32 蠢く四魔神
かつてアルハが倒したはずの燃える鳥が、オーカたちの頭上を覆っていた。
「朱雀!?」
「オーカ、結界だ!」
エリオスの叱咤に、慌てて結界魔法を張る。
次に空から火が降り注いだ。球や礫になった火ではなく、分厚い毛布のように覆いかぶさってきた。
リースが氷の魔法で迎え撃ち、弱まった火炎は結界魔法で受け止めた。
火炎を防ぎ切ると、ライドがエリオスの背を踏み台に、高々と跳び上がった。
両手にそれぞれ握った、氷を纏った細身の長剣を朱雀に振るうと、氷の礫が朱雀に放たれる。翼を凍らされた朱雀は地に落ちた。そこへ、上から降ってきたライドが剣を突き立てる。動きを止められた朱雀の首に、エリオスが剣を振り下ろした。
朱雀はあっけなく力尽き、その身は空気に溶けるようにかき消えた。
ライドの両手はひどい火傷を負っていた。オーカが治癒魔法を当てている。
「それにしても、弱かったな」
粗方治った手を幾度も開閉しながら、ライドがつぶやく。
「難易度、Aくらいだったかしら。前の朱雀はこんなものじゃなかったわよね」
アルハが倒した朱雀は、火の熱だけで犠牲者を出し、物理攻撃の殆どが無効だった。
氷魔法の助力があったとはいえ、剣のみで仕留めきれる相手ではなかったはずだ。
「そもそも、何故今朱雀が現れたのかしら」
治療を終えたオーカが、朱雀が消えたあたりを見つめる。
「わからん。今は休もう。ライド、見張りを替わるぞ」
「眠れないのか」
焚き火の前に座るエリオスが、声をかける。
相手はオーカだ。寝袋から顔を出し、ぼんやりと焚き火を見つめていた。
「うん」
他の二人を起こさないよう、声は小さい。
オーカはもそもそと寝袋から脱出し、エリオスの隣に座った。
「やっぱり、向いてないわ」
朱雀の火が襲いかかってきた時、エリオスの叱咤がなければ咄嗟に結界を張れなかった。
魔物を見て驚き、怯えるなど、冒険者失格だ。
「確かに、冒険者に向いてないな、アルハは」
「え?」
何を言い出すの、とエリオスを見上げれば、その顔は真剣そのものだった。
「あんなに心優しい人間を見たことがない。何故アルハが強さを求めるか、理由がわかるか」
「魔物を倒すためじゃないの?」
「そうだ。しかも、魔物をなるべく一撃で、苦しまないよう倒すために、だ」
「魔物が苦しまないように?」
理解し難い考え方だ。魔物は生き物ではない。どう倒そうが、殺したことにならない。
冒険者もはじめのうちは、魔物を倒すことに抵抗がある。それは次第に麻痺し、何も感じなくなるのが普通だ。
数多くの魔物を討伐してきたアルハが、未だに葛藤を抱えているのだろうか。
「オーカは、どのあたりが冒険者に向いていないと感じるんだ?」
急に自分の話を振られ、戸惑いながらも答えを口にする。
「とっさの判断ができなくて、エリオスが言ってくれなきゃ皆を危険に晒すところだったわ」
「つまり、俺がいればオーカは結界魔法を瞬時に展開できて、皆を守れるんだな」
言い方が変わっただけだ。反論は、エリオスが言葉を続けたせいでできなかった。
「アルハにだってヴェイグがいる。仲間の力を借りることも、冒険者にとって大事なことだ」
焚き火に新しい枯れ枝を加えながら、エリオスは更に付け足した。
「オーカがいてくれたから、あの朱雀を相手にライドが手を火傷するだけで済んだ。その火傷だって癒やしたのはオーカじゃないか」
オーカは俯いて黙り込んだが、物憂げな表情は消えていた。
「見張りの交代を頼んでもいいか?」
「任せて」
オーカはそのまま夜明けまで、焚き火がパチパチと爆ぜる音を聞いていた。
◆◆◆
ジュノ北の森、魔女のおかしの家には、人の気配がなかった。
勝手に入ってすぐの部屋は、今日はギルドハウスのホールに似ていた。
違うのは、真ん中にテーブルがあり、そこに一枚の紙切れが置いてあるところだ。
“カリンはいないのか”
「みたい」
紙切れには、丸っこい日本語で僕とヴェイグに宛てた手紙が書いてあった。
アルハとヴェイグへ
せっかくきてくれたのに、ごめんね
もうここでは会えません
この森は世界の呪いが届かない代わりに
魔物がたくさん発生する場所です
いま世界で魔物が強くなってる件は
アルハがラスボスを倒せば
めでたしめでたしです
ヴェイグへ プレゼントのこと思い出してね
じゃあ またね
カリン
ヴェイグは日本語読めないから、僕が読み上げた。
「プレゼントって、前に会った時のやつ?」
僕には、ふわっとした温かい何かが身体を巡っただけで、正直何がプレゼントなのかはわからなかった。
ヴェイグが正式に受け取ったんだろうか。
“それより、らすぼすとは何だ”
「最後の敵、諸悪の根源、みたいな意味かな。それを倒すと世界に平和が訪れるんだよ」
“なるほど”
「で、プレゼントって?」
“アルハに言うと意味がなくなるのだ”
僕らは基本的に隠し事ができない。お互いの思考を直接読むことはできないけど、感情は伝わるから、それでだいたい察しがついてしまう。
今、ヴェイグは「アルハにだけは知られたくない」っていう状態だ。
すごく気になるけど、ヴェイグがそこまで隠したいなら僕も追求はしない。
「わかった。それにしても、ラスボスって何のことだろう」
“世界の呪い……”
二人してそれぞれ小一時間ほど考え込んでしまったけど、特に答えも結論も出なかった。
▼▼▼
メデュハンの住民たちは、未曾有の恐怖を覚えていた。
空を、竜の大群が埋め尽くしている。
「ラク、あれは」
ハインは怯えることなく竜を見上げるが、わけがわからないのは他の人間と同じだ。
「安心せい、人に危害は加えぬ」
薄赤色の竜が舞い降りてきたかと思えば、ラクの前に一人の少女が立っていた。
薄赤色の長い髪に質素なローブを身にまとっている。
「ラクさま、お久しぶりです」
「どうしたのじゃ、イオ」
「この地に青龍がやってきます。戦場はなるべく町から離しますが、人間の皆様には、避難していただくよう、お願いを」
「そうか、イオが次の巫女か。青龍を迎え撃つなら、儂も手伝おうぞ」
ハインにはギルド経由で人間の避難を頼むと、ラクはイオと共に竜の姿となり、空の彼方へ飛び去った。
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