第20話 決勝

「ハルトでいく」

 坂田の決断は早かった。2試合目も勝利したチームは、決して悪い状況ではなかった。しかし、坂田は決勝戦のレギュラーをユウマではなく、ハルトを選択したのだ。このチームの絶対的エースは、ハルトだと言っているかのように、坂田ははっきりとチームにそう告げた。

 ポジションをミッドフィルダーに下げ、ユウマもレギュラーに選ばれる。精神的支柱は、ユウマだということを坂田も分かっているのだろう。今まで一度も不満を口にしたことないユウマが、一瞬だけ俯いたように見えた。それは少しほっとしたような、苛立ったような、そんな表情だった。エースを欠いたチームを勝利に導くために一人、孤独と戦っていたに違いない。 ハルトに向かって、「頼んだぞ」と、笑顔で言ったその顔は、いつもの冷静なユウマだった。


  決勝の相手は、高野中学だ。試合会場に入ってくる三坂中学に、観客席もざわついていた。乱闘騒ぎがあったらしいとか、また何かしでかすのではないかとか、そんな声が聞こえていた。

 高野中学の生徒も、練習試合とは違った気迫で、三坂中学を見つめていた。

「頑張れ!」

 振り返ると、そこには大きく手を振る先輩達がいた。

「俺らより、先輩たちの方が緊張してんじゃねぇか」

 ダイチの言葉に、チーム内のピリついた空気は少しだけ和らいだ。

 試合に入る前、坂田は、ハルトに向かって言った。

「ハルト。チャンスは、二度はない。お前が進もうとしている道はそういう道だ」

 ハルトは、何も言わず頷いていた。

「チャンスを棒にふるな。行ってこい」

 坂田は、ハルトの背中を力強く押した。大きな声をだして、ハルトは自分の頬を叩いて気合を入れた。

「絶対、勝つぞ!」

 ユウマの声が響いた。円陣を組んだチームメイトの表情は固く、緊張しているようだった。

「大丈夫だ。やれる」

 ユウマの声を合図に、一斉にピッチ上に散らばっていく。今までの試合とは違う独特な空気が、チーム全体を襲っていた。

 ホイッスルが鳴る。会場から大きな声援が飛んだ。

「よし、よし」

 坂田は唸るように頷いていた。ハルトの動きは、明らかに違っていた。囲まれて何度倒されても起き上がり、相手のボールに食らいついていく。絶対的エースの顔が、そこにはあった。俺についてこい。勝たせてやる。そんな強気なハルトの姿は、チームに安心感を生んでいた。

 相手のパスをカットすると、ハルトは力強いドリブルで駆け上がって行く。ぶつかって来る敵を、真正面から切り倒すような豪快なドリブルで、ただ、真っ直ぐゴールを目指していく。

 ハルトは、どんどん強くなっていく。技術もメンタルも。調子が悪かったなんて、誰が信じるだろうか。母親のこと、サッカーのこと、ハルトは誰にも頼らず、たった一人で乗り越えている。これから先、ハルトが見ていく世界はとてつもなく大きな世界で、自分が見ることは絶対に許されない、そんな世界にハルトは生きていくのだ。ケイシは、両手をぐっと握りしめていた。

 試合はどちらも引かず、0対0のまま、試合は硬直状態が続いていた。高野中学も練習試合とは違い、冷静にゲームを見極めているようだった。

 ハーフタイムでは、坂田は珍しく何も言わなかった。後半の笛が鳴る直前に、いつもどおりだ、とだけ言葉をかけた。

 ゴールのチャンスは、なかなか巡ってはこない。どちらのチームも、足が止まりだしていた。ハルトもユウマも、そしてダイチも勝つことだけを考えている、そんな表情だ。ベンチに座るケイシだけが、取り残されているようだった。

 試合が動いたのは、ロスタイムに入ったその時だった。相手の一瞬の隙をついたユウマのスルーパスが、前線へと送り出される。それを受け取ったハルトが、ドリブルで駆け上がっていく。きっとこれが最後のチャンスだ。

「いけ!」

 坂田が、大きな声で叫んだ。気迫の表情で、相手のディフェンスを振りきって駆け上がるハルトは、とても遠い存在の様に思えた。

 相手ディフェンダーはたまらず、ゴール直前、ハルト目がけて激しくスライディングを仕掛けてきた。ハルトは、その勢いに飲まれた形で、大きく倒されていった。審判の笛が鳴る。

「PKだ!」

 ベンチのメンバーも身を乗り出し、ハルトに声援を送った。観客席からは、溜息と歓声が同時に聞こえていた。

 坂田が大きな声で指示を出す。

「決めてやれ!」

 その言葉に、ハルトはしっかりと頷いた。

「ハルト、いけ!」

 チームメイトの鼓舞する声が聞こえる。ボールがセットされると、なんとも言えない緊張感がグラウンド全体を包み込んでいった。

 その時だった。観客席の中に、目を瞑り、両手を胸の前で重ねて祈るユイを見つけた。誰よりも、ハルトの勝利を願っている少女の顔だ。

 

 ―歓声があがった。


 ユイの笑顔で、ケイシはハルトのPKが決まったことを知った。

 ピッチでは、ハルトが拳を空に突き上げている。試合終了のホイッスルに、観客席から拍手が起きた。ベンチのメンバーも一斉に飛び出していく。ダイチもユウマも、皆、ハルトに駆け寄っていく。あの時のように、ハルトの周りはきらきらと輝いていた。きらめくその瞬間に、ケイシの居場所はどこにもない。ピッチ上で喜び合うチームメイトもまた、ハルトと同じように輝いて見えた。


「そういえば、永見、来てたな」

 試合が終わると、先輩達が差し入れを両手に抱えてやって来た。

「永見ユイ。同じ塾なんだよ。このところハルトとよく一緒にいるって噂、聞いてたんだけど。やっぱりそういうことなんだな」

 先輩が指をさす先には、遠くにハルトと並ぶユイがいた。ユイは、ハルトに微笑えんでいる。その姿は、ケイシが見たことのない無邪気な表情をするユイだった。

「さっきゴールした人いますか?」

 観客も皆、ハルトに釘付けだった。答えないケイシの代わりに、ユウマが応対した。

 こらえられない感情が、ケイシを襲ってくる。ハルトと自分は、どこでこんなに差がついたのか。ユイはなぜ、ハルトのことを嫌いだなんていったのだろう。ケイシは堪らず、駆け出していた。途中、「大丈夫か」と、ユウマの声が聞こえた。

 苦しい。このまま何か大きなものに飲み込まれていく気がした。正しい息の仕方が分からない。ケイシの目に、青い空だけが映っていた。屋上だ、きっとそこには、もっと違う何かが見える。今の自分には見えない何かがあるような気がしていた。

 追われるように、ケイシはただ、上へ上へと向かった。流れる涙で、目の前が見えなくなっていく。階段を登り終えると、立ち入り禁止と書かれたドアノブを回した。そのドアノブは、ガチャガチャと鈍い音がしたまま扉は開かないでいた。

「なんでだよ……」

 ケイシは、その場にうずくまった。どんなに力を振り絞っても、進む道は、閉ざされている。まるで自分一人だけが、見えないトンネルの中に置き去りにされているようだった。

「やっぱり、俺は持ってねぇな」

 いっそのこと、消えてしまいたい。そんなことも許されない現状に、ケイシは、ただ、泣くしかなかった。何が悔しいのか、悲しいのか分からない。溢れ出るその冷たい涙が、ケイシの視界を奪っていった。


 しばらくたってチームに戻ったケイシの目に映ったのは、優勝旗を手に泣いているユウマの姿だった。それは、ポジションを奪われた悔し涙なのか、勝利を手にした喜びなのか、ケイシには聞く勇気がなかった。

「おい、どこ行ってたんだよ」

 ダイチが、ケイシの顔を覗き込んだ。泣いていたことに気がついたのか、ダイチはその後、何も言わなくなった。

 帰りのバスの中は、喜びに満ち溢れていた。笑い声が聞こえる。ケイシだけは、暗闇の中だった。


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