第5話

 木村が会議室から出ていくのを見守る。その後ろ姿に最後に声をかけた。


「私は、銀行は人が全てだと思っています。これからもご意見を気軽にください」


 木村に聞こえたかは分からない。扉が閉まった瞬間に、パイプ椅子に座り直す。


『疲れた』田嶋の率直な感想だ。


 田嶋は若い女性が苦手だ。女性は感覚的であり、簡単には組織の約束事に同調しない。おかしいことがあれば、おかしいと強く主張することもある。男性と異なり涙を流すこともある。恐らく男性は単純でアホなのだ。組織にもすぐに同調する。


 人事という仕事では、特に女性からの訴えは難しいものが多いと田嶋は考えていた。そもそも女性から相談を受ける自体がリスクなのだ。下手な対応をしたら、味方をしていたつもりでもセクハラやパワハラで訴えられかねない。


 しかし、人事部である以上、逃げることはできない。


 そして、田嶋は苦手ではあっても女性からの意見は重要だと認識していた。これからの時代は女性の労働力が更に重要となる。そして、女性の感覚に優しい会社は、共働きの男性にとっても優しい会社なのだ。そのような会社でなければ、優秀な社員は去ってしまいかねない。ブラック企業との評判がついてしまえば、学生達から敬遠される。インターネットの情報掲示板には、実際に勤めていた従業員が書き込むことも多く、学生達は企業が提供する情報よりもネットの情報を信じる。


 銀行の資産は、今まで築いてきたブランドであり信用だ。それを作り、維持するのは銀行員という人だ。


 お客様からは、銀行員という個人一人ひとりが銀行の印象を形作る。目に見える商品を扱わない以上、お客様の目に映るのは店舗と銀行員だけなのだ。


 そして、銀行は単なる会社だ。それなのに銀行に勤める従業員は会社員とは呼ばれない。銀行員と呼ばれるのだ。少なくとも日本において銀行員は特別だった。


 田嶋は銀行員を育て、守る仕事にやりがいを感じている。


 今日もこれから本店に戻る。深夜まで仕事することになるだろう。現場には労働時間を短縮しろ、残業規制を守れと指導するが、人事部自体は特別だった。いつ過労死が発生してもおかしくない。変な組織なのだ。


 田嶋は短い頭をくるりと撫でて、気持ちを切り替え、目黒支店の会議室を出た。



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