新たな世界08

 軽めの圧迫感と、柔らかな温かさ。

 眠りから覚めたばかりの継実が覚えたのは、そんな二つの感触だった。微睡んだ意識の中で感じたものに、しかし継実は慌てず騒がず。

 継実は何時も、モモと一緒に寝ている。それも狭苦しいクスノキの洞の中で。二人が並べば寝返り一つで呆気なく相手に触れるため、こうして目覚めた時に触れ合ってるなど日常茶飯事。というより寝る前に抱き合うのが一つのお約束なので、目覚めた時に相手の感触を覚えるのは至極普通の状況だった。

 なので継実は本能のまま暖かな感触を求め、ぐりぐりと顔を埋めておく。

 より強く感じる温もりと柔らかさ。落ち着ける感覚に、覚醒し始めていた意識は再び眠りに落ちていく。七年前の小学生時代ならば決まった時刻に起きねばならず、二度寝など休みの日以外御法度であるが、されど十七歳になった今の継実は野生生活者。なんでも自力でやらねばならない反面、時間の使い方は自由だ。昼まで二度寝をしたって誰にも怒られない。

 継実の安らかな眠りを妨げる者などいないのだ。

 ――――継実が抱き付いた、『何か』以外は。


「(……なんか、これ……変)」


 落ちきらない意識の中、継実は違和感を覚える。

 確かに柔らかいし、温かい。しかしこれは。七年間毎日モモと抱き合っていた継実には、家族の感触が具体的にイメージ出来るほど記憶に深く刻まれていた。

 大体モモはもうちょっと肌触りが滑らかであるし、温かさだってちょっと足りない。そもそもコイツはなんか臭いではないか。いや、モモどころか継実も大概臭いのだが ― 何分行水などする場所もないので ― 、嗅ぎ慣れない臭いを悪臭であると脳は判断した。どうにも此奴、モモではないらしい。

 寝床は自分とモモの居場所。この安らぎの場所を浸食する輩は何者ぞ――――寝惚けているのか妙に役者染みた台詞を脳内で吐きながら、継実は薄らと瞼を開ける。


「あ。おはようございます……えと、そろそろ起きる時間でしょうか?」


 目の前に居たのは、ミドリだった。

 ……継実の、大気中に存在する六×十の二十三乗個の分子さえも容易く観測・捕捉・制御する頭脳が、呆気なくフリーズ。再起動した継実の脳は素早く過去の記憶を漁り始める。結論を出すのに十ミリ秒と掛からない。

 そういや、昨日はミドリも一緒に寝てたんだっけ。

 思い出してから背中で感じる、滑らかな肌触り。鮮やかに蘇るのは、質問攻めで失神したミドリを洞の奥である左端に置き、自分は真ん中で、モモを洞の出入口である右端に寝かせた光景。この並び方には、優れた獣の警戒心を持つモモが入口側で寝ていた方が何かあった時色々と好都合という意味があり、その意味の延長で無力で貧弱なミドリを洞の奥に押し込んだ。必然どちらでもない継実は真ん中となっただけ。

 で、何故か分からないが、継実の身体はモモとミドリを勘違いしたらしい。しかも相当強く抱き締めたのか、木の葉で作った粗雑な服がはだけ、色々露わになっている。

 モモ相手に抱き付くのなら、なんの問題もない。それは何時もの事である。しかしミドリは昨日出会ったばかりの相手。そりゃ一緒に暮らそうと言いはしたが、やはり昨日出会ったばかりの相手にありのままの自分を曝け出すのはちょっとばかり恥ずかしい。例えミドリ自身は顔色一つ変えず、ちょっとスキンシップがあった程度にしか思っていない様子でも。

 つまるところ子供染みた姿をまだそこまで親しくない人に見られてしまった継実は、その顔を一気に真っ赤に染め上げ。


「ぼぎゃああああああああああああああああああっ!?」


「何!? ゴミムシでも襲撃してきたの!?」


 思わず上げた悲鳴で、横で寝ていたモモを飛び起こさせてしまうのだった。

 ……………

 ………

 …


「何よそれ。別に、何時もやってる事じゃん。今更なんで恥ずかしがってんのよ」


【何時も間抜けだと思っていましたけど、今日は輪を掛けてポンコツですわね。仲間と出会えて、気が緩んでいるんじゃありませんこと?】


「うぅ……」


 洞の外に広がる平原。地平線近くで輝き、ほぼ真横から差し込む朝日に燦々と照らされる中で、継実はモモとクスノキに呆れられていた。モモは兎も角クスノキの言い分には感情的に反論したかったが、されど今日に限ればその通りとしか思えず、恥ずかしさから唸る事しか出来ない。


「えっと、私は気にしていませんよ? 抱き付きたければ、どうぞ抱き付いてくださいっ」


 ちなみにミドリは何を勘違いしてるのか、両腕を広げて継実を受け入れようとする。ニコニコ笑う顔には悪意も侮辱もなく、むしろこんな形でお役に立てるならと言いたげ。

 昨日よりも更に上手く喋れるようになった口が吐くのは、なんとも惚けた台詞。もしかして天然系なのだろうか? 本当に、よくこの七年間生き延びたものだと継実は思う。


「……今は遠慮しとく。それより、今日はちょっと食べ物以外のものも探そうと思うんだけど、どうかな」


 ミドリの提案は脇に置き、継実は今日の予定について話す。モモは辺りを見渡しながら「良いんじゃない」と雑に返事していたが、ミドリはキョトンとしていた。

 どうやら何をするのかピンと来ていないらしい。最早一々疑問に思うのも面倒臭くなった継実は、さながら今日初めてサバイバルを行う人に説明するように話す。


「生活するなら、色々必要でしょ? 水もそうだし、寝床に使う落ち葉もいる。そういうのを確保したいの。勿論最優先は食べ物だけど……ああ、あと服の材料になる毛皮も欲しいかな」


「服ですか? 私、一応着ていますけど」


「ないよりはマシだけど、もっと良いものにしないと駄目。もっと丈夫で腐り難いもの、出来ればクマとかの肉食獣の皮を材料にしたやつが良い」


「う……いや、でも葉っぱで新しい服を作っても良いんじゃないかと」


「そりゃ何も着ないよりはマシだけど、出来れば性能にも拘った方が良い。命にも関わるし」


「え? い、命ですか?」


 キョトンとするミドリに対し、継実は自分が着ている毛皮の服を指で摘まみながら、服の重要性について語る。

 衣服が持つ最重要の役割は体温調節だ。寒冷地では温かさを維持するために必要であるし、酷暑の中では直射日光を遮る事で急激な体温上昇を防ぐ。また皮膚を覆う事で植物や砂嵐など、なんらかの『打撃』による怪我を防ぐ機能も持つ。そして文明が発達する中で、例えば性的アピール、身分の主張、自己表現などの様々な機能も付属された。

 しかし文明が崩壊した今、そうした機能の大半が無駄となっている。社会なんてないのだから身分もなくなったし、性的アピールも異性がいない今では無価値。自己表現だって相手がいなければ意味がない。また超生命体にとって地球環境程度の気温変化など、変温動物にとっても無視出来るものと化したため、体温調節機能も不要である。

 そんな中で唯一重要性を増したのが、怪我防止の機能だ。

 野生動物との直接対決が日常となった今、肉体にダメージを受ける事は最早避けようがない。この時地肌を晒しているのと、何かを纏っているのでは、後者の方が圧倒的に怪我を避けられるだろう。

 文明社会の中では忘れられていたが、怪我とは本来致命的なもの。病気になれば命に関わるし、上手く動けない状態では敵から逃げる事も、獲物を捕まえる事も出来ない。それを避けるためにも、頑強な服は身に着けておいた方が良いのだ。

 その意味では、葉っぱの服自体は悪くない。超生命体である植物の頑強さは葉にも及び、それなりに頑丈だなのだから。しかしそれよりも『良い』ものが、この草原には存在している。


「あの、なら継実さんの服は、どんな生き物の皮で出来ているのですか?」


「私のはツキノワグマの毛皮。死んでるものを偶々見付けて、それを使ってる。クマの皮膚は下手な樹木よりも遥かに丈夫だし、能力じゃなくて構造が変わっている感じだから死んでも防御力があまり衰えない。今でも、私の攻撃で破れるかどうか分かんないぐらい頑丈だよ。何より……」


「何より?」


「肉食獣の臭いがあると、食べられる側の生き物は近付いてこない。ツキノワグマなら、イノシシ避けになる」


 肉食獣の毛皮で作った服には、『天敵対策』という利点がある。

 生き物達は生き残るのに必死だ。だから天敵の気配に敏感で、危険を察知したら可能な限り避けようとする。ツキノワグマのような肉食獣の臭いがあれば、イノシシやシカは近付いてこなくなりやすい。

 特にイノシシは恐ろしい動物だ。対して継実の倍以上の体重があるため戦闘力は手が付けられないほど凄まじく、それでいて雑食……腹が減っていれば人間だって食う。おまけに臆病な割に気性が荒いため、うっかり鉢合わせると敵意がないと示す前に襲い掛かってくる始末。強さ的にはシカも似たようなものだが、イノシシと違って純粋な草食性な上に穏やかなため、こちらは落ち着いて対処すればどうとでもなるというのに。

 それほど危険なイノシシへの対抗策は出会わない事。身も蓋もない言い方だが、実際そのぐらいしか有効な策がない。しかしイノシシ達は臆病でもあるので、天敵となり得る生物……クマや巨大ゴミムシの臭いがあると寄ってこないのだ。その性質を利用して、危険を回避するのである。


「まぁ、毛皮に使えるような死骸なんて珍しいから、今日だけじゃ見付からないと思うけど。生きたキツネが居たら、捕まえて皮を剥ごうかな。キツネの毛皮はイノシシ避けにならないけど、防御力的には葉っぱよりはマシだし」


「か、皮を剥ぐって……」


「別に生きたままやろうって訳じゃないよ。殺した後お肉を頂いて、皮もついでに頂戴するだけ。キツネはあまり美味しくないけど、一応腹の足しにはなるし」


 笑いながら答える継実に、ミドリは引き攣った笑みを返す。しかし表立って否定しない分、継実の言い分は理解したのだろう。段々と真剣な表情になり、気を張っていると伝わる。

 覚悟してくれるのはありがたい話だが、先程言ったようにそもそもキツネもクマも見付かるかどうかが分からない。生命が溢れるようになった事で捕食者の数も増えたが、それでも頂点に立つモノ故に絶対数は少ないのだ。それに死体だって早々見付かるものじゃない。例えツキノワグマの身体でも、数日もあれば分解されてしまう。その毛皮が水爆を何十発喰らおうと耐える強度だろうが関係ない。物を腐らせる細菌達もまた超生命体なのだから。継実達が毛皮の服を何日も着ていられるのは、寝る前に手入れをしているからである。

 要するに、行動しなければどうなるか分からないという事だ。行動前に考える事は大事だが、考えてばかりでは何も始まらないのも真理。


「ま、あんまり気負わなくて良いよ。今日はそういう予定にしたから、キツネとかを見付けたら教えてってだけ」


「はいっ! 分かりました!」


 元気の良い返事に、継実はちょっと気を良くする。無邪気で素直なミドリの反応は、お姉さんぶりたい継実にとってどんぴしゃな好み。胸の中から湧き出すぽかぽかとした気持ちによって、継実もまたにこりと笑ってしまう。

 ――――ただ、その心地良さに溺れるには、一つ気に掛かる事があるのだが。


「……どうしたの、モモ。さっきからなんかキョロキョロしてるけど、何か気になるものでもある?」


 相棒にして家族でもある、モモだ。

 継実とミドリの会話に混ざろうともしなかった彼女は、先程から辺りを見回してばかり。確かに何時何処から恐ろしい生き物が襲い掛かってくるか分からないのが今の世界であり、その意味では正しい行動なのだが……もう何年も続けた生活だ。ここまで露骨に警戒せずとも、周りの敵意ぐらい察知出来る。

 大好きな人間とのコミュニケーションを差し置いて、モモは一体何をしているのだろうか。


「え? ……うーん、分かんない。なんか居心地悪くて」


 そんな継実の疑問は、されどモモ自身にすら上手く答えられなかった。

 要領を得ない回答だが、モモが嘘を吐くとは思えない。分からないという事は、少なくともモモの理性は何も分かっていないのだろう。逆に言えば、本能的な理由でそわそわしているらしい。

 具体的な理由が分からない。そちらの方が、継実にとっては気掛かりだ。

 継実は特に何も感じていないが、そんなのはなんの判断材料にもなりはしない。継実の気配察知能力は、生粋のケダモノであるモモと比べれば非常にお粗末なのだから。故に継実はモモの語る違和感を、全面的に信じる。

 とはいえ、じゃあ今日は洞の中に引き籠もっていようとも言えない。いや、本当に危険ならばそれが最善であるし、一日籠もるぐらいどういう事もないが……継実達超生命体はたくさんの食糧エネルギーを必要とする。そのため長期間の籠城は不得手。あまり大した理由もなく休みにしてしまうと、その後もっと危ない日が訪れた時、自宅で餓死か危険に跳び込むかの二択を迫られてしまう。

 リスクはゼロに出来ないし、無理に回避しようとすれば却ってより大きくて不可避のリスクを招く。あまり過剰に怖がっても仕方ない。尤も、何処までが適切で、何処からが過剰かなんてものは、実際に事が起きねば分からないものでもあり。


「(ま、気には留めておこう。モモには周りの警戒を優先してもらって、いざとなったらすぐ逃げればなんとかなるだろうし)」


 今回の継実は、モモが感じた違和感をその程度に考えた。

 さりとて脅威というものは、得てして警戒が緩い時に訪れるものである。

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