは笑いながらも、未だ鋭い眼光そのままに、マラルメの目を見据えた。


「……話が通じんようじゃな。

ここはひとつ、我々エルフの古き伝統に乗っ取って、強き意思を見せ合おうではないか。

儂らは『ランドエルフ』として認められ、この地のエルフと協定を結ぶ事。

お前さんらはそれを真っ向否定する事。

どちらの意思が硬いか……

─── 『意思の天秤』を申し込む」


「……よかろう。そちらは誰を出すつもりだ? そこの部外者達は認めんぞ」


「ふん、最初からこの方々を、避けるつもりであったろうに……。

まあよい、こちらからは儂とスクェアク、そしてスタルジャの三人を代表とする」


 その言葉にマラルメは、わずかに不穏な笑みを浮かべ、すぐにそれを隠した。


 予想されていた通り、対話での解決はならなかった。

 さて、残るは力で意見を勝ち取るしかないが、エルフの流儀に乗っ取って行われるらしい。


 会場に案内されて歩く最中、段々とケフィオスの人々が集まりだし、気がつけば観衆に囲まれる形となっていた。

 会場に入れば、完全なアウェーで口々に罵倒される状態だ。


 しかし、それを気に留める者は、ロゥト側には誰ひとりとしていない。

 ……完全に戦いへと集中し切っているようだ。


─── いよいよ、ランドエルフの意思が、白髪のエルフ達へと、直接ぶつけられる時がやって来た




 ※ ※ ※




 その時、僕はレゼフェルと水車小屋で図面を広げて、水路計画を話し合っていた。


「しっかし、人間ってのは恐ろしいもんだな。こうやって図面を見りゃ分かる。

俺達よりずっと寿命が短いってのに、よくもまあこれだけの知恵を練り込める」


「……うーん、僕ら馬族もここまではしないよ。これはアルさんが教えてくれた、外国の街によくある機構らしいけど……。

─── 寿命が短いのがミソかも知れないよ? 

出来る事が限られてくるから、必死に知恵を絞るんだし、後を継ぐ人に分かりやすくしないと、自分の意思が残せないから」


 そう言うとレゼフェルはうーんと唸って、また図面に夢中になった。



─── おおいッ! 大変だッ‼︎



 ダルディルの声が外から聞こえた。

 表を見てみれば、珍しくかなり必死な様子で、丘を駆け下りてくる。


「何だ何だ一体、そんなに慌ててるなんてお前らしくもない」


「ハァッ、ハァッ! ……お、落ち着いてなんかいられるかッ! 来たんだよ、奴らがまた来たんだッ!」


 水車小屋の前で出迎えた僕らに、ダルディルは息を切らせて、必死に言葉を紡ごうとしている。

 ……本当に珍しいな、普段はおちゃらけてるけど、芯は何処か落ち着いてる人のはずなのに。


「だぁから、奴らって誰の事だ? 白髪のエルフでも攻めて来たってぇのか?」


「ハァッ、ハァッ……そ、そんなんじゃねぇ! 馬族だ! 『月夜の風狼家』の奴らが、仲間を引き連れて来やがったんだ!」


─── 瞬間、レゼフェルに殺気が走るのを感じた


 彼は過去の交戦で、娘を殺されている。

 僕は胸がどきりと強く打って、全身に冷たい血が流れる錯覚を受けた。

 レゼフェルやロゥトの皆に対する想いもあるけど、それ以前に僕のつけなければならない、もうひとつのけじめが、唐突にやって来た。


 僕が一族を捨てたのは、あくまで僕の一方的な決意でしかない。


「……僕の……一族が……?」


「…………そうだ。お前とスタルジャを出せと言ってる。今は手練れの何人かで対応してるが、奴らはかなり焦れてるみてぇだ。

いつ暴れ出すか、分かったもんじゃねぇ!」


 僕の命を狙った時、差し向けられた戦士達は、ソフィア様に気絶させられて無傷だったはずだ。

 葬い合戦ではないとすれば……狙いはただひとつ、僕とスタルジャの命だけだ。


「─── あっ、おい待て! お前が行ったら……おいッ! パガエデッ!」


 後ろでダルディルの叫び声が聞こえた。

 僕は気がつけば一心不乱に、集落へと駆けていた。



─── 僕の家族は奪わせない!



 今はランドエルフ達が、簡単に殺されるとは思えない。

 でも、叔父上達のやり口も知っている。

 彼らは短絡的だけど、やる時は容赦をしない性質だ。


 丘の上まで一気に駆け上り、集落の方を見ると、入口に人垣が出来ているのが見えた。

 双方殺気立っているのが、一目で分かってしまった。


 ロゥトの皆んなにとっては仇、月夜の風狼家にとっては、取るに足らない敗者の小さな集落の亜人達なんだ。

 でも今の実力差は、比べ物にならないくらい、ロゥトの方が上。


─── それを現すように、声を荒げているのは人間側だ


「僕だ! パガエデだ!」


 そう叫ぶと、皆んなは道を開けてくれた。


「……パガエデッ! やっと見つけたぞ!」


 叔父上の目は獲物を見つけた蛇のような、冷たくゾッとする殺意があった。


「何をしに来たんですか! 僕らはもう、一族には必要がないはずだ!」


 革新派の父上が去った今、彼らにとって僕は邪魔でしかない。

 馬族として生きるにも、この集落と土地は魅力は無いはずだ。


「……何を言ってるんだパガエデ。お前とスタルジャは儂ら一族の物だ。自分の物を取り返しに来て何が悪い?

お前はこれから我家に戻り、交易で役に立ってもらう」


 今更来た理由が分かった。

 この間の交易が噂に流れたんだ……。


 エルフとの交易が話題にならない訳が無い。

 その代表として前に出たのが、バルド族の男だと知られれば、彼らの耳にも確実に届くだろう。

 ……その可能性は考えはしたけど、まさか僕とスタルジャを奪いに来るとまでは思わなかった。

 スタルジャまで狙うのは、交易の時に箔をつける為くらいに考えているんだろう。


「交易……保守派の叔父上が何故、そんな事を。父上が進めていた時は一度だって……!」


「黙れ! 伝統を蔑ろにする輩はいらんが、金と伝はいくらあってもよい。お前をまた使ってやろうと言うのだ。……こんな泥臭いラウペエルフ共と居て、馬族の男が何とする!」


 何だ、コイツは何を言ってるんだ⁉︎

 僕とスタルジャを物扱いして、父上を愚弄ぐろうし、結局は父上の考えの美味い所だけ欲しいと、臆面おくめんも無く口走った!


 頭に血がのぼる。

 自分でも何をしているのか分からなくなるなんて、初めての事だった。



─── 気がつけば叔父を殴り飛ばし、馬乗りになっていた



 ロゥトの皆んなの慌てる声と、元身内の男達の罵声が遠くに聞こえる。

 何度目かの拳を、叔父の顔面に叩き込んだ時、僕の喉元を焼けるような熱い何かが走った。


 生温かい湯が服を濡らす不快感。

 その飛沫が目に入って、叔父の顔の位置が見えにくい。


─── 何だこの湯は、邪魔だ……!


 そう心の中で叫んだ時、僕の体から突然、力が抜け落ちた。


「……かひゅ……ぐ……かはっ……!」


 喉元が焼けるように熱い。

 気がつけば元身内の一人が、僕の髪を掴んで、煙たそうな顔をして見下ろしていた。


─── 何でコイツは血だらけなんだ……?


 その手にはナイフが握られていた。

 熱を持った自分の首に手を当てる。


─── 自分の指が、喉の中を探る感触がある


 手の平に当たった血飛沫が、跳ね返って顔を濡らす。

 『ごめんね』誰に対しての言葉なのか、僕の口はそう言おうとしたけど、喉はもう声を作ってはくれなかった……。

 皆んなの叫び声が、水の中から聞いてるみたいに、反響してくぐもっている。



─── もうスタルジャに会えないのか……



 世界が暗くなった時、僕はただぼんやりと、それを悲しく思った─── 。

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