第9話 酒盛り
やはりユーフィの絵はうまいな、とトールは旅の話をピアムに聞かせる二人の絵を見て思う。
本職の画家らしいキリシュも感心するほどユーフィが思い出しながら描いた絵は様になっていた。
女の子たちが盛り上がっているなか、トールはキリシュに手招きされてキッチンへ移動する。
「夕食は食べたのかい?」
「いえ、まだです」
「では、ご馳走しようかな。クラムベロー名物のブラッドソーセージがあるんだ。少し酸味のある干した果物が入っていて、他に比べて食べやすいよ。苦味はあるけどね」
早速、夕食の準備を始めるキリシュは慣れた様子で包丁を握った。
「奥さんとかいないんですか?」
「いないねぇ。ピアムを拾う前後も誰かと付き合ったりはしていないんだ。家の中でひたすら絵を描いていたからね。ピアムを拾った時、最初に思ったのはこの家に住んでいるのが男だとなんでわかったんだろう、だったからね」
出不精の自覚があるらしく、キリシュはくっくっくと喉を鳴らす。
キリシュが生ハムを切って野菜の上に散らした簡単なサラダをトールに出した。
「すまないが、持って行ってくれるかい? その間に酒でも準備しよう」
「了解」
サラダと人数分の皿とフォークを持って女子三人組のいるリビングに顔を出す。
双子がフラーレタリアダンジョンの中を説明している。ピアムは目を輝かせて話を聞いていた。
「メーリィ、キリシュさんが作ってくれたサラダだ」
「ありがとうございます」
トールはメーリィに声かけてサラダを渡しておく。ピアムは話に集中しているらしく、トールに気付いていないようだった。
客に料理を運ばせるなんて、とピアムがキリシュにお小言を言いに行く前に退散する。
キッチンからトールの速やかな撤退ぶりを見ていたらしいキリシュが両手を合わせて感謝してきた。
「ありがとう。頼んだ後に叱られかねないと気付いたよ。お客さんなのに、ごめんね」
「これくらいは別に。一晩泊めてもらうんだし」
「一晩と言わずいつまでもどうぞ、と言いたいところだけど、今描いている絵が完成したらこの家を引き払って余所に行こうと思っているんだ。まぁ、二、三日は大丈夫だよ」
キリシュが酒とグラスを用意してくれる。
見覚えのある赤い色の酒を見て、トールは酒の名前を口にした。
「あ、『ブラッディ・アーケヴィット』か」
「おや、知っているのかい? 珍しい酒のはずだけど」
「ダランディの酒場で飲んだことがあって」
「へぇ、そうだったのか。口に合わなかったかい?」
「いや、美味しかった」
トールの感想にキリシュは良かったとグラスに酒を注ぐ。
乾杯して、トールは酒を一口飲むとリビングを振り返る。
三人娘たちが和気あいあいと騒いでいた。
「キリシュさん、家を引き払うって言ってたけど、ブランコを整備するんじゃなかった?」
「あぁ、最初は撤去しようかとも思ったが、あのブランコがあると買い手が付きやすくなるそうだ。それで残しておこうかってね」
「買い手が付きやすくなるってのは意外だ。ここまで歩いてきたけど、どの家も芸術家が住んでますって自己主張している感じだった」
この家の近所を思い出しながら感想を言うと、キリシュが腹を抱えて笑い出した。
ひとしきり笑った後、目じりの涙をぬぐったキリシュが頷く。
「あぁ、まさにそれでね。家庭的というか、生活感がある家は少ない。かといって、庭に置かれている石像やらを片付けるのも手間がかかるから、この家のような物件は扱いやすいそうだ」
キリシュの話に納得したトールは酒をちびりと飲む。
「クラムベローからどこへ? 芸術家なら、クラムベローに住むのが一つの夢だと思ってたんだけど」
「かつてはクラムベローは夢の舞台だったろうね。音楽などの分野ではいまだにそうだろう。ただ、画家にとってはちょっとね」
キリシュは肩をすくめてブラッドソーセージをゆで始める。
「リスキナン・ベロー氏を知っているかい?」
「今日、会ったよ。吸血鬼融和派として、吸血鬼を発見したら誰にも言わずに連絡してほしいと提案されたが、断ってきた」
「その提案はなかなか興味深いが、今回は冒険者や領主家の人間としてではなく画家としてのリスキナン・ベロー氏だ。まぁ、同じ人物なんだけども」
ゆで上げたブラッドソーセージを崩さないように慎重に切って、キリシュは話を続ける。
「いま、クラムベローでは空前の青色ブームでね。青色をふんだんに使っていないとコンクールでも埋もれてしまう」
「破産する人が多そうな話だ」
青色顔料の元になる宝石のラピスラズリはクラムベロー周辺で取ることができない。
特に、ラピスラズリから生成する鮮明な青が特徴のウルトラマリンは原料の二パーセントほどしか得られない。
ふんだんに使うも何も、市場にそれほどラピスラズリが溢れるとは思えず、値段はどんどんつり上がるだろう。
しかし、トールの予想はキリシュによってあっさりと否定された。
「いまブームを作っている青色だが、リスキナン氏が使っているその青はラピスラズリから作ったものではない。新しい青色顔料だそうだ」
「新しい青色? へぇ、珍しさも手伝って流行になったってわけだ」
画廊で見学したリスキナンの絵を思い出す。双子が首をかしげるほど豊富に青が使われていたが、新しい青色顔料が安価に製造できるのならば納得がいく話だ。
キリシュは付け合わせのイモを揚げながら続ける。
「流行と言っても鑑賞する側に限った話でね。その青色顔料はリスキナン氏が製法と販売を独占していて、一部の者しか手に入れられない。すると、どうなるか」
「コンクールで一部の者だけが注目されるようになる?」
「その通り。加えて、入賞作品はレプリカが作られ、クラムベローの外にも輸出される。その利益はリスキナン氏、ひいてはベロー家が独占することになる」
「キリシュさんは一部の者、ではないと?」
「まぁね。どうしても収入は下がってしまう。ここを引き払うのはそれだけが理由ではないが、理由の一端ではあるよ。おそらく、ベロー家はあの青色顔料を特産品にしたいのだろう。ラピスラズリの輸入量を減らせるだけでも都市財政の負担は軽くなるはずだ」
顔料や原料を輸入し、美術品や染め布を制作して外部の都市へと輸出する産業構造のクラムベローにおいて、顔料を自給できるとすれば輸入額の削減を見込める。
クラムベロー周辺は魔物や魔機獣が多く、輸送コストが割高なことも手伝って顔料の輸入は都市財政への負担が大きい。
クラムベローを統治するベロー家としては、一族であるリスキナン・ベローの画家活動を後押ししてでも普及に努めるメリットがある。
「なんで冒険者クランのリーダーなんてやってるんだ……?」
当然の疑問が出てくる。
双子とも話したが、特殊な青色顔料の普及に努める役割があるのなら実家であるベロー家がパトロンのようなものだ。小銭を稼ぐ意味は薄く、遠出するのに護衛が欲しいのなら冒険者を雇えば済む。その方が画家活動に専念できるはずだ。
トールはどうやら自分の予想が間違っていたらしいと判断し、後で双子と相談することを決めた。
キリシュがブラッドソーセージを乗せた皿をトールに渡してくる。
無言のアイコンタクトで皿をリビングの三人組に届け、トールはキッチンに戻ってきた。
「リキュールに合うような料理ではないから、赤ワインを用意しておいたよ。どうぞ」
「ありがとう。――美味っ!?」
背筋がぞくぞくするような重く濃厚なブドウの香りにドキリとする、フルボディの上質な赤ワインだった。思わず声を上げてしまうほどの美味さ。
「引き払う前に空けてしまおうと思ってね。引っ越しの際の揺れで劣化するのは悲しいから、飲んでしまおう」
「なんか、申し訳なくなってくる。お金、払おうか?」
「いいんだよ。一人では飲みきれなくて困っていたくらいだから」
「それにしたって――あ、なら引越しの手伝いをしようか。魔機車に荷物を載せて、引っ越し先まで送るよ」
「いいのかい? それは助かるよ。はい、僕たちの分のブラッドソーセージ」
キリシュが勧めてくれたブラッドソーセージはレバーペーストのようなくちどけに粒状になるまで刻まれた酸味のある果物の食感が面白いものだった。どっしりとした苦味と果物の酸味でなかなか食べにくいのだが、不思議とワインとはよく馴染む。
「もしかしてこれがクラムベロー名物『吸血鬼も大好きブラッドソーセージ』ってやつ?」
「その一種だね。十年ちょっと前からいろいろな店が独自に開発したブラッドソーセージを出すようになったんだ。腐りやすいから数量限定で、クラムベローの外に輸出もできない。引っ越すとこれを食べられなくなることだけが心残りかな」
好物らしく少し名残惜しそうにしながら、キリシュはブラッドソーセージを口に運んだ。
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