第53話

 翌日、岩井の人事異動が発表された。銀行の人事異動では理由は明かされない。その後、しばらくしてから岩井はパワハラで飛ばされたとの噂が流れた。それだけだ。尚、中野坂上支店から仙台支店に異動した稲垣は、しばらくしてから真島と結婚した。真島はその直前に帝國銀行を退職していた。




 田嶋は一連の動きが終わった後に山内に会いに行った。


「色々あったし、人事部の動きについては現場の皆さんには言えないことが多い。でも一応一件落着だよ。協力してくれてありがとう」そう言いながら田嶋は山内に途中で買ってきたお菓子を渡した。大丸東京店で買ったピエール・エルメのマカロンの詰め合わせだ。6個しか入っていないのに税込2,808円。すなわち、1個当たり468円。マカロンたった1個が、帝國銀行本店の食堂利用時の昼食代を超える。田嶋のお気に入りのお菓子は昔から森永のハイチュウ・グリーンアップル味だが、通常は108円程度だ。ハイチュウは12粒入っている。1粒9円。レベルが違う。しかし、おしゃれなものに疎い田嶋としては、パッケージも中身もカラフルできれいなマカロンを選んだのだった。


「気にしなくて良いのに」そう言いながら山内は微笑んだ。そして、ふと寂しそうな表情になる。


「解決しちゃったら、会いに来てくれなくなっちゃうね」真っ直ぐに田嶋の目を見据えた後、山内は目を逸らした。


「いや、同期なんだから、いつかご飯でも食べに行こう」


「いつかって、行くつもりがない時に言う言葉だよ」


 思ったよりも強い反応が返ってきて田嶋はうろたえた。


『山内はどうしたのだろうか。今日は機嫌が悪そうだ』そんなことを考えていると山内が口を開いた。


「笑って聞いてね。私ね、最初に会った時から田嶋君が好きだったんだ」


「え?」


「気にしないで。ただ言いたかっただけだから。こんな歳になっても自分の気持ちをコントロールするのは難しいよね。久しぶりに会ったら、昔の気持ちを思い出しちゃった」山内は眉間にシワを寄せながら、心底困ったというような表情をしていた。


「だから、また会えて嬉しかったんだ。もちろん、何かして欲しい訳じゃないから安心して。少し歳を重ねて分かったのは、言って後悔するのと、言わずに後悔するなら、言って後悔した方が良いということ」山内は田嶋の少し上の空間を見つめながら、そう呟いた。


 田嶋はただ頷くことしか出来なかった。本当の大人の男は、こんな時に気まずくならず、上手く返答できるのだろう。残念ながら、田嶋にそんな能力や経験は無かった。


「でも謝らなきゃいけないこともあるんだ」

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