2章 サヤの街 その2
21:58
俺と雪奈はスマホを手に、居間の机で向かい合っていた。
スマホの画面には黒い背景の真ん中に紫色の長方形があり、そこに『Transfer』の文字が書かれていた。電子状の転移魔術のスイッチだ。
「……あと2分か」
「憂鬱だね。またあのよくわからない世界に行って、会いたくもない人たちと時間を潰さないといけないなんて」
「そんなこと言うなよ。今だってこの世の陰で魔法少女たちが世界の平和を守るために魔獣と戦ってくれてるかもしれないんだぞ」
「あの子たちは戦いの後に百合百合なご褒美があるから、まだいいでしょ」
「ほう。雪奈は女の子が好きなのか」
軽い調子で言うと、雪奈は勢いよく立ち上がって、真っ赤な顔で叫んだ。
「ちがっ、もーっ! そういうLGBTを揶揄するようなからかいはよくないよ!!」
「なかなか込み入った理由の怒髪天だな」
「込み入ってないもん、義憤だもん!」
「そうかそうか。まあさ、今ので少しは憂鬱な気分も晴れたんじゃないか?」
「ごまかそうったって、そうはいかないんだからね!」
頭に小さな角……いや、耳か?を生やしてシャーッと威嚇する雪奈。
「ふむ。ツナ缶をご所望か?」
「猫じゃないもん! 確かに猫派だけど!!」
「そうか。俺も猫派なんだが……昨日から少し揺らぎかけてる」
「あー……、その気持ちは少しわかるかも」
二人の頭に浮かんでいるのはきっと、同じことだろう。
猫又――あの人語を発する猫の姿を思い浮かべると、この18年間ほどで育んできた愛も途端に冷めていってしまう気がする。
「あの猫又ってヤツ、何者なんだろうな?」
「さあ、それはまだわからないけど……。でも一つだけ言えるのは、アイツの前では絶対に油断しちゃいけないよ」
「最悪、取って食われるかもしれないな」
冗談のつもりだったが、雪奈は少しも頬を緩めなかった。
「それで済めば、まだマシかもしれないね」
「……死ぬよりヤバいことって、なんだよ?」
「きっとまだ雪奈たちじゃ想像しかできないよ。……人って、本当に辛いことっていうのは体感するまで理解できない生き物だからね」
呟く調子の声は、どことなく実感がこもっているように聞こえた。
「あ、もう時間だよ」
雪奈に言われてスマホの時計を見ると、22:00と表示されていた。
「……五分前着席すべきだったか?」
「普通ならそうだけど、命が丸裸にされる場所に行くんだよ。少しでも滞在時間は短くしないと」
「それもそうか。……じゃあ、行くぞ」
「うんっ!」
俺と雪奈は同時に、転移魔術のスイッチを押した。
●
昨日と同じ暗い空間にしばらく放置された後、気が付いたら木造校舎の教室じみた場所にいた。
そこにはすでに他の四人と猫又がいた。
「あー、来た来た。二人共、遅すぎだし」
「ごめんなさい、ちょっと兄のお手洗いが長くて」
「って、なぜに俺が!?」
「もーっ、ちゃんと話合わせてよー」
「仲がいいねぇ、キミたち」
「ふふふ。うちの子供も、こんな風に元気に育ってほしいです」
二日目ということもあってか、場には打ち解けた空気が流れていた。
しかし俺はどうしてもそこに、演技じみた異臭を感じてならなかった。
ヤツ等の作った笑み、その画竜(がりょう)の仕上げにあたる瞳が、とてもおざなりに見えるのだ。
会話が途切れた頃、猫又が教卓からこちら側の机にひょいと跳び移ってきて、一同を見渡した。
「おみゃあ等に一つ、やっておいてほしいことがあるにゃ」
「な、なんでしょうか……?」
「今日は全員、スマホを持ってるはずにゃ」
俺たちはそろってうなずく。
「そりゃそうっしょ。このツユバライっていうアプリで来たんだから」
要津はスマホのホーム画面を猫又に突きつける。
そこには一般的なアプリに混じって紫のマーブル色の円いアイコンがあった。下部には草書体のフォントでツユバライと書かれている。
「そうにゃ。それをもう一度開いてみてほしいにゃ」
猫又に言われて俺達はアイコンをタップした。
すると画面上に紫の長方形と、その上に赤い文字のメッセージが表示された。
『利用規約への同意・このアプリの正規版をご使用なさる場合は、以下の項目に同意なさってください。
1・当アプリで得た異能力でお客様が不利益を被っても、当方には一切責任を負いません。
2・このアプリの正規版の利用期限は6月1日0:00~6月30日23:59、59までとさせていただきます。
3・当アプリの契約者がお亡くなりになった場合は、正規版の契約は自動的に打ち切られます。あらかじめご了承ください』
その下部に同意するというボタン一つだけが存在している。
みんなが項目を読んでいる間、何やら操作していた雪奈が眉間に皺を寄せた。
「……ホーム画面に戻れなくなってる」
「ウソだろ……?」
画面をスワイプしてみたが、確かに画面下部のバーが表示されなくなっていた。
「ど、どういうことですか、これ?」
「お、落ち着くんだ。きっとバグだよ、スマホがバグったんだ」
黒木の主張は、おそらく誰一人信じていないだろう。
六台のスマホが同時にバグる、そんなことが偶然起こる確率は限りなく低い。
偶然でないのなら、これは必然。何者かが意図的に引き起こしたのだ。
「……俺たちに選択肢はない、ってことか」
「そうだね。この異世界で、ツユバライをみつける他に選択肢はないんだよ」
そう言って雪奈は人差し指でボタンを押した。
俺も覚悟を決めてボタンをタップする。
他の四人も躊躇しながらも、ボタンを押した。
全員が規約に同意した途端、画面が切り替わった。
そこには自身の名前と、RPGのプロフィール画面みたいなものが表示されている。
ステータスはどこも突出したところのない、おそらくぱっとしないものだろう。
職業は武士。武器は降血丸(こうけつまる)で、必殺奥義の欄には閃光斬と書かれていた。
「……中学生の頃ノートに書いたなあ」
「わあ、お兄ちゃんカッコイイ。武士なんだ」
「うおっ!? 人の勝手に覗くなよ」
思わず隠してしまうのは、精神があの頃に戻っているからだろうか。
「ごめんごめん。でも見られたくないなら、ちゃんと周囲に注意を払わないと」
「スマホの覗き込みはプライバシーの侵害だろ!?」
「世の中、善人ばかりじゃないんだよ。今のだって場合によってはショルダーハッキングって言って、大事な情報が漏洩してたかもしれないんだから」
「ぐっ、雪奈のも見せろよ!」
奪い取ろうとするも、後ろ手に隠されて舌を出される。
「残念でした。それに、仮に奪い取っても虹彩認証がかかってるから、どうせ見れないよ」
「ぐっ、そんな七面倒臭いものを……」
「プライバシーっていうのは、常日頃の小さな労力の積み重ねで守られるものなんだよ」
得意満面な雪奈。手も足も出ない俺は歯噛みするしかない。
「にゃあからは以上にゃ。後はおみゃあ等に任せるにゃ」
立ち去ろうとする猫又を黒木が慌てて引き止める。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。他に何か教えてくれないのか? どうすればツユバライを手に入れられるのかとか……」
「残念にゃけど、にゃあにその権利はないにゃ。おみゃあ等自身で頑張るにゃ」
そう言って猫又は教卓の上に戻り、普通の猫のように丸まって目を閉じた。梃子でも動かぬという意思表示だろう。
黒木は一瞬憎々し気に猫又を睨んだ後、すぐにいつもの微笑に表情を挿げ替えて、場にいる人々を見回した。
「じゃあ早速だけど、今後の方針について……」
「ちょっと待ってほしいし」
切り出しかけた黒木の発言を要津が遮る。
「なんでおじさんが仕切ってんの?」
「いや、だってこういうのは司会が進行した方がスムーズに話が進むじゃないか」
「そんなの別に、おじさんがやる必要ないじゃん。あたしがやってもいいわけだし」
「いや、だけどこういうのは年長者が……」
「あー、無理、本当無理。そういうねんこーじょれつ? ちょーよーのじょ? みたいなの、あたし嫌いなんだけど」
黒木の額に血管が浮かび、ぴくぴく震え始める。
「奇遇だね。ボクもキミみたいなチャラけた子供に進行役を任せるのは不安なんだ」
要津の両目の端がつり上がり、黒木を睨みやった。
「はぁ? おじさん、何様のつもり?」
「キミこそ、もう少し社会的な常識を身に着けた方がいいよ」
まさに一触即発、というかすでに導火線が燃える臭いが漂いだしている。
「あ、あの、ケンカはよくないですよ……」
小租田の声は火花の散る音に掻き消される。
このまま猛ゲンカが始まったら、話し合いどころじゃなくなる……。
不安な空気が流れだした時、場にそぐわない明るい声が響いた。
「じゃあ、雪奈が司会をやるよ」
全員の視線が丸く開かれ、雪奈に視線が集まる。
「え、お、お嬢ちゃんが?」
「うん。ダメかな?」
「うーん、ちょっとお嬢ちゃんには難しいと思うけど……」
「別にいいんじゃない?」
要津が口の端を軽く持ち上げて言った。
「もしもダメそうだったら、途中で別の人にやってもらえばいいんだし。ひとまずはその雪奈っちに任せてみれば?」
「わっ、わたしも、それでいいかと」
いくぶんか安堵した表情で小租田が賛同する。
「……その、キミ、お兄さんなんだろ? キミはどうなんだい? 妹さんに結構な負担をかけさせちゃうと思うんだけど」
「俺は……」
雪奈の顔を見やる。彼女は真剣なまなざしで俺を見返してきた。
この思いに応えてやれなきゃ、兄貴失格だな。
「俺も、雪奈が進行役にふさわしいと思う」
「お兄ちゃん……」
雪奈はそっと俺の手に触れてきた。薄い皮越しに、同じ血潮の温もりを感じる。
「……そうかい。残るは、キミだけなんだけど……」
黒木は寡黙な浦野の方を見やった。
昨日と似たデザインのフード――もしかしたら同じものなのかもしれないし、取り換えて別のものにしているのかもしれない――を今日も目深にかぶった彼女は、意思表示に唯一利用される唇を動かした。
「異論はない」
黒木は眼鏡の奥の目を剥き、口を真一文字に結んだ。
その目が唇を、そして手に持った紫水晶に向けられる。
無言になった黒木に、要津が訊く。
「これで五・一じゃん。これでもまだ反対するっての?」
「いや、場を乱すのはボクも本意じゃない。ここは素直に雪奈クンに進行役を託すよ」
口ぶりからしても未練たらたらなのはまるわかりだが、宣言通りそれきり彼は雪奈の邪魔にならないよう沈黙に尽くした。
全員の視線が雪奈の方を向く。
それに気圧されることなく、雪奈は慣れた調子で話し始めた。
「じゃあまず、最初に決めることは――」
何を口にするのかと、全員が続く言葉を待つ。
一瞬のこの時間、呼吸さえ忘れていたかもしれない。
「この世界の名前だよね!」
沈黙が急に軽くなった。
息苦しさとは別の理由で、俺たちは呼吸を忘却する。
「……はあ?」
要津の間の抜けた声が、俺たちの思いを如実に代弁していた。
「あれ? どうしたのみんな、不思議そうな顔して」
「いや、だってそうだろ。意外と今、切羽詰まった状況なのに……」
「でも名前って、情報伝達上、とっても大切な役割を果たすんだよ。なのにこの世界と目的物が同じツユバライっていうのは、すごく不便だと思わない?」
「――サヤ」
浦野の声だ。さっきの発言からまだ5分と経っていない。以外に早く二度目の彼女の声が聞けたことを俺は少し意外に思った。
「サヤ? それって、刀の鞘にかけてるの?」
雪奈の問いかけに、浦野は僅かに首を上下させた。うなずいているようだ。
「そう。いい名前だね。サヤ、サヤ……。うん。今からこの世界の名前はサヤだよ」
その一言で、この世界の名前はサヤになった。
「じゃあ、次にサヤでどういったメンバー構成で行動していくか決めたいんだけど。その前に猫又ちゃんに一つ、確認したいことがあるんだ」
「何かにゃ?」
「猫又ちゃんは昨日永遠の6月って言葉を使ってたけど、それは話を聞く限りこのサヤでも有効なんだよね?」
「そうにゃ。永遠の6月の効力は、この世界でも適用されるにゃ」
「……っていうことはつまり。たとえこの世界で借りに誰かが死んだとしても、6月30日23:59、59秒を過ぎれば蘇生するってことだよね?」
雪奈の問いに少なくとも俺はぞっと背筋を冷たくぬめったものに肌を撫で上げられるような気持ち悪さを覚えた。他のヤツ等もほぼ全員が顔色を青くしている。
猫又はあっさりとうなずいた。
「そうにゃ。サヤでなら誰が死んでも、新しい6月が来れば生き返るにゃ」
「教えてくれてありがとう。それなら、死を恐れる必要はないね」
さらっと言ってのける雪奈。
「死ぬのは痛いにゃよ。それに――」
猫又が何か口にしかけたが、それを黒木の叫びが遮った。
「きっ、キミは我々の誰かがっ、死んでも構わないって言うのか!?」
ヒステリックに喚く彼へ雪奈は冷ややかな視線を投げかけて。
「……黒木さん、だったっけ? あなたは多分、義務教育に高校、大学か専門、それから就職に出世ってとんとん拍子で人生を送ってきて、その間に大した挫折もしてないよね?」
「ぼっ、ボクの人生なんか、どうでもいいだろ!?」
たじろぐ黒木を雪奈は目線で圧する。
「大した失敗をしたことがない人間って、それが取り柄だと思い込んでどんどん完璧主義者として凝り固まっていく。そういう人って、なんとなくわかるんだ」
「かっ、完璧主義者とか、今は関係ないだろ!? 誰だって、死にたくないはずだッ!」
「黒木竹生。専門学校卒の会社員。既婚者で、子供が……二人、いや三人だね」
無感情な声で語られる雪奈の言葉が、黒木から平常心を奪っていく。ヤツは立っていることができずに、腰を抜かしてその場に尻もちをついた。
「家は一戸建て。家庭内暴力を振るい続けているせいで、家族からは嫌われている。順風満帆な人生かと思ったけど、一回勤めてた会社が倒産してるんだ。不幸だったね。それでも子供を三人も養ってる……のは奥さんのおかげか。よかったね、奥さんの家が裕福で。体裁面を気にする家柄だから、離婚されずに済んだんだよ。でなかったら、黒木さんの粗暴っぷりじゃもう離婚されててもおかしくない……」
「やめっ、やめろっ……、もうっ、やめろォオオォォオオォォオオッ!!」
黒木は頭を押さえ、全身をわななかせて悲鳴じみた声を張り上げた。
顔中から汗を吹き出し、息が荒くなっている。
ズレたメガネが顔から滑り落ちて、床の上にからんと音を立てて落ちた。
その様子を雪奈は能面のような顔で眺めてぼそりと呟いた。
「……あなたはむしろ一度、死んで詫びるべきだよ」
それからくるっとこちらを振り返り、毒気のない笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、どうやってこの世界を探索するか決めよっか」
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