第14話 このまま消えてしまいたくない


 幽霊なのだから、下に落ちたとしてもどうってことはないのだが、僕は思うように移動できないことで冷静さを失っていた。床との格闘をあきらめて顔を上げると、『アップデーター』の顔がすぐ近くに見えた。


 しまった、敵のことを忘れていた。僕が慌てて目を逸らそうとした瞬間、『アップデーター』の目の中心が赤く光った。


 女性職員の姿をした『アップデーダー』は、まるで敵を探すレーダーのように左右を見回し、やがて僕の方を向いた。僕は奴のアンテナが自分の存在を捉えたことを確信した。


 ――まずい!


 僕は床を蹴って飛ぶと、『アップデーター』の頭上を飛び越えて反対側に降りた。このまま気づかれないように移動し、階段のところで足を動かせば下に行けるのではないか?


そう考えて『アップデーター』から離れかけた、その時だった。突然、下半身の動きが止まったかと思うと、腰から下が水で薄めたように見えにくくなっていた。


 はっとして振り返った僕が見たものは、ペンライトのような物を手にしている『アップデーター』の姿だった。


『アップデータ―』はライトを僕の方に向け、先端から伸びている光の帯を左右に動かしていた。僕の下半身が光の帯に触れると、どんどん僕の姿は薄くなってゆくのだった。


 ――これが杏沙の言っていた敵の『装置』のひとつか。とにかく逃げなきゃ!


 僕は周囲を見回すと、咄嗟に一番近い部屋に飛び込んだ。緊急避難のつもりだったが部屋に入った途端、僕の脳裏にある考えが閃いた。

 このまま窓から外に出てしまえば少なくとも床の上ではなくなる。もしかすると下に「落ちる」のではないか?


 僕はそう思うが早いか、窓に向かって移動を始めた。数秒後、僕の身体は部屋の窓をつき抜け、外に出ていた。


 ――浮いてる?


 五メートルほど下の地面と僕の両足との間には、何も存在しなかった。床がない、そう意識した瞬間、僕の身体はゆっくりと高度を下げ始めた。


 やがて一階の窓が目線と同じ高さになり、僕の降下は止まった。相変わらず足は地面から数センチほど浮いていたが、僕はそのまま前に進んで建物の中に再突入した。


 ビルのロビーで僕を出迎えたのはなんと、立ち話をしている四家さんの身体から抜け出そうとしている杏沙だった。


「七森……なにをやってるんだ?」


「あ、真咲君。……よかった、無事だったのね。さっき、敵が降りてきたから彼女の『身体』に隠れさせてもらったの。お蔭で研究所までの道のりもわかったわ」


 杏沙は人の心配をよそにあっけらかんと言い放つと、四家さんの身体からするりと外に出た。


「で、敵は?」


「上に戻ってったわ。君が見つかるんじゃないかってはらはらしたけど、そっちも何とかしのいだみたいね」


「まあ、やみくもに逃げてたらこうなったってだけの話さ。それより敵がなんか武器みたいなものを持ってたんだ。光に当たると僕らが薄くなるような武器」


「あ、知ってる、それ。怖いわよ。小さいのだったらいいけど、強力な奴なら一瞬で消されて牢獄に逆戻りか、最悪の場合、意識ごと消されて脳死ね」


「怖いこというなよ。研究所の場所がわかったんなら、こんな剣呑な場所はさっさと出て五瀬さんを探しに行こうぜ」


 僕はそう言うと、実体のない杏沙の背を押す仕草をした。


「そうね。敵と戦うにしてもまず、身体が無くちゃ話にならないものね」


 僕らは学校のビルを出ると、午後の往来を進み始めた。それにしても、建物に侵入したり、人間の身体に侵入したりとなんとも忙しい日だ。幽霊だからいいようなものの、人間ならとっくに捕まってるだろうな。


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