51

「大いなる苦難と試練を乗り越え、僕は再びこの舞台に戻ってきた! 僕はもう恐れない! 後ろを振り向かない! 全力を尽くして戦うのみだ! 僕の愛する女性のために!」


 と、お約束のザドリーの寒い宣言の後、試合はすぐに始まった。


 そして、すぐにザドリーはネムに体を乗っ取られたようだった。目つきがおかしくなった。剣を持つ構えも、ザドリー本来の勇ましいがスキだらけのものから、やや前傾姿勢で不恰好ながらも、一分のスキのないものに変わった。


「さて、ティリセはどう動くかな……」


 二人は試合が始まっても、距離を保ったまま動こうとはしなかった。お互いの出方をさぐっている様子だ。というか、ネムは確実にそうなんだが。


 一方ティリセをよく見ると、焦りと苦渋が顔ににじんでいるように見えた。なるほど、あいつなりにネムのスキのない構えに動けずにいるのか。まあ、格闘と剣術じゃそりゃなあ。


「おーい、ティリセ! ちゃんと仕事しないと、金がもらえなくなるぞ!」


 俺はステージの横から、声をかけ、煽ってみた。


「はあ? なんで、あんたそんなところにいるのよ?」


 と、ティリセはそこで初めて、俺たちの存在に気づいたようだった。たぶん、ステージの横に観客がいるなんて思ってもみなかったんだろう。普通は運営委員しかいないスペースだしな。


「俺、参加者だし、超絶ウルトラシード選手だから、ちょっと近くで観戦させてもらってるのよ。いーだろー、へへ」

「はっ! うっとうしいこと、この上ないわね!」


 と、ティリセはいらだちながらも、すぐにネムのほうに向き直った――が、またすぐに俺たちのほうに振り向いた。


「あんた、今、金がどうのって言ったわよね? あたしの事情、どこまで知ってんの?」

「ほぼ全部かな。ま、お前の思い通りにはならないだろうけどな」

「どういう意味よ?」

「やっぱさあ、汚いことしてお金を稼ぐってよくないよね。そんなこと許されるわけないよねー」

「何言ってんの? まるであたしが八百長してるような口ぶりだけど、この大会、あたしはいつだって全力なんですけど!」

「え? いつだって全力って、まさかお前、王弟のほうについたの?」

「当たり前でしょ! あたしが試合にわざと負けてお金をもらうなんて、そんな汚い八百長するわけないでしょ!」

「そ、そう……」


 単に王弟のほうが金払いがよかっただけの話じゃないかなあ、それ。


「スーハ様には確かに、この大会に出るためにちょっと援助してもらったわ。でも、それだけよ。今のあたしは、誰もが魅了され、トリコにされる、麗しの格闘美少女イリス! この大会で、それを証明してあげるんだから!」

「シスターの次はめざせ格闘アイドルかよ。お前のなりきりプレイは相変わらず重症だな」


 まあ、とりあえず、姫と王弟、どっちについたかわかったからいいか。


「でも、王弟さんから依頼されて、全力で試合をするだけなら、不正にはならないですね。ティリセ様の格闘アイドルへの夢もすばらしいです。キラキラしてます」


 ちょろいユリィはまたうまく騙されているようだ。


「あいつが、格闘アイドルとして輝きたいとかどうでもいいだろ。どうせ、この試合で、ザドリーに負けるんだしな」


 俺はそこで、目つきのおかしい銀髪のイケメン、ネムに目配せした。


「いえーす、マスター」


 ネムはただちに動いた。一気に前へ踏み込み、ティリセの懐に斬り込んで行ったのだ。常人離れした速さで。


「な、なんなのよ、こいつ!」


 ティリセはかろうじてという感じで、その刃を避けた。そして、ぴょんぴょんと、ウサギのような動きで、後ろに逃げた。


 ネムはさらにそれを追撃するが、ティリセはやはり逃げるだけだった。逃げ足だけはネムより速いようだったが、一切反撃できない様子だった。


「こいつ、なんで、こんなに動けるの? 二回戦のときとはまるで別人――」


 と、そこで、ティリセの視線がネムの握っている剣に落ちるのが見えた。


「なるほどね。アル、ずいぶん汚いことしてくれるじゃないの」


 どうやらそこで、ザドリーがネムに体を乗っ取られてることに気づいたようだ。


「汚いって何だ? お前の対戦相手は、正々堂々戦ってるじゃないか」


 ちっ、もう気づきやがったか。舌打ちしたいところだったが、あくまで平静を装う俺だった。


「正々堂々? どこが? こいつ、魔剣の能力でムチャクチャ強くなってるじゃないの! こんなのインチキよ!」

「ハハ、インチキではありませんヨ、エルフの小娘。ワタシはあくまで、このデバイス本来の身体能力のみを使って戦っているのですからね。アナタと違って、ネ」


 と、ネムは不気味に笑った。


「おい、ネム。アナタと違ってって、どういう意味だよ?」

「なーに、この小賢しい小娘はちょいと身体能力上昇系の魔法を使ってるだけですヨ。バレないように、ごく短時間の、最低限の発動に抑えつつ、ネ」

「な、なに言ってんのよ!」


 ティリセはたちまち激しく狼狽した。どうやら図星のようだ。


「智樹様、確かこの大会、身体能力上昇系の魔法を使うのはルール違反――」


 と、ユリィが俺に耳打ちする。


「ああ、運営にチクれば、あいつは反則負けだ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! そんな証拠、どこにもないでしょ!」


 ティリセは必死に反論するが、


「証拠なら、アナタのデバイスをちょいとスキャンすればいいだけです。バフ魔法を使った履歴ログがすぐ出てくるはずですヨ?」


 ネムはさらに追い討ちする。なるほど、この大会にはそういうドーピング魔法を検査する専門の魔法使いも参加してたはずだし、そいつのところに突き出せばアウトってわけか。


「ま、ワタシとしてはアナタが反則してようと、してまいとどうでもいいことですヨ? アナタはワタシより弱いのですから。魔法で能力を底上げしてようとも、ネ」


 と、再びネムはティリセに斬り込んで行った。その動きは、さっきまでとは比べ物にならないほど、素早かった。おそらく、さっきまでは様子見で、ここからが本気モードなんだろう。さすがにもう、ティリセには勝ち目がないように思われた。今度はティリセも、その速さに対応できないようで、後ろに逃げることはなかった。


 だが、ネムの持つ剣の刃がティリセの首もとに当たる直前、その動きがぴたりと止まった。


「あ、あれ……僕は何を……?」


 なんということでしょう。その瞬間、ザドリーは正気に戻ったようだった。呆けたようにきょろきょろと周りを見回している。


「こ、これはいったい……?」


 ネムは? あの頼れる魔剣様はどこ? どうしていきなりザドリーの体から抜けちゃったの、ねえ?


「ティリセ! お前、何かしたのか!」

「ええ、鬱陶しいから、あのクソ魔剣には眠ってもらうことにしたわ」


 と、ティリセはにやりと笑い、目の前で呆然としているイケメンの握る剣を指差した。見ると、それはうっすらと青白い光を放っている。


「古代魔法、アブソリュート・バインドよ。かなり高度な魔法だけど、このあたしなら、すごーく短時間で、詠唱なしで発動できたりするワケ」

「あ、あぶ……なんだよ、それ?」

「あらゆる生物の動きや思考を完全停止させる魔法ですよ、智樹様」


 と、ユリィが耳打ちして教えてくれた。


「え、じゃあ、お前、ネムを魔法で封じ込めたってわけ?」

「そうよ。あたしだからできることよ」

「マジか! すげーな、お前!」

「え」

「お前、そんな魔法が使えるなら、もっと早くやれよなー。マジ助かるわー」


 俺は感動で胸がいっぱいだった。大会とかもうどうでもよかった。ネムとすっぱり縁が切れたことがうれしかった。


「ちょ、あんた、何勘違いしてるの? この魔法はそんなに――」


 と、そこで、ザドリーが「余所見をするな! 君の相手はこの僕だぞ!」と、斬りかかって来たので、ティリセはあわてて横に飛び、それをよけた。


「いやあ、マジでよかった。あのゴミ魔剣とは今日でおさらばだ。ガッハッハ」

「智樹様、ティリセ様は何か言いたげでしたけど……」


 ユリィはなんだか俺の態度に困惑しているようだ。


「それに、ついさっきまで智樹様のために試合に勝とうとしていた魔剣さんに対して、その言葉はいくらなんでも……」

「いいんだよ。あんなのただの呪いのアイテムなんだから。ティリセの魔法ごときに封じられるゴミだしな。捨てられるなら、それにこしたことないに決まっている!」


 俺はまさに、憑き物が取れたような爽快な気分だった。目の前ではティリセとザドリーがまだ戦っている様子だったが、もうどうでもよかった。

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