3人の令嬢は婚約破棄の断罪劇に好き勝手物申す
芹澤©️
3人の令嬢は婚約破棄の断罪劇に好き勝手物申す
そろそろ茹だるような夏の強い日差しも落ち着いて、からりとした空気が心地よい季節。
ベアトリーチェは学園のカフェテラスで、落ち着いたとはいえ差し込んでくる日差しを避けつつ、パラソルの日陰の中で読書に勤しんでいた。波打つブルネットの髪は風に優しくそよぎ、本を読む緑色の瞳は真剣そのもの。
下校の時刻とはいえ、迎えを待つ者や談笑している者、人影はまだまだ多い時間帯であり、そんな中彼女は周囲の雑音も気にならないのか、口元に薄く微笑みを浮かべながら本に目を走らせる。
やがて読み終え、そのままぱたんと本を閉じるとテーブルの上に丁寧に置いた。
温くなった紅茶を口へと運び、その佇まいはお手本の様な淑女然としている。
そんな彼女の席へ、静々と2人の制服姿の令嬢が近付いた。ベアトリーチェは2人へ向けてにっこりと微笑むと、手で席を勧める。2人が席へと着くと、すぐさまカフェテラスの給仕が彼女達に紅茶を用意した。ここは貴族専用の学園である為、学園に勤める各従事者も仕事振りに隙が無い。
紅茶のセッティングが終わり、給仕が注文したデザートを運んで来るのをひたすら待つ。その給仕も去り、テーブルに3人きりになるタイミングで、合流した2人の内の赤い髪の、紫色の目が少し吊り目がちなジョリーンが、テーブルに置いてある本に視線をやり、口を開いた。
「で、どうだった? 」
その口振りは男言葉のせいで語気が強く感じるが、真剣と言うよりは揶揄っている色が強い。
「思っていたよりはさくっと読めたわね」
「そういうのを聞きたいのでは無く」
「客観的に見れば市井には人気が出そうではあると思うわ」
「あ、それは分かりますわ」
相槌を打ったのは侯爵令嬢である金髪に碧眼の小柄なキャスティーネだ。注文した旬のモンブランを上品に口にし、頷く。
「夢一杯って感じですもの。王子様がまた情熱的に描かれていて、女子に人気が出るのも頷けますわ」
その言葉に眉を八の字に下げるのは、ベアトリーチェだ。
「そうね、わたくしはあまり共感出来るものでも無いのだけれど」
「これに照らし合わせると、リーチェが振られる令嬢って事だろう? そりゃ共感したくもないだろう」
これ、と言いジョリーンは先程までベアトリーチェが読んでいた本を手に取った。公爵令嬢であるベアトリーチェに対して伯爵令嬢のジョリーンがするには随分と勝手に見える行動だが、3人は長い付き合いであるし、これは元々は彼女の兄嫁、つまり義姉から借りた本なのだ。
「読んでの感想は、悪いが私は冒険譚の方が良い。ドキドキするどころか、主人公に憤りしか感じない」
彼女達が話題にしているのは、今巷で人気沸騰中の小説、『哀しみの先にあなたが』である。小説内容を要約すると、男爵令嬢が努力して、その国の王子に見染められるシンデレラスストーリーだ。その中では王子の婚約者に意地悪されたり、お互いの立場のせいですれ違って距離を置いたり、様々なハプニングがあったその後にぐっと近くなる2人の心情が上手いこと描かれていて、最近の作品としては今一番の売れ行きなのだとか。
そうして、ジョリーンは義姉に勧められて本を渡され、ベアトリーチェは世間の流行り廃りを知る為にという名目で必要無かったのに仕方なく借りたのだ。流行に敏感なキャスティーネは一早く手に入れ読破しており、ベアトリーチェがそれを読み終えるのを待っていた。既に発売されてから結構経つというのに、せっついても中々読まなかったベアトリーチェである。
「実際、キュンとする? このヨアキムって。忌憚なく答えて欲しいわ」
ヨアキムとはこの小説のヒーロー、容姿端麗文武両道、誰もが恋する(設定)であろう王子様だ。ベアトリーチェのあけすけな問いに、ジョリーンは本をパラパラとめくる。が、すぐに顔を上げた。
「いや……とどのつまり浮気者だろう? 」
「それよね」
「まぁ……結果そうですわね」
ジョリーンが吐き捨てると、2人の令嬢はこっくりと頷く。
「大体、政略の婚約者だからと言って、主人公ばかり庇って、言い分を聞かないってどうなのかしら? 」
「まあ、嫌がらせしていたのも事実って言う所が2人の愛を形作る要点でもあるわけですし……」
「そんなの、婚約者なんだから前々から厳重注意しとけよって話だよな」
「そもそも、彼が心移りしなければ良い話でしょう、それを棚に上げて婚約者を説得するでもなく、やんわりと注意してほぼ野放し。そしていざばっさり断罪するって、極端過ぎて人としておかしくない? 我ながらちょっと怖いわ」
「主人公の為に正義と愛故の行動……って言うのが、主人公目線だとキュンとするポイント……らしいですわよ? 」
「キャス、何見てるんだ? 」
「お友達のアンケート結果ですわ。市場調査ですの、念の為」
「また熱心な」
キャスティーネは手元の手帳を開いて、何やらメモを見返している。因みに、3人の議論内容は小説でのクライマックスの婚約者断罪劇である。苦しみを乗り越えて、王子と手を取り合い難敵を排除。そうして迎えるのはハッピーエンドだ。
「そもそもこう言っては何だが、人前で行うのが気に入らない。そんなもの、政略なんだから家と家の問題だろう? どちらかの家でやれば良い」
「結局認めるのは親ですしねぇ」
「正義を貫いたと言う証拠を周囲に突きつけ、浮気を無かった事にしようとしている風にしか見えないわよね」
「大体、何だっけ? 貴重な光の魔法使い? 主人公の隠された力なんて、それが分かった時点で親に報告、婚約の変更で男爵位でも王家に嫁げる様に手配すれば良いだろう。細々と証拠を拾う暇があるなら、婚約者を止めて主人公を助けろよと。ギリギリまで何粘ってるんだ。クライマックスまで主人公が傷付いてるのを放置か」
「
セリスは王子ヨアキムの婚約者で、ヨアキムと仲を育む主人公に嫉妬して陰で虐め、それを公の場でヨアキムに数々の罪を暴露され婚約破棄されるのだ。それにしても、主人公を虫呼ばわりとは、ベアトリーチェは見た目と反して割と毒が強い。
「それは……最初はヨアキムに忠言するけど、聞き入れて貰えないから主人公へ……って流れじゃありませんでした? なら、仕方ないのでは? 」
「そうかしら? わたくしは聞き入れて貰えない時点で投げるけど」
「投げる? 」
「ええ。例えば、最初の頃は学園に転入して慣れない主人公に手を貸すのも生徒会長の務めだよ、とか何とか言い訳していたでしょう? 」
小説の舞台は今ベアトリーチェ達が居る様な学園もの。ヨアキムは学園の生徒会長役でもあった。そうして、教師に転入生を面倒見てやってくれと頼まれて、主人公と2人は出会うのだ。
「あー、なんだそれはと思った」
「そう、なんだそれ。なのよ。だけど、一応彼の言い分も考慮して、2ヶ月様子は見る」
「まあ、それぐらいなら慣れて来るかも知れないな? 」
「そうして、それでも節度な距離を保っていないのなら、再度忠告。それでもなんだかんだで立場が分からない様なら親に連絡。婚約解消よ」
途端にこの席からは見えない、建物内からガシャンと大きな音が響いて、ジョリーンは眉根を潜めた。が、確認する事は無く、ベアトリーチェの話の続きを待った。隙のない仕事振りのスペシャリストが集まる中、ああいった音は大変珍しいのだが。
「でもそれは、早計ではないかしら? 」
キャスティーネは何事も無かった様に話を続け、小首を傾げる。それを受けてベアトリーチェは、んーと声を漏らし考える素振りをしたが、すぐに首を横に振った。
「そもそもが、長年婚約しているのに、表面上の付き合いで話もろくに聞かないなら、それはもう無理でしょう」
「王子を抑えるのも婚約者の務め〜とは言わないのか? 」
「右も左も分からない子供ならまだしも……15も過ぎれば矯正不可でしょう? 周りの大人は何をしてたとしか言いようが無いわよ。大体、婚約者は生涯のパートナーであって、母親じゃないんだし」
「確かに。婚約者への接し方は親が予め教えとけって話だよな」
「それは同意します。政略なのはお互い様なのだから、敬意を払って仲を築き上げて行くのも義務ですわ」
「中には立場を振りかざして相手を虐げる奴も居るそうだが、概ね婚約者の立場は対等とされる。お互いの努力は必要だな」
「立場にもよるけど、婚約が避けられないのならば、腐らず代替え案を出せば良いのよ」
「例えば? 」
「解消する代わりに、相手には条件の良い縁談を用意するとか」
最後の一口、ザッハトルテを咀嚼しながらジョリーンは微妙そうな表情をしている。それを受け、キャスティーネがジョリーンの気持ちを代弁する。
「王子相手に代わりの縁談は難しいのでは? 」
「うーん、縁談じゃなくても、婚約期間の補償金と安定した職業とか? 」
「それで片付く醜聞なら良いでしょうけれど……」
「醜聞ねぇ……。まず、前提が
「どうせならどっかの王族との縁談でも用意しておけと言いたいよな」
ジョリーンはふん、と不敵に笑う。何とも飛躍した話だが、ベアトリーチェは重々しく頷いた。
「浮気してるのは自分なのだから、お詫びに相手に礼を尽くすのは当然じゃない? それを、胡麻をするどころか叩きのめすのはどうなのかしら? 」
「やった悪事も精々誹謗中傷ですからねぇ」
「まあねぇ。主人公やその親を害した訳でも無し……階段から落としたっていうのがやり過ぎかしら? でも結局助けられているし、やっぱり甘い? それにしたって、断罪中セリスの家を責めてたけど、どんな家だって叩けばどこかしら埃が出るものよ。それを婚約破棄の影響で没落させないように娘を修道院送りって……。そんな貧弱な家と婚約を結ぶかしらね? 事前調査が甘いわよねぇ」
「前提として我儘な娘を学習させないとか無理がありますしねぇ。適性が無ければ引き摺り落とされるのに、設定上セリスの家が親子の愛がないと言っても放置は無いかと。やっぱり無理矢理感出ますかねぇ? 」
「愛に飢えているから、どうやったら愛されるか態度を研究しても良さそうだけれど。それとも、機能不全の家庭だと、そうする気力が無くなるかしら? そうしたら、虐める気力も無くなりそうだけれど。……そもそも、婚約者と仲が良いからって近付く異性を虐める気にもならないのよね。好きにしてって感じ」
するとガタタッと、また中で物音がする。流石にキャスティーネは建物内をちら、と気にしたが、相変わらずベアトリーチェは音を気にする様子は無い。
「ちょっと色々と興味なさ過ぎでは……。セリスは愛を独り占めしたいが為に排除に妄執したのでは? 」
「そうかしら? お互いやるべき事が分かっていれば、何も障害にならないと思うんだけど……。そもそもセリスとヨアキムが仲が悪いのも、政略なのが気に入らない、王宮に遊びに来て執務の邪魔する、子供っぽいのが王子妃に相応しくないっ……ってねぇ? その歳まで王子妃教育受けてる人が? としか思えない」
「そんなに気に入らないなら、先に手を打っとけとしか言えないな」
ジョリーンの言葉に、ベアトリーチェも頷く。
「手を打つ方向性が違うのよね。円満解消と、婚約者断罪する王子じゃあ明らかに周囲の目が違うもの。自分から振りたい自尊心でも働いた……無理あるかしら? 」
「まぁ、物語は所詮架空ですから。敵を貶めて主人公を盛り立てなければいけませんしねぇ」
「そうだけれど、余りにも周りが見えてないなって。恋は盲目って奴ね」
「そんなんで盲目になるなら、その後ヨアキムが即位したら国は傾くよな。絶対」
「容姿端麗、文武両道なのに周りを見れない馬鹿……最悪ですわね」
「ああ。その一点で全てが台無しだ」
2人の意見を聞いて、ベアトリーチェは小さな溜息をついた。
「これが売れるって、やっぱりわたくしは共感出来ないわ。だって、相手を痛めつけて得る幸福より、丁寧に段取りをしてくれて、自分を守ってくれて迎え入れてくれる。更に周りに配慮出来る方が人として魅力的じゃない? 」
「それじゃあ物語にはし辛いですわよ。やっぱり現実と違って盛り上がってが花でしょう? 」
「うーん。こんなに愛してるんだと吠えられるより、どうしても愛してしまう、努力はしてみたけど本当に申し訳ないって謝られた方が、言われる方は辛いけどそんなに好きなら……って身を引こうと思えそうじゃない? 」
「そこは何とも言えないが、取り敢えずヨアキムは無いな。私は何事も勝ち負けはっきりしたい性質だが、この話はすっきりしない。そもそも、自分の愛欲の為に都合の悪いものは切り捨てるどころか徹底的に潰すんだぞ? 次何かあればそれが此方に向きそうで安心出来ないじゃないか」
「それも一理ありますわよねぇ。まぁ、物語は多少やり過ぎなくらいに大袈裟にするのは当たり前として。わたくしは愛憎渦巻く骨肉の争いも好きですけれどねぇ。これは内容的に軽すぎでしたかしら」
キャスティーネから不穏な発言が出たものの意見は三者三様、受け取り方はそれぞれだ。建物内の人もまばらになり、語り尽くした3人は一緒にテラスから建物内へ戻り、その場を後にした。
その後ろ姿を見送る者が3名。それぞれは去って行く彼女達の背中を見送った。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
放課後にお喋りした日から暫く。すっきりと晴れた空の下。相変わらず日差しはあるものの涼しい風を堪能しながら、ベアトリーチェを始め、仲良しの3人は学園の中庭のベンチにこれまた仲良く並んで座っていた。
「ついに出ましたわね」
左端に座っているキャスティーネは、横の2人を覗き込むように、体勢を傾ける。それは少々はしたない行動だったが、小柄なキャスティーネがすると何とも可愛らしい。
「ああ、あの小説。劇が始まったって? 凄いな」
「ええ……本当、人気過ぎじゃない? 」
語り合った小説が遂に演劇になって、ますます人気になっているらしい。好みが違うベアトリーチェにとっては、驚きの事態だった。
「セリスがこれまたごってごての悪役にされていましたわ」
「キャス……貴女情報が早すぎるわよ。言ってくれたら手配したのに」
キャスティーネは初日公演のチケットを私的に入手したらしく、つい先日観に行ったらしい。
「何だろうな、分かりやすい正義対悪が受けるんだろうか」
「まぁ、高位貴族が貶められるのは民衆にとっては痛快な話なのでは? 」
「嫌だ、そんなに鬱憤が溜まるほど悪政強いてたかしら、この国……」
「どんな環境でも上は叩かれるっていうのが常らしいですわよ? この国は……まあまあ上手くやっている方では? 」
「悪役貴族が廃される話が広まる事事態が平和な証拠、か」
ジョリーンの言葉に3人は苦笑する。
「懸念は、流行り過ぎて勘違いする者が出て来る事だが……」
「そうねぇ、わたくしに何か言って来る者はいないでしょうけれど……照らし合わせて陰で噂する者は出るでしょうね」
「それぐらいなら良いでしょうけれど、勘違いして王太子殿下にアタックする方が出るのでは? 」
キャスティーネの言葉を受けて、ベアトリーチェは目を丸くする。
「まあ! こんな話題性のある中でそんな面白い事をする方が?! それは……実に見ものね」
ベアトリーチェの言葉の後、ベンチの後ろの草むらからガサリと音がする。
「……見ものって……。まあ、その通りなんですけれど。でも小説の様に盛り上がりは無いでしょうね」
「面倒そうなのは想像出来るがな。でもそうだな、万が一……殿下がそんな相手に心を傾けたらどうする? リーチェ」
またガサガサと草むらから音がしたが、3人は振り向かない。
「うーん、男女の駆け引きを楽しみたいなら見守るわ。本気なら……新しい縁談を打診するかしら」
「なに、自分から? 因みに当ては? 」
ベアトリーチェは薄く微笑む。それは何とも妖艶さが際立つが、幼馴染みの2人にはいつもの可愛らしい笑顔だ。
「南の国のイスハーク様なんてどう? 」
「イスハーク……あの王弟の? 彼は15も年上「ガサガサッ」……だろう? 」
草むらから葉擦れの音が激しくなり、ジョリーンは半目になる。非常に耳障りなのだ。少し落ち着けと言いたくなる。
「わたくし、年上なんて気にしないわ。そもそも、外見の好みがよく分からなくって。でもあちらって騎士でなくとも筋骨隆々な方が多いって話だし、こう、逞しい方に抱きしめられるって素敵じゃない? 」
「私は御免被るね。筋肉など兄達でお腹一杯だ」
ジョリーンの家は代々騎士団長を輩出する言わば武芸の名門。5人も居る兄達は鍛えに鍛えまくっている。そして、家族にとって末姫のジョリーンは可愛がられて暑苦しくて仕方ないのだ。
「ジュリは家がねぇ……。でも、そう言われるとわたくしも外見の好みが良く分かりませんの」
「あら、キャスは可愛らしい方が好みなのでは? 」
「ええ? 考えた事もありませんわ」
珍しくキャスティーネは遺憾だとでも言うように頬を膨らませるのだが、キャスティーネの婚約者のメイガスは美少女と思われる程に儚い系美人なのだ。そうして2人は仲も良いので、ベアトリーチェはてっきりそういうものだと思っている。やはり一緒に居ると慣れてしまい、外見は関係なくなるのかも知れない。まあ、幼い頃から眉目秀麗な婚約者がいるせいで好みが無い
「まぁ、生まれてから婚約者しか相手がいなかった訳だものねぇ。……万が一を考えて、婚約者候補を改めて考えておこうかしら? ほら、わたくしはセリスの立場なんだし」
草むらが今までで一番ガサガサと音を立て、流石にベアトリーチェは立ち上がった。
「さっきから動物かしら? ……さあ、わたくしはこれから王子妃教育で王宮へ伺わないといけないし、お暇するわね。貴女達は? 」
「私は騎士団にちょっと」
「わたくしは父に用事が」
「あら、折角だから一緒に向かえば良いじゃない。それじゃあ行きましょう」
ジョリーンは少し草むらを気にしつつもベアトリーチェに続いた。キャスティーネも徐に立ち上がる。
「……王宮なら、殿下は一緒じゃくて良いのか? 」
ベアトリーチェは先程と変わってくすりと口の端を上げた。
「何だか夏前から忙しそうで。今も生徒会室で何やらしてるんじゃない? 」
「相変わらず軽いな……」
「わたくしはリーチェのからっとしている所、好きですけれど」
「あら、ありがとう。わたくしも2人が大好きよ? 」
「そういうの、照れるから止めてくれ」
「えー、たまにはジュリからも聞きたいわよね、キャス? 」
「いや、無理だから。男兄弟に慣れすぎて女子特有のノリは乗りづらいんだぞ……。知ってるだろう?! 」
「あらあら、ジュリ顔が真っ赤でしてよ? 」
そう言って笑い合いながら、3人はベンチを後にした。
3人の気配が消えて、草むらから3つの影が勢いよく立ち上がった。
ベアトリーチェの婚約者、この国の王太子であるアーヴァイン。そして、彼の護衛でありジョリーンの兄のダルトン。それからキャスティーネの婚約者メイデスだった。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
秋の風が冷たく吹く頃。
カフェテラスは冷えるので、建物内の多目的ホールにいつもの3人で集まろうとしていたベアトリーチェは辟易していた。何故なら、秋終盤に差し掛かってから、やたらとアーヴァインがくっついて回るのだ。これから肌寒くなると言っても、四六時中くっ付かれるのははっきり言って邪魔臭い。
「殿下……ちょっとお離しになって? 」
3人では砕けた口調のベアトリーチェだが、流石に王太子相手には取り繕う。やんわりと腰に回す腕を押し除けようとするのだが、びくともしない。
「どうして? リーチェは僕が側に居るのは嫌なのかな? 」
「いえ、そうではなく……。ここは学園内ですし」
「それの何か問題が? 節度を保って仲良くしている恋人達は多いし、何より僕達は婚約者同士だろう? このぐらいの距離は当たり前だと思うけど」
(今までこんな距離で居たこと無いけど?! )
ベアトリーチェは内心毒突くが、流石に言葉にはしなかった。
そもそもが、アーヴァインとベアトリーチェの仲は至ってあっさりとしたもので、良く言えば熟年夫婦のそれ。悪く言えばビジネスライクなものだった。だが、婚約者としての気遣い、配慮その他諸々はお互いに欠かした事など無く、割と上手く行っている婚約だと双方思っていた……筈。
なのに、何故かアーヴァインは距離を詰めて来たのだ、いきなり。幼馴染みとしての距離ではない。これでは恋人として接している様で、ベアトリーチェは落ち着かない。
「ですが、今までエスコート以外でこんな距離は取っていませんでしたでしょう? 」
「……リーチェ、僕達は卒業したら半年後には結婚だ。それまでに近付きたいと思うのは自然じゃないかな? 」
「そ、そうですかしら? 」
この国は冬に雪が積もる為、学園は冬に3ヶ月と長い休みを挟む。年は冬真っ只中に明けるが、学園は雪解けに合わせて新年度が始まる。つまりもうすぐ休みに入る訳だが、ベアトリーチェとアーヴァインは同じ年で、今年冬が始まる頃には卒業を控えている。
つまり卒業まで後2ヶ月も無いといった所である。
そうすると冬を迎えて半年後、春が過ぎて初夏の風の気持ちの良い季節に、2人は結婚式を挙げるのだ。
「ちょっと学園生活と執務に時間を取られ過ぎたから、生徒会長でも無くなって幾らか時間が出来た事だし、可愛いリーチェのご機嫌を取りたいのさ、僕も」
「……左様でございますか」
渋々といった雰囲気で納得してみせた婚約者に、アーヴァインはにっこりと微笑んだ。
実は今2人きり……などでは無く、やや離れて見守るのはジョリーンとキャスティーネ。それにダルトンとこれまたキャスティーネの腕を離さないメイデスだ。
ジョリーンとダルトンは苦笑気味。キャスティーネはメイデスの腕など慣れきって気にしていないのか、によによしながら2人の攻防を見守っていた。こんな光景も早幾日。人とは慣れるもので、異様な雰囲気を醸し出している6人を、外野は生温く見守り、そして無関心を装っている。
あえて近寄る者など、例えあの小説が流行っていて、そうして演劇がヒットしている現状だとしても、学園内何処を探してもいないだろう。
そうして、この2人とそれを見守る4人と、それを引っ括めて6人を生暖かく見守る空気は、卒業まで揺るぐ事は無かった。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
厳しい冬が終わり、雪解けも過ぎて春の花が咲き乱れる頃。ベアトリーチェが王太子の婚約者として王宮に宛てがわれた部屋の前には、王宮使えの庭師が腕を振るったご自慢の庭が広がる。その庭の四阿に、ベアトリーチェとジョリーン、そしてキャスティーネが集まっていた。
「……まさかここまでとは思って無かったのよ」
そう脱力しながら力なく呟くのはベアトリーチェだ。
「私も驚いた。まさかあの小説の続編を出すとは……」
そう言って、ジョリーンは用意された王宮で振る舞われる最高級の紅茶を飲み込んだ。
「ハッピーエンドの続きを考えるのって、大変でしょう? 本当、良く頑張りましたわねぇ」
キャスティーネはくすくすと笑いながら、テーブルへ本を置いた。その題名は『哀しみの先にあなたが〜堕ちた私に向けられる優しいその手に〜』である。
大まかな小説内容はこうだ。婚約破棄されて失意の元修道院へと送られたセリス。修道院の中の生活、周囲の厳しい目に晒されて心を入れ替えたセリスは、ある日食材を探しに分け入った森で、傷付いた騎士風の男と出会う。懸命に怪我の手当てや看病をするセリス。意識を取り戻した男は謎が多く、それでもセリスは惹かれて行くが、実は男は他国の王族で、2人には大きな身分の差が立ちはだかる……となんやかんやありつつ最後はハッピーエンドになる物語だ。
前回の悪役を主役にしたというのに何故かヒットして、今度も演劇公演は間近に迫っている。
「……これ、イスハーク様だろう。どう考えても」
謎の男、そして実は王族だったアスランは背が高く筋骨隆々。黒目そして黒髪は長く艶やかでかなりの美丈夫……とある。イスハークを絵姿でも知っている者ならば、ピンと来る筈だ。
「ネタが……ネタが無くて……」
「まぁ、仕方ないですわよね。触れ合う殿方が少ないんですもの。これは妄想を総動員しても、イメージが沸かなければペンも進まないというものでしょうし。ちょっと見た目を貸して頂いたって事で」
「まあ、楽しくもあったのよ? 美丈夫であれこれ考えるのは」
「そうですわよね。そこは乙女らしくて良いと思いますわよ。キュンとする所が無ければ読者は付いてきてくれませんし」
「今回も私はキュンとは来なかったが……前回よりも共感は出来たかも知れない」
「それは、冒険の要素が強かったからでは? 」
「それはあるな」
そう言ってジョリーンは口角をくいっと上げる。今回多く表現されている剣技の動きや2人の旅での夜営のあれこれを監修したのは彼女なのだ。まあ、前回も今回も監修したその部分しか読んでいないので、出版されてからきちんと本を手に入れて読んでいる辺り、良き友達である。キャスティーネも本は元より公演チケットも自力で購入するぐらい、ベアトリーチェを応援している。
「まさか、私が小説の監修役になるとは思わなかった」
ジョリーンはそう感慨深そうに目を閉じる。それを見て、フィナンシェを口にしていたキャスティーネは優しく目を細めた。
「前回は冒険色は薄かったですものね」
「その分、ヨアキムに目が行って腹が立つ事この上無かったな。今回は冒険の中芽生える恋心だったからすんなり受け入れられた。頼りになる、ならないで言えば、頼りになる男の方が良い」
「そりゃあそうでしょう。前回はほら、切っ掛けを思いついたのがアレだったし」
そう言うベアトリーチェは遠い目をする。
そもそも、『哀しみの先にあなたが』を執筆したのは何を隠そうベアトリーチェである。発端は前々から勉強を兼ねて本の翻訳をしていたベアトリーチェが、他国の婚約破棄ものの物語を読んでいた事、そして夏前にいきなり転入して来た学年が1つ下の男爵令嬢がアーヴァインに近寄って来た事による。
それを見たベアトリーチェは思ったのだ。
さっぱりとした婚約関係であったし、物語の様に簡単に傾倒するアーヴァインでは無かったが、男爵令嬢を上手く相手出来ないのを見て手際の悪さにやきもきしたのも事実。そうして、2人のやりとりをこっそりと観察して書き上げたのが処女作である『哀しみの先にあなたが』である。
お前はこうなるなと警告めいた思いも詰めたと言えば詰めたかも知れない。いや、でも
まあ、そうやって半ば面白半分で執筆し、キャスティーネに相談し、多少表現した剣技をジョリーンにチェックして貰い、懇意にしている商人から出版社へ渡して貰ったら、あれよあれよと出版されたのだ。それが演劇にもなり、良い稼ぎになっているのだから人生どう転ぶか分からない。
こんなに売れるとは思いもしなかったベアトリーチェは、執筆中のテンションも下がった後に突き付けられる大ヒットに、こんな内容の物が売れて良いのかと悶々と考えたのは記憶に新しい。そして3人であーでもないこーでもないと論じていたのだ。
「それに、わたくしこんなに影響を与えるとは思って無かったのよ」
彼女の言うところの影響とは、世間ではなくアーヴァインである。彼は子女が読むような小説にも手を出しているのか定かではないが、小説が売れ始めた頃にはあれだけ
ベアトリーチェは言いたい。
婚約者への対応しっかりしろとは思ったが、べったりは求めていないと。
だが、お陰で仲良く結婚式を迎えられるし、正直アーヴァインの甘やかしや褒め殺しは嬉しくもある。これは慣れて来た弊害だろうか。
「あんなにぼろくそ言っておいてなんだが、キャスティーネの構成力は凄いな。こんなに流行るんだから」
「うふふ。まさかのアレが、壮大な愛の話になりましたでしょう? 」
「最初は戸惑ったけど、逆にセリスを追い詰めるのはどこまでやってやろうかと思ったぐらいよ」
「何事も思い切りが大事って事ですわね」
「今回は市場調査の結果、2作目はあんな感じに? 」
ジョリーンが言うあんな感じとは。セリスとアスランの甘く蕩けるいちゃいちゃ振りの事である。それがまた甘酸っぱいやら大人の愛の表現……の一歩手前ぐらいで、年頃の乙女の心へ火を付けるとか何とかで売れに売れているのだ。
「いいえ? 普段のいちゃいちゃで体感しているだろうと思って提案いたしましたの」
「ほう? 」
そう言って2人は揶揄いの目をベアトリーチェに向ける。彼女と言えば、顔を赤くしてそっぽを向いた。
「あ、あれはそんな、抑えて書いたし……」
「あれで」
「抑えた? 」
そう突っ込まれて墓穴を掘ったと気付いたベアトリーチェは「知らないわ! 」と言ってだんまりを決め込んだ。2人はにやにやと悪い笑みを浮かべていたが、人の気配を感じて居住まいを正した。
「やあ、ご令嬢方。ご機嫌如何かな? 」
やって来たのは正に今噂していたアーヴァインである。ジョリーンは吹き出しそうになるのを堪えて立ち上がった。
「殿下、お久しぶりにございます」
「あー、座って座って。ジェスト嬢も立たないで良いから。ちょっと挨拶に来ただけなんだ」
因みにジェストとはキャスティーネの性である。幼馴染みと言って過言ではないのだが、アーヴァインは線引きをしっかりとしていた。取り敢えずその言葉に甘えて、ジョリーンは座り直したが、ベアトリーチェの顔の赤みはまだ引かない。彼女は既に扇子で顔半分を隠していた。
「何だか楽しそうだね……ああ、新作の話? 」
そう言ってテーブルに置いてある本に視線を移すと、ベアトリーチェは少しだけ焦った。何故なら小説の事は3人の秘密だからだ。ベアトリーチェが執筆したなど、聞かれていなければ良いのだが。
「え、えぇ。話題のものは逐一確認しておきませんと」
そう言っておほほほと笑うベアトリーチェに悪戯好きのジョリーンが笑うのを堪える。案外笑い上戸なのだ。
「今回はやたら美丈夫が描かれていたからねぇ。前回の王子よりも魅力的なんじゃない? 」
その言葉に頬を
「え、ええ。とても勇ましい殿方ですわね。今回は」
「でも意外ですわ。殿下も読まれるのですか? これは大衆向けの恋愛小説ですのに」
「愛するリーチェの趣味嗜好を知るのも、婚約者の務めだろう? 」
「まあ、お熱い事ですわね」
「手を尽くさずイスハーク殿に負ける訳には行かないからね。それじゃあ、僕は失礼するよ。リーチェ、楽しんでね」
そう言ってアーヴァインは固まっているベアトリーチェの頬にキスを落として去って行った。固まり続ける彼女と、突然の事に軽く驚く2人。そうして、アーヴァインの姿が見えなくなった所で、
「……
なんてベアトリーチェが呟くものだから、ジョリーンは爆笑し、キャスティーネは苦笑いを溢した。
学園在学中、処女作ヒット時にちょっとした苦言のつもりでこそこそ隠れる彼らに気付かない振りをして言って聞かせた覚えはある。
しかし、執筆自体をいつから気付かれ、自分が題材にされてると確信していたのかと考えると怖い所ではあるが、そうは言っても何だかんだと気にかけてくれるアーヴァインはきっとベアトリーチェを愛しているのだろう。それが妙に腑に落ちて、ベアトリーチェは2人に向けて柔らかく微笑んだ。
長い婚約生活の中、アーヴァインに擦り寄る男爵令嬢を何とも無いと思い込んでいたのだが、作品にしてまで嫌味を言ってやりたい程にはベアトリーチェも鬱屈していたらしい。セリスを思い出して、嫉妬に狂う彼女の事を責められるのは他でもなく彼女だけなのだとベアトリーチェは心の中で謝っておいた。
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