102


 ひゅ、と息を吐く。先の一瞬前まで胸のうちに溜まっていた怯えや震え、悲しみを一息に吐き出す。

 吸う。腹のうちで轟々と燃える怒りの劫火に息吹を注ぎ込んでいく。

 そして、敵を観察する。

 俺の周囲を大蛇のように旋回する巨大な茨。周囲で咲き誇る青い唇のような花弁。嗤い声。あざけりの歌。そして、茨を越えた眼前にある、巨大すぎる蒼き薔薇デーモン

 変態を終えたのか、先とその姿は違う。ただの薔薇ではない。その花弁の中央には人外の美を持つ金髪の女の裸体がある。顔は見えない。しかし真っ白なヴェールで顔を覆った女は神に祈るがごとく両手を組んでいる。

 なんとも悪趣味な姿。その女の姿がリリーに似ているのは、先の俺の絶望を啜り喰らったデーモンの趣味か。


 ――殺してやる……。


 薔薇たちは嗤っている。俺を攻撃する素振りも見せない。ただ嗤い。嘲り。じろじろと幼き獣が獲物をなぶるがごとき視線で俺を見ている。

 知恵ある強きデーモンがよくやるという無様すぎる巨大な隙だ。獲物にまず抵抗させ、その後に圧倒的な力で踏みにじり、心を折る。

 爺に聞いた、デーモンの習性。このダンジョンのデーモンたちが持っていなかった習性。

 俺が戦ってきた奴らは、敵を前になぶり殺す遊びをしても、こんな間抜けな隙を見せはしなかった。


 ――こいつは、俺を知らないのだ。


 数多のデーモンを屠り続けてきた。

 俺はデーモンの死神であった。

(敵の姿は確認した。リリーとの接触の経験から敵の特性は身体で覚えてる。茨が主な攻撃方法だろう。そして毒。これも気をつけるべきではあるが、問題はない)

 ぴッ、とリリーの人皮に切れ目を入れ、皮の下に埋まっていた蟷螂の指輪を引きずり出し、外す。そして、指輪箱から取り出したベルセルクの指輪を身に着けた。もう片手にはヤマの指輪がある。植物相手には炎はよく効く。変える必要はない。

(俺の毒に対する耐性は高い。呪毒で殺されることはない。あとは、花の君。奴は魅了の術を使うと聞いているが)

 心臓の上には聖女様の肋骨があり、俺の腕と顔はリリーの皮膚で覆われている。双方、共に俺を魅了から守るに最適の暖かさがある。

 なにより。

 リリーが破裂した瞬間を思い出す。怒りがまざまざと浮かび上がってくる。腹の底から激情が溶岩のごとく噴出する。

 俺の心は今もあの瞬間、あの場所で泣き喚いていた。

 俺の心はひび割れて、穴だらけで、どこにもなくなってしまった。

(俺の心は、過去にある)

 今ここにいるのは、辺境人ですらない、ただの復讐者だ。

 まだデーモンは嗤っている。しかし、その嗤いもだんだんと収まってきている。茨は収束し、俺を捉えようと鎌首をもたげていた。時間はない。戦闘が始まろうとしている。

 怒りはいますぐにも駆け出したがっている。だが、まだだ。まだだ。

 未だ、準備は終わっていない。しっかりと、奴を殺す段取りをつけよう。

 袋に手を突き入れる。取り出すのは薬瓶。手刀で瓶の口を破壊し、がぶがぶと中身を飲み干す。

 肉体強化の水薬。こいつは飲み干すことで、短い時間だが尽きることのない体力を得られる魔法の薬だ。

 瓶を投げ捨てる。

 息を大きく吸う。

 オーラを練る。茨が俺を捉えようと迫ってくる。

(鎧、半壊。盾、なし。水溶エーテル、なし――)

 口角が釣り上がる。茨は目前。ほぼ触れる距離。

(ソーマ残2。体力気力魔力は全快――)

 口から獣臭が漏れる。今か今かと待っていた憤怒が肉体と共に動き出す。手が腰の剣に手をかける。

(――炎剣。ここにあり!!)

 炎が轟と燃える。存分に猛れ、と炎剣の中の英霊が叫ぶ。

「おぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 その瞬間には踏み込んでいた。腹の中の怒りを音にして叫んでいた。ベルセルクの自力発動。肉体から相応の体力が失われるも、水薬の効果がある。肉体は倒れない。刀身が軋むほどの炎を炎剣は迸らせ、全力の一閃。轟音。

 花の君デーモンの驚愕の気配。同時に、周囲にみなぎっていく殺意。

 敵もまた、本気になったのだ。

 だが俺は既に、茨の包囲を真正面からぶち抜いて、奴を殺す為だけに駆け出していた。



「ふッ!!」

 駆ける。駆ける。蒼き薔薇。デーモンの本体へと駆けていく。

 俺を止めようと茨が高速で向かってくる。袋に手を突きこむ。取り出すのは半魚蟲人が落としたギザギザ刃の長剣だ。

 片手に炎剣。片手にギザギザ刃。二刀を振り回し、絡みつこうとしてくる茨を叩き斬りながら突き進む。

 太く鋭いデーモンの茨だ。普通の斬撃では容易には断ち切れぬ。しかし、幽閉塔での経験が役に立っていた。

 地を踏む足の一歩一歩が体内で渦を巻き、力へと変わり、そして両の手に持つ剣へとオーラを充溢させていく。

 消費するオーラの量は多大だ。しかしその全ては水薬の力によって使う端から補充されていく。

(とはいえ、使えば使うほど水薬の効果時間も減っていくだろう。ベルセルクを一度使った以上は、もう、それほど時間は残っていない)

 それでもよかった。目前に、いるのだ。敵が。デーモンが。仇が。


 ――花の君が。


 青き薔薇。しかし伝説で蒼穹のようだと謳われた神の薔薇はそこにはない。

 そこにあるのは、花弁の一つ一つがまるで巨大な死人の皮膚のような、青褪めた不気味な食人植物と、その中心にて手を組み祈る女の形をしたデーモンだ。

 駆ける。駆ける。駆ける。

 迫りくる茨を叩き斬る。俺の進路を塞ぐように、地中から生えた花弁の頭を持つ花人形デーモンを蹴り倒し、それを踏み台にして宙へと跳ねる。

 地より蛇がごとく迫りくる無数の茨、宙空にてそれを切り飛ばしながら俺はそれを踏み台にして更に花の君へと迫っていく。

 鎧がほとんどぶっ壊れているのが幸いしていた。流石にあんな重しをつけては、こんな曲芸のような真似はできまい。

『ギィ、ギィイイイイイイイイイイイイイイ!!』

 絶叫。迫りくる脅威に対して花の君は高らかに叫ぶ。俺を殺せと絶対命令を下す。

 地中から次々と花の君の配下たるデーモンが沸いて出て来る。無量に生まれる毒の花の兵たち。殺意と敵意と悪意で作られた花人間デーモン

「うるせぇ。死ね」

 宙空にて身体をひねる。デーモンを生み出した一瞬の隙。炎剣を鞘に収め、ギザギザ刃の長剣を袋に叩き入れ、取り出すのはギザギザ刃の槍。

 地に足がついていなくとも、怒りが俺の身体よりオーラを引き出す。

 槍身が白熱するほどのオーラを叩き入れる。魔鋼が熱を持ち、煙を吹き上げる。

 武器へのオーラの過剰供給。

 花の君の身体は、薔薇で、祈る女は目を閉じている。

 奴に俺を見る目はない。

 しかし、花の君が俺をた。俺もまた、奴をずっと見ていた。

 絶叫。槍を止めるために宙空の俺へ新たな茨が次々と繰り出される。

 おせぇよ。

 全身の力で、弓を射るように槍を投げ入れた。

 爆音が轟く。俺の身体が落ちていく。袋からは既にギザギザ刃を取り出し俺は駆け出している。

 迫りくる茨。切り飛ばし、前に。前に!! 俺の前には花の君がいる。

 祈る女の身体には投げ入れた煙を噴く槍が突き立っている。花弁のほとんどは消失している。

 それでも致命傷にはまだ遠い。周囲の瘴気を吸い取り、再生が始まっている。

 わかっている。あれほどのデーモン、どうあっても俺では一撃では殺せぬことを。

 あれはほんの挨拶だ。茨を切り払い、花人間を炎剣で一刀の元、断ち斬り、俺は着々と敵へと近づいていく。



 目に映る周囲の景色はまるで伝説に歌われた花の君の都のようだった。

 空は茨に覆われ、死臭と腐臭が嗅覚を殺す。

 毒の瘴気が肺を爛れさせ、魅了の呪術が心を犯す。

 配下たる花の人形は無数に徘徊し、生者のことごとくは磔にされ死ぬ。

 だが絶望は感じない。

 それら全てに打ち克ち。

 必ず奴を殺す。


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