183
地底湖。そこに先ほどまで戦っていたデーモンの姿はない。
残っているのはデーモンが残す
俺はオーロラが死んだ場所に向かって特化聖印ではない聖印を片手に神に祈りを捧げた。
「騎士オーロラの死後が、善きものでありますように」
月神には祈らなかった。死者の裁定者たるヤマに祈っていた。
その最期がデーモンであったとしても、騎士オーロラは数々のデーモンを滅ぼした偉大なる騎士だ。
ゆえに、せめてその死後が善きものであることを俺は祈ろう。騎士オーロラが帝王の行ったおぞましい計画に関わっていただろうことは確かだが、俺と彼は一騎打ちの果てに決着をつけたのだ。
憎しみで戦ったわけでない以上、安寧を願うのは、勝者の義務だった。
祈りを終え、立ち上がった。瘴気は晴れている。一時的だが、聖域を張るチャンスだった。
(どこがいいか……)
水は澄んでいるが、野営の基本として水辺は危険だ。少し離れた位置に設置しよう。
(どちらにせよ、ここの水を使う気にはなれないしな)
穢れたダンジョンの水だ。飲めば体内から汚染される恐れがある。
そうしてしばらく良い場所を探し、スクロール片手に、祈りと共に聖印を消費して聖域を張った。
(さて、奴は何を残したのか)
そうして俺はオーロラが死んだ場所へと戻っていく。
(ソーマ、
山ほどではないが、それなりの量の金貨は道具の補充に役立つだろう。
ソーマもまた今後の戦いで必要になる。
そして、ナイトの白駒。相変わらず神秘一つ感じない不気味な駒を俺は駒ケースにしまうと、袋に収めた。
そうしてから、俺はゆっくりとそれを手に取った。
「聖具、冷たき月光……残ったのか」
神秘に満ち溢れた聖具が地面に突き刺さっている。
俺との戦いで折れたそれが、刀身を復活させ、デーモンの取得品として残っていた。
もちろんオーロラが使っていた時とサイズは違う。
メルトダイナスが奪われ、オーロラに取り込まれ、俺の身長を軽々と越えていた大剣は、今は俺に適したサイズへと姿を変えている。
デーモン『山脈断ちのオーロラ』の強大な瘴気によって鍛えあげられたのだ。
引き抜く。重い。大剣に相応しいずっしりとした重量が腕にかかる。
「美しい刀身だ……」
冷たき夜の、月の光のごとき刀身だ。氷のように冷え切ったそれに指を這わせ、感触を確かめる。
(良い剣だ)
大剣を一度振るってみる。重い。だが使えないほどではない。もう少し確かめるべく聖域から少し離れ、いくらか振るう。
「なるほど。大剣だ」
爺にはあらゆる武具の術理は叩き込まれている。その中には大剣の術理もある。貴重な聖具だ。
(……あれはできるか?)
オーロラが使っていた飛ぶ斬撃。俺にも使えるかと大剣を確認するが
(メルトダイナスが使ったか? それともオーロラに取り込まれた時に使われたか?)
あの石自体は貴重だが、とてつもなくというほどでもないからどうでもいいが……。
さて、じゃあ飛ぶ斬撃はどうやって使っていたのか。
オーロラの仕草を思い出す。
「祈り、か? アルトロへの?」
祈ってみる。正解だった。
だが斬撃を飛ばすには足りない。
さらにアルトロに強く祈る。刀身が光を強く発する。強く、強く祈る。右腕にも魔力を込めて聖女の腕を反応させる。
だが、どうにも足りないようだった。
「ううむ、こりゃ無理だな」
祈りすぎて頭に熱がこもるほどに祈ってみたがどうしても信仰が足りない。湖の指輪まで身につけていてこれだ。やはり俺に信仰の才能はない。
「いずれ、か」
戦いが激化していけば、今以上に奇跡にも頼ることになるだろう。その先でアルトロへの信仰が高まれば、きっと使えるようになるはずだ。
「だといいが」
最後に大剣を一度だけ振るった。
オーロラを殺し、奴の記憶の欠片を受け継いだからだろうか。
少しだけ、剣の技量が上がっているような気がした。
◇◆◇◆◇
(さて、休む前に少し調べておくか)
地底湖は通路から繋がる小島のような陸地を湖が囲むような地形だ。
それなりに広いがあくまでそれなりで、とてつもなくというわけでもない。
デーモンの気配はないが、探せば長櫃の一つぐらいは見つかりそうな地形だった。
「天井は閉じられている、か……」
オーロラが死んでも閉じられた天井はそのままだ。きっとこの先もこのままなんだろう。
「む、あったな」
窪地のようなところで一つ長櫃を見つける。中には液体の入った瓶が入っている。
「水薬か? こりゃ猫の鑑定がいるな」
見たことのない水薬だった。強い神秘を感じるが……わからんな。
相も変わらず文字は読めない。簡単な文字ぐらいは読めた方が便利なんだろうが、戦闘以外で頭を使うのはどうにも頭がむず痒くなる。
「あとは……」
湖の中に長櫃が沈んでいるのが確認できた。ざぶざぶと鎧のまま中に入って引きずりあげる。
陸地に置き、中を確認する。
「……なんだこりゃ」
長櫃の中には炎の結晶のようなものが入っていた。
何かの道具だろうか。絹布に包まれた水晶の中に燃える炎が閉じ込められている。
本格的にわからない。聖具か神器の類かもしれない。俺もいろいろと道具については覚えてきたが、あまりにも特殊すぎるものは範疇外だ。
「猫の鑑定が必要だな。……だが、まぁこんなもんか」
拾った道具を袋に入れ、聖域に戻ってくる。
周囲の危険は確認した。これでゆっくりと休めるというものだ。
オーキッドからもらった弁当とワインを取り出す。
「月神よ。戦いへの助力を感謝する」
アルトロに祈りを捧げると、むしゃむしゃと食べ、ごくごくと飲んでいく。
「相変わらずオーキッドの弁当は
どんどん腕が上がっている。加護のかかった新鮮な肉や野菜をパンで挟んだ料理は疲れた肉体によく染み入る。
パンを咥えながら、ついでに装備の確認も行う。兜や篭手を脱ぎながら、鎧の胴を地面に置いて中を見て、口を呆然と開いてしまう。
「これは、あぁ……」
オーロラにやられた時のものだろう。鎧の内側には俺の皮膚や肉片や内臓が潰れてこびりついていた。
「ううむ。布で拭えばいいか?」
いや、水洗いした方がいいな。ところどころ破損もしている。地上に戻った方がいい。とりあえず肉片を全部掻き出し、袋に仕舞ってしまう。
洗いもせずに爺さんに預けたら絶対に文句を言われそうだ。
ハルバードも軽く見て、やはりドワーフ鍛冶によるきちんとした修繕が必要だと判断してから袋に仕舞う。
そうしてから弁当の残りを腹に収め、ワインの残りを飲み干す。
「……さて、地上に……」
肋骨のネックレスを手に取ろうとして、ないことに気づく。
「ん、んん?」
いや、あれ? ない?
「いやいやいや、待て。待て待て」
帰還のスクロールはあるので帰還は可能だが、そういう問題ではない。
馬鹿な。戦闘で落としたか? オーロラと戦う前にはあったはずだ。戦いの最中にも気配はあった。温かさはあった。
いや、今も――。
――
ふと、自分の体を見下ろす。肉体のそこかしこに聖撃の聖女様の力を感じる。
「まさ、か……」
戦闘の流れを思い出す。
「まさか……いや、そんな、だがこれしか……」
オーロラの月光で砕けた聖女様の骨が、俺の体内でソーマによって融合した?
その想像は、今の状況に合っているが、それにしたって。
「ま、まずい。ふ、不敬にすぎる」
月の聖女シズカの血の刺青だって、俺の気分は別として、月神の信徒からしてみたら嫉妬で殺したくなるほどの栄誉なのだ。
そのうえ、聖撃の聖女様の骨を、肉体に取り込んだ?
指を開いて、閉じる。手のひらを腹に当て……――。
「いや、やめておこう」
腹から骨を引きずり出そうとも考えたが、聖なる気配は肉体の全域に散らばっている。
取り込まれた骨の破片が散らばって体内の各所に埋まっているのだ。これはもう、俺の全身から肋骨の破片を摘出するよりも、聖女様に自身の肋骨を癒やしてもらった方がどう考えても良い。
それで聖骨からは力が失われ、俺の不敬も、いや、不敬であることは変わりないんだが……。
「……帰るか」
とんでもないことになってしまった。
怒られないといいんだが……。
だがこういう状態でも、この瘴気の深い地で聖撃の聖女様が与えてくれる温かさに変わりはない。
俺は、寛大に許してくれればいいなと願いながら、帰還の奇跡を願うのだった。
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