第二十八夜 分かれ道


 川嶋先生は、少年自然の家の正門で、オリエンテーリングに出かけてゆく五から六人一組の班を一つずつ見送っていった。


「他の先生たちは、みんなが迷ったり、具合が悪くなった時に助けてくれるようにこの地図の☆の印の辺りにいるからな!」

 随分と手厚い。


「無理しないように。少しでも困ったことがあったら、すぐに先生に言うんだぞー!」

 川嶋先生は生徒を安心させるためにそう言ったが、今考えればこれだけ広大なエリアをくまなく見張れる訳もなかった。


 オリエンテーリングとは、地図を見ながらコース上のどこかに設置された「ポスト」に描かれたアルファベットや数字を書き写して帰ってくるというゲームだ。


 コースの距離は五キロメートルだ。地図とコンパスを頼りにポストを探し当てながら走破する。


 地図の上では簡単に見えるが、地図は実際の地形を平面に記号化したものだ。


 地図にはない無数の情報が補完するどころか、むしろ頭脳を混乱させることがあるんだとその時実感した。


「誰がリーダーやるんだ?」

 川嶋先生が俺たちに聞いたので、脊髄反射的に

 、

「オレがやります!」

 と答えてしまった。


 すると、双葉がーーその時はそんなに仲が良かった訳ではなかったんだがーー 


「なんで禎元がリーダーって決まってんだよ」

 と文句を言う。


「まあまあ、ここはじゃんけんでもしたら?」

 雄二がそう提案してきた。


 先発した班からインターバルの3分が経った。

 先生が腕時計を見ている。


「わかったわかった、好きにしろよ!」

 俺は双葉にリーダーを譲った。


 なんだか今日はベッドにリーダー、譲ってばかりたな。


「禎元くん、大人だね!」

 奈央が瞳をキラキラさせて話しかけてきた。


「お、おぅ、」

 ダメだ。奈央とはうまく話せねえ。


 それどころか、顔もまともに見れない。


 それに、自分に弱さとか、コンプレックスみたいなものがある事を自覚したから。


 双葉にリーダーを譲ったのは「市議の息子」の無言の圧力に負けた。それだけだ。


「よし、お前たちで最終組だ。気をつけてな。六人で協力しあって頑張れよ!」

 先生に促されて俺たちは出発した。


 正門をでて、歩道のある市道を南に歩いてゆく。


 遠くに先発した前の班が見える。周囲は開けた畑だ。


 やがて森が見えてきた。


 先発の班は、森の中へ続く小径に入っていったようで、既に姿が見えなくなった。


「おい但馬、前の班は左に曲がっていったみたいだけどそっちでいいのか?」


「多分な」

 オレと双葉はわだかまりが解けていない。


 麻里奈が機転を利かせて言った。


「リーダー、まずは地図を見ようよ。荒巻くんが持ってるでしょ?」


「お、お、オレの出番だ。一番目のポストはやっぱりあの細い道に入っていった方が良さそうだ」

 雄二が地図をみんなに見せながら言った。


「でも、順番って守らなきゃいけないの?」

 と奈央。


「確かにそうね。三番目のポストから回った方が高いんじゃないかしら」香織が提案する。


「但馬、お前が決めろよ。リーダーなんだし」

 双葉はそう言ったオレをチラッと睨んで、


「先生は全部のポストを回って早く帰ってきた班が優勝って言ってた。それだけだ。俺たち、優勝したいか?みんな?」


「オレはしたいよ」

 と雄二。


「女子はどうなの?」

 双葉が聞く。


「早い、って事は距離も短いって事じゃない?」

 麻里奈はコンパスを地図に当てている。


「じゃあ決まりだ」三番ポストから攻めてみようぜ!」


 森に続く小径への分かれ道を無視して、俺たちは火の見櫓がある方に市道を進むことにした。歩道はいつのまにかなくなり、道自体も細くなった。


 何分かに一台、車が通るが、同級生や監視役の先生の姿も見えない。


 火の見櫓は二股に分かれている道の分岐のところに立っている。鋭角に右の方に曲がると、一番目のポストが見つかった。


「あった!あったよ!」


「麻里奈!なんて書いてある?」

 奈央が叫ぶように聞いた。


「ローマ字で『M』だって!」


「香織、書いたか?」

 オレは解答用紙を持っている香織に声をかける。


「書いたわよ」


「いい感じじゃん、俺たち」


「荒巻くん、次のポストなんだけど」

 香織が地図を見せるように促す。


 双葉も覗き込む。


「次は八番だね」


「じゃあ、八番に行こう!目印は…これなんて読むの?」

 双葉に同意した奈央が聞く。


相楽さがら橋だよ。増尾川の方か」


「よし、行こう!みんなをびっくりさせてやろうぜ?」

 反対周りみたいな行程になりそうだった。まだ一番最初に出た班も八番目には行っていないだろう。


 オレたちはみんな先生に『ポストは順番に回る事』と言われた事を覚えていなかったんだ。

 誰もいないし、先生も居ない。


 今思えば俺たちはもっと人を疑うべきだった。相楽橋に差し掛かる直前、こんな所に人が歩いているなんてちょっと考えればおかしな事だったんだ。


 日に焼けた、太い腕を半袖の白いカッターシャツから覗かせていた男は俺たちに声を掛けてきた。


「やあ、君たち。何やってるの?どこに行くんだ?」

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