53
「えーと、犯人に告ぐー。今すぐ人質を解放して投降しなさい。故郷のお母さんも泣いてるぞー」
堕天使のすぐ下まで来ると、とりあえず適当に言ってみた。実際、人質の安否なんかどうでもいいんだが。
「はは! バカめ! そんな言葉に篭絡される俺ではないぞ! そもそも我が一族に母という概念はない! 天使はすべて、同じ神の元に、平等に命を授かるのだ!」
「え、じゃあ、神様がお前のカーチャンじゃん? そいつに通報すればいいじゃん?」
「ふふ! とっくの昔に勘当されている俺に、今さらそんなこと無意味だ!」
「勘当って……どういうシステムなんだよ」
天使が堕天するって、そんなノリでいいのか。天界ってただの大家族だったりするのかよ。
「ちょっと、そこの馬の骨! こんな魔物相手に、何のんびりと交渉してるんですの! 早くわたくしを助けなさい!」
堕天使の手荷物がなんかぎゃーぎゃーわめいてる。うるせえな、もう。
と、そのとき、
「姫! 僕がすぐにお救いします!」
治療が終わったのだろう、背後からすごい勢いでザドリーが駆けてきた。
そして、
「何だお前は? 失せろ!」
と、堕天使の手から放たれた魔法のビームに打たれ、一瞬で黒焦げになって、その場に崩れてしまった。
「あいつ、何回死ねば気が済むんだ……」
今回も、治療魔法チームはすぐにザドリーの元に駆けつけている様子だ。またすぐに復活か。いい加減、見捨ててもいいと思うけどな。
「ああ、ザドリーさま……」
この、もはやお約束と化したザドリーの死に芸にも、姫は心を痛めている様だった。なんか、上から悲痛な声が聞こえてきた。
だが、直後、姫は「う……」と、苦しそうなうめき声を上げた。
これはもしや? 俺ははっとして上を見上げた。すると、ちょうど薬の効果が切れたのだろう、姫の体に変化が現れたところだった。そう、美しいフランス人形のようだった姫は一瞬のうちに、醜い肉の塊に姿を変えてしまったのだった。
「うわあっ! なんだこいつ!」
その変化に一番驚いたのは堕天使のようだった。まあ、無理もない……。
「なんでこんな姿が変わって……つか、重っ! なにこれ?」
上空でホバリング飛行していた堕天使は肉姫の重さに、とたんにふらふらしはじめた。
「すげーな、御典医トーマスの薬。外見だけじゃなくて体重も軽くしてたのか」
「はい。貴重な浮遊キノコの粉末をふんだんに配合していますから」
と、姫の従者の男が俺に答えた。その姫を見上げる表情は、心配というよりも呆れているような感じだ。
「おおーっと! なんということでしょう! 姫の姿が一瞬にして醜い肉の怪物と化してしまいました! これはもしや、魔物の邪悪な呪いによるものでしょうか!」
と、何も知らない実況は、どさくさにとんでもなく失礼なことを言っている。「ばっかだねえ。呪いじゃなくてただのデブなのにねえ」と、ジオルゥがけらけら笑う。いや、お前が言うな。
「い、いや、俺は呪いなんて、何も……」
堕天使はぎょっとして、あわてて首を振った。
「そもそも、この状況で、わざわざ人質を重くするとか、ありえないだろ……ってか、この肉、マジ重っ! もう無理! 限界だから!」
と、そこでぽいっと、肉姫を手放す堕天使だった。当然、それはすぐ下の固い石畳に激突する――と、思いきや、
「姫! 今度こそ、僕がお助けします!」
治療が終わったのだろう、またしても背後からザドリーが駆けてきた。やつはすぐに肉姫の真下に立ち、落ちてくるその巨体を両腕で力強く、がっしりと受け止めた――わけはなかった。現実はやっぱり非情である。石畳に落ちる直前に肉姫の下に来たまではよかったが、二人はそのまま二つ重なってぺしゃんこになってしまった。ぐちゃっという嫌な音を出しつつ、つぶれたトマトのようになって。
「まあ、そうなるよな……」
その、もはやただのグロ画像と化した血みどろのお肉の塊にも、治療魔法チームはすぐに駆けつけた。明らかに二人とも即死だが、どうせ、また助かるんだろう。たぶん。
「お、俺のせいじゃないからなっ! そいつが勝手に重くなるのが悪いんだからなっ!」
堕天使も今の光景に動揺しているようだ。うむ、気持ちはわかる。
だが、それはそれとして、俺は俺の仕事をしないとな。
「とりあえず、人質を解放してくれて助かったぜ。あれごと、お前をボコるわけにもいかないからな」
びしっ! 堕天使を指差し、今度こそ、かっこよく言い放つ俺だった。
「はっ! 何を調子に乗っている! お前はどうせ接近戦しかできないんだろう! 俺のいるこの高さまでこれないだろう! だったら、遠距離攻撃できる俺のほうが有利――」
「いや、それぐらいなら、なんとかなるぞ?」
瞬間、俺は石畳を強く蹴り、力いっぱい真上にジャンプした! とう! たちまち、俺は堕天使のいる高さまで跳び上がることができた。
「よう!」
「ひいぃ!」
高さが並んだところで堕天使にフレンドリーに挨拶したら、真っ青な顔をされ、さらに上へと逃げられてしまった。俺はとりあえず、そのまま下に着地した。
「こ、この高さまではさすがにジャンプできまい! はっは!」
堕天使は、もはや下からは豆粒ほどにしか見えない大きさだった。どんだけ上に逃げるんだよ。つか、こいつさっきから、何気に声だけはめちゃくちゃでかいな。
「まー、確かに、そこまで跳ぶのは無理かなー」
うーん、どうしよっかな。石でも投げちゃおっかなー。俺は小首をかしげた。ぶっちゃけ、あんなザコ魔物、どうでもよかったが。
と、そのとき、
「アルー。そういうときは、ワイの出番やでー」
騒ぎを聞いて駆けつけてきたのだろう、マオシュがこっちに近づいてきた。パワードスーツの鎧を着て、手にハルバードを携えた状態で。
「何だ? ハルバードをぶん投げるのか?」
「ちゃうちゃう。一緒に空飛んであいつをやっつけようってことや」
「一緒に? 空飛んで?」
「せやで。ワイと一緒に飛ぶんやでー」
とたん、マオシュの鎧のわきから、にゅるっと、翼らしきプレートが2枚出てきた。よくわからんが、この鎧は飛べるらしい。とりあえず、背中に回って、しがみついてみた。
「ほな、行くでー」
と、相変わらず軽いノリの掛け声とともに、鎧はいきなり足首から下をキャストオフし、そこから火花を撒き散らしながら上昇し始めた。
「おおお……飛んでる、飛んでる!」
なんかあの、超有名な十万馬力のロボットみたい! ちょっと胸がキュンとときめいちゃった俺だった。鎧の飛行速度は意外と速く、あっというまに堕天使の近くまで上昇した。
「な……! 魔法を使ってるわけでもないのに、なぜそんな鉄の塊が空を飛んでいるのだ!」
堕天使のリアクションは実にピュアというか、もはやテンプレだった。かがくのちからって、すげー。
「よーし! このまま一気にあの羽野郎を撃墜するでー!」
マオシュは俺にハルバードを手渡し、体を水平にした。そうか、この姿勢だと、ちょうど馬に乗ってるのと同じような状態か。武器も馬上で使うのにいい感じだし。すぐにそのマオシュの鎧にまたがり、ハルバードを構えた。気分はすっかり騎兵だ。
「ほな、行っくでー!」
と、いまいち気合が入らない掛け声とともに、空飛ぶ鉄の鎧の馬は、堕天使に向かって、突撃した。俺はハルバードを強く握り締め、その切っ先をまっすぐ前に突きたてた。くらえ、渾身のチャージアタック!
「うわああっ!」
堕天使はかろうじてその直撃を避けた。だが、俺の握ったハルバードは、その片方の翼をしっかり貫いていた。堕天使はすぐにバランスを失い、ふらふら、ゆっくり落下し始めた。よし、追い討ちだ! 俺たちは、すぐに旋回し、さらに突撃した。
だが、俺のハルバードが堕天使に接触する直前で、堕天使は全身から強い光を放った。うお、まぶし!(何回目だっけ?)
そしてその、目くらましの、ヤケクソの太陽拳?で俺たちが戸惑っているスキに、堕天使は向こうに逃げてしまった。
「あいつ、いちいち鬱陶しいことしやがって」
ちょっとイライラしてしまう俺だった。
「よーし、こうなったら、ワイの奥の手を出したるさかい」
「奥の手?」
「せや。ちゃんと飛び道具も積んでるんやで、この機体には!」
と、言うと、「ぽちっとな」とつぶやき、マオシュは何か操作したようだった。たちまち、鎧の肩から、射出機が飛び出してきた。そして、そこから、何発もの小型ミサイルが堕天使めがけて射出された。
「ぎゃあああっ!」
ちゅどーん! 堕天使は一応はそれをよけようとしたが、ホーミング機能があったので、逃げられなかった。射出されたものはほぼ全部命中したようだった。
「まだや! これで、とどめや!」
と、マオシュは鎧の頭を持ち上げ、また何か操作した。たちまち、鎧の顔からレーザー光線が出てきた。それは、まっすぐ堕天使の、ミサイルですっかりぼろぼろになった体に命中した。
「ぎゃあああっ!」
もはやオーバーキルと言ってもよかった。レーザーは堕天使の体を、一瞬で黒焦げにしてしまった。
「お前、どんだけこの鎧に兵装積んでんだよ……」
さすがにちょっとやりすぎ、自由すぎじゃあないか。
「はっは。言うたやろ? ワイ、天才やし?」
マオシュは鎧の中で高笑いした。その間に、黒焦げになった堕天使はカエデの種子のように旋回しながら、ゆっくりと舞い落ちていった。
だが、その回転の動きはにわかに止まった。突如、その体は石になり、まっすぐ下に落ちて行ってしまったのだった。
「なんだ……?」
俺は異変を感じ、ふと、上を仰いだ。すると、空の色が黒くよどんでいるのに気づいた。さっきまでは明るい青い空が広がっていたというのに。
そして、その黒いよどみの、もっとも色が濃い部分から、巨大な蛇の頭がゆっくりと出てくるのを見た。ただ、普通の蛇と違い、その瞳はとても大きく、頭の中央に一つだけだったが。
「……ふふ、はじめてまして。勇者アルドレイ様」
一つ目の蛇は俺と目が合うと、瞳を細めながら、ゆっくりと言った。しゃがれた、老婆のような声だった。その間にも、その巨大な体はゆっくりと空のよどみの中から出ていた。
「ア、アル……。あいつは、確か、バジリスク・クイーンやで……」
と、鎧の中で、マオシュが声を震わせながら言うのが聞こえた。
「バジリスク……クイーン? クイーンってことはもしかして――」
「せや! レジェンド・モンスターや! しかも、ロイヤルクラスや!」
「え、ロイヤル……」
あれ? もしかして、それって、かなり強い魔物さんじゃない?
「ザコと遊ぶのも飽きたころでしょう? そろそろ私の相手をしてくれないかしら? ねえ、アルドレイ様」
バジリスク・クイーンは俺たちを囲むようにとぐろを巻きながら、ねっとりとささやいた。
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