第58話 姿なき騎士と恋するアンドロイド
杏沙はてきぱきとした動作で水を置き、オーダーを取るとキッチンに戻ってきた。
「驚いたな、まさかあの二人がここに来るなんて」
「真咲君のお友達はともかく、先生には幽霊の時に見られてるからドキドキしたわ。
杏沙が珍しく興奮した口調で言った。僕は注文の品を確かめると、杏沙に「僕が持っていくよ」と言った。
「危険よ」
「大丈夫さ。片瀬が敵側の人間になっちまったかどうか、近くでよく見てみたいんだ」
僕は険しい表情を浮かべている杏沙を尻目に、オーダーされた品をトレーに乗せた。
女の子っぽい動きを意識しながらテーブルに近づいた僕は、片瀬の横顔を見た瞬間、はっとした。伏せ加減の目の端にうっすらと涙がたまっていたからだ。
片瀬、と言いかけた僕は言葉を飲みこみ「お客様、大丈夫ですか?」と声をかけた。
「……あっ、何でもないんです。すみません」
片瀬は驚いたように僕の方を見ると、ぎこちなく微笑んでみせた。僕がコーヒーとダージリンをテーブルに置くと、小峰先生が「あら、新しい方?」と僕の顔を覗きこんだ。
「あ、はい。今日から入りました」
「私、たまに来るんだけど雰囲気がとっても気に入ってるの、早く慣れるといいわね」
慣れるというのは、早く仲間になれということだろうか。なんにせよ、今日のところは仲間じゃなくてもいいということらしい。僕はひやひやしながらキッチンに戻ると、携帯を取り出した。こうなったらいちかばちかだ。
「何をする気?」
「警告だよ。ここままじゃ片瀬が『アップデーター』にされちまう」
僕は携帯をタップすると、片瀬に向けて立て続けに短いメールを打った。
――片瀬、僕だ、真咲だ。今から僕が送るメールを注意して読んでほしい。びっくりするような内容もあると思うけどできるだけ声は出さず、表情も変えずに読んで欲しい。
僕は文章を撃ちながら、どうか小峰先生が怪しみませんようにと祈った。
――片瀬、信じられないだろうが小峰先生は侵略者だ。
僕は片瀬が混乱しないよう、中身を短い文章に分けて何度も送信した。
――僕が今、どこにいるかは言えないし、顔を出すこともできない。ただ一つ、君に伝えたいことは、小峰先生から距離を置いてくれということだ。この街の人たちは、侵略者によって身体を乗っ取られている。だから親しい人と会う時も、十分に気をつけて欲しい。
僕は思い切って片瀬の周囲に起きている異変と警告だけを伝えた。これでも駄目なら諦めるしかない。僕が祈るような気持ちでフロアの気配をうかがっていると、やがてかたんと椅子が動く音がした。
「ごめんなさい、家で何かトラブルがあったみたい。戻らなくちゃ」
「あらそれは大変ね。……残念だけど、詳しい話はこの次ね」
片瀬と小峰先生のやり取りを聞きながら、僕はいいぞと心の中で片瀬を応援した。
やがてドアを開け閉めする音が聞こえ、片瀬の気配が店内から完全に消えるとぼくはほっと胸をなでおろした。
「真咲君」
携帯をしまって放心している僕に、杏沙が物言いたげな顔で近づいてきた。
「片瀬さんのことで、ちょっと。……以前、学校で私が彼女の中を『通り抜けた』ことがあったでしょ?今まで黙ってたけど、あの時、見えたものがあるの」
「見えたものって?」
「男性よ。眼鏡をかけた、大人の男の人。……たぶん、先生だと思うわ」
僕ははっとした。五十嵐先生か!意外な告白に僕は動揺を隠せなかった。
「たぶん彼女、その先生のことが好きなのよ。見えたのは先生と演劇の仲間、それに……真咲君がちょっと」
「わかったよ七森、つまりこういうことだろ?片瀬が僕の『映画研究会』に入ったのは映画に興味があったからじゃない。五十嵐先生と一緒に活動ができるからだ」
「……ごめん。言わない方が良かった?」
「いいさ。これでもやもやが晴れてすっきりしたよ。でもこうなると、五十嵐先生もずっと無事とは限らないな。小峰先生みたいに、いつか敵の仲間にされちまうかもしれない」
「たぶん、小峰先生と親しくなったのも恋愛相談がきっかけよ。女は女同士とか言ってね」
「五十嵐先生にも気をつけろっていいたいとこだけど、僕が言ったらたぶん、ジェラシーだと思って反発するかもしれないな。そうなったらかえって危険だ」
「彼女のことはいったん、置いておいて私たちは『成りすまし』の練習に集中しましょう」
杏沙の言葉に、僕は頷いた。片瀬のことも気になるが、僕らの目的は一刻も早くジャックの身柄を確保して、七森博士の居場所を聞き出すことだ。
「あっ、またお客さんが来たみたいよ。怪しまれないよう、新人らしく振る舞わなきゃ」
杏沙はそう言うと、水の乗ったトレーを手にぴんと背筋を伸ばして歩き始めた。
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