二章 ドノヴォン国立学院編
70
その朝の目覚めは、俺にとって少し特別だった。
といっても、起きたのはどこにでもあるような普通の宿屋の、普通の部屋だった。広さはそれなりにあり、ベッドも二つあった。俺はその片方で寝ていたというわけだった。
そして、俺がそこで上体を起こしたとき、すでにもう一つのベッドには誰も寝ていなかった。
「……ユリィ?」
朝にめっぽう弱いあいつが、俺より先に起きるなんて、めずらしいこともあるもんだ。あくびをしながら、部屋を見回し、その姿を探したが、どこにも見当たらなかった。トイレにでも行ってるのだろうか。
と、そこで、にわかに部屋の扉が開き、誰か入ってきた。
「あ、トモキ様、ちょうど起きたところだったんですね」
入ってきたのはもちろん、俺の現在の唯一の旅仲間の少女、ユリィだった。普段はサキからもらったローブを着ているが、今は寝るとき用の白い薄手のローブを着ている。黒く長い髪もポニテではなく、うなじのところでゆるく結われているだけだ。
ただ、今は手に皿を持っており、その上にはいかにも焼きたてホヤホヤという感じのミートパイがあった。そのいいにおいが、起きたばかりで空腹の俺の鼻をくすぐった。
「なんだそれは? 朝メシか?」
「はい。わたし、今日は少し早起きして、作ってみたんです。ここの一階の酒場の台所を借りて」
ユリィはなんだかめちゃくちゃ得意げな顔だ。
「早起き? お前が?」
人一倍朝に弱く、俺より早く起きたためしがないお前が? またなんでそんな風の吹き回しに?
「トモキ様、これは普通のミートパイではないんですよ」
「そうなのか?」
見た目はめっちゃ普通なんだが?
「具が変わってるとかか?」
「いえ、具は普通です。まずは食べてみてください。そうすればきっと、トモキ様にもわかるはずです」
ユリィはずいっと皿を差し出してきた。その顔はやはり得意げだが、よく見ると、ちょっぴり不安げでもあった。いったいなんだろう。まあ、朝メシならとりあえず食うが? 俺はそのまま無造作に、そのミートパイを口に運んだ。もぐもぐ……こ、これは……。
「うまい!」
「でしょう!」
その瞬間、ユリィの顔にちょっぴりあった不安が消え、満面の笑顔になった。
「これはわたしがはじめて作った、特別なミートパイなんですから!」
「特別か……」
レシピが変わってるとかだろうか? もぐもぐ。うーん、実にうまい。味の素みたいなチート調味料がないこの世界なのに、肉やら野菜やらの素材本来のうまみが十分に感じられ、塩味の加減もちょうどよく、スパイスもいい感じにきいている。焼き加減もちょうどよく、さくっとした外側と、しっとりした中身の食感のバランスもベリーナイス……だが、何が特別なのかはよくわからない。俺、特別に敏感な舌とか持ってないし? 素材に異常にこだわる美味しんぼより、庶民派料理のクッキングパパ派だし?
「具は普通なんだよな? じゃあ、塩とか水とかが特別なのか?」
「あ、そうですね。せっかくですし、お塩やお水にもこだわるべきでした」
ユリィは俺の言葉にはっとしたようだった。どうやら、そのへんは特別じゃないらしい。
「じゃあ、何が特別なんだよ」
「種火です」
「たね、び? いや、いきなりそんなん言われても……」
「実は、これを焼くのに使った種火は、わたしが魔法で出したんですよ! わたし、魔法使いですから!」
と、ユリィがドヤ顔で言ったところで、寝ぼけ頭の俺はようやく気が付いた。そういや、コイツ、何日か前に、俺に報告してたっけ。発火の魔法が使えるようになったって。めちゃくちゃうれしそうな顔で……。
「なるほど。魔法使いのお前だから作れたミートパイってわけか」
「はい、すごく魔法使いの味がするでしょう?」
「なんだ、それ」
俺は笑った。どんな味だよ、それ。
「まあ、確かに、そこらの店で出されてるものよりかは、ずっとうまいんじゃないか。さすが魔法使いユリィ様だぜ」
「あ、ありがとうございます!」
ユリィはやはり、とても得意げで、とてもうれしそうな顔だった。なんだか俺もつられてまた笑ってしまった。たかが種火を魔法で出したぐらいで料理の味が変わるとは思えないが、そんな輝くような笑顔を目の前にしたら、どんな料理だって何倍もうまく感じるもんだぜ、はは。
「わたし、お師匠様のところにいたときから、ずっと思っていたんです。魔法で火を出して料理ができたらどんなにいいだろうなって……。だって、わたしは魔法使いのはずなのに、いつも火打石を使ったり、種火をどこかから持ってきてお料理をしていましたから。そんなの、全然、魔法使いらしくないですよね……」
そうか。だからこそ、このミートパイはユリィにとっては「特別」なんだろう。はじめて、自分の魔法で火を起こして作った料理なんだから。
「よかったな、ユリィ。これからジャンジャン新しい魔法を覚えれば、料理の手間も省けるぞ」
「お料理に使うとしたら、どんな魔法がいいでしょう?」
「そりゃまあ、火炎系は外せないよな。あとは……氷系?」
「ああ、冷たいデザートを作るのによさそうですね」
「あと、風系の魔法あたりは、材料を切るのに使えるかもな。カマイタチってやつだ」
「包丁がないときに助かりそうですね」
「それに、雷系は材料確保にはいいかもな。池や川に電撃を流せば、魚が浮いてきて捕り放題だ!」
「お魚食べ放題ですね。食費が浮きそうです」
「あとはやっぱり、メテオストライクだな。水牛の群れにでも隕石を落とせば、お肉も食べ放題だ!」
「そ、そこまではちょっと……」
ユリィはとたんに困り顔になった。ああ、そういえば、メテオストライク系の魔法はめっちゃ習得大変だったような。ちょっと要求高すぎだったか、はは。
「まあ、ようは志を高く持てってことだよ。世界も平和になったことだし、魔法もそういうふうに平和に使わないとな」
「そうですね……」
と、ユリィはそこで、俺の向かい側にあるベッドに腰かけた。ふらふらと、なんだかとても頼りない感じで。
「トモキ様、わたし、今日はちょっと早起きをしてしまったので、その……」
「その?」
「…………寝ます」
ぱたん。瞬間、ユリィはそのままベッドに倒れこみ、眠ってしまった。
「お前、どんだけ朝弱いんだよ」
話してる最中に唐突に二度寝とはなあ。俺はまた笑った。ユリィの寝顔は実に安らかだった。相変わらず、寝つきよすぎるだろ、コイツ。
ただ、いつかの夜もそうだったが、そんなふうにユリィの寝顔を見ているだけというのも、手持無沙汰だし、こそばゆい気持ちだった。俺はミートパイの残りをたいらげると、寝ているユリィを部屋に残し、宿を出た。俺の懐にはあの竜からゲットしたレジェンド・コアがあった。一人で起きていてもヒマだし、それをどこかで金に換えておこうと考えたのだった。今現在、俺たちが滞在しているのは、あの竜のすみかから少し離れた場所にある、そこそこな規模の街だった。あれを討伐した後、そのままここに立ち寄ったわけなのだった。
しかし、街を歩きながら思い浮かぶのは、ついさっき目にしたユリィの、とてもうれしそうな笑顔だった。あいつ、ほんの少しだけど魔法が使えるようになったのが、よっぽどうれしいんだな……。思い返すと、俺もだんだん顔の筋肉がゆるんできた。やっぱ、ほら、ユリィってば美少女だし? 笑った顔も抜群にかわいいってもんだし?
それに、そんな美少女が俺のために無理して早起きして、あんな美味しいミートパイを作ってくれたなんて。しかも、はじめて、とか、特別とか言われてしまったぞ! 俺、前世から通算して四十年彼女いない歴だし、どうしたらいいのよ、こんな幸せすぎるイベント! もしかして、これからちょくちょく、あんな感じで、ユリィのスペシャル手料理をいただけてしまうのか、俺? 俺だけのために料理してくれるのか、ユリィ! 考えるほどに、どきどきが止まらなくなってしまう。
と、しかし、そのとき――、
『マスター、ここでワタシから実に残念なお知らせがあります』
頭の中で謎の声が響いた――って、この口調は!
「ネム? なんで急にお前の声が聞こえるように?」
腰に差しているゴミ魔剣をゆさぶりながら尋ねると、
『アッハイ、ワタシってば、つい先日ディヴァイン食べちゃったわけで。それなりにレベルアップしたわけなのですヨ。愛がアップ!、魅力がアップ!、ネムちゃんソードがレベルアップ!ってな寸法さあ』
「武器レベルとかあんのかよ、お前に」
『あるわけなのデスネー。で、見事、レベルマックスになったワタシはこうしてマスターと余計な
「得るなよ、んなもん!」
うざさが増すだけだろうがよ。
『アッハ、ご心配なく。ワタシはこれでも海千山千おっくせんまんの老獪さを標準装備しているので? ちゃんと空気を読んで、どーしても必要な時以外は、マスターの心に語り掛けたりはしませんヨ? ぶっちゃけ相当疲れますしネ、これ』
「じゃあ、ずっと黙ってろよ」
『そういうわけにもいかないのですヨ? ここだけの話、マスターの未来、相当ヤベーので』
「やべえってなんだよ」
『フラグをビンビンに感じてるってことでさあ。二週目プレイ中のマスターのバッドエンドのフラグを、ネ』
「え」
『マスター、あんた、このままだと近いうちに……死にますぜ?』
「な、なにを急に――」
さすがに驚かずにはいられない俺だった。
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