第17話
毎日、アーマイゼはクモ姫といっしょにねむる。
彼女の腕の中は、まるで母親の腕の中のようにおちつくのだ。
アーマイゼは今日もベッドに横になる。
たくさん勉強して、書類整理のやり方もなんとなくわかってきた。このままうまくいけば、いずれ王妃としてなにか仕事ができるようになるかもしれない。クモ姫が行う公務の一割をアーマイゼがやれるようになれば、またクモ姫の仕事量も変わってくる。
(そうなれば、もっと楽ができますよね。姫さま)
電子書籍で王妃の働くシーンを読んでいると、クモ姫に背中をなでられる。
「アーマイゼ、もう寝ろ。朝起きれなくなるぞ」
「はい。すみません」
アーマイゼがタブレットを置いた。
「おやすみなさい。クモ姫様」
そして、いつものようにクモ姫の胸に顔を埋める。むにゅ。
……。
アーマイゼがふと思った。
(わたし、いつになったらこれくらい胸が大きくなるのかしら)
ちらっと自分の胸を見てみると、ぺったんこな胸板。
むかし、胸が全然ふくらまなくて心配になり相談したところ、母さんが言っていた。アーマイゼ、胸というものはね、お前がもう少し大きくなったら自然とふくらんでくるものだよ。それから成長期になって、もっともっと大きくなって、女らしくなるものさ。心配することはなにもないよ。
(母さん、わたし、よく考えたら、もう大人だわ)
見比べると、クモ姫の胸が、まあ、大きいこと。堂々とそこに存在し、まるで誰もが羨む偉大な宝物。
(クモ姫さまのことだわ。きっとなにか、胸にいいことをされているんだわ)
よし、明日さっそく調べてみよう。
そう思い、アーマイゼは早々にクモ姫の胸の中で気持ちよくねむったのだった。
翌日、教育係から教わった。
「胸の大きさは、個人差です」
アーマイゼが言葉の衝撃に、目を見開いた。
「しかし、アーマイゼさまの年齢でも、徐々にふくらむ人もおります。また、そこで止まる方もいます。個人差です」
「そ、そんな……! ということは、もう諦めるしかないのですか!?」
「はい」
勉強後、アーマイゼが廊下でさめざめと泣いた。
「ああ、わたし、もうこれ以上胸が大きくならないのね。しくしく……」
「にゃあ」
「ああ、ハチ、なぐさめてくれるの? どうもありがとう。お前はやさしい子ね。おいで。ぼうや」
「あら、アーマイゼさま」
「こんなところでどうかされたのですか?」
「まあ、こんにちは。メイドの皆さま、それがですね、わたし、今とんでもなく悲しいのです。なぜかって、ええ、そうです。女の象徴でもある胸についてです。わたし、胸がとても小さいように感じるのです。クモ姫さまはあんなに大きいのに、私はまるでまな板のような胸でして、まるで鯨と鰯でして、まるで天と地でして、まるで月とスッポンでして、なにか、なんでもいいのです。胸が大きくなる方法はありませんか?」
「まあ、アーマイゼさまがお胸について悩まれるなんて」
「メイドたちの間でもお胸問題は話題に必ず挙がりますわ」
「アーマイゼさま、これは気休めのとんだうわさ話ですが、……牛乳は飲まれてますか?」
「牛乳、ですか?」
「牛乳を飲むとお胸が大きくなるとうわさがあるのです!」
「カルシウムも取れて一石二鳥!」
「うわさになるほどですもの。なにもなければ、うわさにはなりません」
「きっと、牛乳を飲まれた方のお胸が大きくなり、話が広がったのでしょう!」
「まあ、なんて素敵なうわさ!」
その日から、アーマイゼが牛乳を飲むようになった。
クモ姫は思った。そうか。きっと小さな身長を気にしているんだな。かわいい女め。
「アーマイゼ、寝る前にホットミルクでも飲むか?」
「はい!!!!!!」
アーマイゼが筋トレを始めた。
クモ姫は思った。勉強ばかりで座ってるから、たまには体を動かしたいのだな。
「アーマイゼ、さんぽにいくか?」
「はい!!!!!!」
それから一ヶ月、アーマイゼは牛乳を飲み、筋トレを頑張った。その間、クモ姫は放っておかれた。全てはお胸のため。しかしそうとは知らないクモ姫。アーマイゼに声をかけた。
「アーマイゼ、今日は久しぶりに暇ができた。一緒にのんびり……」
「すみません! 姫さま! わたし、今日は走らなくては!」
「……アーマイゼ?」
「走らなくては!!」
全てはお胸のため。その後も、牛乳と筋トレを続けたアーマイゼ。
「おい、アーマイゼ」
「ハチ! 筋トレに行くわよ!」
「にゃあ」
「……」
そして、その結果、
「とても健康になりました!」
アーマイゼが鏡の前でうなだれた。
(そうじゃない……)
これじゃない。
(求めていたのは、これじゃない……)
ぺったんこな胸を見て、アーマイゼがため息を付いた。
(もっと、こう、クモ姫さまのように……)
こう、どどんと。こう、堂々と。こう、バイン、と。
(…… )
そこでアーマイゼはひらめいた。
そうだわ! クモ姫さまに直接きけばいいのだわ! アーマイゼは執務室ヘやってきた。ところがなんてことだろう。大臣たちがうろうろしている。
「ああ、なんてことじゃ。今日に限って姫さまの月一ご機嫌が悪い日で困ったもんじゃ」
「生理かの?」
「女の生理は嫌じゃ。やれやれ」
「こんにちは」
「はっ! これはこれはアーマイゼさま!!」
大臣たちがこぞってアーマイゼのそばに寄った。
「アーマイゼさま、きいてくだされ。本当にこれがまあ、ひどいお話で」
「まあ、皆さまどうしたのですか?」
「よければ執務室に入って、ちょいとクモ姫さまにきいていただけませんか?」
「きくって、なにをですか?」
「最近のクモ姫さまはなにかとご機嫌ななめ」
「今日は月一ご機嫌ななめ」
「なにか悩みがあるのかもしれません。我々にとってはどうでもいいことですが、機嫌の悪いクモ姫さまはそれはそれはどこで毒を吐くかわかりやしない」
「わしたち、もうお年寄りだから毒を吐くのはいいけど、相手に吐かれたらズタズタにきずついちゃって死んじゃう」
「お願いします。アーマイゼさま、ちょっくらクモ姫さまのご機嫌を治してくだされ」
「まあ、そうでしたか……」
アーマイゼは少し不安になった。
そういえば最近電子書籍とゲームとアニメと筋トレと牛乳と胸のことでいっぱいいっぱいになって、クモ姫とあまり会話してなかった。
(そうだわ。久しぶりにマッサージをしてあげましょう!)
アーマイゼが胸を叩いた。
「お任せを!」
「「すごい! アーマイゼさまが頼りに見える!」」
アーマイゼが扉をノックした。
「クモ姫さま、アーマイゼです」
……。
「入ってもいいですか?」
その瞬間、扉が開き、アーマイゼが中に引き込まれ、すぐに扉が閉められた。大臣たちは悲鳴をあげた。きゃあ! アーマイゼさまが食われるぞ! 次の花嫁候補をさがさねば!
一方、執務室の中は粘り気のある糸の巣と化されていた。
「クモ姫さま」
クモ姫がアーマイゼを腕の中に閉じ込めた。
「大臣さま方が困っておりました。どうかされたのですか?」
「しゃべるな。わずらわしい」
(あら、大変。本当にご機嫌斜めだわ)
アーマイゼが黙ってクモ姫を抱きしめ返し、その広い背中をなでた。するとクモ姫の顔がアーマイゼの首元へと沈んできた。
「……姫さま……?」
クモ姫がアーマイゼの首にキスをした。
「んっ」
クモ姫がアーマイゼを抱きしめ、またキスをする。
「ん、ん……」
鳥肌がぶわっと立つ。恐怖ではない。恐怖であれば、こんなに愛おしく想い、こんなにドキドキしたりしない。
「……クモ姫さま……」
「貴様の伴侶は牛乳か?」
アーマイゼがきょとんとした。
「……今日は飲むな。一切許さん」
「……クモ姫さま……」
「反論は許さん」
「……」
アーマイゼはそこで何となく察した。そうか。クモ姫の機嫌が悪いのは牛乳のせいか。わたしが、クモ姫様とのコミュニケーションを取らず、牛乳ばかり飲んでいたから。
――なんておかわいい方……。
「……クモ姫さま、実は、あの……」
「ん?」
アーマイゼがクモ姫の耳にひそひそと事の経緯を説明した。途端に、クモ姫は耳が幸せになった。事の経緯を話し終え、恥ずかしそうにうつむくアーマイゼを見て、クモ姫は思った。小さな胸を気にしてあんなに毎日努力をしていたなんて、
――なんてかわいい女なのだろう。
そして、またさらにやさしくアーマイゼを抱きしめる。
「アーマイゼ、そんなものを気にする必要はない」
「でも、わたし、クモ姫さまのように、大きな胸がほしいです。わたし、これくらいの胸を持てたら幸せだと思うんです」
「とある諸説だ。胸は異性を魅了するための手段とも言われているそうだ。ふむ。で、お前はわたくし以外の誰を魅了する気だ?」
クモ姫がアーマイゼの顎をクイと上に上げた。
「わたくし以外に、魅了させてたまるか」
「クモ姫さま……」
「わたくしは胸の小さなお前も好きだぞ。それをありがたく思いなさい」
「はい。……姫さまが……そうおっしゃるなら……」
アーマイゼが両手を握りしめた。
「感謝感激雨あられ。……あなたさまに愛されて、わたし、本当に幸せです」
そして、またクモ姫を抱きしめる。
「姫さま、夜にマッサージをさせてください。たまには……」
「……ん。たまにはいいだろう。でもその前に」
「あっ……」
二人の唇が重なった。
「わたくしを満足させろ。アーマイゼ」
「……はい。……クモ姫さま……」
部屋の中でイチャイチャする中、使用人たちはアーマイゼの墓を作っていた。そうだ。葬式の準備もしなきゃ。おい、だれか坊主をつれてきてちょうだい。アーマイゼさま、南無阿弥陀仏。どうか安らかに。
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