第35話 夕闇、空を踏む階段の半ばで
一瞬だけ呆然と、しかし、すぐにその目に涙が溜まる。
「ほ、本当に?本当に僕なんかで……」
今にも泣きそうなその表情は先程までの凛々しい顔はどこへ行ったとばかりの情けないものである。
「なんか、なんて言わないで下さい。私が馬鹿みたいじゃないですか……」
一方こちらも笑顔から一転、嬉し泣きに移行しようとしている雫である。
「ご、ごめん」
「いえ、良いんです。でも、少しだけ」
「少しだけ?」
雫の言葉をオウム返しに言う和之に、雫が抱きつく。足元の水溜まりがパシャリと跳ね、藍と橙の間で絶妙なコントラストを生む。
「えっ!?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
力一杯抱きつき、頬擦りをし、甘えに甘える雫。
和之は困惑する。する、が、しかし、
「…………ありがとう」
と、胸元で左右に振れる頭を撫でる。
当然、顔は真っ赤も真っ赤。爆発寸前もいい所である。
二人はそうして、暫くの間、抱き合っていた。
*
「んー、そろそろか?」
さて、こちら一人寂しく焚火を見下ろす叶恵である。
寂しく、とは言ったが本人の気分は某グラサンをつけた大佐のため、実はこの状況を楽しんでいたりする。
「ハハハハハ、人がゴミのようだ!……なんつってな」
一人相撲が虚しくも宙に吸い込まれる。何がしたいのかが自分でもわからなくなっているようである。
「まぁ、大丈夫なのはわかってんだけどなぁ」
それでもやはり心配なものは心配になるものである。
唯一親友と呼べる存在が、一世一代の告白に挑んでいるのだ。自ら報告は明日に回しても良いと言った手前、こちらから連絡を入れる訳にも行かない。
「ん〜、おっ、そろそろ花火か?」
伸びをしようと踊り場まで降りた叶恵が下を見れば、校舎の中から教師陣が何かを大量に持ってきているのが見て取れる。上にいる者の特権である。
『さぁ、これより市販の打ち上げ花火三十個!一気に打ち上げます!』
ノリのいい放送部の声が中庭に響き、生徒たちが中央から離れていく。市販と言ってしまうあたり………何か市販の花火にプライドでもあるのだろうか?流石にないとは思うが。
『はいっ、皆さん離れましたね!では、先生方、お願いします!』
遠巻きに眺めていた教師陣の中から、ライターを持った数人の教師が進みでる。
同時に、外階段を誰かが登る、カンカンと言う音が叶恵の耳に届く。
「……?」
だが、別に封鎖されている訳でもない場所のため、誰かしらは来るのだろうと放置する。
『先生方、配置に着きましたか?着きましたね?三カウントでいきましょう!三!』
階段を登る音が近づく。
『二!』
叶恵のすぐ後ろで止まる。
『一!』
そして、
『点火!』
視界が光に塗りつぶされる。同時に、誰かが横に立つ気配。何となく予想はできるが、じっと低い位置で打ち上がる花火を見上げ続ける。
あっという間に三十発の花火が打ち終わり、『星祭前夜祭は、これにて終了となります!泊まりの生徒達は担任の先生の指示に従って……』と、放送部が連絡事項を告げる中、叶恵は横を向く。
「……よう」
「お昼ぶりですね」
春来である。
「なんでわかった?ここ、下から見上げても判り辛い筈なんだが」
「………」
その質問に軽く首を傾げるだけで何も言わない。
何となく、この先は聞かない方が良いと、叶恵は思った。
次いでに、帰ったら絶対に制服荷物その他を調べ尽くすと決意した。
「まぁ、別に良いけどさ。なんでわざわざここに来たんだ?」
「何となく来たくなった、それだけじゃ駄目ですか?」
肩を竦めてそう言う春来に、叶恵は苦笑いして「違いない」と返す。
「…………生徒だけで馬鹿騒ぎできるのは、終わったなー」
「そうですね……お互い、お疲れ様ということでしょうか?」
春来は叶恵の顔を覗き込む。
「何かいいことでもありましたか?」
「へ?」
「ふふっ、顔に書いてますよ?」
そう言って目を細めて微笑む春来は、聖女と言うより小悪魔のような可愛らしさがあった。
「〜〜、そんなにわかりやすい?俺」
「そうですね〜、多少仲が良ければ誰でもわかると思いますよ?」
頭を掻き、バツの悪そうな顔をする叶恵を見て、何故か満足したようにスっと身を引く。
「では、私はこれで」
「ん?家、帰るのか?」
「そう、ですね。私の場合は……ちょっと」
「あぁ、なるほど」
全てわかったように苦々しい顔になる叶恵である。
簡単に言ってしまえば、春来のような美少女が部屋こそ違えど同じ建物内で寝ている。
何がなんでも行ってやると、謎の根性を見せて犯罪まがいの行為を行う馬鹿がいないとも限らないのである。
「叶恵さんは、今日は泊まりですか?」
「そうだな。俺の場合は先生方に色々感謝しないといけない部分とかもあるし………って、おい、今なんて」
「ではまた明日、お互い頑張りましょうね」
気づいた叶恵が春来の方を向いた時には階段の折り返し地点で翻って下へと消えていく髪だけしか見えなかった。
「…………なんで、今、名前で……」
心臓が狂ったように早鐘を打っている。
頭の中で何度も同じ言葉が繰り返される。
(違う)
「違う」
(認めるな)
「これは、違う」
頬が紅潮していることが顔の熱でわかる。
だが、理性を総動員させて、否定する。
(俺は、横にいるだけだ。その場に立つことは、それだけは、無い)
徐々に、頭が冷めていく。
ふぅ、と、一息ついた音が聞こえた時には、普段通りの表情の叶恵がそこにいた。
「さってと!あいつらは泊まりかねー、それともどっちかの家……無いな。多分和之が泣いてるだろうし、今頃二人して星でも見てるだろ」
そう言って、ひと伸びした叶恵は、教室に戻ってから着替えを持ち、更衣室のシャワーへと向かうのだった。
*
(……………………あれ?なんで、今、あれ?)
廊下を走る影が一つ。
(でも、自然と……うぅ、分かりません。なんで?どうして名前で……いつも通り、伊吹乃さんって、言おうとして……)
自分の荷物をいつの間にか回収していた春来は、その足を駅へと向ける。
暫く走って、息を切らして電車に乗り、最寄り駅から自転車で五分。
家に着く頃には、八時半をゆうに回っていた。
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次回、一章エピローグ
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