新しい剣について

「なんだか……凄い久しぶりな気がするよ」

 ルーキュルクに割り当てて貰った鍛冶室で、ギレイは斜向かいに座ったミシュアに言った。

「ええ、わたしも。色々あったから……余計にね」

 評議会でのことを思い出したかのように、ミシュアが苦笑いをしている。

 釣られて、ギレイも苦笑する。一度は失われた時間の続き……その大切さを確かめ合ってから、口を開いた。


「さて、剣のことなんだけど……」

「あ、ごめんなさい。そのことでギレイさんに話たいことがあるんだ」

「ん? うん、いくらでも聞くよ」

 ゆっくりと頷いてから、彼女は口を開いた。

「わたしね、一番欲しい剣が決まったんだ」

「……そう、聞かせて」

「少し長くなるかもしれないけど、いい?」

「もちろん」

「わたしね、騎士団の皆を死なせたくないんだ」


 彼女の声音は静かで穏やかでさえあった。だからなのか、ギレイには重く響いた。心臓が刺されたかのように、どくっと脈動する。そんな内心を彼女に見せないように努めて平静を装っていると、彼女が言い続けていた。


「分かってはいるんだ。合戦……詳しい数は言えないけど、何万という人間が同じく何万という魔族と殺し合う。きっとね、死者が出る……皆が生き残れはしない」

 淡々と、彼女は告げる。

 戦争の現実。

 ギレイとて、刀工として、分かっている。剣を持つということが……どういうことか。剣士を見続け、剣を作り続けて理解している……してしまったことだった。


「でもね、ギレイさん」

「……ん?」

「わたしはやっぱり、出来うる限り……仲間に死んで欲しくないんだ」

「うん」

「だからさ、ギレイさん。わたしは騎士団の先陣で――仲間達の一番前で、剣を振りたい」

「……仲間の危険を減らすために?」

「ええ……わたしの背に続いてくれる仲間達――こんなわたしを信じてくれる仲間達の命を少しでも守りたいんだ……そのために、」

「少しでも、多くの敵を斬る?」

「ええ」

 彼女に迷いはきっと、ない。


「必ず誰よりも敵を斬る……わたしの命を使い果たしてでも」


 誓うように、彼女は凛然と微笑んだ。

 良い……いや、本当に美しい剣士だと、ギレイは思った。

 刀工として、もしかしたら、これほどの剣士に出逢えることは、もう、二度とないんじゃないかと思いもした。剣なんて持たなくても、刀身の輝きのような美しさが、彼女のなかにはあるのだともさえ。

 でも……だからこそ。


「ギレイ……さん?」

「……ん?」

「どうしたの?」

「え? 僕、何か、変?」

 言うと、彼女が手を伸ばし、自分の頬に触れてきた。

 彼女の少し冷たい指先が、目元をゆっくり優しく撫でてくる。

 それで、気づいた。


「――あれ? うそ? 僕、泣いてる……?」


「わたし……変なこと、言った?」

「ううん……いや、違う。違うと思うよ……何だろう? 僕も分からない。ん~何か、僕、疲れてるのかも」

「もしかして……」

「ん?」

 首を傾げると、彼女はギレイの頬から指先を離し、目線を壁際――飾られていた、折れた剣へと向かわせる。折れた剣を見つめた彼女は口を開きかけて、閉じた。

「……、」

 彼女が言いかけて、言えなかったことを、ギレイは察した。

「うん……そう」

 ギレイは嘘を、つくことにした。

「戦友のこと、思い出したんだ」

 嘘をついたというのに、不思議と、罪悪感はなかった。

「そう……か……わたしがやっぱり変なこと、ううん、勘違いさせるようなこと、言っちゃったね。わたしは……死ぬ覚悟はあるけれど、わたしは、その、死にたいわけじゃない」

 彼女にせめて、そう言わせることが出来たのだから。

「……うん、分かってるよ、ミシュアさん」

「ええ、分かってくれるって思ってた」

「ミシュアさんが一番欲しい剣……分かったよ」

 言うと、彼女は力強く、うなずいた。ギレイもそうした。ほんの一時、互いを見つめ合っていると、彼女が口を開いた。

「そう言えば……ごめんね、ギレイさん」

「ん? 何が?」

「剣。わたしが一人で決めちゃったね……一緒に考えてくれるって言ってくれたのに」

「ううん、良いよ。良いんだ……剣士が欲しいものを作るのが刀工なんだから、うん……出来うる限り敵を多く斬る剣だね、分かった」

 口から漏れ出た声が、自分のものなのに、他人の声のように、ギレイには聞こえた。何故だかは、分からなかった。

「ギレイさん……?」

 彼女が気遣わしげな目で、こちらを見上げていた。

「ん?」

 ギレイは何も答えられず、また、彼女も何も言うことはなく。そのまま、探り合うように視線をしばし交わし合って、彼女の口から意外な言葉が漏れ出た。


「少し、外に出ましょうか」

 柔らかく微笑んだ彼女が、ギレイの手を取った。

「え? ちょっと――なんで?」

「いいから、外へ出てしまいましょう」

 彼女に手を引かれる。というか、思ったよりも力強く手を引かれ、鍛冶屋を連れ出される。手を引かれたまま、走り抜けるように工房の通路を過ぎ去っていく。

 通路で、すれ違う職工達に

「うおっ、お出かけっすか?」などと、驚かれたり。

「何か知らんけど、頑張れよー」と、ニヤつかれり。

「良い宿屋、教えても良いぞっ!」とかゲスい口笛を吹かれたりして。

 職工達に曖昧に応えつつ、ギレイ達はルーキュルク工房を出た。

 開かれた大きな扉を抜けた先――目に飛び込んでくるのは、青空と少し強めの陽光だった。

「ね、ギレイさん。気晴らしを兼ねて、歩きながら話をしましょう」

 そして陽光が彩るミシュアの笑顔が何よりも、ギレイの目に焼き付いた。

(僕は……)

 ギレイは胸のうちに焼かれたような、痛みを感じた。その痛みが全身に駆け巡り、悲鳴を上げるかのように心で思う。


(僕は……ミシュアさんに戦って欲しくない)


 彼女に剣を渡したくなかった。

 他の誰よりも、傷ついて欲しくなかった。

 でも、

「ミシュアさん……、」

 言うことは出来ず、別のことを口にする。

「分かった。歩きながら剣のことを、か。僕はやったことないけど、試してみるのもいいかも」

 笑顔のままで頷いた彼女に、ギレイは頷いた。何故か、二人して繋いだ手を見つめ、またも笑い合って、一緒に手を離す。

 ただ、どうしてか、言葉を交わすこともなかった。でも、共に歩き出した。当てもなく、二人で靴音を石畳に響かせ合う。まるで靴音が交わしづらくなってしまった言葉の代わりだとでも、言い合うかのように。

 前を歩く彼女の背中から視線を逸らすように、ギレイは目をそっと動かす。

 飛び込んでくるのは立ち並んでいる武具工房だった。ルーキュルク工房ほど巨大なものはないが、時折、「早く持って来いっ、冷却水ッ」とか「鉄の色見間違えてンな、ボケッ!」とか「あと二十振り足りないっ!」などと怒号が聞こえてくる。

「……、」

 武具工房の喧噪に、ギレイは思う。


(戦争は……もう始まってるんだ)


 連想するのは、何故か、評議会で刀工の位を取られた時のことだった。自分の鍛冶道具を持ち去られた時の光景が頭の片隅で浮かんでは消える。

 身分評議会――普通に暮らす人々の意志が寄り集まって、おそらくは、戦争を始めているのだった。魔族の軍勢に攻め込まれるからこそ、当然ではあった。

 でも、


(初めて思った……僕は戦争が嫌いだ)


 思ってしまった――刀工なのに。

 戦争をする騎士を支える刀工なのに。

(馬鹿だな、僕は。今更、気づくなんて)

 少し、泣きたいように思って、気がつけば、俯いていた。

「……ギレイさん?」

 何か言うべきなのに、でも、口が開かない。

「ね、ギレイさん」

 何かを察してくれたかのように、彼女は再びギレイの手を少し強く握った。

「今日は……もう、やめましょう。剣のことを考えるのは」

 答えられずにいると、また、彼女に手を引かれる。


「戦えない日があったって、いいでしょう?」


 強く手を引かれ、彼女と共に少し駆け出す。ギレイは胸のうちに湧き上がっていた、泥沼のような感情から連れ出されたような心地を味わった。

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