間違いなく君だったよ

新巻へもん

私はこれで辞めました

 くそ。まったくツイてねえ。


 金曜日に残業を終えて帰宅したら、ほとんど土曜日目前だった。無能な営業事務のせいでひでえ目にあったぜ。駅からの帰り道にあるコンビニで買ってきたチューハイを開ける。食い損ねた夕食代わりに唐揚げをつまみに飲んでいたら猛烈な眠気に襲われ、面倒になってそのままソファにごろんと横になった。


 気が付けばカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。東向きの部屋なので6月になると朝早くから眩しい光が部屋に降り注いでいた。何時か確認しようとしてポケットを漁ったがスマートフォンが無い。鞄の中にもないし、脱ぎ捨ててあった上着にもやっぱりなかった。


 昨夜は最後の数駅分座れたのでウトウトしたんだった。はっと気が付けば最寄り駅で慌てて下りたことが思い出される。あの時にケツのポケットからスマートフォンが滑り落ちたに違いない。


 鉄道会社に問い合わせをしようにも固定電話が無いからかけられない。片道20分の道のりを歩いて駅まで行く前に腹ごしらえをしようとしたが、パンを切らしていた。冷蔵庫の中もほぼからっぽ。ちぇ。こんなことなら昨日コンビニで何か買って帰れば良かったとぼやきながら家を出る。


 コンビニは駅の近くまで行かないと無い。不便なアパートだったが築浅の割には家賃が安いのが唯一の利点だ。遊びに金がかかるので住まいは妥協するしかない。途中で腹ごしらえをして改札の駅員に声をかけたが、この駅には届いていないという。何か所か問い合わせをしてくれた結果、職場の最寄り駅から3つほど離れた駅にそれらしき落とし物を預かっているという。


 この駅まで届けるように言ったが無理との返事。せっかくの休日に2時間かけて取りに行くのは正直だるい。ただ、スマートフォンが無いと動画も見れないし、SNSのメッセージも送れない。仕方なくその駅まで出かけようとしたら、定期券を家に置いてきたのに気づいた。


 落とし物を取りに行くんだから電車賃がただにならないか聞いたが、返事はノー。文句を言ったが相手はうんざりした顔をするばかり。客商売なのにサービスが悪いと捨て台詞を残して一旦家まで帰った。なにしろ、会社までの交通費が片道で2千円近くかかる。財布は落としても定期は落とすなが常識の場所だった。


 往復で40分も歩いて、さらに電車に乗ること2時間。ほとんど昼近くになってたどり着いてみれば、俺のスマートフォンじゃなかった。くそ。まったくの無駄足じゃねえか。とぼとぼと帰宅して、夕方から飲み会に誘われていたのを思い出す。看護婦との合コンだった。


 ただ、場所を覚えていない。幹事に連絡しようにも電話番号も分からない。全部スマートフォンの中だった。俺はふてくされて、その日と翌日の日曜日を過ごす。いつものようにこの怒りを短文投稿アプリでぶつけられないことにイライラが募った。池に落ちた犬の同類をネットで探し安全地帯から言葉をぶつけるのはいいストレス解消法なのに。


 月曜日になり時差出勤で勤め先に顔を出すと、何やらオフィスが騒がしい。電話がひっきりなしに鳴っていた。皆、電話に向かってぺこぺこ頭を下げている。マジかよ。何か商品に不具合でもあってクレームなのか? 出向先でトラブルになると俺が元の会社に戻るのが遅れるじゃねえか。まったく使えない連中だぜ。


 荷物を置きにロッカールームに入り出てくると上司の本澤部長と鉢合わせする。なんだよ、朝からおっさんとぶつかりそうになるなんてついてねえ。

「お早うございます」

 一応あいさつした俺に本澤部長はつばを飛ばさんばかりの勢いで言った。

「いますぐ、総務部長のところに行きなさい」


 俺は言われるままにエレベーターに乗って移動する。鳴海部長は俺と同じく出向組だ。年はちょっと上だが知的な感じのなかなかの美人だった。派遣のネエちゃんと違ってガードが堅い。とりあえず朝から眺めるならおっさんよりはずっと良かった。


 俺が顔を出すと連絡が行っていたのだろう、すぐに鳴海部長に別室に連れていかれた。冷ややかな双眸がたまらない。ベッドの上でもこんな表情なのだろうか。意外と乱れるんじゃないか。そんなことを考える俺に冷ややかな声が刺さる。

「週末に連絡したのに電話に出なかったわね」


 俺は大抵の女を落としてきた最高の笑顔を向ける。

「いやあ。金曜日の夜にスマホ無くしちゃってまだ見つかって無いんですよ。それで何の御用ですか? デートの誘いならOKですけど、俺の客先で何か問題とかじゃないですよね?」


「それは違うわ。それじゃあ、広瀬まゆが自殺したのも知らないの?」

 話題をいきなり変えやがった。誰だそいつ? なんか聞き覚えがあるような……。

「知りません。でも、それと俺に何の関係が?」

「あなた。彼女のSNSに誹謗中傷を書き込んでいたでしょ」


 俺はしらばっくれる。

「さあ。そんなことはしてないつもりですが」

「じゃあ、これを見て。これはあなたのアカウントよね?」

 手渡されたハードコピーに印刷されていたのは俺の本アカの投稿が並ぶ。会社の人ともつながっているので否定はできない。ただ、こいつはクリーンだ。


「そうですけど。別に問題ありそうなことは発信してないつもりですけどね」

 鳴海部長は眼鏡の位置を直すとにっこりと笑った。

「まあ、あなたもそこまではバカじゃないでしょう。じゃあ、あまり時間もないし、単刀直入に聞くわよ。。この名前に聞き覚えがあるでしょ?」


 俺は内心驚きながら、訳が分からないという表情を作る。オスカーものの演技だったが、心の中では冷や汗をかいていた。それは俺のメインの裏アカの一つのハンドルネームだ。誰かを誹謗中傷するときに使っている。しかし、俺と紐づける情報はアップしてないはずだ。


「何かの間違いじゃ……」

「否定しても無駄よ。もうネタはあがってるの。色んな相手に噛みついていて覚えていないかもしれないけど、私も広瀬さんへの投稿を見たわ。吐き気がするわね。あんな風に粘着されたら死にたくもなるでしょう」

 鳴海部長は嫌悪感を丸出しにした。


「むっつりんご。あれはあなたよ。間違いないわ。もうネットにもあなただということが出回ってるし、おかげで朝から会社の電話は鳴りっぱなしよ。さ、この紙にサインして頂戴。本当は私の手で吊るしてあげたいところだけど、とりあえずはそれで勘弁してあげるわ」

 茫然とする俺に突き出された紙の一番上には、退職願の3文字が躍っていた。



 終

 


 

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