刀工と騎士と戦争と

 ギレイは飛竜の手綱を引いて、高度を上げた。背後で響く、自分の、今は彼女の剣を納める鍔鳴りの音を聴きながら。

(ミシュアさん――)

 自分の腰に回された、彼女の手を感じながら。

(本当は逃げてしまいたいんじゃないか――?)

 ギレイは飛竜を駆った。街を巡回したいという、騎士としての彼女が言わせた嘘に気づきながら、何も言わずに。作り物みたいに小さく見える都市、本来ならば見上げるほどに高く分厚い城壁を見下ろしながら、逃れるように……暮れなずむ空を駆けた。


 今は、二人だけだった。


 城塞都市を過ぎ去って、眼下には雪景色が広がっていた。夕日が眩しすぎて、向かい風が強すぎて、高度を下げていく。足下に広がる、雪原へと近づいていく。

 当たり前のことではあるけれど、戦争が近づいている城塞都市の外には誰もいなかった。


 今は、本当に二人きりだった。


(このまま……)

 思ってしまう……ずっと思わないようにしようとしていたことを。

(このまま、何処かへ――二人で)

 思い返すのは、評議会のこと。彼女と会えないようにした人々。確かに存在し、でも、顔も名も知らない無数の人々。彼らはしかし、彼女と街を巡った日には優しくしてくれた人々でもあった。きっと、自分たちに本当に悪意のある人々はきっと少ない。

 でも……それでも、さきほどの多くの歓声が告げていたように、彼らは騎士を戦地に向かわせる……そう、望んでいる人々だった。

(僕たちのことを誰も知らない何処かへ――)

 思い返すのは、自分が知っている人々のこと。

 親友のハサン、今や上司のルーキュルク、ルド親方。よく知らない人々の顔。鍛冶道具を商人や居酒屋の人、かつ、彼女と街を巡った時にすれ違っただけの人の顔まで、様々に思い返す。

(僕たちを知る誰かが――)

 思い返すのは、自分が知っていた人々。

 死なせてしまった戦友、傭兵時代に顔を合わせただけの人々から始まって……もしかしたら友にさえなれたかもしれないアベルまで。

(僕は……)

 戦い敗れて、もう会えなくなってしまった人々。

 彼らの顔を思い返すと、どうしても。

(……剣を――)

 飛竜の手綱を握る己の手を見る……鉄槌を握っていない、己の手。思い返すのは、鉄槌の感触、鉄を打ったときの手応え、火花、甲高い音色。親方や剣を渡した人々のことで。


「……」

 かつての自分を思い出すかのように、ギレイは自分の鍛冶小屋があった森へと飛竜を降り立たせていた。ここに来たのは、おそらく、身体に染みついていた習慣だった。でも、それだけじゃないようにも、ギレイは自覚していた。

「……、」

 ルーキュルクギルドの工房とは違って、未だ残雪のある鍛冶小屋が見えた。久しぶりに来たそこに、懐かしさがこみ上げる。飛竜を降りて、かつて、そうしていたように小屋へと歩んでいく。残雪を踏みしめて、立ち止まる。自分と同じように飛竜を降りて、歩み寄ってくれていた彼女も立ち止まった。それを、まるで触れているかのように背中で感じながら、口を開いた。


「ミシュアさん」

「……なに? ギレイさん」

 ギレイの唇が震えた。

 これから言おうとしていることへの、ほんの少しの、躊躇だった。

 でも、ほんの少しで済んだ。

 そのことが、何故だか不思議なほど嬉しかった。


「僕はね、キミと一緒に逃げたい……戦争のないところまで」


 彼女が、まるで泣くかのように息をのむ気配を、背中で感じる。やっぱり彼女も、似たようなことを思い、それを口にすることを躊躇していたのだと感じ取った。

「ギレイさん……それは……」

「うん、分かってる……みんながきっと、ミシュアさんを責めるだろう。騎士団の仲間や今も都市に残っていた人々……もしかしたら、遠い異国の人までも」

「……」

「だから、僕がキミを逃がす。キミを責め立てる人々が、そんな人々の言葉が届かないところまで、ずっとずっと遠くまで――何処までも一緒に逃げてしまいたいんだ」

 彼女は何も言わなかった。

 ただ、背中に彼女の額がそっと預けられた、彼女の息も。

 乱れた吐息は、彼女が泣いているのだと訴えていた。

「大丈夫……きっと大丈夫だよ、戦争もない……ううん、魔族と人間が争うことのない、騎士も刀工も必要ないところ……ううん、身分評議会みたいな、人間同士の言い争いさえもないところへ、みんながただ穏やかに暮らすだけの……そんな場所が何処かに……」

 ある、とは、ギレイには言えなかった。

 彼女の涙が伝ったかのように、自分の頬にも一筋の涙が流れていた。構わなかった、ずっと言いたくて、言えなかったこと……ほとんどはもう彼女に伝ったはずだった。

 だから、彼女と共に涙を流していく……流させしまう何かに、身も心も委ねた。

 彼女も、多分、そうだった。

 二人きりで、二人にしか分かち合えない何かを預け合った。

 もしかしたら、彼女と過ごした時間のなかで一番、心を重ね合わせられたのかもしれなかった。二人だけで過ごしていけば、もしかしたら、さきほど口にしたように見知らぬ何処かで穏やかに過ごしていくことも叶うかもしれなかった。

 ただ、ギレイにはもう一つ言えなかったことがあった。

(……二人きりで生きていきたい)

 彼女にそう言おうとして、言えなかった……だから。

「ギレイさん……ありがとう」

 彼女が言うことを知っていたのだと思う。


「ありがとう、本当に……ええ、本当に。ギレイさんが言ってくれたこと、想ってくれたこと……絶対に忘れない。ずっと胸のうちにしまっておく……誰にも渡さない――奪わせない――たとえ、戦地でも」


 二人きりで優しい日々を泣きながら、夢見た。でも、二人のためにしかならない夢なんて、彼女はきっと斬り捨てると、ギレイは知っていた。


「だってね、ギレイさん」

「ん?」

「わたしはやっぱり、みんなのことを忘れるなんて出来ないよ……きっと、ギレイさんも」

「そう……かな?」

「そうだよ」

「……そっか」

「ええ、みんなを置き去りにして……忘れたフリをして、わたし達が日々を過ごしたとしても……そんな日々はきっと、わたし達の絆を……」

「――分かってる、その続きは言わなくても」

 ギレイは、知っていた。

 彼女はやはり綺麗な騎士だと、ここで出会った頃から知っていたのだった。

 でも、剣を携えない、彼女をも知っている。

「ミシュアさん」

 そして、自分は刀工だった――今、戦争に赴こうと決意した彼女の。

 なら、自分のやることは決まった。彼女の命を――もしかしたら、それ以上の何かを預けられる剣を鍛え上げることだった。

 約束でもあったかのように、もう一度、出逢うかのように、振り返り合う。

 向かい合う……鉄槌を握っていない自分を知ってくれている、彼女へと。


「僕は貴女のためだけの剣を、鍛え上げるよ」

「ええ、信じて待ってるね――貴方のことを」


 うなずき微笑んだ彼女の瞳――残っていた涙が流れ落ちた。

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