第6話 おぞましい未来

 押し倒されて被さる重み。

 青褪めて身を捩るが、嘲笑う鋭い歯は逃げを許さない。

 胸をいたぶるように手が這い、仰け反れば首に絡みつく腕。

 近づく口を避けるべく背けたなら、顎下を舐められ首筋が吸われる。

「ひっ」

「ククククク……初心だねぇ。心配しなくとも、すぐ良くしてやるさ」

「や、やめっ!」

 身を起こした爪が襟首に掛かり、一気に服を脱がして、そのまま――

「お、丁度いいところに」

「ぎゃっ」

 鈍い音を響かせ、頭を払われた馬乗り相手は、そのまま壁へ激突。

 直前まで生き生きと蠢いていた指は、微動だにしなくなる。

 これを見届け、軽くなった身を起こすのも忘れて、危機を救ってくれた袴姿に安堵した。

「し、史歩……」

「相変わらず情けない。ランよ、お前の方が遥かに強いんだから、こんな女ぐらい再起不能にしてやれよ」

「こんな」で鞘の先端を蹲る人狼の腹に捻じ込む人間の娘は、「ぐ……」と呻く声が漏れたのを聞いて面白くなさそうな顔をした。

「さすが人狼。人間だったら間違いなく即死できる打撃だったんだが……気絶で終わりか」

「あ、あんたな……」

 起き上がりつつ、肌蹴た着物を直して、ランはうずくまる獣面の女を見た。

 雨だったにも関わらず、今日も今日とて同族の女に追いかけ回されていたラン。どこか身を潜めるところはないか探していたところで見つけた物陰に入ったなら、この女と鉢合わせてしまい、対処する間もなく襲われてしまった。

 史歩が偶然通りかからなければ、その内、他の女にも見つかっていたことだろう。そうなってしまったら、しばらくはまた、自由とは程遠い生活を送ることになる。

 とはいえ、史歩の言う通り、その気になれば女たちを払うことは容易い。

 それが情けないと評されてもできないのは、女に手を上げることをラン自身が良しとしないためだ。傍目で見て、それがどんなに惨いか知っているなら、なおの事。

 ゆえに、苦悶を浮べる女には自業自得と思いながら少しだけ同情し、史歩へは非難しつつも心からの感謝を述べた。

「何にせよ、助かった。ありがとう」

「――は、この際どうでもいい。言っただろ? 丁度いいと」

「へ? って、そういやあんたとワーズが一緒って珍しいな。何かあったのか……特にアレ」

 ランが指差した先には、へらへらふらふら不審に笑いながら、辺りを見渡す黒一色の男。

 いつも以上に気味悪い動きをいぶかしめば、史歩が嘆息混じりに答えた。

「……まあ、早い話が、泉が攫われたんだ、シウォンに」

「…………は? 泉って、従業員の?」

 理解しかねて史歩へ視線を戻したなら、鋭い刃に似た輝きを放つ目に凄まれ、ランは信じられないと金の眼を剥く。

「じょ、冗談だろ? 止もうが雨の日、それも昨日の今日だぞ? あの人らしくもない」

「昨日? それこそ冗談だろ? シウォンらしくもない」

「…………」

「…………」

 示し合わせて黙りこくる二人。

 そしてまた、同時に互いを指差し、

「本気? いやまさか、あの人に限って」

「本気? いやまさか、奴に限って」

 在り得ないと笑う。

 一転、顔を真っ青にさせた二人は、真逆へ歩を進ませた。

「俺はあっち探しとくよ」

「ああ。私は向こうを捜すとしよう」

 互いに顔すら見せず前だけ向いて、史歩はワーズを従え、ランは跳躍。

 瓦が軽い音を立てて割れるのも気にせず、シウォンが行きそうな場所をピックアップするランの頭に、自分を追いかけ回す女たちのことは綺麗さっぱり消えていた。

 あるのはただ、嘘だ、という焦燥感。

「……嘘だよな、シウォン。……じゃなきゃ、太陽なんて二度と拝めないよ、あの子」

 ――嘘であって欲しい。

 碌でもない己の想像に辟易しつつ、甘い声を上げて突然屋根へ出現した同族の女を瓦の代わりに踏みつけたランは、それを視認することなく、屋根から屋根へ跳んでいく。

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