第26話 月に願いを架けて私は虹を渡る

予言者の谷を出発してから一ヶ月。

進軍は不気味なくらい順調だ。


やはりどの都市にも女人狩りに対抗する組織は多く、

それを吸収し、解放軍はどんどん大きくなっていった。

このまま明日には、いよいよ王都へと乗り込む……


あまりにもとんとん拍子に話が進み、

ユメコは妙な不気味さを感じていた。

神の本に書かれていた、

シナリオ通りに事が進んでいるからだろうか。


王国が滅びると、神の本には書かれていたけれど。

もしエビルを倒せたとして、その先はー……?


決戦前夜、ユメコは眠れずに月夜を眺めていた。




「おいユメコ、まだ寝ないのか?」


陣営から少し離れた喧騒の外にいるユメコを、

ツカサは簡単に見つけてしまった。


どうしてツカサには、

私の居場所がすぐに分かってしまうんだろうか……


「少し夜風に当たってただけだよ。

 なんだか眠れる気がしなくて」


「そっか。

 なら俺も付き合う」


ツカサはユメコの隣に腰を下ろすと、

その視線を追いかけて一緒に夜空を見上げた。

柔らかにそよぐ小麦色の髪は、

月の光を映し込んだかの様に優しく輝いている。

静かな風がサラサラと、そこに櫛を通していった。

その美しい横顔に、ユメコは先ほどの答えを見つける。


今日は満月だから、一緒に居たくて……

私がツカサを呼んでいたんだ。


「月が綺麗だな」


「うん……

 いよいよ明日が、最後の戦いだね」


「あぁ、そうだな……」


見上げれば宙には星が溢れていて、互いに瞬き合っている。

あの月は、ひとりぼっちで寂しくないのだろうか?

闇夜を照らす事だけが、本望ではないだろうに……


「本当に明日、一人で大丈夫なのか?」


戦いの鐘が鳴れば、ユメコとツカサは離れ離れだ。

ユメコはツカサたち解放軍の皆が戦っている隙に乗じて、

エビルのいる宮中へと単身で忍び込む。

それが最後の作戦だった。


ユメコは空から目を逸らし、闇に紛れた足元を見つめる。

この足は、最後に辿り着くまで止まらずにいられるのだろうか?


運命は壮大で留まる事を知らず、

駆け抜けるには自分の足なんてガラスの靴みたいに脆く感じてしまう。


シンデレラはそんな足でも、

いつか迎えるハッピーエンドの為に、真夜中を走りきってみせたのか……


物語の主人公は強いな、とユメコは改めて思う。

私みたいなオタク側の人間には荷が重い。


「無理するなよ。

 やっぱり俺は、お前と一緒に……」


「大丈夫だってば! 一人の方が目立たないしね。

 オキタくんとフローラちゃんがいるから平気だよ」


そう言ってユメコは、力こぶを作るようなジェスチャーをする。

ツカサには心配をかけたくない。

それに、戦いの鐘で魔法が解けてしまうのが怖いだなんて……

そんな夢見がちな事を言ったら、ツカサに笑われそうだ。


「お前はほんとに強いな。俺が用無しにならないか心配だ」


「何言ってるの、必要に決まってるじゃない。

 ツカサがいなくなったら、私は……」


また一人ぼっちになってしまう。


そう考えた瞬間、失った面影が脳裏を過ぎった……

気丈に張り詰めていた琴線が震える。


最後に笑い合った日の夜を、月明かりが蒼白く映した。

あの日も私は、寝付けなくて……


過ぎ去りし時に、私はレイの事を待っていた。


ユメコは涙が溢れない様に、天を仰いだ。

頭上では流れ星が幾たびも弧を描いている。

もし願えば、叶うのだろうか……


けれどユメコにとっては、

彼こそが流れ星みたいな人だった。

消えないでという願いだけは、決して届かない。


消えるまでに、というのが流れ星の定め……

消えなければ叶わない願いなんて、残酷だ。


そんな事を考えて、ユメコは思わず苦笑いを浮かべる。


一生背負ってと言われたが、

本当に忘れさせてくれないんだな……


「またあいつのこと、考えてたんだろ」


ツカサはそういうと、ユメコに寂しそうな眼差しを向けた。

月光がツカサに、薄暗い影を落とす。

伏せたまつ毛が艶めいていた。


月影にも呑まれずに尚いっそう輝く蒼い瞳が、

ユメコの中にレイの面影を捉える。

まるで心を透かされているみたいで、

ユメコは慌てて取り繕った。


「ちょっと思い出しただけだよ!」


「ったく、ずるいよなあいつ。

 いなくなられたんじゃ、喧嘩を売る事も出来ねぇ」


「ははは、二人の喧嘩とか大変だったろうな……」


ため息を吐くツカサを眺めながらも、

ユメコはレイとオキタくんの喧嘩を思い出す。

そんな未来もあったのだろうか。

本当に、その未来はなかったのか……?

あの日の事が、頭から離れない。


ユメコはレイの右眼に掠めた手を、グッと握り締めた。

彼の全てを奪い盲目にしたというのに、

未来を願うだなんて決して許される事ではないのだろう。


「……あいつと戦ったこと、後悔してんのか?」


「ううん。私が戦わないといけなかった。

 それは間違いない。だけど……」


レイと出会った時から、今までの事を思い出す。


異世界に来てからずっと、いつも一緒にいてくれたのはレイだった。

なんだかんだ言って、レイはいつも私の事を守ってくれた。

レイがいなければ、私はここまで辿り着けなかっただろう……


殺そうとする位なら、私の事なんて助けなければ良かったのに。


「……殺させてすら、くれなかったな」


罪の感触からすらも、レイは私を守った。

私は最後まで、レイに守られてばかりだった……


どうしてもっと早く気付かなかったのか。

どうしてもっと早く教えてくれなかったのか。

どうしてもっと早く伝えられなかったのか。


もしレイが、素直に想いを告げてくれていたのなら。


私は一体、なんて答えたのだろう。


「……良い奴だったんだな」


ツカサがレイの事を認めてくれて、嬉しかった。


明日には別々で命懸けの戦いに臨むというのに、

他の男の話なんて、普通に考えたら有り得ないだろう。

だけどツカサは、レイの事を背負っている私ごと受け止めてくれる……


それはユメコがツカサにそう定めたせいなのかもしれない。

ツカサに表現で魔法をかけたのは、ユメコの罪だ。


けれどレイと出会った時、彼にはユメコの表現が届かなかった。

ツカサには効いたのに、何故レイには無理だったのか……

あの時は分からなかったけれど、今のユメコは何となく察している。


それがきっと、定めというものだった。


「ねぇ、ツカサ……」


ユメコは改めて、最後の決意を固める。

それは絶対に目を逸らさないという、覚悟。


もし全て、神様が決めた事だというのなら……

私はツカサと一緒に、この運命を背負っていく。



「いつもありがとう。大好きだよ」



それは決して夢ではなく。


ユメコが初めて人に伝える等身大の言葉だった。


気持ちを分かち合おうとするだけで、

何故こんなにも泣いてしまいそうになるのだろう。


不意にリンさんの言葉が、ユメコの頭を過ぎった。


明日から、最後が始まる。

気持ちはしっかりと伝えておかなければいけない。

決して後悔のない様にしなければならない……


ユメコはその意味が、やっと分かった気がする。


伝えなければ、想いは届かない。

気持ちは掻き消されてしまうかもしれない。


だからこそ、残す。描く。言葉にする……


特にこんな月夜の晩は尚更だ。

きっと一生、忘れる事はない。



「俺も、ユメコの事が大好きだ」



月光に照らされる、まっすぐなツカサの笑顔。


ツカサの背に、空から満天の星が降り注いだ。

胸から溢れて止まらない、この色彩はなんだろう……


ユメコはツカサの蒼い瞳を覗き込み、その世界で宙を描いた。


募る想いが星空に届き、月夜を越えて虹を架ける。

その下に流れるのは、天の川だろうか。

何者でも抗えない、運命の渦が見えた。


けれど決して飲み込まれたりはしない。

私はツカサと、生きて一緒に虹を渡る。


「私の傍に居てね……」


未来がどうなるのかなんて、きっと神様しか知らない。

過去への懺悔だって、決して拭えるものではない。


けれど今ここで、

私たちが見つめ合っているのは真実だ。

それだけが世界の全て……

その愛おしさを糧に、

今なら神様だって倒せそうな気がした。


「……なぁ。俺、ちゃんとお前に誓いたい」


いつか聴いた言葉が、耳元で囁かれる。

ユメコにはもう、受け止める覚悟が出来ていた。


誓いたい。誓って欲しい。

決して離れる事はないと。

私の全てを、抱きしめて……


「忘れるなよ。

 明日何があったとしても、

 お前はいつだって一人じゃない。

 必ず俺が傍にいる。その事を、忘れるな……」


二人の影が重なった。

それはほんの一瞬で、そして永遠だ。


星々のスポットライトに、望月の映写機。

紡がれた想いが色褪せず、鮮やかに……

刻まれていくのをユメコは感じる。


それはもはや、神にすら書き換える事は出来なかった。

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