07 その地を知る者

 意味が分からなかった。

 いや、もしかするとこの世界にもそういった風習があるのかもしれないけれど、それでも中世ヨーロッパ的な風景しか見ていない俺からすれば、完全にその光景は異質だ。


「ううん。全面的にこっちが悪かったわ。ごめんなさい」


「いえいえ、私も適当な受け答えをしてしまい、大変申し訳ございませんでした」


 軽く頭を下げる少女に何か言う訳でもなく、俺はただ纏わりつく違和感をそのままに少女を眺めていた。

 実際、何を口にすればいいのか分からなかった。


「えーっと、こちらの方は?」


 着物を着た少女は、俺の方に視線を向けつつアリスにそう尋ねた。

 するとアリスは俺の脇を肘で突きながら言う。


「ほら、自己紹介しときなさいよ」


 まあ確かにこのまま黙っていた所で俺の理解が深まる訳じゃない。

 だから考えるより先に、やるべき事からやっておいた方が良いだろう。


「えーっと、俺は浅野裕也。昨日アリスのギルドに入った新入りだ。よろしく」


 他に言っておく事もないので、こんなもんで良いだろう。

 まさか初対面の相手に俺は異世界から来たなんて事は言えないだろうし。

 絶対引かれそうだし……って、アリスには言ったのか。

 ……よく引かれなかったなぁ。


 まあそれはそれでいいとして……俺の自己紹介を聞いた着物少女は、俺に言葉を返さず、何故か凄く優しい笑顔を浮かべてアリスの手を握っていた。


「良かったですね」


「え、あ……うん」


 アリスは小さな声でそう言って、ゆっくりと頷く。

 良かった……っていうのはギルドに人が入ったからという事だろうか。

 設立に携わった者なら、今までの状態を知っている訳だし、アリス以外誰も居ないという状況を心配してくれていたんだろう。


 そう考えると……あまり良く無かった印象が少しずつ良くなってくる。

 やっぱり人間ってのは直前に見た事に影響されやすいのだろうか。

 印象悪いだの良くなっただの、我ながら意見がコロコロ変わりすぎている。


 この分だと軽率だったとはいえ仕事を依頼したのは助け舟のつもりだったんだろうな、という根拠のない確信が沸いてくる。

 俺がそう考えていると、少女は俺の方に向き直して笑顔を見せる。


「アリスさんの事、よろしくお願いします」


 まあこういう笑顔を見てると、やはりそれは間違いないと確信できる。


「ああ、任せとけよ」


 そう言われたらこう返さざるを得ないし、元より最初からそのつもりだ。

 今の所唯一の仲間な訳だからな。

 人数少ない分全力で頑張る。


「えーっと、ところで……お前、名前は?」


 俺だけが名乗ってまだ目の前の着物少女の名前を聞いてはいない。

 名前も知らない相手と話すのは中々難しいだろうから、ここらでちゃんと名前は聞いておく。


「私はリーアと申します。えーっと、今回の依頼主の部下とでも考えていただいて結構です」


「ああ、そう……って、部下?」


 あれ? えーっと……この子が依頼主じゃないのか?

 恐らく漫画だったら頭上にハテナマークなんかを浮かべているであろう俺に、アリスは言う。


「別に、依頼主本人が来るとは言ってないでしょ」


 まあ確かにそうだ。

 アリスは依頼主に連絡するとは言っても、依頼主本人が来るとは一言も言ってない……のだろうけどツッコませてくれ。


「お前、多分だけど素で言い忘れてただろ」


「……」


 アリスは墓穴を掘ったと言わんばかりに黙りこむ。

 なぁ、本当に大丈夫かウチのリーダー。


「……で、依頼主本人はどうしたんだ? こういう場には来ないのが普通なのか?」


 あくまで依頼主ってのが会社の社長みたいなもんで、業務内容で部下がきているみたいな感じだったら、今の様にこのリーアって子だけが来ている形でも違和感はないと思うけど……その辺どうなってるのだろうか?


「本来ならししょー……あ、いえ、アルドさんも一緒に来る筈だったのですが……急用ができたらしく、アリスさんが出発する少し前から出はからっているんです。ですので今日は私だけという事に」


「あ、ああ。そうか。大体理解した」


 そのアルドっていう人がこの件の依頼主で、今日この場に居ないのは急用で戻ってきていないから。

 そしてアルドって人の略称がししょーだと言う事。

 やべぇ、基本的に落ち着いた喋り方してたのに、ししょーの所だけなんとなく間の抜けた感じで、思わず笑いそうになったじゃねえか。


「アンタ、なにニヤけてんのよ」


 笑いそうというか、笑っていたらしい。

 というかお前も笑い堪えてんの丸わかりだぞアリス。


「あの、お二人共、あまり笑わないでください。外に出るとき以外基本そう呼んでるので、偶に思わず言ってしまうんですよ」


 やや墓穴を掘っている発言を聞いて浮かんだのは、そのアルドとか言う人に、「ししょー、ししょー」と声を掛ける普段のリーア。

 やべえ、想像したら笑いそうになって来た!


「そっか。前にアルドさんと居た時は普通に名前で呼んでたから、普段からそうだと思ってたけど、ししょー……ししょー……ッ」


 アカン。アリス完全にツボ入ってる。いや、分かるよ。ししょーの発音から何まで、物凄くパーフェクトに笑わせにくるもん。

 くそ……ついさっきスマフォ電源が尽きてしまった事が惜しまれるッ! 録音してえ!


「……あんまり笑うと私だって怒りますよ? ししょー直伝の戦闘術をつかっちゃいますよ?」


「わ、分かった。分かったから追い打ちを掛けるな!」


 こんなどうでもいい事で相当深いツボにハマってしばらく笑っていた俺達だったが、やがて割と真剣にリーアが涙目になってきたので二人で御免なさいして許してもらった。


 とりあえずもう笑わない。

 それはリーアが自爆しない限り有効だ。

 ……で、一度笑いの渦が鎮火してしまった所で、リーアが懐から封筒を取り出した。

 中に入っているのは……お札である。


「とりあえずアリスさん。コレ、今回の報酬です。受け取ってください」


 話が脱線していたが、とりあえず今回の目的はコレだ。


「ありがと……って、結構入ってるわね」


 果たしてそれ一枚に日本円にして一体いくら程の価値があるのかは分からないけども、仮に一万円と同等の価値だとすれば三十万円程入っているのではないだろうか。


「裕也。コレ終わったらご飯食べに行きましょ?」


「お、おう……」


 アリスさん、目が輝いてらっしゃる。

 とてもとても輝いてらっしゃる。


 そんな事を思いつつ俺は報酬受け取りで話が一段落したと判断し、リーアに聞きたい事を尋ねる事にした。

 むしろ俺にとっては、報酬受け取りよりも本題と言っても過言ではない問いだ。


「なぁ、リーア。その服ってどうしたんだ?」


 明らかに周囲の人間の服装に溶け込めない異端的な服装。これだけは聞いておかなければ気が済まない。


「どうしたといいますと?」


「いや、明らかにこの辺りで着られている様な服じゃねえだろ?」


「そうですね。この辺り……というより私が知る限り、この『キモノ』という服装を着ている国や地域というのは聞いた事がありません」


 やっぱり……この世界で浮いている存在なんだ。

 だとしたら、必然的に俺の疑問はこうなる。


「それじゃあ、その服は何処で手に入れたんだ?」


 何処にも着ている国は無い……即ち売っていない。だとしたら一体どういう経路からリーアの元までやってきた?

 その問いに全く躊躇う様子もなくリーアは言う。


「何着か持っていますが、全部ししょー作です」


 再び間の抜けた単語が出て来るが、今度は笑いは込みあげてこなかった。


「なぁ、リーア」


 笑う事より、優先すべき事がある。

 知っておくべき事がある。


「そのししょー……いや、アルドって人は一体何者なんだ?」


 流通していない様な着物を作り、尚且つ名前まで日本にあるソレと統一されている。

 いや、名前に関してはこの世界に来た時から常時起きている翻訳の所為かもしれないが……それでも、ここまで日本の着物といっていい物を、この全く文明が違うこの世界で作る事が可能なのだろうか?


 完璧と言わんばかりのその完成度にたどり着くには、少なくとも一度は現物を見ないといけないだろう。

 それを作ってしまうアルドは一体何者なのだろうか。

 俺の問いにリーアは答える。


「情報屋です」


「情報屋……」


 確かにそれだけを聞けば、色々な事を知っていそうだ。

 この世界の魔術は確かに地球のソレよりも発展している。それ故にもしかすると地球の事を知る術があるのかもしれない。


 現に地球でも佐原の爺さんが封印していた魔道書の魔術を使えば、この世界に渡る事は可能だった。

 同じ様にこの世界にも異世界へ渡る術があったっておかしくは無いのだ。

 だけどあってもおかしくないというだけで、おそらくそれは無いんじゃないかとも思う。

 仮にそういう魔術があったとして、それにしてはこの世界への影響が少なすぎる。


 地球の情報を得る事が出来たのなら、きっと科学技術などがもう少し発展していてるのだと思う。

 当然、そのアルドって人だけがその魔術を使えて、それで得た情報を周囲に売ったりしていないというだけかもしれないけれど、こうして着物という異郷の文化を大っぴらに持ち出されているのだから、そういった科学技術やそれに関する製品などを大っぴらに公開していないのは、なんとなく違和感がある。


 そういう魔術がこの世界にあっても違和感が残り、無かったとしても着物の存在理由が分からない。

 だけどコレを聞けば少なくともどちらか片方に可能性を絞る事は可能だろう。

 俺は思い切ってリーアに尋ねる。


「なあ、一つ質問いいか?」


「ええ、どうぞ」


 俺はそれを聞いて、一拍開けてからリーアに問う。


「地球。日本。この単語に聞き覚えとかねえか?」


 本来ならば、こういう質問は着物を作ったとされるアルドに聞くべきなのだろう。

 リーアが知らないとしてもアルドは知っているかもしれない訳だから、場合によってはややこしい事になるかもしれない。


 だけど仮に聞き覚えがあると答えれば、一つの事実がほぼ確定する事になる。


「……どこでその言葉をお知りに?」


 ……確定だ。


 足を運んだ事があるかどうかは不明だ。

 何かしらの方法で地球を覗いただけかもしれない。

 どちらにしろ、地球から来た俺が知っていた方が良いであろう情報をアルドは知っている。


 そう……確信した。

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