第63話 信頼の現れ

「やっぱりあなたは強いですね」

 アルヴァンがエイドレスを賞賛した。

「私も君ほど頑丈な人間は初めて見るよ」

 特に感慨も無く淡々とエイドレスが言った。


「アルヴァン様!」

 ヒルデが蹴り飛ばされてきたアルヴァンに駆け寄る。

「ヒルデたちもここにいたんだね」

「あの猫男に従うのは癪ですがそういう段取りですから……それよりもいったいどうしてアルヴァン様がエイドレスさんと戦っていますの?」

 ヒルデが聞いた。


「エイドレスさんとちょっとした行き違いがあってね」

 アルヴァンは困ったように頬を掻いた。

「アルヴァン、あいにくだが私の答えははっきりしているよ。私は君とは違うんだ」

 エイドレスが決然と言った。

「うーん、僕にはそうは思えないんですけどね」


「おい! なんてことしてくれたんだ! 計画が台無しじゃねえか!」


 想定外の状況が生まれていることだけは把握できたシグルがアルヴァンに怒鳴った。

「今からビョルクさんを人質にすればいいんじゃないですか?」

 興味なさそうにそう言うとアルヴァンは簒奪する刃を構えた。

「だそうだ。ボクらのリーダーは君たちへの興味を失ったらしい。悪いね、彼は楽しいことがあると夢中になってしまう質なんだ」

 事態を把握できていないシグルに向けてグレースが言った。


「どいつもこいつも!」


 吐き捨てるようにそう言うとシグルはビョルクを強引にひざまずかせ、その首に鋭い爪を突きつけた。

「おい! エイドレス・ライムホーン! こっちを見ろ!」

 シグルは声を荒げてエイドレスの注意を引いた。

「言われずともちゃんと目に入っているよ」

 エイドレスが臨戦態勢のアルヴァンに注意を向けつつシグルを見た。

「ビョルクのおっさんはこのシグル様が人質に取った!」

「見ればわかる」

 淡々とエイドレスが答える。

「エイドレス様、申し訳ありません、俺のせいでこんなことに……」

 己が招いた不始末にビョルクが涙を流す。

「ビョルク、君にもあとでいろいろと聞かねばならないな。だが、ひとまずは君を救い出さなくては」

「おいおい、領主様よ、俺様の見事な爪が見えねえのか?」

 これ見よがしにビョルクの首に爪を食い込ませながらシグルが言った。

 爪が食い込む痛みにビョルクはうめいた。


「シグルさん! お父さんは傷つけないって言ったじゃない!」

 エリンが叫ぶ。

「うるせえ! こんなのは傷のうちに入らねえよ!」

 シグルが怒鳴りつけた。

「…………そうか、そういうことか」

 シグルとエリンのやりとりを見ておおよその事情を把握したエイドレスがつぶやいた。

「なんだ、ずいぶんと理解が早えな。さすがはライムホーンの領主様だ」

 シグルが無理矢理に笑みを浮かべる。


「速いのは理解だけではないよ」


 エイドレスがかぶりを振りながら言った。

「ああ?」

 エイドレスの言葉を理解できなかったシグルが最初に感じたのは風が皮膚をなでる感覚だった。次に腕に熱を感じた。その次に来たのは体全体への衝撃。最後にやってきたのは轟音だった。

 シグルには何が起きたのかわからなかったが、もう一人の当事者であるエイドレスは人質であるビョルクの首に掛かっていたシグルの腕を切り落とすとともにその体を蹴り飛ばすという行為を一瞬で苦もなく遂行していた。


「お見事」

 アルヴァンが拍手を送る。

「お、ああ……」

 エイドレスに腕を切り落とされ、蹴り飛ばされて太い柱に激突したシグルが焦点の定まらない目でうめいた。

「アルヴァン、私と戦ったら普通はこうなるのだよ」

 エイドレスはため息をついてそう言うと、ビョルクを保護した。

 シグル同様、何が起きたのかわからなかったビョルクだったが自分がエイドレスに助けられたことだけは理解できた。


「エイドレス様……本当に申し訳ありません……」

 ビョルクが深々と頭を下げる。

「気にしなくていい。今はまだな……」

 エイドレスが言った。


「う、腕が……俺の腕があああ!」

 肘から先が切り落とされた右腕を見たシグルが絶叫する。

「あらあら、大変ですわね」

 ヒルデは泣き叫ぶ猫男をどこか楽しそうに見ていた。


「笑ってんじゃねえよクソ女! ぶっ殺すぞ!」

 ヒルデの顔に浮かぶ笑みを見てシグルが叫ぶ。

「口の利き方に気をつけなさい、今度は首を切り落としますわよ」

 劫火のような魔力をみなぎらせながらヒルデがすごんだ。

「…………」

 一瞬で力の違いを悟ったシグルは押し黙った。

「お嬢さん、下がっていてもらおうか。私は彼に聞きたいことがあるんだ」

 音もなくヒルデの背後に回っていたエイドレスがゆっくりと爪を振り上げながら言った。


「まあ、わたくし、狼に襲われてしまいますわ」

 嘆くようにヒルデが言った。

「ずいぶんと余裕があるな」

 強力な弓を引き絞るように獣の肉体に力を込めながらエイドレスが言った。


「だって、わたくしには王子様がついていますもの」


 溜めた力を解放して紅蓮の髪の少女に爪を振り下ろそうとした瞬間、エイドレスは黒い閃光に吹き飛ばされていた。

 強靱な狼の獣人は蹴り飛ばされた小石のように飛ばされ、部屋の壁を二枚ぶち抜いたところで停止した。


「ヒルデ、大丈夫?」

 簒奪する刃を振るったアルヴァンが言った。

「もちろん。助けていただけると信じておりましたわ」

 ヒルデはアルヴァンの方を振り向きながら笑って言った。

「そう」

 アルヴァンはそれだけ言うと自分が吹き飛ばしたエイドレスの方を見た。

「…………」

 それを見たヒルデは不満そうに頬を膨らませた。

「惜しかったね」

 不満げにアルヴァンを見るヒルデの肩をポンポンとやさしく叩きながらグレースが言った。

「こ、これは、アルヴァン様からのわたくしに対する信頼の表れですわ」

 肩を叩くグレースの手を払いのけてヒルデが言った。

「そういうことにしておいてあげるよ」

 ニヤニヤと笑いながらグレースが言った。

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