第20話 物言う老木

 無事、逃げおおせた。

 そう思った矢先。


 イーヒャアヒャアヒャアヒャアヒャア―――――……


「!」

 心臓が止まりそうになるほど、不気味な笑い声がこだまする。

 判別のつかないその音は、けれどどこかで聞いた気がした。

 つい、立ち止まって考え込めば、嫌な感覚が過ぎり、笑い声の探索を中断して駆け出す。

 ぼすぼす、鈍い音が背後に続いたなら、喧嘩に巻き込まれたはずの人狼の声が投げられた。

「おーい、どこ行くんだ? 駄目だろう、獲物が無事じゃ」

 続け様に三つ、つぶてが襲う。

 一つは横に避け、一つは身を逸らして避け――けれど動きを予測した最後の一つは、嫌味なほど正確に、一度打たれた右肩を襲った。

「ああっ!」

 抉る鈍痛に耐え切れず、肩を押さえて壁を背に荒い息をつく泉。

 揺れ霞む視界の中、撒いたはずの影は数を増し、そこに被害者と加害者であった顔を見つけては混乱する。

「な、なんで、増えてるの……?」

 吐くともなく吐かれた問いは返答を期待していなかったのに、相手はあっさり告げた。

 嘲笑を混ぜながら。

「なぁに、簡単な話さ。交渉が成立しただけ。虎狼の囲い女の価値はそんだけ高いってこと。しっかしさ……イイ声で啼いてくれそうなのに、石でいたぶり仕留めろって酷だよな?」

「どういう、意味?」

「いやあ、魅力的なお姉様方からさ、私たち相手にしたけりゃお前をいたぶり殺してくれって頼まれた訳よ。でも、爪使うとあっさり終わっちまうし、近づくと違う欲が疼くだろう? 俺らの相手で善がっても、壊れても困るからさ……俺だって辛いんだぜ? 制限なけりゃ、とっとと距離詰めて、ヤりたいこと殺れるってのに」

「え、遠慮しときます」

 丁寧に拒めば、笑いがどっと相手側からやってくる。

 その数、この短時間でどう集めたのか、十余り。

「へへへ。面白いこと言う奴だなぁ? 全く、イイ獲物だ。あんまりにも良過ぎるから…………そろそろ殺すか。じゃなきゃ、俺、手ぇ出さねぇ自信が段々失せてきて……正直、かなりキてる」

 だらり、だらしなく舌を垂らし、悦に揺れる人狼が、はっきりと泉を捕らえる。

 おぞましいほどの好色に濡れた眼。

「!」

 怖気を感じる視線は他にもあり、無遠慮に泉の身体を舐めつけてくる。

「そぉれ! 一斉しゃげきぃー!」

 ガキのいじめでもあるまいに、ふざけた物言いから放たれるつぶては、今までで一番速く、数も多い。

「くぅっ!」

 痺れる肩を引きずって避けたものの、穿たれた壁から木屑が舞い上がった。

(……木屑?)

 干からびた欠片たちに一瞬意識を奪われたなら、眼前、迫る石。

 慌てて身を下に滑らせれば、ばきっと乾いた音が響き、泉は無防備にその源を目で追った。

 そこでようやく、背にした壁が、壁ではないことを知った。

「ラオさん――――っうぁ……!!」

 呼べば、返事ではなく左の太腿に激痛が走る。

 蹲れば、今まで顔のあった場所を穿つ石。

 上がる嘲笑に過ぎる死。

 悲鳴すら上げられず、霞む瞳で前を睨んだなら、おどけて怯えた人狼が泉の顔へまた一つ、石を放つ。タマゴの殻のように潰される自身の頭を想像した泉は、目を瞑ることも出来ず凝視し――

 突如、地面から突き出たモノが石の進行を阻み、コレを穿って威力の殺された凶器は、泉の足元へ跳ねては転がり、制止する。

 理解しかね、再度視線を人狼たちとの間に出現した盾へ向ければ、激昂する叫びが盾の影からやってきた。

「くそっ! 邪魔するな、ジジイ!」

「おうおうおう。ジジイたあ酷いのお、小童め。しかもなんじゃい。邪魔ってのは、イイ年した男が、よってたかってか弱いお嬢ちゃんに石を投げつける行為のことかい。やぁれ、いくら奇人街が仕様もない奴らの堪り場とはいえ、幼稚且つ馬鹿げた仕打ちじゃのぉ?」

「黙れっ!」

 また投げつけられたつぶて。

 今度はラオを狙ったモノだが、これまた出現した根と思しき盾を貫いては威力を失くして地を転がるのみ。

 完全には防げないようだが、泉が軽く蹴った程度の転がりなら、当たっても痛くはない。

「泉ちゃん、大丈夫かね?」

 つぶての猛攻は再開されているのに、届く石がただの石ころと成り果てては、泉の身体を今頃になって震えと痛みが苛んだ。

「ラオさん……」

 名を呼んだなら、見つめた先の皺の顔が笑みを深め、干からびた皺の手が泉の頬を拭うように撫ぜた。

「いやいや、すまんのう。もっと早く気づいておれば。なにせワシ、優良老人じゃから。この時間帯にはもう寝ていてな。ちょっとやそっとじゃ起きられんのだ。泉ちゃんに名を呼ばれんかったら、明日の朝、冷たくなった骸とご対面、なんちゅう碌でもない場面に出くわすとこじゃったよ。カッカッカッカッ!」

「…………」

 頬を離れて幹に両手を当て、胸を逸らすような格好で笑う爺に、泉は白い目をじとりと向けた。

(こっちは全く笑えない話なんですけど)

 冷たい骸が間違いなく、ラオが起きなかった場合の自分の姿と知っては、ぞっとするより爺の気楽さが恨めしかった。

 と、その目が不審に気づいて眉が寄り、次いで大きく見開かれた。

「ら、ラオさんっ!? う、腕、なんであるんですか!? 私、千切っちゃって……まさか、何本もあったり?」

 言って見つめるのは、際限なく投げられる石を阻む、際限なく現れる根っこ。

 用が済んでも地に還ることなく、項垂れた形で存在し続けるオブジェ然が気持ち悪い。

「ホッホッホッ。われは木じゃからな。それも、驚異の再生力を誇る木じゃ。失った腕くらい物の数秒で治せるわい。ただし、引っこ抜くと何とも切ない気持ちになるから、悪戯に抜くのは勘弁しておくれ。それでなくとも毎日毎日、猫に爪を研がれてな。痛くはないんじゃが、物悲しくなるんじゃ」

「そう、ですか……猫が…………」

 泉のよく知るネコとは違う猫。

 けれどその行動は知ったものと大差なく、しばらくの間、泉を和ませた。

 ラオもそんな泉へ皺に潰れた目から、温かな眼差しを送る。

 つぶての攻防を忘れた雰囲気が充満すれば、木に埋め込まれた容姿を持つラオの口がへの字に曲がった。

「おおっと、いかん。小童どもめ、石を投げつくしたらしい」

「え?」

 ぼやくような言葉に、泉は人狼たちへ視線を投じ、その姿が今までなかった距離で狭まるのを認めては、真っ青になりつつ立ち上がる。

「っ!」

 その際、痛む足に気取られバランスを崩し、踏み止まるべく、ラオの身体のコブに掴まった。

「むむむ……泉ちゃん、悪いがわれから離れた方が良さそうじゃ。小童どもめ、邪魔をされていきり立っておる。幾人かは未だ泉ちゃん狙いじゃろうが、大半はわれ目当て。木とはいえ、われも一個の生命体。自分の身を守るのに精一杯になってしまうだろう。となると拍子で泉ちゃんを殺しかねん。人間はか弱いからのぉ」

「いえ……はい、大丈夫です。すみません、ラオさん」

 依然痛みは続くが、泉はそう言ってラオから離れる。

 述べた謝罪は、巻き込んでしまったことに対してだが、苦味が含まれるのは、今日だけでも嫌というほど聞かされてきた、弱いという単語。

 不要だと、言われている気がして。


 奇人街に――芥屋に、人間は――お前は、要らないのだと……


 そうして項垂れる泉を余所に、明るい声がラオから発せられた。

「おうおう、謝ることはないさ、泉ちゃん。人にはそれぞれ役目ってものがあるだけでの。じゃが、もしもお前さんが、己の種に気を揉むなら、一つ、面白いことを教えてやろう」

 図星を差された気分でのろのろ目を合わせたなら、眼の見えない瞼が片方歪む。

(あ、ウインク)

 察しても仕方のないことを察する泉。

 同時にラオの笑みが一層深まった。

「奇人街を作ったのはな、人間なんじゃよ」

「……え?」

 突拍子もない暴露に泉の思考が数秒止まる。

「まあ、正確には人間と――――っとヤバいヤバい。この話はまた今度じゃ、泉ちゃん! さっさとお逃げ!」

 理解できぬまま、とんっと背中を押されれば、ラオのその腕が飛んだ。

 悲鳴を上げる暇もなく、干からびた腕を裂いた人狼の胴に、鞭のようにしなやかな根が打ち込まれた。

 素早いソレは制御が難しい様子で、一振り後、周りの路をも標的として陥没させた。

(――確かに、人間がいたらひとたまりもない……ううん、人間じゃなくても邪魔だわ)

 守るなら、なおさら邪魔だ。

 拍子で殺される意味を理解し、礼もそこそこに肩を庇い、それよりは痛みのまだ浅い太腿を引きずりつつ走る。

 木屑に紛れて逃げたためか、追う気配は、緋鳥から教えられた通りに見えた、芥屋の看板に続く路へ入ってもなかった。

 よほど喧嘩が好きなのか、またしても住人連中の注目は、弱々しい動きの泉を素通りし、騒がしい多勢に無勢ながら互角の勝負に集められていた。

 ラオの足止めと、野次馬ど根性で作られた混み具合は、泉を狙うはずの幾人とやらの移動を困難にするだろう。

 決して、楽観視できる状態でもないが、騒々しい混乱が心底ありがたいと思ったのは、初めてかもしれない。

 そう思えば思うほど、ゲテモノを食べて満足げだろうが、ワーズの顔を早く見たいと願う。騒々しさの音量を下げれば、ワーズの声に似るし、視覚を脅かす光の洪水は、暗くすれば彼の混沌に沈む光と等しい。

 病的とは違う白い肌は無情に浮かぶ月にもあり、明るさを吸い込む闇は残念ながらワーズの髪の方が深く昏い。どちらかといえば、この夜空は彼が好む黒い衣によく似ていてた。

 掻き集めれば容易くワーズを浮かべられる奇人街には、擽る香りが食欲をそそるばかりで、茶のように安堵する彼の香りとはかけ離れて――。

 はたと気づいて赤面する泉。

 歩みだけは止めず、自分は何を考えているのだと、痛みを叱咤するような素振りで、鈍い動きの太腿を軽く払った。

「ぃだっ……」

 響く痛み。

 けれど赤みは去らず、深い溜息が体外へ熱を追いやる。

 顰められる顔。

 それでも見上げた先に芥屋の看板を端っこでも映したなら、極度の緊張と痛みから逃れるように、歩が彼の黒を求めて進む。

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