青い果実

石田夏目

青い果実


田所なゆは小学校の時からずっと

朝一番に学校に来ている。

それは晴れの日も雨の日もましてや

台風の日も関係なかった。

そしてそれはなゆ曰く朝はきれいななゆで

いれるから朝が好きなのだそうだ。

「おはよ。」

「おう。おはよ。なゆなにしてんの?」

「なゆ?なゆはね、今ビー玉みてるの。

ほら朝日に当たって綺麗でしょ?」

窓際の一番日が当たる場所に座り

色とりどりのビー玉を天井に

翳していた。

たしかにキラキラと光輝いてはいる

いるのだが。

俺の視線はビー玉でなくなゆに

注がれていた。

風にふわりとカーテンが揺れると

なゆの細いさらさらとした亜麻色の髪も

揺れる。

朝日に照らされたなゆは

まるで神話の神様のようだ。

「おっ来たのか。」

「颯、今日は珍しく早いな。」

「いやぁ実は俺となゆ今日日直でさ

いつもよりはやく来たんだよ。」

チョークのカッカッという音だけが響く。

六月一日。晴れ。今日の日直はなゆと颯。

「ねー凛太郎、颯ちゃんしりとりしよ。

まず私からね。うーんと

じゃあ凛太郎の『う』。」

「小学生じゃあるまいしそんなのするかよ」

「えーじゃあ颯ちゃんとふたりでやるから

別にいいよ?ね?颯ちゃん」

「ん。賛成。」

「おい。待て!…俺もやる。」

「ふふっ。素直じゃないなぁ。

じゃーあ凛太郎の『う』からね。」

俺たちは小学校のクラスが

六年間一緒だったことで自然と距離が

近づき仲良くなった

そうしてなんの運命なのか中学も

三年間クラスが同じになり

俺たちはずっと一緒に過ごしている。

田所なゆは不思議なやつだ。

これだけ一緒にいてもどこか掴み所がなく

何を考えているのか全然わからない。

そして今日も色々なビー玉を眺めながら

なゆ、大人になりたくないなぁと呟いた。

なゆは時々こうして突拍子もない

発言をする。

そうしてそれはまるで独り言のように

ぼそりと呟くのだ。

「なんで大人になりたくないんだ?」

「大人って汚いから。」

「汚いってどういう意味だ?

じゃあ子供はきれいなのか?」

「子どもがきれいってわけじゃなくて。

大人が特別汚いだけ。

なゆはずっときれいなものに囲まれて

いたいの。」

「…また難解だな。」

「難しいことはわかんねぇけど

とりあえず俺らはきれいってことだな!」

「んー二人とも汚いかな。」

「なゆ、それひどくね!?」

「はぁ!?おいそれどういうことだよ。」

焦る俺たちを横目にふふとまるで

いたずらっ子のように笑っていた。

「もー冗談なのに二人ともむきに

なっちゃって変なの。

あーあ。こんな時間がずっと続けばいい

のにな。」

なゆのその言葉に俺たちは思わず苦笑した。

俺たちは中学を卒業したら別々の

高校へ進学する予定だった。

俺は私学の男子校、颯は地元の公立高校

そしてなゆは話をはぐらかしてばかりで

決して口を割らなかったが

俺たち二人とは違う高校であることは

確かだった。

こんな時間がずっと続けばいい。

けれど俺たちはその終わりが

確かに迫っていることに薄々気がついて

いたからだ。

そうしてその時は案外すぐにやってきた。


「俺、なゆが好きだ。」

「颯、お前。」

「今告白しないと

なゆはきっと手が届かないような

ところへいってしまう気がするんだ。」

「俺たちの関係はどうなるんだよ。

…俺たちはずっと変わらないんじゃないの

かよ。」

「ずっと…か。

なぁお前そうやってずっと自分の気持ち

誤魔化すのか?

本当はお前だって気づいてるんだろ?」

俺たちは不思議なバランスで

今の関係を保っていた。

本当はジェンガのようにひとつ倒して

しまえばすべてが崩れてしまうそんな危うい関係なのに俺たちはどうにかそのジェンガを倒さないようにバランスを保ってきた。

それはなゆの願いであり

そして俺たちのためでもあった。

俺たちはそれほどまでになゆが好きだった。

自分達の気持ちを押し殺してまでも

なゆのそばにいたかった。

そしてただ笑っていてほしかった。

…本当にそれだけだったはずなのだ。



「おはよ。凛太郎。なんだか久しぶり

だね。」

なゆはいつもと変わらず一番端の窓際の席に座りビー玉を眺めていた。

その日は公立高校の受験日で学校に

登校してくるのは私立受験を終えた人のみ

だったので颯は登校してこない。

そしてこれは俺にとって

千載一遇のチャンスだった。

なゆの隣の席に座り頬杖をつく

「?どうしたの。」

「なぁ。俺、なゆが好きだ。」

「私も凛太郎のこと好きだよ?

というか今さらなに言ってんの。

あっわかった。

もしかして私のことからかってるん

でしょ。

残念!その手にはのらないからね。」

「…本気なんだけど。」

しばらくの沈黙が続く。

「…そっか。」

ただ一言そう言うと立ち上がり

ぐっと大きく背伸びをすると

俺に背中をむけた。

「私ね凛太郎と颯ちゃんとずっと

一緒にいたいってそう思ってたの。

けどそれって難しかったんだね。」

「…なゆ。」

そうして俺の方にくるりと向き直すと

その氷のように冷たい手で

俺の両頬を包み込んだ。

その目には一切の光がなく

ただはっきりと俺の顔が映っている。

そしてその薄い唇がゆっくりと開く。

「 」

…そう言い終わるといつものにほにゃっと

した表情に戻りまるでなにごともなかったかのように再びビー玉を眺めていた。







「それじゃあ天国のなゆに」

「「献杯。」」

お酒のかわりになゆが好きだった

スコールをぐっと一気に飲み終わると

二人で顔を見合わせなゆの

思い出話に花を咲かせた。


「なぁ俺さ、なゆのこと本当に好きだった

んだ。早起きするの苦手なのになゆのために

頑張って…」

今にも泣き出しそうな颯の肩を優しく

ポンとたたき遺影を見ると

そこには

あの頃と全く変わらずほにゃっと笑っている

なおが写っていた。



後に知ったことだが

なゆの家庭環境はかなり複雑だったらしい。

なゆの母親は幼い頃に父親の不貞が原因で

亡くなっており引き取り手がなく

幼かったなゆは父親へと引き取られた。

そうしてしばらくして

父親が再婚しその人との間に

子供が産まれるとなゆのことを

まるで邪魔物のように扱うようになった。

けれどなゆは自分の妹であるその子を

とても可愛がっていた。

しかしその子に触れようとすると

お前は汚いから触るなと叩かれ

嫌みや悪口を言われることもしょっちゅう

だったらしい。

なゆが自分のことをなゆと呼ぶようになったのはその子供が産まれてからのことで

その前は私と言っていたそうだ。

なゆは生前

きれいなものに触れていたい。

きれいなものに触れていると

なゆもきれいになれると思うんです。

…そう言っていたそうだ。

そうしてなゆは大人になる前に

自分で命をたった。

死体のまわりにはキラキラとした

たくさんのビー玉やガラス玉で

埋め尽くされていたという。





「なぁしりとりしようぜ。」

「そうだな。久しぶりにやるか。」

「じゃあ献杯のい」

「い、いろり」

「りんご」

「ごりら」

「らっこ」

「こえ」

「え…えいえん。」

―永遠。

そう。あの日々が永遠に続けばよかった。

颯が馬鹿なことを言って俺がつっこみ

そしてなゆが笑うそんな日々が。

けれどそれはもう一生叶うことはない。

そっと目を閉じると

あの日のことがまるで昨日のことかのように

甦ってくる。

それは吐息さえ白くまだ薄暗い朝。

なゆの氷のように冷たい手が俺の両頬を

包みこむ。

その目に光はなく

ただはっきりと俺の姿がうつっている。

そしてその薄い唇がゆっくりと開く。

「私も凛太郎のこと好きになりたかったな

でもなゆは汚いから。

このまま汚い大人になりたくないの。

ごめんね。」




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