イエス伝・底辺からの救世主! -底辺で童貞の俺に神様が奇跡の力をくれたんだが-

中七七三/垢のついた夜食

第1話:右の頬を叩かれたので、左の頬を出したら神様に会った

 俺は30歳。多分。

 で、底辺の大工(テクトーン)というか日雇い。

 言ってみれば底辺の労働者。この下には奴隷しかいない。


 俺は、人生になんの希望もなく、アホウのように過ごしている。

 家はナザレというクソみたいな田舎なのだが、さびれて何もない。マジで。

 ほぼ自給自足の貧民の集積所と言っていい。

 ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)もないのだからどうしようもない。


 で、今日もナザレから歩いて近くのセッフォリスに仕事にいった。

 ナザレと違って道が舗装されているし、建物も立派。公衆浴場もいくつもある。おまけに水道完備だ。

 ローマ・ギリシャ的な様式美に染まった街だ。


 住んでいるのは俺と同じユダヤ人だ。

 しかし、金を持っている点が大きく違う。決定的に違う。

 簡単に言って貴族の住む街。俺の住むナザレ村とはえらい違いだ。

 ここには仕事があった。建築作業員の仕事。 


 というわけで、俺は今日もしがない日雇い仕事するわけだった。


「おら! 怠けず働け! 日当分以上に働いてお前らは一人前だ!」


 大工の親方がふんぞり返って言い放つ。

 俺は、日干し煉瓦の型抜きをしている。単調な作業をずっとやる。

 ゲシュタルト崩壊しそうな感じで。いい感じでトリップしそう。


 あとは、穴掘ったり、木を支えたり、雑用ばかりだ。

 30歳になってもこれだから、俺には嫁もこないのだろうと思う。

 当然、童貞。


 陽が傾く。夕方になったので、仕事が終わる。

 日当をもらえるわけだ。


「おい、オマエからだ。ナザレのイエス! ほら」


 俺は日当を受け取った。小さい銅貨が5枚あった。

 ジッと銅貨を見る。何度数えても5枚。


「親方」

「なんだ? イエス」

「日当は1デナルじゃないですか?」


 1デナルは銀貨1枚。小さい銅貨が10枚あれば1デナルになる。

 日当は1デナルというのは決まりだ。なぜ? なぜ俺は半分?


「オマエ、遅刻したろうが! ええぇ~」

「えー、ちょっとだけじゃないっすかぁ」


 確かに少し遅刻した。しかし、本当にちょっとだ。

 だいたい、時計もない古代のガリラヤ地方で細かいことをぬかすなと思う。


「約束は守ってくださいよ。これじゃ足りないっすよぉ!」


 俺は言った。金槌を右手に握りこんでだ。

 親方は油断なく、俺の右手を視界に入れていた。

 その攻撃を想定しているのだろうか。実際、金槌で殴るようなことはしない。これは脅しである。

『殴ったら、この金槌がどうなるか、分かりませんよ』ってことだ。


「この、バカ野郎が!!」


 相互確証破壊の概念すら理解できない古代ユダヤ人の親方が踏み込んだ。

 同時に、左のリードブローが唸りを上げる。


 ドガッ!!


 俺の右ほほに、親方のパンチが喰いこんだ。

 痛い。ズキズキする。

 マジか? てめぇ…… 


 倒れそうになる体を支える。

 ロクな物食ってないので、俺はガリガリだ。

 だが、魂(ソウル)は折れない。絶対にだ。

 

 俺は金槌を握りしめるが、これで殴ってしまうと、こっちが犯罪者になる。

 それはまずい。しかし、なんとしてもムカつく。

 くそ。払え! 日当払え!


 俺の怒りが肉の内側を破り、表情に現れたのかもしれない。

 親方の表情に微かな、怯えの色が見えた。

 ひひひひひひひ、持たざる者の恐怖を感じているのかい?


「よう、どうしたんだよ? へッ、親方さんよ」


 俺は金槌を持った手をプラプラさせ歩を進めた。

 他の日雇いたちも、息を飲んで見ているのを感じた。

 注目を集めるのは気持ちいい。 


「てめぇ…… ナザレのイエス? 狂ってんのか?」


 狂ってる? 

 そんなのはガキのころからよく言われたことだ。

 くそくだらねぇこの世界で誰が誰の正気を担保するんだい?

 オマエは人の正気を保証できるのかい? 自分自身もだ。


「どうしたんだい? 左の頬が空いてるぜ?」


 俺は不敵な笑みを浮かべ、左の頬を差し出した。

 金槌を持つ手をプラプラさせながらだ。

 いつでもカウンターを放てますよ、と教える俺。


「舐めるな! 小僧がぁぁぁ!」


 ブチ切れた表情で怒鳴る親方。

 今度は右のストレートが吹っ飛んできた。

 そのまま、俺の左ほほに喰いこむ。

 顎の骨がギシギシと軋みを上げるくらいのパンチ。


 俺はそのまま、意識を失った。

 死んだかもしれん…… ちょっとそう思った。


        ◇◇◇◇◇◇


 目が覚めるとなんか白っぽいところにいた。


「うぉぉ! なんだこれは! どこだ? 天国、神の国?」


 俺は思った。死んで天国に来たなと思った。


「いや、ちょっと違う。残念。まだ死んでませーん!」


 声が聞こえた。声だけ。ボイス・オンリーだった。


「誰?」


「吾輩はある。吾輩はあるという者だ」


「アル?」


「いや、存在という意味の「ある」だ」


「なにそれ?」


「端的に言って神。おま、聖書、読まないの? ユダヤ人だろ?」


「俺は字が読めねーし。なんか聞いたことはあるけど。神様なの?」


「みだりに吾輩の名を呼ぶな!!」


「じゃ、なんて呼べないいんっすか?」


「主がいいな。これにして」


 なにそれ?

 すげぇ、面倒くせぇ…… 

 つーか、神がいるってことは、ここ天国じゃないの?

 俺は死んだのか。大工の親方に殴られて死亡か。

 まあ、どうせウダツの上がらぬ底辺人生だしな。早々に天国来れれば勝ち組だろ。


「ちょっと、計画変えようと思ってお前呼んだんだよ。吾輩としては」


 俺の思考を神様の言葉が遮る。


「計画?」


「人類救済計画 改訂版」


「はぁ……」


 こっちは日銭で暮らしている底辺。なんか、人類救済とか言われても困る。

 つーか、ここ天国じゃねーのかよ。


「なんかさぁ、人類創ったんだけど。アカンよ。洪水で滅亡させても。街を炎で滅ぼしても、全然、悔い改めないしさぁ。律法も戒律も守らねェし…… どうしようかって思うわけだよ。全知全能の吾輩としては」


「そうっすか――」


「で、オマエやってよ。人類の救済。つーかやれ」


「えー、面倒くさいんすけど。つーか、なんで俺?」


 俺は思った。大体、救済とか何をやればいいのか、さっぱり分からん。

 あれか?

 最近、多くなっている預言者みたいに「世界に終末が迫ってます」とかいう活動するの?

 いやなんだけど。面倒だから。


「もう、拒否権ないから。で、いやがるイエスちゃんに特典もあります! 今ならチートな奇蹟を起こせる力をあげちゃいまーす!」


「奇蹟? なんすか?」


「うん、病気治したり、死人を蘇らせたり、パンや魚を増殖させたり、水の上を歩いたり、嵐を止めたりする力。欲しくない?」


「ありゃ、便利っすね。まあ、欲しいかっていうと微妙っすけどね」


「そうか! 欲しいか! やっぱな! よし! 頑張って救済して!」


 そう言うと声の主の気配がすっと消えていく。

 で、白く煙ったような周囲がだんだんと暗くなってきた。

 え?

 なんで?

 全然、コミュニケーションが成立してないような気がするんだけど?

 神?

 マジで神なのか?


 そして、俺の意識がまた遠のいた。


「イエス! イエス! ナザレのイエーース!! 大丈夫か!」


 うすっらと目を開けた。

 なんか、大工の親方の焦りまくった顔が視界に飛び込んできた。アップで。

 

「おお! 気が付いたか! やべぇ…… 死んだかと思った。俺の右ストレートもろだったからなぁ」


 俺は頭を振って立ち上がった。

 顎の骨がなんか痛い。まだ痛かった。


「親方、日当――」


「分かった。プラスして1デナル銀貨をやる。さっきのは返さなくていい」


 そう言って俺に、銀貨を握りこませた。

 まあ、いくら底辺の労働者とはいえ、殴り殺してしまったらタダでは済まないのだ。

 俺が死んだと思っていたら、生き返ったので、安心したのだろう。

 そう考えると、この親方もそんなに悪人ではないのかもしれんな。


「ああ、ありがとさん。親方」


 俺は銀貨を受け取った。

 要するに、右の頬を打たれたので、左の頬を出したら、神様に出会って、日当も1.5倍になったということだ。

 これは、結果オーライなのか?


 釈然としない物を抱えながらも俺は家路についた。

 極限ド貧民村であるナザレに帰るのだった。

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