ハッピーバースデーの夜
「あぁー、早く遊べるようになりたいー。」
美里は小皿に乗った唐揚げを箸で摘みながら呟く。
「あと3ヶ月は我慢だぞ。ウチはそんなに金がないから、受験料を払えるのは4校が限界だ。」
槇夫はグラスに入ったビールを飲む。
「まぁまぁ、良いじゃない。今日ぐらいは堅苦しい話抜きで食事しましょう。ほら、グラタンが焼けたわよ。」
和枝はミトンを嵌めた手で焼き立てのグラタン皿を持ちながらダイニングへと現れた。
美里はうんうん、と頷きながら、テーブルの上に所狭しと並んだ皿を掻き分けてグラタンが置ける場所を作る。
「そうじゃ、そうじゃ。今日は楽しまんとな。ほら槇夫。グラスが空になっとるぞ。」
「父さん。あまりサクサク注がないでくれ。僕がお酒に呑まれやすいのを知ってるだろう?」
「はははっ!知っとるよ!知っとるから注いどるんじゃよ!」
寛司は顔を顰める槇夫に構わずグラスにビールを注ぐ。
「ねぇ、おじいちゃん。今日は勉強やらなくても良いよね?」
「ああ良いぞ!今日くらいは槇夫も多めにみてくれるだろう。なぁ?」
「父さん…まぁ今日は仕方ないか。大介も遊ぶ時は遊んでいたからな。それに、このあと勉強をやっても集中できないか。」
「やったー!」
溜息混じりに出た槇夫の言葉に美里は大喜びだ。
「まぁいいか。おいっ!お前もそろそろご飯にしたらどうだ?」
「ええ。今行くわ!」
槇夫はキッチンへ向けて声を掛けると、和枝の返事が聞こえてきた。
「お兄ちゃんは高校受験の時ってどんな感じだったっけ?うっ、あっつい!」
焼き立てのグラタンを頬張った美里は、慌ててグラスのオレンジジュースを飲み干す。
「そうだなぁ。あいつは真面目だったから受験までの半年は毎日勉強してたぞ。塾にも休むこと無く通ってたなぁ。」
槇夫はフォークに巻きつけたボンゴレを口の中へ入れる。
「…ぷはぁ、そうだったっけ?いつも浩一君と遊んでばかりだったから、受験シーズンもそうだと思ってたよ。」
美里はオレンジジュースのペットボトルを手に取り、空になったコップへと注いでいく。
「美里は毎日のように遊び回っているからねぇ。あぁ、でも水泳は頑張ってるか。一応ね。」
料理を作り終えた和枝は、美里へ意地悪を言うとテーブルの席に着いた。
「母さん。一応って何よ。一応って。」
美里は頬を膨らませる。
「ごめんごめん。何だかんだ続けてるし立派だと思うわよ。」
槇夫にビールを注いで貰いながら、和枝は呟いた。
「さぁさぁ、無駄話をしてないで。お前も早く食べろ。」
「あら。今日は無駄話をする日でしょう?」
「…あぁ、そうだったな。」
和枝はビールを飲みながら槇夫を窘める。
「あぁ和枝さん。そこのグラタンをよそって貰っても良いかのぉ。」
「小皿を貰ってもいいかしら、寛司さん。」
和枝は小皿を受け取ると、グラタンを盛り付けていく。
「そういえば今日って浩一君も来るんだっけ?」
「ああ。…そういえば、そろそろだと思うんだがなぁ。」
槇夫はサラダのプチトマトを噛みながら美里に答える。
ピンポーン!
「ほら、噂をすれば何とやらだ。美里、出てきなさい。」
「はーい。」
槇夫に言われ、美里は席を立って玄関へと向かった。
「浩一くんがウチに来るのも久しぶりね。」
「そうだな。」
和枝の呟きに槇夫が答える。
「ワシはこの間、商店街で見かけたぞ。とっても立派な青年になっておった。」
寛司は白いヒゲを弄りながら、視線を斜め上へと向ける。
「私もこの間ばったり会ったわ。背も伸びていてすっかり大人になっていたわね。向こうに声を掛けられるまで分からなかったもの。」
「父さんは良く分かったね。」
「伊達に年を取っとらんという事じゃ。」
寛司は満足気な笑みを浮かべてビールを飲む。
「こんばんわー。みなさんお久しぶりです。」
「おおっ。浩一君か。よく来てくれたね。荷物はリビングに置いて、上着はそこにあるハンガーを使ってくれ。」
浩一は槇夫に促されるまま黒のバックパックを置き、グレーのダッフルコートをハンガーに掛ける。
「ねぇみんな。浩一君酷いのよ。久しぶりに会ったと思ったら、大きくなったねぇ、とか言って。それって重くなったって事でしょう?」
「いいや違うよ美里ちゃん。ほら、最後に会ったのって美里ちゃんまだ中学生だったじゃない。5年も会って無かったから、その間に随分成長したなと。」
美里の言い分に浩一は慌てて言い繕う。
「アハハッ!わかってるって!浩一君、大きくなったけど全然変わってないね。」
「…美里ちゃん。君もね。」
浩一は呆れた声を出しながら食卓に着いた。
「久しぶりだね、浩一君。あれ、前から眼鏡を掛けてたかな?」
槇夫は首を傾げる。
「ああ、これですか。実は高校3年生の時に目が悪くなりまして、それから掛けるようにしているんです。」
浩一は眼鏡の縁を触りながら答える。
「そうか…いやぁ、大介も眼鏡を掛けていたから、何だか思い出してしまってな。」
「そうですね。あいつは小学校の頃からずっと眼鏡でしたもんね。」
浩一の相槌に、槇夫はビールを呷る。
「さぁさぁ、お腹も減っておろう。遠慮なく食べるんじゃ。」
「おじいさん。わかりました、頂きます。」
浩一は唐揚げへと箸を伸ばす。
「浩一君って今大学生だったっけ?」
いつの間にか席に戻った美里はボンゴレを啜りながら尋ねる。
「そうだよ。今は大学2年生。」
浩一は唐揚げを噛みながら答える。
「おっ!そしたらもう20歳になるのか?」
槇夫は声を弾ませるとビールを一口飲む。
「はい。先月20歳になりました。」
「そうかそうか!それじゃあもうお酒を飲んでも大丈夫なんだな!ほら、コップをよこしなさい。」
浩一はおずおずとコップを槇夫に渡す。
槇夫の頬は真っ赤だ。
「ほらあなた。段々寛司さんみたいになってきてるわよ。」
「そんな訳無いだろう。俺はしっかりしてるぞ。」
「何だ槇夫。それじゃあワシがチャランポランみたいじゃあないか。」
「別に俺はそういう意味で言ったんじゃないよ。それに文句があるなら和枝に言ってくれよ。」
「アハハハッ。」
目の前で繰り広げられるやり取りに浩一は声を出して笑った。
「久しぶりに会いましたけど、本当にみなさんお変わり無いようで安心しました。」
浩一の頬には早速、赤みが刺している。
「この人たち、お酒が入るといっつも賑やかになっちゃうのよねぇ。」
美里は呆れたように呟く。
「別にいいだろう美里。俺はいつも通りだ。なぁ浩一君。ほらグラスが空だぞ浩一君。さぁ飲みたまえ。」
「あなたったら…浩一君、きつかったら断っていいからね。」
和枝は槇夫を窘めながら浩一へ声を掛ける。
「まだ大丈夫ですよ。これでもサークルの飲み会で鍛えられてますから。」
答える浩一の顔は真っ赤だ。
「えっ、何のサークルに入ってるの?」
美里はグラタンへ向けていた視線を上げる。
「フットサルのサークルだよ。サッカーとかやった事なかったけど、初心者でも歓迎してくれる所でさ。週2回活動してるんだけど、終わった後は必ず近くの居酒屋に行って打ち上げしてるよ。」
浩一は声を弾ませる。
「ふーん、意外。浩一君はインドア派だと思ってたから。」
美里は呟くとコップのオレンジジュースを飲む。
「まぁ、そうだよね。僕も最初はインドア系のサークルを覗いてみたんだけど、折角大学に入ったんだから少し環境を変えてみようかなって。よく言う大学デビューってやつ?ハハッ。自分ではあんまり言わないか。」
浩一は話し終えるとビールを一口。
その目はトロンとしている。
「…あと、大介がアウトドアなやつだったから、あいつみたいなのもいるかなって。いわゆる体育会系ってやつ?あぁいうノリも結構好きだったからさ。」
浩一はしみじみと呟く。
「なぁ、美里。そこのグラタンを取ってくれぬかのぉ。」
「ちょっとおじいちゃん、今大事な話!」
美里は声を上げながらも寛司から皿を受け取り、グラタンを盛り付ける。
「さて、そろそろ良い時間だし、うちの旦那はすっかり出来上がってるから、そろそろケーキにしましょうか。食べ終わった食器は片付けちゃいましょう。あと、寛司さんがグラタンを食べ終わったら部屋の電気を消しておいてね。」
和枝は席を立ってキッチンへと向かった。
「やった!ケーキだケーキ!ほら、おじいちゃん早く食べちゃおう!」
みんなの視線が寛司へ向く。
「こらこら、そんな急かすでない。それに、そんな見られながらだと食べづらいじゃろ。喉に詰まらせたらどうするんじゃ。」
アハハハハハハッ!!
食卓には笑い声が響いた。
「もう電気を消してもいい?」
「あぁ、いいぞ。」
槇夫の声を聞いて、美里は部屋の電気を切る。
部屋は一瞬にして真っ暗になった。
先程まで笑い声が絶えなかった空間は静寂に包まれる。
「和枝!もういいぞ。」
槇夫の声が静まった室内を突き抜ける。
キッチンの方から足音が響くと、和枝がホールケーキを持ってきた。
暗闇の中、煌々と輝くロウソクの火。
和枝はケーキをテーブルの上に置いた。
白の生クリームにイチゴ、2本のロウソクに白い板チョコのプレート。
そこには『大介 お誕生日おめでとう』の文字。
和枝が席に着くと、みんなでテーブルの上に立てかけられた写真を覗く。
黒い額縁に囲われた、笑顔の少年。
槇夫は微笑んだ。
「お誕生日おめでとう。大介。」
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