10 朦朧とした意識の中で
地球に居た時とは比べ物にならない程に強化された俺の身体能力によって生み出される瞬発力は、それなりに足が早いであろう少女との距離を一気に詰めて行く。
そして一瞬で距離が詰まる事に焦ったのだろう。今まではおそらく盗んだ事をすぐに勘づかれない様にぶつかる前と同様のスピードを保っていた少女は、こちらに視線を向けた後、驚愕の表情を浮かべつつも瞳を赤く染めた。
そして状況は一転する。
「な……ッ」
加速した。
恐らく肉体強化の類の魔術を使ったのだろう。少女の走る速度が格段に上がった。
それも……気を抜けば距離を離されかねない様な超スピード。
「……そっち方面に特化してやがんのか」
肉体強化にカテゴライズされる魔術の効果は、その数だけバラつきがある。
俺が使っている全身の身体能力をほぼ平等にあげる様な肉体強化もあれば、動体視力のみを急激に上昇させる様な魔術も存在する。
だからこの状況下で考えられる可能性は二つだ。
一つは目の前の少女が、今の俺をも凌ぐほどの強力な魔術の使い手という可能性。
そしてもう一つは、使っている魔術が移動速度を向上させる事に特化した魔術であるという事。
どちらにしてもほぼ拮抗したスピードで走り続けているのなら、勝負の分け目はただ一つ。
単純な体力の差。
魔術を使用する際に集中力も必要になってくるが、こういう状況下において最も重要視されるのは術者の体力。
何故なら例え魔術を持続できる集中力があっても、体力が尽きてしまえばまともに動けなくなるからだ。
だとすれば俺が追い付けない訳が無い。
魔術が駄目でもそれ以外の事は自信がある。
そんな俺が年下の女の子に体力の面で負けているとは思えないし、そして何よりあの魔術が瞬発力に特化した魔術なのだとすれば当然普通の肉体強化を使うよりも脚に掛る負担が多い。
故に負けるビジョンが浮かばない。
そして俺の体力がまだありあまっている段階で、少女が失速しはじめた。
それでも変わらぬ速度で少女を追い……ってオイオイ、ふざけんなッ!
「壁……ッ!」
少女を追う事と人を避けるのに集中し過ぎて他の事が全く見えてなかった。
前方に全長七、八メートル程の高さの壁が見えた。恐らく何かしらの家屋なのだろう。だけどそれが何かなんて事はなんの問題でもない。
今問題なのは……今更壁に気付いた所で、止まれないし曲がれない!
車が急には止まれないのと同じで、人間だって急には止まれない。
ブレーキという高速移動状態から止まるための装置が付いているだけ車の方がマシだ。
つまり目の前の少女が失速しているのは、体力が尽きたわけでは無く、ただ単純にカーブを曲がる為の減速。
「クソ……ッ!」
どうする。どうすればいい!
この場で受け身でもとって無理矢理止まるか? 間違いなく大怪我しそうだけど壁に激突するよりはマシかもしれない。
もしくは壁を飛び越えてみるとか……いや、どちらにしろあの子に逃げられる。
命より金の方が大事だとは言わないが、アリスのお金の管理について任せろ的なニュアンスでリーアに言った手前……そしてアリスと共に命掛けで戦った対価でもあるソレをみすみす他人に奪われる訳にもいかない。
だったらどうすればいいか。
一つだけ、案が浮かんだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
俺はスピードを緩めない所か、気持ち的に更に加速する様に、走るために必要な筋肉をフル活動させる。
減速していく少女との距離をどんどん詰め、そして曲がり角がすぐそこになり、最も少女が減速したであろうタイミングで……俺ははち切れんばかりに手を伸ばした。
「ひゃッ」
伸ばした手は、しっかりと少女の右腕を掴んで……そして。
「いくぞおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
俺はその場で勢いよく飛び上がった。
金を取り戻して尚且つこの場を乗りきるには、少女を捕まえて一緒に飛べばいい。
もっとも捕まえるとなれば飛ぶタイミングも遅れる上、人一人の体重が追加される訳だからジャンプ力だってきっと落ちる。ただでさえ危険極まりない行為が更に危険度を増す事になる。
だけど……もう飛んでしまったのだから、どうしようもない。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
「ひゃあああああああああああッ!」
俺は飛びながら少女の手を引っ張って抱き寄せる。
……行けるか?
一瞬不安になるが、次の瞬間視界から壁が消えた事によって一気に安堵へと変化する。
その次の瞬間に右足の先が壁にかすった事から、本当にギリギリのタイミングだった事が伺えるけど……確かに飛び越えた。
「よし……」
あとはうまく着地できれば完璧だ……完璧?
良く考えたら、飛んだ後の事……何も考えてねえ!?
依然俺達の勢いは殆ど衰えちゃいない。
そんな中で無事に着地できるのだろうかといえばそれは否だ。
下に人が居たら。
民家があったら。
そう考えると、一瞬で絶望的な展開に早変わりだ。
そして飛び越えた壁……何かしらの高い建物の屋上を超えた先の景色が目に入った。
……随分と大きな川である。
「良かった……」
これで人の上や民家の上に落ちるなんて事は無い。そして地面に落ちるよりは幾分かは安全……って、そういえば。
「……俺、泳げねえじゃん」
運動神経には自信がある。
だけど無理な事がない訳じゃない。
「うおああああああああああああああああああああッ!」
「ひゃああああああああああああああああああああッ!」
俺と少女は互いにそんな悲鳴を上げながら急降下。
そのまま水面に勢いよく叩きつけられる。
一瞬、軽い痛みが全身を駆け巡った。
いくら水で、高度が十メートル無かったとは言え、スピードだけはかなりの物だったのだ。
流石にある程度の痛みは伴う。
だけど肉体強化の強弱で生死の分け目になる程の衝撃では無かったらしい。
出血している訳でもなく、気も失っていない。
それに関してはあの子も同じ様で、俺の手から離れた少女の意識は普通にそこにある。
だから大丈夫そうだ。
だけど……俺の方は全くもって大丈夫ではない。
「グバ……ッ」
着水する際、ほぼ全くと言っていい程に酸素を貯め込む事が出来なかった上、水も飲んでしまっている。
全身が酸素を求めるがそんな物はどこにもありはしない。
そんな状況で……本当にタイミングが悪く右足の脹脛に激痛が走った。
「アガ……バ……ッ」
俺は激痛に耐えつつも、右足に視線を向ける。
外傷は特にない。だけど間違いなく攣ってしまっている。
本当に最悪の状態だった。
泳げない俺が、服を着た状態で水深が深い川に落ちてしかも脚を攣ってしまっている。
息を止めているのだって限界で、水だって飲んでしまった。
そして肺に碌に空気が入っておらず、尚且つ泳ぐ事も出来ない様な状態では人間は沈んでしまう。
ゆっくりと水面が遠くなっていくのが分かった。
視界が薄くなり、意識が朦朧としてくる。
俺は半ば無意識に水面に向かって手を伸ばすが、それが届くはずも無く、届いた所で何も起こらない。
だけどその手を握る感触があった。
俺は朦朧とした意識で、その感触の正体を認識する。
俺の手を掴んだのは……緑色の髪をした、中学生程の女の子だった。
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