059


「私の騎士様。私、もっとこの場所を知りたいわ」

 鬱蒼とした不気味な木々に囲まれた森の中、にっこりと微笑んだエリザは狩人に森の案内を頼みました。

「わかりました。姫様。少々失礼致します」

「まぁ、何かしら?」

 狩人は姫の腰を恭しく抱くと、傍らで尻尾を振っていた月狼の背に優しく乗せるのでした。

「貴人たる貴女の御御足を森の土で汚すわけには参りません」

「あら、私は民のためなら土仕事でもやる自信はあるのよ?」

 狩人の言葉にぷくりと頬を膨らませた姫に対して、狩人は敬意を込めていいました。

「ならばこそです。ならばこそ我らはそのような貴き姫の為にどのようなこともいとわないのです。姫よ。どうか我が従僕に貴女の足となる栄誉を与えてくだされ」

 そこまで言われてしまえば姫は鷹揚に頷く他ありません。

 それに、狩人の相棒たる月狼は、しっかりと櫛で整えてあり、実に良い毛並みをしておりました。

 ふかふかとした大きな月狼の背にしがみついた姫はふふふと微笑みます。

「さぁ、姫よ。参りましょう。貴女の騎士がこの森でどれほどデーモンたちから恐れられているのか。しっかりとお見せしましょうぞ」

 狩人の自信に満ちた言葉に勇気づけられた姫は月狼の上でにこりと微笑むのでした。


   泣き虫姫エリザ 第八編『泣き虫姫と黒き森の狩人』より一部を抜粋。



 壊れた橋を背に、森へと侵入を果たす。

 橋はそのうち直るだろうと思われた。ダンジョンの施設修復機能だ。放っておいても破壊された場所を修復する力。探索者が進めなくなるという事態を避けるために用意されている機能。

 なぜそんなものがあるのかは、やはりダンジョンは攻略されたがっている、というものが原因なのだろう。

「しかし、進みやすくなったな……」

 対岸の森に入ってから獣道は消失した。

 整備されているというほどではないが、地均しされ、歩行が困難ではない道を俺は進んでいる。

 内臓の一部を失っている現状としては非常に助かるのだが、その分、警戒を高めなければならなかった。

 道があるということは、そこには当然配されるべきものがある。

「……デーモンか。環境が変わったな……」

 槍を持ち、鎧を着た兵士風のデーモンが道の先に陣取っていた。

(迂回……いや、やめた方がいいな。この身体じゃ森の中を進むほうが自殺行為だ……それに、獣型デーモンがいた場合、もっと苦戦する)

 それは、あのキノコ型デーモンや劣位の狩人型デーモンでも同じことだった。

 それならまだ進みやすい道で人型のデーモンを相手にした方がマシである。

(それに人型ってのは助かる)

 オーラの消費を抑えたい現状。キノコのようにショーテルを使わなければ効率的に倒せない相手は困る。

(ショーテルはオーラを使うからな)

 メイスを手に握り、ぎちりと柄を握る。

(頼むぜ……よし、行くか)

 まずは太矢を番えたクロスボウを構えると兵士風のデーモンへ射出する。俺に気づいていなかったデーモンに太矢は命中し、その身体が揺らいだ。

 クロスボウを袋に仕舞いこみながらメイスを構え――。

「参ったな。糞、兵士型だもんなぁ群れるよな当然!」

 この体調で俺が感知していたのはあの狩人のデーモンだけだ。他はあまり余裕がない上に、俺自身、感知技術はそもそも専門ではない。

 あれだけ狙われた狩人のデーモンであれば離れていても気づけるが、他のデーモンに関してはかなり接近しなければわからなかった。

 身体に太矢を食らった兵士型デーモンがガチャガチャと音を立てて俺へと走りだすと、その背後から2体ばかりの兵士型デーモンが続いてくる。

 片方は槍を持ち、片方はクロスボウを構えていた。

「糞。畜生。面倒な」

 問題はもうひとつある。

 神殿への道は上り坂だ。

 奴らは上に陣取っており、俺は奴らから見て下にいた。地形的な不利が働いているのだ。

 上にいるというのはそれだけで強い。槍であれば下に向けて突くだけでも上位にいる分力が増す。矢であってもそれは同じだ。対して下にいる俺は上にいる奴らに向かって攻撃するのに余計な力を使わなければならなくなる。

(ああ、糞。めんどくさい……最悪だ……)

 薬で痛みや疲労を誤魔化しているとはいえ、ミスをするとは。死が近いことからいくらか焦っているようだった。

 死が近いからこそ冷静にならなければならないというのに。

 しかし悲観しても敵は迫ってくる。盾とメイスを俺は構え、至近となった槍持ち兵士たちへと対峙する。

 ミスをしたが、まだ力技で取り戻せる段階だ。

 いかに俺が死にかけ、地形的不利を取られているとはいえ、この程度のデーモンたちに後れをとるわけではない。

 突き出された槍を盾で払いのけ、懐に踏み込む。薬で散らしていなければ腹に痛みの一つでも走っただろう動きだ。戦士の薬の有り難みを感じながら敵の懐に踏み込み、メイスを振るう。

 付与された神聖が敵の身体を焼く。当然この階層のデーモンだ。一撃程度では足りないだろう。

 しかしガツンガツンと殴っている暇もない。敵は他に二体いるのだ。

 メイスで殴りながら盾で目の前のデーモンを押しのけ、一歩踏み込む。俺がいた位置にもう一体のデーモンから槍が突き出され、同時に俺が押しのけたデーモンの背にクロスボウの矢が突き刺さった。

 オマケとばかりに俺はデーモンを蹴り飛ばし、クロスボウ持ちへと駆け寄る。

 こいつの存在が面倒だった。槍二体ならなんとか捌きようもあるが、これにクロスボウが加わると若干まずい。最優先で始末すべく駆け寄れば、慌てて奴はクロスボウから腰に佩いていた長剣へと武器を持ち替えようとする。

 しかし、遅い。奴の武器の切り替えが終わる前にメイスを大振りで振り上げ、顎を跳ね上げる。がら空きの胴体を蹴り倒し、背後の槍持ちがこちらにやってくる前に滅多打ちにする。

 槍は確かにリーチが長く、また、このような進路の限定される狭い道では効果を発揮するが、狭い道では方向転換がし難く、背後に振り返るにもいくらか努力がいる武器でもあるのだ。

「一丁上がり、と」

 何度目か、メイスを叩きつければ破裂音と共に俺の真下のクロスボウ持ちが霧散し、司祭様に貰ったものよりも程度の悪いクロスボウとギュリシア銅貨が数枚地面に残った。

 拾っている暇はない。俺はようやく槍を俺へ向けられた槍持ちデーモンへと向き直るとマスクの内側で唇を舐めた。

「おう、お前らも滅多打ちだ」



 槍持ちは槍と粗末な鎧、ギュリシアを落として消え去る。神秘の欠片もない無骨な槍だ。品質としてはもどきの落とした剣よりちょっと良い程度の槍だろう。

 良いものではないがクロスボウも拾い、袋に入れておく。武具は戻ったが、袋にはまだ余裕がある。また装備を全て失うこともあるかもしれないので地上に戻った時に猫に預けるべきかもしれない。

 槍も鎧も粗末なものだが、槍は槍で鎧は鎧だ。辺境人が槍を用いればそれは粗末であろうとデーモンを滅ぼす立派な武具となるし、不潔な犬のデーモンなどと対峙するときに鎧があれば牙や爪などを警戒せずに踏み込むこともできる。

 要は使いようだ。

 とはいえ、この品質の武器を後生大事にとっておく趣味もない。袋に余裕がなければ真っ先に捨てる品になるだろう。

 息を吐く。

 傷の具合は悪い。少しの戦闘が確実に俺の余命を削っていた。

(奴を殺すまで保てばいいが……)

 奴の位置までにこのクラスのデーモンとは何度も会うことになるだろう。後顧の憂いを断つためにもその全ては打倒しなければならない。

 放置した結果、狩人と戦っている最中に殴り込まれても面倒だからだ。

「辛いが、グズグズしてられないか。行くぞ……」

 故に、堂々と俺は道を進んでいく。



 そうして雑兵どもを潰しながら俺はたどり着く。

 そこは目的地の神殿にほど近い、木々の切り開かれた場だ。

 霧と木々の奥、微かに荘厳たる神殿の威容が見えていた。

 正面、堂々と俺はそこに踏み込む。

 警戒はしている。しかし、奇襲はないと判断する。

 なぜなら既に、この領域の支配者たる狩人のデーモンが目の前に立っているからだ。

 弓を手に、山刀を腰に、矢筒を背に、黒の装束を纏った狩人のデーモン。散々やりあった敵がそこにいる。

「……顔を合わせたら何か言おうとも思っていたが」

 俺はショーテルを引き抜き、盾を構える。

 今までのボスデーモンと違い、狩人も無言だった。

 ただ、俺が走りだす前に、奴は腕を振るい――


 ――それが現れる。


「はッ……一筋縄ではいかないと思ったが……!!」


 それは、唸りを上げる者。

 それは、穢れた鈍色の毛皮。

 それは、大地を蹴る四足の獣。

 それは、鋭き牙を持つもの。


 それは、巨大な狼デーモン


 唸りと共に広場の全域を囲うように瘴気の紗幕が展開される。

 もとより逃げるつもりもないが、逃げ場はなくなった。

 霧深き木々に囲まれた広場。

 伝説の狩人とその相棒が俺の前に立ちふさがる。



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