【後編】-smorzando.-

【??-?】-?????- 


 こんばんわ、そしてごきげんよう。

 ここに迷い込んだあなたは、とても運が悪かったかもしれない。いえ、運が良かったのかしら。

 ここは何者もあなたを縛らない。ゆえに、留まるも去るもあなたの自由。

 目の前にある3つの花からいずれかの花を選んで欲しい。私はただ、あなたの選択をここでお待ちしています。


 ここは最後の部屋。まだあなたが、その限りではなければ花弁の先へ。

 右側の花は【最初の出会い】へ。中央の花は【二つ目の出会い】へ。左側の花は【三人目の出会い】へ。


 ―――。


 ……ふふ、このやり取りももう4回目。

 改めまして、ごきげんよう。いよいよエリスのお話も、クライマックスを迎える頃……。ここまで付き合ってくれたあなたになら、託せるわ。


 名残惜しいけれど、物語には必ず【結び】を用意しないといけない。語り始めたなら、語り終えなければいけないの。

 初めて会って名前も顔も知らないから、不安だったり警戒心が邪魔をしてすごく臆病な気持ちもあった。

 でも、昔どこかで会っていたと思うような既視感も感じて、すごく穏やかで、すごく落ち着いた気持ちで居られた。そんな臆病さと、懐かしさを同時に抱いていたわ。


 あなたは私の印象を、どう捉えていたかしら?

 この場所にはたくさんの物語が眠っている。それは本のように形のあるモノもあれば、言葉を記憶した音というモノもあって、概念というとてもあやふやなモノもあるの。

 これら一つ一つは、私が来るずっとずっと前にここを訪れた人たちが残していった記憶の残滓。私が今開いている物語のように、ほぼ綺麗な状態でここに残っているのはまだ最近紡がれたお話だと思う。


 あるいは、楽譜かしら。採譜するように描かれた旋律のよう。それでも、100年前か1000年前か分からないくらい遠い昔。そもそもここには時間という概念が欠落しているから。

 いつの物語だったのかを計る術は無いのかもしれない。大事なのは、今ここにはあなたが居て私がいるということ。


 そして一つだけ、この場所にはルールがあるの。

 思考は、何者にも妨げられてはならない。

 考えること。思うこと。誰かを想うこと。誰かから何かを感じること。思考の自由は、侵されるべからず。これは先人たちが築いてきた唯一にして最大の、心。

 あなたがエリスの物語をどう咀嚼するのかを、私は咎めない。

 あなたが感じたままに、あなたが思うように思考して欲しい。


 エリスを可愛いと思ってくれるなら、嬉しいけれど。

 エリスが美人だと思ってくれるなら、満足だけれど。

 エリスは良妻賢母で、才色兼備で……もういいかしら。


 だから私は、ただ、伝えたいことをあなたに語るだけ。 あなたがこの物語は幻想だと割り切ってくれても構わないわ。つまらなかったと、物語のゲーム盤を壊しても構わない。

 もちろん、そんなことはしないと思っているけれど、ね。

 ふふ……。私は、あなたのその微笑んだ顔が見られただけで満足なのだから。


 さぁ……。そろそろ物語を再開させましょう。


 目を閉じて。耳を傾けて。エリスは成人の儀を通して、何を学んだのかを―――。



【君が見た景色】

   ~~後編~~

      -smorzando.-


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~



 夜になると一緒に星空を見上げて、メルトは天体の話を始めた。

 エリスたちは今、【お菓子の家】のすぐ裏手にある森のベンチに座っている。ここから見上げる夜空は、丁度森の切れ目で視界が広くなっていて、まるで星空を綺麗に切り取ったかのようだった。

 曇りのない二人の瞳にはたくさんの星々が映っていた。


【この季節に生まれた子は、双子座の加護を受けています】。


 急に語り口調になったメルトは、ふわりと立ち上がって振り返りワンピースの裾をひらりとはためかせた。それはまるで舞台に上がった演者のようで、途端にメルトの姿が綺麗なドレスをまとった様に見えた。

 裾をちょこんと摘んで、綺麗にお辞儀をするメルト。


 エリスはこれからどんな話が始まるんだろうとワクワクしていた。

 双子座には兄弟にまつわるお話があって、身振り手振りを交えて語り始めたメルト。エリスは母親から星座のお話を何度も聞いたことがあった。空を見上げて、どういう形をしているものがどんな星座なのかはなんとなく分かるのだ。

 けれど、逸話に関してはほとんど聞いたことが無かった。だからエリスは素直に、メルトの話に耳を傾けるのだった……。



 かつて、神様の世界で双子の兄弟がいました。そして、その【いとこ】にも双子の兄弟がいたそうです。とても仲が良かった兄弟でしたが、ある時、いとこ兄弟がひょんなことから喧嘩を始めてしまうのです。

 それは本当に些細なことが原因でした。普段から温和で、ケンカなんてほとんどしないような兄弟であったのに……。

 そのケンカは、普段からは想像もつかない様相で傍目に見ても常軌を逸しているように周りの神さまたちには見えていました。

 それを見た兄弟が仲裁に入ったとき、あろうことかお兄さんを標的にして、いとこ弟さんはお兄さんを刺し殺してしまったのです。

 怒った弟さんは、いとこ弟さんに組みかかり、あらん限りの声を出して怒りを露にします。

 やがて我を失った弟さんも、怒りに任せていとこ弟さんを刺し殺してしまいました……。


 咆哮し、それでも我を失ったままの弟さんは怒り、悲しみ、涙を流しながら吼え猛ります。息も絶え絶えになった弟さんの視界に、いとこお兄さんの姿……。

 まるで、鬼のように目を血走らせ、狼のように鋭い眼つきで獲物を捉えました。けれど、その形相に恐れを成して、いとこお兄さんはその場から足をもつれさせながら逃げていきました。

 弟さんは追いかけようと立ち上がりますが、すでに息を引き取ったお兄さんの姿が目に入り、それ以上足は動きませんでした……。握り締めていた得物も落とし、弟さんはその場に崩れ落ちました。

 どうして、こんなことに……。なぜ兄さんは死ななければならなかったのか……。

 理由はどうあれ、お兄さんは死んでしまいました。

 それはもう変えられない事実。弟さんは涙が枯れるまで、ずっと地面を掻き毟り続け、嗚咽を漏らしていました。


 そうして、短くない時間が経った頃……。

 弟さんは隣に零れ落ちていたソレを手に取り、両手で握りしめました。もう、兄さんの居ない世界なんて……。

 自分だけ生きていても何の意味も無い……。そのまま……自らの胸へと……。


 しかし、弟さんは死ねませんでした。なぜなら弟さんは、お父さんの血を色濃く受け継いだ【不死身】だったのです。お父さんは神々を代表する一人でした。

 そんな偉大なお父さんを持つ兄弟であっても、個体の性質は平等ではありませんでした。それもまた、弟さんを苦しめることとなります。


 おお、なぜ私の身体だけが不死身だったのだ……。なぜ兄さんの身体ではなかったのか……。

 もしも刺されていたのが兄さんではなく、私だったなら……。


 弟さんは自らの身体を呪いました。そしてなぜお兄さんも、不死身の身体ではなかったのかを嘆きました。そうして、深い悲しみで心を閉ざした弟さんは、とうとう全てを捨てることをお父さんに告げたのです。

 兄の居ない世界に、生きる望みは無い……。お父さんもお兄さんの死を悼みましたが、それ以上に弟さんのこの告白に胸を痛めました。


 ……短くない時間を逡巡したお父さんは、ついに決断を下します。

 せめて【二人の魂】は、いつまでも離れてしまうことが無いように。

 かくしてお父さんは、ふたりの魂を星座へと変えて空に掲げたと云われています。


 ちなみに二人は、海の神様に愛されていた為、ある逸話では海の守り神として認識されています。

 とある空電現象での光は二人であり、守り神の証だと。


 これを、【セント・エルモの灯】といいます……。



 語り終えたメルトは、恭しくスカートの裾をつまんでお辞儀を一つ。

 女の子なのに髭を触る真似をしたり、小さい身体を大きく見せようと両手を広げたりしたのは、とても可愛らしい仕草だった。

 カーテンコールは無いけれど、ここはメルトに許された大きな特設ステージだった。

 観客はエリスしかいないけれど、精一杯拍手を送る姿を見ていると心なしか、【私】は満たされた気分になる。

 どんな物語にも必ず、伝え手と受け手がいるように。その空間は両者が揃って初めて完成される。

 それは舞台も、映画も、小説も、小さな会話すらも同じだからだ。一方通行では世界は完成しない。一人で作り上げた世界など【虚しい】の一言に尽きると、【私】は思うのだ。



 寝る前には一緒にお風呂に入って、エリスはメルトの綺麗な背中を流してあげた。同じ女の子なのに見惚れてしまうくらい透き通るほどに綺麗な肌で、エリスは気恥ずかしさも忘れて息を飲むほどだった。こする事で傷つけないように優しくさすると、メルトはくすぐったいように微笑む。

 エリスの髪はメルトが洗う番だった。

 時折、爪当たって痛くない? 痒いところはない? と、気遣ってくれるのがエリスにはくすぐったいくらい嬉しかったようだ。

 頬に掛かるように内巻きだった髪は、湖の水の様に穏やかなしなやかさで首筋に流れている。その美しい髪をメルトは愛おしそうに撫でるのだった。


 湯船で10を数える。幼い頃、母としたお風呂の儀式をエリスは思い出していた。両手を握った隙間からお湯を飛ばしてくるメルトに負けじと、応戦するささやかな時間。

 はしゃぐ私たち。波打つ湯舟に、視界が無いほどの香り立つ蒸気。これは木漏れ日を予感させる森の香りと、甘酸っぱさの残る柑橘系の爽やかな香り。

 【お菓子の家】だと夢想したこの家は、ひょっとしたら果樹園の中にあるのかもしれない。そんな、誰も知らない湯気の中の揺り籠に二人の姿はあった。

 お風呂から上がる頃には、お互い顔を赤くして少し上せてしまったようだ。メルトがふらっとヨロけるのをエリスは咄嗟に支える。抱きしめる形になってちょっとだけドキッとして、ちょっとだけ恥ずかしくて、お互いにぎこちなく笑うのだった。



『一つしかないベッドに一緒に入れてくれた。ドキドキしながら眠くなるまでお話したの。こんな話を覚えてる。メルトは私を見つめながら言うものだから、少し恥ずかしい』


 夜の帳が白の家を覆う頃……。

 二人の姿は大きなベッドの中にあった。身体の小さな二人が添い寝をしても十分寝返りが打てるくらいの大きさがある。


 ふいに……。人の思考は、雪のようだとメルトは言った……。

 立花(りっか)という言葉をご存じだろうか。雪の結晶のことを【六花】と呼んだ。それは六角形で花形のように咲き煌くことから、その名が付いたという。

 雪のように降って溶け……。六花のように輝いては、消えて……。

 けれど、雪が積もることもあるように、思考は蓄積されていく。【わたし】の思考は粉雪で、ずっと静かに降り注いでいる。


 触れるとサラサラで、息を吹きかけると、綺麗に舞うの。その一つ一つがキラキラ光っていて、振り返れば楽しかったこと。思い返せば悲しかったこと。思い出せる、幸せだった日のこと。でも、陽が当たると溶けてしまう。

 【わたし】も、いつか、溶けてしまえたら……。


 その時エリスには、メルトの言葉の意味は分からなかったが、とても儚く見えたメルトの手をぎゅっと両手で握っていた。

 確かにメルトはここにいて、エリスはここにいる。お互いの温もりを確かめたエリスには、メルトは特別な存在となった。

 そしてエリスは、メルトとはどういう存在で、どうしてエリスと同じなのかを理解する。

 信頼は、関わりから生まれる。

 信頼は、交流から生まれる。

 交わした言葉の数、生まれた関わりのきっかけ。それが信じられたとき、心に刻まれるもの。


 エリスはようやく、自分を【理解】する。

 まだ、言葉にするにはあまりにか細くて、粉雪のように吹けば消えてしまうけれど……。

 伝えるときが来たら、きっと……。そうするのが自然であるかのように、エリスはそっと……メルトの額に口付けた。

 メルトはもう、安らかな寝息を立てている。エリスもメルトの手を握ると、顔を寄せて目を閉じた……。



そして、二人の……いいえ、彼女の時間は過ぎていく。


エリスが見た景色、それは―――。


この3日間の、君が見た景色は―――。


———。


——————。



 目が覚めたエリスは、寝ぼけ眼をこすり4日目の朝陽を見上げた。

 今日で、成人の儀は完遂される。あとはもう、村に帰ればいいだけだ。時間の感覚は、村での生活とはかけ離れていた。

 この3日間は、とても夢心地で、気が付けば4日目の朝を迎えている。

 それでも、メルトと過ごした3日間はありありと思い出すことが出来た。心に刻まれたと、胸を張って言える。

 成人の儀は、確かにエリスを成長させた。

 しかしそれは、自分自身と向き合うことだったのかもしれない。これまで、たくさんの疑問、たくさんの問いかけ、たくさんの想いを抱いてきたエリス。


 それが今、最後の【答え】を求めている。

 二人は正面に立ち、微笑んだ。エリスは、心からの感謝を。メルトは、最後の問いかけを秘める。

 エリスはもう理解していた。メルトとはどういう存在で、どうして【メルト】なのかを。そして、これからメルトが何を言おうとしているのかを……。

 メルトはにっこりと微笑むと、両手を広げた。

 

 【わたしは白魔女。わたしは、あなた。】


 エリスは頷く。メルトはいつもここに居る……これまでも、これからも。


 【わたしを、殺してくれますか?】


 エリスは少しだけ、躊躇する。

 【殺す】、という言葉にまだ抵抗がある。……それでいい。エリスが理解したのは、もう一つの【殺す】ということなのだから。

 エリスにとっては、自らを殺すこと。

 その存在を、今は形あるものを、形なきものへ。


 人は、他人の生死を別つことは許されない。

 けれど、自分の生死を選ぶことは出来る。


 両手を広げるメルトに応えるように、エリスは囁いた。


 【私は、あなた。】


 エリスはメルトを抱きしめる。強く、強く……。メルトの両手がエリスの背中に回されたとき、ゆっくりと霞みゆくメルト。

 まるで、六花が溶けていくように、エリスの心に沁みこんで行く……。それは傍から見れば、エリスの首飾りに吸い込まれるようでもあった。


 【ありがとう、メルト。】

 【ありがとう、エリス。】

 【ありがとう、私。】


 エリスの首飾りは、エメラルドの水晶石。石言葉は、心の安寧。そして、新しいはじまり。エリスは、数え切れないほどのメルトの言葉を思い出す。

 中には、エリスを試すような問いかけもあった。まだ答えを見つけていないエリスに、様々な解釈を与えるメルト。

 主観的に、客観的に、相対的に、立体的に。【ある事】を俯瞰したとき、様々な視点から、様々な角度から観測することにより全ては変化する。

 決して、一つの見方だけで解を求めてはいけない。


 しかし、人は観念的に主観的な生き物である。

 されど、人の目は二つある。そして、自ら選び片目を閉じることも出来る。それは、【自らを殺すこと】……。

 メルトは【4つの目】をエリスに与えたのだ。自らを賭して、自らを殺したこともあったかもしれない。

 全ては、エリスのために……。


 思えば、メルトは最初から【自らを殺すこと】を問いかけていた。その意味を諭すために、3日間という時間を共にしてくれたのだ。エリスはしばらく自分の肩を抱きながら、静かに涙を零す。

 しかしその表情はさわやかで、笑みすら見受けられる。

 朝陽が差し込んだ部屋の中では、エリスの綺麗な雫は、六花のように煌いていた……。



 こうして、エリスはウィッカ村へと歩み始めた。

 3日3晩の成人の儀を終えて、エリスは【成長】した。メルトとの出会いから交流。問いかけ、答え……。

 それらを胸に宿したエリスは村までの岐路、思考していた。もちろん、メルトのことを……。

 今はもう、自分の中に息づいている彼女といつでも会話することが出来る。

 彼女を他の人に紹介することも出来る。形ある存在を消した寂しさと、確かに心に存在する温かさを同時に抱く、アンビバレンス。

 ここから見るエリスの表情は、あなたにはどう映るだろうか。きっと、幸溢れるものであることを祈って……。


 さぁ、エリスがウィッカ村に帰ってきての第一声を覚えているでしょうか。


 【私は、魔女を殺しました。】


 今まで【私】から、あなたにたくさんの問いかけをしてきました。これで、最後になります。

 エリスはこのとき、どんな表情をしていますか?


 想像してほしい。

 もしも叶うなら、あなたが目を覚ます前に【君が見た景色】を私に教えて欲しい。それと……、自己紹介が遅れてしまって申し訳ありません。

 私は、エリスメルト・ロニクール。白魔女です。あの日分岐した、エリスです。


 あなたが望むなら、また……どこかの景色の中で……。



【後編】-smorzando.- 了。

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