第29話 絡みつく不安

 執務室に衛士が駆け込む数時間前、領主の館がある高台に通じている広場では押し問答が続いていた。

「こちらは積み荷を改めさせろと言っているんだ」

「いいですかい、これは領主様が注文された荷物ですぜ。一体何の権限があってこんなことを……」

「我々衛士隊には貨物の検査を行う権利がある」

「それはそうですがね……」

 

 荷を運ぶ業者は臨検を要求する衛士隊長たちをなんとかかわそうとしていた。

 衛士隊が領主の館に運ぶ物資の臨検を要求しているという事実に都市の人々は困惑しつつも成り行きを見守っていた。野次馬の数は押し問答が長引くにつれて増えていった。


「中身は食料に調味料、それに衣服ですぜ。そんな者を今更改めていったいなんになるってんですか?」

 業者は媚びるように笑いながら聞いた。

「お前の言うことが本当に正しいのならば何の問題もないのだがな」

 衛士隊長は厳しい表情で言った。


 隊長のただならぬ様子に何かがあることを察した者たちが方々へ散っていき、人々を集め始めた。

 いつの間にか野次馬は黒山の人だかりとなっていた。

「そこまで言うってんならいいでしょう。後悔しても知りませんぜ」

 頭に血が上った業者はついに臨検に同意した。

 隊長は素早く衛士たちに指示を出し、積み荷を改めた。


 民衆は固唾をのんで成り行きを見守っていた。

「で、お前にはこれが食料や衣服に見えるのか?」

 冷め切った声で言った隊長が木箱の中から出てきた白い布で包まれたブロック状の荷物にナイフを突き立て、包みを破いた。

 白い包みの中からこぼれ出たのは茶色の粉末だった。


 麻薬だ。


 誰かがそう言った。

 その言葉は池に投げ込んだ石が波紋を広げていくように、広場に集まった人々の間に伝搬していった。


「そ、そんなはずはない! 何かの間違いだ!」

 取り乱した業者は荷物を改めている衛士たちを押しのけ、自分たちが運んでいた物が何であるかを確かめようとした。

 木箱の中にも樽の中にも業者が望んだ物は入っていなかった。

 ぎっしりと詰まっていたのは白い包みだけ。

 その包みの中身は薬剤を混ぜて固形状にした茶色の粉だった。


「こんなバカな! これは領主のグレゴール様が直々に注文した荷物なんだぞ!」


 業者が声を張り上げた。


 投げ込まれた二つ目の石が起こした波紋はさきほどよりも大きかった。


 領主様の荷物だと。


 麻薬を頼んだのはグレゴール様なのか。


 あんな大量の薬を。


そんな言葉がどんどん広がり、ふくれあがっていった。


「みな、聞いてくれ!」

 衛士隊長の声に広場はしんと静まりかえった。

「ここにある麻薬が領主の指示の元運び込まれたことは確かだ。そして、この情報を我々衛士隊に知らせてくれた方がいる」

 そう言って隊長が連れてきたのは中性的な顔立ちをした、短い髪の少女だった。


「わたしはグレース・コンラッドだ」


 その言葉に民衆は絶句した。グレース・コンラッドといえば先代領主の気が触れてしまった娘ではないか。


「そうだ、みなが思っているようにわたしは幽閉されていた。だが、それはある男の策略だったのだ。その男は秘密裏に麻薬の取引をしていることをわたしに知られ、口封じのためにわたしを投獄したのだ。その男とはほかでもない、兄であり現領主であるグレゴールだ」


 グレースは民衆の反応を見ながら言葉を続ける。


「投獄されたわたしは気が触れた振りをして眈々とグレゴールを告発する機会をうかがっていた。最近になってようやく決定的な証拠を掴んだわたしは衛士隊長の協力を得て、ついに今日に至った。諸君、遅れてしまって本当に済まない。わたしがもっと早くに動けていれば苦しまなかった者もいただろう、救えていた命もあっただろう。どうか、わたしを許して欲しい」

 グレースは涙を流しながら民衆に向かって深々と頭を下げた。

 

 静まりかえった広場に一つ拍手の音がした。

 

 手をたたく音は徐々に大きくなっていき、ついには広場全体に広がっていった。

 グレースはゆっくりと頭を上げると涙をぬぐった。

「遅れは取ったがわたしたちはやり直せる。この素晴らしい都市をみんなの手に取り戻そう」

 グレースの力強い言葉に広場は大きな歓声に包まれた。




 衛士からの報告を受けたグレゴールたちは館の窓から歓声に包まれる広場を呆然と見ていた。

「い、急がなければ……」

 慌てて部屋を出て行こうとするグレゴールの腕にヘクトルが手を掛ける。

「グレゴール様、落ち着いてください」

「どけ! ヘクトル! 早く真相を説明しなければ大変なことになるぞ!」

 グレゴールはヘクトルを振り払おうとした。

「もう大変なことになっちゃってますよ、グレゴール様」

 エドワルトが冷ややかに告げた。

 グレゴールは室内の面々を見渡して、ようやく自分以外がみな同じ表情を浮かべていることに気づいた。

「な、なにをやっているのだ! お前たちはコンラッド家が誇る三騎士だろう! こんなことであきらめるというのか!」


「グレゴール!」


 たまりかねたようにマクシムが言った。

「で、ですが父上……」

 マクシムの怒りにおびえたグレゴールはもごもごと言った。

「マクシム様」

 ヘクトルがマクシムをなだめる。


「館に通じる門を閉じろ、それと馬車の準備を急げ」

 エバンスは従僕たちに向かって冷静に指示を出していた。

「一体なぜこのようなことに……」

 現実を目に入れたくないというようにグレゴールは両手で顔を覆った。

「しっかりしろ! 領主のお前がそんな弱気でどうする!」

 マクシムが一喝する。

「しかし、父上、わたしには一体どうすればいいのかわかりません……」

「ひとまずは領民が館になだれ込むのを食い止めましょうかの」

 あごをなでながらローネンが言った。

「次に馬車を用意して隠し通路から脱出だな」

 エバンスが言った。

「囮の馬車を何台か用意しておきましょうか」

 エドワルトが提案した。

「そして、いったん同盟を組んでいる都市――シルトヴァインあたりですかな――に逃げ込みましょう。協力してくれるはずです」

 ヘクトルが言った。


「お前たちは……わたしを支えてくれるのか?」


 恐る恐るグレゴールが口にした。

「当然でございます。われら三騎士、コンラッド家に忠を尽くしましょう」

 ヘクトルが力強く断言した。

「グレゴール、自分を責めてばかりいるな。お前にはこんなにも立派な者たちがついているのだ」

 マクシムがグレゴールの肩に優しく手を掛けながら言った。

「お前たち……よし、パインデールをグレースの好きにさせるわけにはいかない! ここはなんとしても凌ぎきるぞ!」

「仰せのままに」

 コンラッドの三騎士はそろって頭を垂れた。

 マクシムは息子がようやく目を覚ましてくれたことに歓びを感じていた。

 追い詰められてはいたが、意気軒昂としている面々の中でただ一人、ローネンだけがある考えに至っていた。

 

 グレースはコンラッド家に反旗を翻せば、元帝国直属の魔術師である自分と帝国の精鋭と互角に渡り合えると言われるコンラッドの三騎士を敵にまわすことになるのを重々承知しているはずである。

 それはつまり、グレースは三騎士と自分をどうにかできる確信を持っていることを意味している。

 グレースが持っている確信の正体がなんであるのかがローネンは不安でならなかった

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