旅人来たれり03
「はぁー……お腹いっぱい……幸せ……」
「私もー……」
「うん……久しぶりに、満腹だぁー……」
お腹をぽっこり膨らませた少女三人組が、草原で大の字になって横たわる。口周りと手が全員血糊で赤黒く染まっていたが、誰も気にしていなかった。
八十キロはあったであろうイノシシは、すっかり原形を失っている。内臓の殆どは消え、骨の一部が欠損していた。頭の中身が抉られ、手足の数も二本ぐらい足りない。これがイノシシである事を知るためのパーツが相当量欠損しており、最早死体というより肉塊のような状態だ。
そうした失われたパーツが何処に行ったかといえば、勿論少女三人組こと継実達のお腹の中である。
普通の人間なら、余程の大食いでなければ二キロも食べればはち切れんばかりに腹が膨れるだろう。しかし超生命体である継実達は、その圧倒的な身体能力に引き上げられたような『食事量』を誇る。小さなパピヨンであるモモでさえ一キロ近い量の肉をぺろりと平らげ、ミドリも五キロは食べた。そして継実に至っては、十三キロも肉を食べている。
一体この小さな身体の何処にそんなたくさんの肉が収まるのか? その方法は様々だ。例えば継実の場合なら、食べた傍から細かな粒子に分解し、数秒で栄養分を血液中に溶け込ませている。これは食べたものを胃袋だけでなく全身で蓄えているようなもの。体重の三割に迫る量でも、問題なく取り込める方法だ。
しかしこれだけ食べても精々今日一日分のエネルギーでしかない。明日の朝にはまたぐぅぐぅとお腹が鳴り、食べ物を探す必用がある。獲物は豊富だから見付けるのに苦労はないだろうが、探さずに済むならその方が遥かに得なのは違いない。
そして八十キロもあるイノシシの身体は、骨も含めればまだ四分の三程度残っている。原形は失えども、食べ物としての価値までは失われていない。
「はぁー……このイノシシ、持ち帰れば明日も明後日もお腹いっぱいになりますねー……」
ミドリがそう提案するのは、なんらおかしな話ではなかった。
実際、大きな死骸を見付けた時には継実やモモも住処へと持ち帰っている。現実的にはハエやら細菌やらに分解されて『目減り』するので、明後日までは持たないだろうが、これだけのイノシシの肉があれば丸一日は住処に引きこもれる筈だ。
外を出歩くというのは、それだけで外敵に見付かりかねない危険な行いである。故に殆どの野生動物達は食事を済ませたら、ひたすら安全な寝床でじっとして、エネルギーを温存しながら時間を潰す。野生生活をしている継実達も同様で、外出を控えられる方法があるならそうするよう努力すべきである。
しかし――――
「……今回は止めた方が良いかなぁ」
継実はミドリの意見に反対した。
まさか否定されるとは思わなかったのだろう。ミドリは目を丸くし、それから口をへの字に曲げた。
年頃の女子らしい可愛い顔をする宇宙人に、思わず継実は笑みが零れる。勿論馬鹿にした気はないが、ミドリはますます機嫌を損ねた表情を浮かべた。とはいえ継実やモモが理由もなしに否定するとは、新米家族であるミドリも思っていないだろう。不愉快だからという理由で分からない事を分からないままにはせず、ちゃんと尋ねてくる。
「えぇー? なんでですかぁ。外に出たら危ないんだから、お家でのーんびりカウチポテトしましょうよー」
「カウチポテトって、宇宙人なのに随分と俗な言葉知ってるわねぇ」
「大体うちにはテレビもソファーもないでしょ……まぁ、ミドリが言うように、出来ればそうしたいけどね。でも今日はどうも嗅ぎ付けられたっぽいから無理、というか危険過ぎる」
「嗅ぎ付けられた?」
「大きな気配が真っ直ぐこっちに来てるのよ。血の臭いを察知したみたいね……クマかゴミムシだと思うけど、死体を持ち帰ったらうちまで付いてくるわよ。アイツら執念深いし」
事情を聞かれたので継実とモモが話すと、ミドリは露骨に顔を顰めた。嫌だ、ではなく、それなら仕方ないと言いたげに。恐らくその脳裏には、自分を襲った巨大ゴミムシの姿でも浮かんでいるのだろう。
継実達は巨大クスノキの洞に隠れ住んでいる。頑強で巨大なあの樹木は継実のパワー程度ではビクともしないが、ゴミムシのように強大な生物なら、簡単ではないにしても破壊可能だろう。いや、そこまでされなくても住処の前に陣取られたら、色々と不都合だ。外に出る時に警戒するのは何時もの事だが、更なる警戒が必要となると気が滅入ってしまうし、おちおち出入口付近で眠れなくなる。
貴重な食べ物を手放すのは惜しいと思うが、明日の食事のためだけに今後しばらく外敵に悩まされるのはいくらなんでも割に合わない。論理的な取捨選択もまた、生き残る上で大切な事である。
「ま、そーいう訳だから今回は持ち運ぶのはなしね。というか何時までも寝転がっていたら、あの連中が来ちゃうわ。アイツらも死体があるのにわざわざ逃げ回る奴を狙うほど暇じゃないと思うけど、万が一もあるしね」
「うん。そーいう訳だから、そろそろ家に帰ろう」
「はーい。じゃあ、せめてお肉を口に頬張っておきます」
残されたイノシシ肉を千切り、リスのように頬が膨らむまで詰め込むミドリ。妙案だとばかりにモモも同じく頬に突っ込み、じゃあ自分もと継実も同様の行動を取る。
最後の味を堪能しつつ、口をぱんぱんに膨らませた継実達は互いの顔を見合わせて、こくりと無言で、至って真剣に頷き合う。住処であるクスノキへと戻るべく、少女三人は歩き出した
その直後の事だった。
「んぶ?」
ミドリが不意に立ち止まり、首を傾げたのは。
声に気付いた継実は立ち止まり、ミドリの方を見遣る。ミドリは視線をあちこちに向けていたが、いずれも地面。ネズミでも走ってるのかとも思ったが、そういった気配は継実には感じ取れない。
「……んっ。どうしたの?」
口の中身を飲み込み、胃が重くなった事を感じながら継実は尋ねる。と、口いっぱいの肉を飲み込めないミドリは、しきりに視線を地面に向けて足踏み。
地面に何かがいると言いたいのだろうか?
なんとか飲み込もうとして、だけど中々上手くいかないのかジタバタするミドリ。どうしてそんなにジタバタしてるか分からず、継実はとりあえず落ち着くよう声を掛けようとする。そうしなければ話が進まないと思ったから。
世界は、そんな事をしなくても進むというのに。
「(――――っ!? 何……)」
ぞくりと走る悪寒。
何かとんでもない、大きなものがやってくる。そんな感覚に見舞われ、無意識に継実が目を向けたのは足下。
地中から、何かが接近していた。それも、物凄い速さで!
「モモ! 跳んで!」
「――――らじゃっ!」
継実の指示に、一瞬の戸惑いを覚えつつもモモは跳び退く。継実はすぐにミドリを抱きかかえ、自分が居た場所から距離を取った。
何かが地中から跳び出してきたのは、時間にして僅か数ミリ秒後。
核弾頭級の衝撃が直撃しようと揺らがない、頑強な植物の根が張り巡らされた地面が呆気なく吹き飛ぶ! 半径十メートル近い範囲の土塊が四方八方へと飛び散り、逃げた継実達にも襲い掛かる。地面を吹き飛ばしたエネルギーの大きさ故か、土塊は音速を超えて飛んでいた。普通の人間ならばこれだけで十分に致死的な運動エネルギーを有す質量体……しかしこんなものは継実達からすれば大した脅威などではない。例え頭にぶち当たったところで、一番弱いミドリでさえも身体を仰け反らせる事すらしないだろう。
しかし――――飛び散る大地の中央に居座る生命体の方は、流石に無視出来ない。
「な、んじゃありゃあ!?」
声を上げたのはモモ。それはモモが、三人の中で一番反応が早かったからに過ぎない。継実もミドリもそいつを見て声の一つでも上げたかったが、モモが大声を出したから、出す切っ掛けを失っただけ。
自分一人だけだったなら、継実は遠慮なく悲鳴なり混乱なりで叫んだだろう。
自分達が今まで居た場所で蠢く、おどろおどろしい姿の怪物が顔を覗かせていたのだから……
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