第143話 見守ってくれる人

 マヤは力なく膝をついたまま、青い光がバーニスに押し寄せるのを呆然と見ていた。


「こんな……どうして……」


 簒奪する刃の力の源であるフィーバルを剣から引きはがしてしまえばアルヴァンを止められる。そして、マヤはフィーバルを引きはがすの成功した。


 それなのに、カイルは殺され、アーシャとフレドは王の手達を攻撃している騎士達に加勢して彼らを追い詰めつつあった。


 タルボットを殺したエリヤフは、フェイラム伯爵の軍とともにグロバストン王国の兵士を次々と手にかけていた。


 マヤには目の前の悪夢をただ見ていることしか出来なかった。


「あなたがマヤさんですのね」


 そう言われて、マヤは声の方を向いた。

 そこにいたのは紅い髪の少女だった。


「あなたのおかげでアルヴァン様は邪魔者から解放されましたわ。アルヴァン様はああいうお方ですから、あなたに感謝していると思いますわ」


 紅い髪の少女はそう言ってアルヴァンに目を向けた。つられてマヤもそちらを見ると、アルヴァンは黒い剣の一振りで何十人もの王国兵を消し飛ばしていた。


 しばらくすると、消し飛ばされた兵士達が黒く染まった地面から這い出てきた。蘇った彼らは味方であるグロバストン王国軍に襲いかかった。


「アルヴァン様が感謝している以上、わたくしもあなたには感謝しなくてはならないのですが、わたくしにはどうしてもそれが出来ませんの」


 倒れたアルヴァンに縋って泣いていた少女は困ったように笑った。


 マヤが気づいたときにはもう、紅い髪の少女が目の前にいた。

 彼女は右手でマヤの首を掴むと、凄まじい力で締め上げた。


「わたくし、ちゃんと見ていましたの。どういう魔術かはわかりませんけど、あなたはわたくしの姿をしていましたわ。わたくしになりすましてアルヴァン様を油断させて罠にかけたわけですのね。お利口なことですわ……反吐が出るくらいに」


 紅い髪の少女は穏やかな声で語っていたが、マヤの首を掴む手の力はどんどん増していった。

 マヤは反射的に空気を求めてあえいだ。


「あらあら、ごめんなさい。ちょっとやり過ぎてしまいましたわ」


 紅い髪の少女はそう言って手を離した。

 マヤは両手を地面について、口を大きく開けると必死で息を吸い込んだ。夢中で呼吸していると、マヤは髪を引っ張られて無理矢理顔を上げさせられた。


 紅い髪の少女はマヤの口を手でふさいだ。

 再び窒息の恐怖に襲われたマヤは、口をふさいでいる少女の手を力一杯噛んだ。


 マヤの口の中に血の味が広がった。

 紅い髪の少女は手を離した。


 解放されたマヤは息を吸おうとして体の異変に気づいた。さっきまではあれほど呼吸が苦しかったのにいまはなんともなかった。それどころか体中に力がみなぎっていた。


「わたくしの血は薄めたものを口にするだけでもかなりの効果を発揮しますの。あなたはわたくしが目一杯魔力を込めた血を直接飲みましたから、とてつもない効き目が出ますわ」


 マヤが噛んだ手を眺めながら紅い髪の少女が言った。


「あなたはいわば不死身のような状態ですの」


 紅い髪の少女は嬉しそうに笑っていた。


「一体、なにをするつもりなの……」


 マヤの体はあまりに強い活力のせいで震えていた。


「なにって、あなたに苦しんでもらうに決まっていますわ」


 紅い髪の少女は指を鳴らした。


 マヤの体の中で、血が燃えたぎった。

 この世のものとは思えないほどの激烈な苦痛が全身を駆け抜け、マヤは喉が裂けんばかりに絶叫した。


「下品な声ですこと」


 紅い髪の少女はため息をつくと、再びマヤの口を手でふさいだ。ただし、少女の手は紅く燃える炎で覆われていた。


 灼熱の炎に焼かれ、マヤの口は溶けて開かなくなった。

 口を焼かれる苦痛はマヤからさらなる絶叫を引き出したのだが、口が開かないせいでその叫びが声になることはなかった。


「さて、もうあなた汚らしい顔も見なくてすみますわね」


 紅い髪の少女はじっくりと丁寧にマヤの顔を撫でまわした。マヤの顔は炎でどろどろに溶かされた。


 それでもマヤは生きていた。鼻も口も焼かれて息も出来ないのに、意識だけは鮮明だった。

 その鮮明な意識が認識しているのは、音と苦痛だけだった。


「それでは仕上げですわ」


 弾むような声がして、指が鳴る音がした。


 今度は外側からマヤの体が燃え上がった。


 体を舐めつくしていく炎が耳を塞いでしまうまでの間、マヤは少女の声を聞いていた。


「わたくしの姿でアルヴァン様を手にかけようとした罪を償うことなど出来はしませんわ。それでも、あなたには生きて償い続けていただかなければなりませんの。ですから、生ある限り、炎に焼かれて苦しんでくださいまし」


 マヤの体は高熱のせいで折れ曲がり、胎児のように丸まった。

 全身が黒く焼け焦げても炎は消えず、内側からも業火で炙られ続けていた。


 それでもマヤは生きていた。


 そして、苦しんでいた。


「心配することはありませんわ。わたくしが見守っておりますから」


 その言葉を最後に、マヤにはなにも聞こえなくなった。


 マヤに残されたのは、背負いきれない苦しみだけだった。

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